○忘れた方がいい事
「最近忘れ状がよくなった」「何かをしている時、ふと私は何をしていたのだろうと、今やっていることさえ忘れることがある」「今朝食べたものを忘れた」という言葉をお年寄りから聞きます。若い頃はそんな話を聞いても「私はそんな年寄りには絶対ならないし、その人は特別だ」と思っていました。ところが66歳のいわゆる高齢者の仲間入りを果たした私にも、老いはいつの間にか忍び寄り、私も忘れることが多くなってきたのです。そして私が忘れるのは自分のせいではなく加齢のせいだと思っているのです。
先日広島へ講演に行きました。講演の席で新居浜の十亀さんや加藤さんからいただいた電光掲示板を、少しPRしようと胸のネクタイに着け得意になって話しました。電光掲示板の充電容量が危なくなった気がしたので、講演をしながら取り外しましたが、その時ネクタイ裏の協力マグネットを落としてしまいました。気がついた私は無意識のうちにそのマグネットを拾い背広のポケットにしまったそうです。家へ帰ってポケットを探しましたが見つかりませんでした。
拾ってポケットへ入れたことすら記憶にない私は、相手の探してもらうよう仲介者を通じて頼みましたが、相手から何度探しても見つからないと、気の毒そうな返事が返ってきました。推し量るにマグネットは同じポケットに入れた車のキーに付着してポケットの外に出たに違いなく、何か足元に落ちた記憶がおぼろげながら蘇りましたが、それが一体何処なのか思い出すことも出来ず、今もマグネットがない電光掲示板をナイロンケースに入れて不自由な使い方をしているのです。
今朝親父が「メガネを何処かへ置き忘れた」と騒いでいました。ふと見ると親父は自分の頭の上にメガネを乗せてめがねを探しているのです。私も今朝携帯電話を何処へ置き忘れたの見つからず探しましたが、出発する時間になっても見つかりませんでした。仕方がないので妻の携帯電話で私の携帯電話を呼び出すと、今朝持って行くリュックの中で呼び出し音が聞こえ難なく見つけることが出来たのです。このように忘れてはならないことは忘れるのに、人間は覚えていなくてもいい事を覚えているのです。
まちづくりの研修会である人から、「いいことの種を蒔いて実がなったら忘れるという土をかけろ」と教わりました。それは色々なことをして成果を得ると「あれは私がやった」といつまでも自慢する人への戒めの言葉なのです。人間は得てしていいことは自分と自慢し、悪いことは人のせいにしたがるのです。周りの人から見ればそれは自慢や責任逃れに聞こえて鼻持ちならないのです。特に成果は他人に譲り一日も一刻も早くそれを忘れるために、忘れるという土をかけなければならないのです。
忘れてならないのは恩と責任、忘れるのは成果だと思う時、この世の中は政治家を中心にして何と反対人間が多いことでしょう。責任を逃れ成果を独り占めにする人より、今朝自分の食べたものを忘れたり、マグネットを忘れた私の方がよほどましな、犬も食わぬ人間であることに安堵するのです。
人に見せるための善行を、人はよく見ているものです。自分の値打ちは人が決めるものであることを忘れないようにしたいものです。