shin-1さんの日記

○今日はいい勉強をしました

 今日は午前10時から午後4時まで、松山市道後のにぎたつ会館で金銭・金融教育研究協議会があって、かなり長時間の研修会に出席しました。参加者の殆どは幼稚園や小中高の学校の先生ですが、私は金融広報委員会の金融広報アドバイザーという肩書きでの参加です。午前中は金融広報委員会から指定を受けている幼小中高の研究発表でした。

若松進一ブログ

 発表が終わると司会者から参加者に意見や質問が投げかけられました。「金融広報アドバイザーの若松さん、何かご意見はありませんか」と、意見をまとめる間もなく藪から棒にご指名を受けてしまいました。幼稚園のサツマイモ植えと、小学校の小遣い帳記帳について質問をして答えてもらいましたが、そのことがきっかけで、アドバイザーの皆さんもいろいろと話をしていただきました。


 昼食の後大阪教育大学の先生が、消費者教育について1時間20分ばかり講演し、その後何班かに分かれてワークショップをやりました。最近はワークショップもすっかり板について、皆さんそれぞれ意見を述べ合いましたが、時間も短くまた事前指導が行き届かなかったのか、意見のまとまりは今一といった感じでした。私は4時半に遠来の友と会う約束をしていたので、4時過ぎに会場を後にしました。

 久しぶりに研修を受けると、発表や講演、それに討議など、攻守変わってよく見えてくるものです。発表のテクニック、講演の組み立て方や話芸、ワークショップのファシリテーターの役割など、いつも自分がやっているだけに、「私だったら・・・・」と随分反省の意味を込めて冷静に見させてもらいました。今日の学びはその点大いに役に立ちました。

 人を動かす、人に話を聞かせる、人の話を聞いてまとめる、自分が発表やプレゼンテーションをする、それぞれどれ一つ取ってみても難しいものばかりです。相手を飽きさせず巻き込む術は容易なことで身につくものでもありませんが、次に自分がやる時はさらに磨きをかけて進化したいと思っています。はてさてそんな役割がこれから先何回あることでしょう。

  「人のやる 役割見つめ なるほどと 今日は沢山 学びましたよ」

  「プログラマー その次大事 プロデューサー うまくやれたら プロフェッショナル」

  「ああ俺も こんな目つきで 常日頃 見られているか 感心しきり」

  「延々と 六時間もの 長時間 机座りて 金融教育」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○喪中ハガキが届く頃

 このところ、私の元へは毎日のように、「喪中につき年末年始のご挨拶は控えさせていただきます」という挨拶状が何枚も届いています。本当はその都度年賀状の整理をしなければならないのでしょうが、忙しさにかまけて机の墨に山積みされ、年賀状を出す頃に一括整理と相成るのです。

 この一年私の知っている人の訃報も随分聞き、その都度葬儀に参列したり、止む無き事情で葬儀に出れない場合は香典を届けたり、通夜に参列したり、中には遠方ゆえ弔電で済ませたりと色々でした。喪中のハガキを手にする度に、その人の思い出が蘇り、行員矢の如く過ぎ去った日々の速さに驚くのです。


 昨日は79歳で亡くなった叔父の一周忌の法要が行われました。あいにく視察受け入れの日程が早々と決まっていて、失念ながらお坊さんの読経やお墓参りには参列できず、参拝と食事会だけの酸化となりましたが、正月を3日後に控えた昨年末に叔父が急逝して早くも一年が過ぎようとしているのです。


 叔父の妻である叔母は私の父親の妹ですが、親父の兄弟姉妹は12人もいて、未だ6人健在なのです。伯母の家が目と鼻の先の3軒隣ということもあって、法要が終わってから皆が92歳になった長兄親父のご機嫌伺いに集まってきました。親父の元気な姿を喜んでくれ、昔話に花を咲かせました。

 寂しい話ですが、残った甥を迎える姉妹からは、一人減りまた一人減りする姿を寂しがったり、親父も「今度はいよいよわしの番だ」と、いつになく弱気な話を聞いたり、足腰膝の不調を訴える話が随分聞かれました。兄弟姉妹の連れ添いを含めるとまだ12人の叔父や叔母が健在なのですから、そんな話も当然かも知れません。

 私昨年、妻も今年高齢者の仲間入りを果たしました。順番から行けば悲しいかな12人の親父を含めた叔父叔母を見送らなければなりませんが、叔父叔母には一日でも健康で長生きをして欲しいと願っています。勿論私たち夫婦自身もしっかりと健康に生きていかねばならないのです。

 昨年末には事故で元町長だった丸山勇三さんも事故で亡くなっており、師走に入ると間もなく一周忌です。お墓が近所なものですから、時々お墓に行ったついでにお墓参りをしていますが、年末にはお墓参りしようかと思っています。わたしに影響を与えた人だけに心を新たにして思い出を噛みしめたいものです。


  「早一年 時の流れは 矢のように 喪中のハガキ 記憶浮かんで」

  「久方に 叔父伯母つどい 賑やかに 今度は誰か 悲し話も」

  「足腰や 膝が痛いと 椅子用意 座布団座る ことも出来ぬと」

  「ああ寂し 人の命の はかなさよ 順番来たと 親父笑って」

[ この記事をシェアする ]