shin-1さんの日記

○違う世界に生きる人

 昨日散歩の途中近くに住む友人に出会いました。同じ組内に住みながら、一年間に出会うのはほんの数回ですから、住み方や暮らしの波長がまったく違う世界にいることを、彼と話をしながら実感しました。彼は役所に40年間勤め、一昨年定年退職してから再任用で1年間勤めていましたが、今年の春にその職場も辞めて悠々自適の生活をしているようです。役所在職中からゴルフが飯より好きで、ハンディもシングルですから並ではなく、毎日庭の隅に造った打ちっぱなし練習場で黙々と練習する努力は今も続けているようでした。彼の話によると週に一度か二度ゴルフ場へ行くそうですが、ゴルフを通じて知り合った各界各層の人のことも話題になりました。


 彼も私もリタイア組ですが、ゴルフをしない私にとってゴルフはまったく縁のない世界だけに、ふと「彼がゴルフに費やしている時間一体私は何をして過ごしているのだろう」と思いました。彼の言葉にもそのことは随所に現れ、「近頃何をして過ごしているのか」「体の方は元気なのか」と私の近況を聞いてくるのです。

 彼も私が講演活動やまちづくり活動をしていることは新聞やテレビで見てうすうす感じているようではありましたが、地域活動には殆ど参加しない彼はまったくといっていいほど私の存在を知りませんでしたし、知っていても無駄のようでした。


 さて彼から学ぶのは、何でもいいからひとつの事にこだわって努力しながら続けることです。毎朝3時間の海岸清掃も12年間でリアイアとともに終止符を打ちましたが、今続けているものは毎日3枚のハガキを書くことと、毎日2本のブログを書くことでしょうか。ハガキは20数年間続いているし、ブログも5年間が過ぎました。人はどう思うか分かりませんが、私にとってはこれも彼が真似できない大事な自分流の行き方なのです。

 人には色々な生き方があるものです。私の場合脳の訓練、身体の訓練、心の訓練というおおよそ3つの訓練を毎日しています。ブログは脳の訓練です。日々の思いを文字にすることは容易なことではありませんが、これも慣れてくると最初考えたり人が考えるほど難しいものではありません。だって私のような凡人が続けられるのですから・・・・。


 身体の訓練は歩いたり走ったり、時には人間牧場の草刈りで身体を鍛えています。鍛えるというより加齢による体力の劣化を防ぐ程度かも知れませんが、今のところ別に悪いところもなく元気に日々暮らしているのです。それは栄養を考えて気を配ってくれる妻の存在は欠かせませんが、まあこれからも健康で暮らしたいと願っています。心の訓練は家族や仲間との人間関係、依頼のままに話す話芸、地域づくり活動など、指折り数え切れないほど多くの人たちとの、出会いやふれあいが喜怒哀楽の世界を作り上げてくれるのです。

 加齢により狭められようとしている私の世界ですが、せめて広い世界を望む気概で・・・・・。


  「脳・身体 心訓練 しなければ 次第衰え やがて死に行く」

  「友人と いつの間にやら 別世界 話も合わず 違う道行く」

  「幸せは 仲間沢山 いるからと 顔ヾ思い 感謝をしつつ」

  「人は皆 自分の世界 持っている 人から見れば 価値無き自分」

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shin-1さんの日記

○小さな輪の広がり

 私は縁あって求められるまま色々な場所へ出かけて、講演や講義など色々な話をします。時には日本のど真ん中東京で話したり、時には名前も知られていない小さな草深い山間地へ出かけることもあります。また大は2千人から小は10人足らずまでこれまたまちまちなのです。そしてそれらは池の中へ小石を投げると小さな輪が広がるように小さく大きく広がって、次の機会へと広がって行くのです。それは話をした私にとって無上の喜びであり、声がかかれば遠隔地であったり少人数であっても、無理をしてでも出かけるようにしています。

 今年の9月3日、松山市民会館で愛媛県老人クラブ発足50周年記念大会があり、記念講演を頼まれて出かけました。千人を超える高齢者が県内から集まっていました。高齢者は若者に比べ一テンポ遅いと思われていますが、どうしてどうして、参加した人から何枚かのハガキをいただきましたし、わが老人クラブへも話に来て欲しいという講演依頼が何件か届いているのです。私はその都度ハガキで返信し、「講演料がないないのですが・・・」とか、「遠くて小さな集会なのですが・・・」と心配する人たちに、「大丈夫ですよ」と電話で話し講演依頼に快く応じているのです。

 昨日はそんなご縁で、旧友知人の薬師寺智彦明間公民館長さんの声係りもあって、西予市宇和町多田老人クラブの研修会に出かけました。大洲から宇和に抜ける長いトンネルを抜け、急な坂道を下って宇和盆地に入ると間もなく多田地区です。松岡会長さんが手書きで書いて送ってくれた地図を頼りに迷うことなく10時に会場となる公民館に到着しました。2階では既に開会式は始まっているようで、靴箱は満杯で自分の靴の置き場が無いほどでした。入り口では早くも一見豪華な弁当が到着していて多少混雑していました。

 奥まった控え室へ案内されましたが、対応してくれた人は渡辺静子さんという80がらみの女性でした。いきなり「私は松山市民会館で9月にあなたの話を聞きました。面白くてためになって、一緒に行った会長さんと、うちの会員にもあなたの話を聞かせたいと思い、伝を頼って依頼し、やっとのことで夢が叶いました。とても嬉しいです。」と持ち上げられました。それから20分静子さんは私を独占して楽しいおしゃべりをしました。静子さんは自分でも言うように名前と正反対のような方で、「あなたと20分も二人で話せて嬉しい」と話されました。

若松進一ブログ

若松進一ブログ

 

会場は既に満席で、それから約一時間、一番前に座ったおばさんの入れ歯が公演中に落ちるのが見えたほど笑い声が充満した講演会でした。講演が終わって控え室でお茶をいただいていると、昔公民館に勤めていた順子さんが懐かしい顔を見せてくれました。ご主人は既に亡くなったそうで、お互い寄る年波を感じながら暫く昔の話に花を咲かせました。昼前に皆さんに見送られて会場を後にしましたが、今日もいいご縁をいただきました。帰宅後早速松岡会長さん宛にお礼のハガキを一枚したためました。

  「松山で 話した話 広がりて お座敷かかり 今日も出かける」

  「私ねえ 名前は静子 言うけれど 賑やかなんよ 吐露して喋る」

  「前の席 座るおばちゃん 入れ歯落ち 思わずあっけ 話しながらも」

  「懐かしき 人も私も 年波の 寄る宿命を 感じて握手」

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