shin-1さんの日記

○雲上人の値打ちを高める地上人

 先週の土曜日、私はある人に頼まれて選挙に出るであろうある人の演説集会に参加しました。もうこの歳になると集票能力は皆無な私ゆえに、誰も相手にしないだろうと思いきや、あの手この手で選挙に出るであろう人の側近から声がかかるのです。その都度中立の言い訳をしたり、日程が積んでいて参加できなかったりの理由を言って集会を逃れてきましたが、私に出席を依頼してきた人とは長い付き合いで多少の義理があるので、心許しあえる友人数人に声を掛けて誘い合い出かけました。私のようなものが前日に声を掛けたにもかかわらず、この日は10人近くが義理にもせよ参加してくれ、有難いことだと思いました。

 演説集会は普通偉いと思しき人が次々と登壇して、選挙に出る人に対し美辞麗句を並べるのですが、この日はそんな人がいるのかいないのか、普通の若者やおじさん、おばさんたちが次々に登壇し、むしろ選挙に出る人に自分の考えを述べるような集会でした。中には流暢な人もいましたが、その殆どはまあ私よりも口下手で朴訥な語り口だし、中には原稿を書いて棒読み、司会の方も素人で逆にとても爽やかな感じがしました。

 会場はほぼ満員で私のお願いした人も10人近くそこそこに陣取って、笑顔で手を振って会釈をしてくれました。驚いたことに会場に集まった人の中には顔見知りの方が何人もいて、「若松さん、あなたも・・・」と声を掛けてくれましたが、私は別に運動員でもないので、ゆっくりとみんなの話を聞かせてもらいました。

 何人かの登壇者の最後は「自称後期高齢者」というおばあさんです。私はこのおばあさんの話を聞いて、「この人は只者ではないな」と思いました。腰をかがめながらゆっくりと客席からステージに上る姿を見て、「大丈夫かな」と私も含めて民さんが思ったに違いないのです。でもこのおばあさんの話術はピカイチで、まあ弁舌巧みに会場の雰囲気を一辺に和ませました。聞けば私の友人のおばさんだそうで、若い頃学校の先生をしていたというのです。私はこのおばあさんに惚れました。一度お会いしてお話が聞きたいと思いました。

 この日の集会では思わぬ心地よい感動をいただきました。選挙に出るであろう人は正直私たちの世界から見れば、雲上人のような人です。しかしその人のために壇上に上がった人はどちらかというと地上人です。でもこの地上人が雲上人の価値を高めるのですから不思議な話です。私も雲上人とはこれまで、挨拶を交わしたこともありません。でもこの雲上人を支援する私に参加を依頼した人は雲上人ながら立派な方で、その方がお墨付きをする雲上人の価値を高めているのです。


 気がつけば地上人の私でさえ、多くの仲間が私の価値を高めてくれているのです。そのことにあらためて気付かせてくれた、後期高齢者のおばあさんの話はこれからも折に触れ、戒めとして思い出したいと思いました。

 間もなく愛媛県は選挙一色秋の陣となります。県知事選挙、県都松山市長選挙がダブルで行われますが、選挙というものは候補者を選ぶことは勿論ながら、候補者を支援する人の人格という付き合いを通して選ぶものだとしみじみ思いました。地方公務員を35年間もしていると、「公務員だから」という言い訳で選挙に関わらなくても済んでいましたが、無位無官になるとそんな言い訳も使えず、「あちらを立てればこちらが立たず」で右往左往しているこのごろです。


  「選挙戦 あれやこれやと 誘い来る あちら立てれば こちらが立たず」

  「集票の 能力もなし 無位無官 おだてに乗れば 赤恥かくな」

  「選挙とは 無縁過ごして 来たものの この歳なりて 誘い幾つも」

  「選挙出りゃ 離婚と妻が 口癖に 言うものだから ついつい無縁」

 

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shin-1さんの日記

○元収入役藤岡利郎さんの死を悼む

 旧暦の立冬は冬の訪れを意味しますが、秋から冬へと季節が移ることを肌で感じさせるように、昨日のわが町は大荒れの天気で、台風にも似たこの冬一番ともいえる天地を揺るがすような大風が吹き荒れました。その風の中を92歳の親父は止めるのも聞かず自転車をこいで、7キロも離れた下灘の診療所へ診察に行ったのです。診療所の先生や看護婦さんはお余事の無謀とも思える行動に一応に驚いたようで、「この雨風の中をよく来た」と褒めてくれたそうですが、裏を返せば92歳の親父を病院まで車で連れて行かなかった、66歳のどら息子である私の不徳の致すところだと、深く深く反省した次第です。

 何故親父を病院へ連れてゆけなかったのか、言い訳になりますがそれは昨日、役場に勤めていた頃の先輩で、時には机を並べて上司として仕事をした元収入役の藤岡利郎さんが亡くなり、午前中葬儀が伊予市内の農協会館であったため、どうしても外せなかったのです。

 私が66歳になったのですから、役場に勤めていたころ上司だった人たちはそれ相応の年齢になっている人も多く、昨年の年末にはお世話になった元町長丸山勇三さんも帰らぬ人となってしまいました。昨日の葬儀にはかつての先輩上司や友人などがたくさん集まっていましたが、時の流れとは言いながらまた一人お見送りしなければならないことは寂しいものなのです。

 昨日88歳の天寿を全うした藤岡利郎さんは復員後役場に入られ、総務課長や最後は収入役をされた立派な方です。私が駆け出しの頃教育委員会で学校教育課長をされていました。私は社会教育だったので直接の上司ではありませんでしたが、達筆なため再々筆文字を書いてもらいました。当時の役場では珍しい大学卒の博学で、一緒に研修旅行に出かけた時は必ず旅行記を書かれ、コピーして一部をいただいたものです。多分書棚のどこかに埋没しているはずだと、訃報を聞いてから探しましたが残念ながら見つかりませんでした。

 喪主挨拶をされた義理の息子さんの話を聞けば、7月に見つかったすい臓ガンが全身に転移して闘病生活をしていたようで、先日行われたOB会も欠席していたようです。


 藤岡利郎さんの死を悼むように昨日は大荒れの天気で、葬儀に参列するため通った海岸国道には、強い北西の季節風による大波が打ち上げ、まるで塩水で車を洗車しているように沢山塩水を被りました。葬儀が終り自宅へ戻りましたが、降りしきる雨の中で洗車をして塩分を流し車庫に収めました。

 昨日の葬儀会場で昨年12月19日に亡くなった元町長丸山勇三さんの奥さん史子さんにお会いしました。短い時間でしたが、時の流れの速さと思い出を立ち話しました。ある和尚さんの話を思い出しました。「人は二度死ぬ」そうです。元町長丸山さんも元収入役藤岡さんも一度は死んでもう地球上にはいないのです。もう一度の死は人の記憶から消える時だそうです。ゆえに1年・3年・7年・15年と法要をしその人の記憶を蘇らせるのだそうです。法要には参加できませんが、せめて草葉の陰からお二人の思い出を時々思い出してあげたいと思いました。


  「訃報聞く 天も寂しさ 紛らして 波風強く 大荒れ荒れて」

  「旅行記を 達筆書いて いただいた しまい込んだか 探せど見えず」

  「早一年 早いもんだと 立ち話 町長奥さん 少しやつれて」

  「在りし日を 思い出しつつ 遺影見る こぶとり爺さん 一緒演じた」  


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