shin-1さんの日記

○2日間で800キロ

 さて「2日間で800キロ」とは何の数字でしょう。これは私がこの2日間で走ったマイカーの走行距離です。双海町の自宅~松山~今治~しまなみ海道~尾道~世羅~広島県三次市上田~平田観光農園~東広島西条~山陽自動車道~西福山~しまなみ海道~今治~松山~双海町自宅(宿泊休憩朝食)~砥部町~国道33号線~仁淀川町~佐川町~須崎市~高知自動車道~川之江~松山自動車道~伊予インター~双海町の自宅と、まあ走った走った、ただひたすら走り続けました。


 中国地方や四国地方の深まり行く秋の気配を感じながら走りましたが、もし私が車に乗れなかったらこんな小さくも大きな移動は出来ないだろうと、しみじみと車に乗れることの喜びを感じるのです。私が車の免許を取得したのは26歳の時でした。最初はモータバイクしか持っておらず、車は仕事で乗る公用車ていどでしたが、その後中古車に乗り若い頃は余り車に金をかけませんでした。新車に乗ったのはホンダでしたが、その車も免許を取った長男に奪われ、私はもっぱら軽四トラックでした。その後新車トヨタプラッツを1台10年間でブレーキ不具合が生じるまで乗り潰し、昨年新車トヨタカローラを購入し今日に至っていますが、免許取得以来40年間車に乗り続けています。


 私は退職後も相変わらず広域移動をするような日々に追われています。最近は北海道や沖縄、大阪より向こうへ行く時は公共交通機関を使いますが、中国四国それに九州方面は箸がかかっていることもあって車で移動します。車で移動をすると時間が効果的に使えるからです。公共交通機関だと行き帰りのつなぎの待ち時間が多く、結果的に一泊を余儀なくされてしまいます。車だと多少疲れますが夜走って自宅へ帰れるため明くる日の一日が丸々使えてとても便利なのです。普通だと山奥の広島三次市や愛媛県の裏側高知須崎市へ行くには一泊しなければなりませんが、高速道路のお陰で昨日などは早く帰ることが出来ました。

 さて私はあと何年車に乗れるのでしょうか。車に乗れなくなると自分の足と公共交通機関以外移動手段はないのです。当然人間牧場へも行けなくなるし、近くの松山だって汽車で行けば一日がかりになるはずです。

 隣のおじさんが高齢を理由に車の免許証を返納しました。これまで信心している宗教の本部が高知県にあるそうで信者さんを乗せ度々出かけていましたがそれも叶わず、また日常の買い物も近所のお店へ歩いて行っているようで、もどかしい日々の暮らしにどこかかつての元気が失せたような感じがするのです。

 親父のように最初から車に乗れない人間は自転車に乗ったりしてそれなりに暮らしていますが、隣のおじさんは自転車に乗るでもなく、車に乗れた便利に暮らしていた頃と、今の不便な暮らしの落差を肌で感じているようですが、老後の暮らしはまさに小さな世界でしか生きられないのです。

 私もその時を見越して、どう軟着陸するかそろそろ考えておきたいと思っています。

 

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shin-1さんの日記

○自分の心の中に潜むもう一人の自分

 人間はあれもやろう、これもやりたいと、色々なことを考えるものです。ところがそう心で思って始めても中々続かず、途中で止めた経験は枚挙に暇がないほど多いのです。「明日から朝早く起きよう」「来年から家計簿や日記をつけよう」「いつか暇になったら旅行に行こう」などと考えるものの、「今日だけは起きれない」「家計簿や日記も3日坊主で止めてしまった」「金と暇がないので未だに旅行に行けない」と、小さなできなかったことだけでも沢山あるようです。

 人間がこのように思っても殆ど出来ないのは何故でしょう。それは「明日から」「来年から」「お金や暇が出来たら」と「「次」に先送りし」「今から始める行動力」がないからだと思うのです。「今から始める行動力」は何よりも大切なことで、これなしに物事は始まらないのです。そのためには自分の心の中に潜むもう一人の自分を発見し、そのもう一人の自分に、「お前は心に思っていることを今直ぐに始めろ」と命令のスイッチを押させなければならないのです。


 人間は無意識な中で、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」と絶えず対話しながら、生まれてから死ぬまで対話を続けるのですが、自分の存在に気付いて意識することは殆どありません。例えば自分の目の前に美味しそうなケーキが出されるとします。多分誰でも「美味しそう」と思い、「食べたい」という衝動に駆られるのです。特に甘いものに目がなかったり、お腹が空いていたりすると、それが夜12時であっても何の考える暇もなく手を出して、貪るように食べるに違いないのです。

 ところが「自分の心の中に潜むもう一人の自分」が思慮深いと、「今は何時か」「これを食べると太るかも知れない」など色々な身体に悪い条件が頭を持ち上げ、「食べたい」という自分と、「食べては駄目だ」という自分が喧嘩やせめぎ合いを始めるのです。「今日ぐらいはいいだろう」「ケーキ一個ぐらいならどおってことはない」と食べる理由を探して食べ始める人は、その時「美味しかった」という一時的な満足はあるのですが、多分体重計に乗る度に、「しまったあのケーキを食べるのではなかったと後悔するのです。

 もし「自分の中に潜むもう一人の自分」が強いと、食べない理由を探します。「ダイエット中だから止めよう」「今は12時、食事の門限は8時だから止めよう」と、食べたいけどがまんするスイッチを押させるのです。自分の心の中の我慢のスイッチを押せる人は、体重計に乗ってケーキを食べなかった強い意志を喜び、次にもその成果を続けさせ、結果的に心身ともに健康になるのです。自分がケーキを食べる弱い人間は、太ったり病気をしたりするのは体質や遺伝だと外因のせいにしているのです。

 「自分の中に潜むもう一人の自分」は容易に探せます。でも「もう一人の自分」を強くすることは容易なことではありません。ケーキを食べない強い意志力と行動力、それを続ける持続力、そしてその効果を推し量る観察力がある人こそ小さな成功を勝ち得る人なのです。小さな成功なくして大きな成功はあり得ません。大きな成功を勝ち得た人の全ては、「自分の心の中に潜むもう一人の自分」に打ち勝つ小さな成功のスイッチを押し続けた人なのです。

  「体内に もう一人いる 俺見つけ いつも対話し いいこと続け」

  「何気ない 小さな成功 続けると 以外や以外 太き成功」

  「人間は 弱いものだと 思ったが 自分を強く することできる」

  「ああ今日も ささやかなこと 続けてる 自分自身を 褒めてやりたい」


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