shin-1さんの日記

○物を売らないことが物を売るコツ

 今年も県内のあちこちで秋のイベントが目白押しのようです。今ではイベントという言葉もすっかり定着し、隣がやるからうちもやるという感じで、「何のために」という目的が随分薄れているようなイベントもあるようです。イベントといえばうどんやお寿司の類から野菜や魚、加工特産品などがテントの下に並べられて、素人の売り子が声を張り上げ、「いらっしゃいませ」「○○は如何ですか」と言い寄るのです。特に産業文化祭りのように隣の町と同じような物を競合して売る場合は余程注意をして売らないと、他所の町に客を奪われ、折角持っていった商品を再び車に積んでしずんだ心で帰らなければならないので、注意が必要です。


 私も長らく担当者としてそんな場所で物を売りましたが、私がやっていた頃は絶対となりには負けまいと知恵を絞った結果、70市町村の中でも常に10本の指に入るほどの売り上げを記録して、隣に双海町のテントが来るのをいぶかしく思う人もいたほどでした。そんな折、他市町村の人から「どんなにしたらよく売れるのか教えて欲しい」と質問をされたことがあります。質問をしなくても私たちのやっていることを見れば一目瞭然なのですが、そのことは研究しようともせず、口先の客引き方法を聞きたがるのです。私がいつも答えた言葉は「物を売らずに物を売ること」でした。この言葉を聞いた人は「よう分からん」と怪訝そうな顔をするのです。


 賢明な私のブログの読者は直ぐにその意味が分かると思うのです。つまりどうしたらお客さんが集まるかを考えればいいのです。お祭りのように人通りの多い場所では群集心理が働いて、人だかりが出来ると「何だろう」と直ぐに人が集まります。つまり物を売るコツの第一はまず人だかりを作ることです。そのために目玉商品や、味見、匂い、看板なども重要ですが、集まった人の心をつかむ話術が必要です。お客さんは来いといったら身を引きますが、ここに入らないようにといったら入りたがる真理を持っているのです。まあ特産品売りは知恵比べですから、知恵のある人が結局は沢山売るのです。


 自分のテントの前に幾ら立派な看板やポスターを貼っても来ない人には分かりません。ある時踏みつけるポスターを思いつきました。地面足元に観光ポスターを惜しげもなくあちらこちらに貼って矢印をつけました。次の年には真似する所ができて、美観を損ねると中止になりました。そこで考えたのがサンドイッチマンです。看板と作り物を被って一日中会場を歩き客引きをするのです。これは随分話題になりましたが、私以外の人は恥ずかしいとやりませんでした。恥ずかしいと思えば物は売れません。どうしたら物が売れるか考えればこの方法は最上の策だったと今も懐かしく思い出すのです。

 「物を売らないことが物を売るコツ」を地で行くのが、隣のものを売ってあげることです。普通隣は商売敵なので、どちらかというと疎遠になったり悪口を言うものです。敵対関係からは何の効果も生まれません。共存共栄なのです。さあ今年はどれほどの売り上げをどれほどの人で、何を売りたいのでしょう。しっかりと目標を定めてふるさとのため、みんなのために頑張りましょう。

  「どうしたら 物が売れるか 教えてと 聞きに来るから 売らないことと」

  「人だかり できれば物は 売れて行く まずは群がり 作ることです」

  「商売は なんぼ売ったか 大事だが なんぼ儲けた もっと大事だ」

  「素人の 私に分かる コツだから 玄人もっと 知ってるはずだ」

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shin-1さんの日記

○「ぼちぼち生きる」か「頑張って生きるか」あなたは・・・・

 毎日色々な人に出会い、色々な言葉を交わします。私のような年齢になると心を許せるような人には返ってきた言葉に、平気でいちゃもんをつけることだってあるのです。昨日も立ち寄ったある町内の小さな職場で、「どうですか?」と声を掛けると、「ぼちぼちです」という返事が返ってきました。すかさず私はその若者に、「人に『どうですか?』と尋ねられたら、『ぼちぼちです』という返事は止めた方がいい。だって聞いた私は、「ああこの人はぼちぼちしか仕事をしていないのか」と思ってしまうからね」とやり返しました。

 その若者は、「すみません。ついつい癖で・・・」と頭をかきながら、「次から気をつけます」と笑顔で応えてくれました。それにしても「ぼちぼちです」も気になりますが、「ついつい癖で・・・」はさらに気になる言葉だったものの、これ以上言うと相手を傷つけてしまうので、ぐっと堪えてその職場を後にしました。

 都会の好況とは裏腹に田舎は不景気で、周りには閉塞感が漂っています。年末も近いというのに給料もボーナスも下がりっぱなしでは、「ついつい癖で・・・・」というのも無理からぬことなのです。

 でも、「どうですか?」と同じような言葉をもし人から私にかけられたら、私は「元気です」とか「頑張っています」と応えるでしょう。「ぼちぼちです」と「頑張ってます」という二つの短い言葉ですが、相手に与える印象は随分違うと思うのです。そしてその言葉は相手に与える印象だけではなく、実はもう一つの大切な意味を含んでいることに気がつかなければなりません。それは「頑張っています」という言葉一つで、自分自身の心の内面に潜むネガティブな閉塞感を打ち破って、ポジティブに生きようとする生き方のようなものを誘発できるからなのです。

 自分一人が幾ら頑張っても、この不景気な世の中を変えることは出来ません。だからといって自分が出来ないことを社会のせいにしてしまうと、益々社会の閉塞感に押しつぶされてしまうのです。私は役場の職員だった時、大きなプロジェクト事業を任されました。それは田舎の職員には荷の重過ぎる仕事でした。反対や失敗の渦中の中から成功を勝ち得ることは、火中の栗を拾うようなものでした。でも諦めず一つ一つマイナス要因を塗りつぶしてプラスに書き換えたお陰で、その事業は大きな成果を得ることが出来たのです。

 環境を変えることは出来ないと思っていましたが、環境に立ち向かえば環境をも変えることが出来たのです。それは心の持ちよう次第で、その全てではなくてもある部分は変わるという大きな自信を生んで、次に繋がる足がかりを作りました。よく「こんな僻地に観光客なんか来るものか」と、来ない理由を「不便さ」のせいにしている人をよく見かけます。また私の町の状態を見て「あれは松山に近いから人が来る」と「条件のよさ」を羨ましがるのです。今は55万人が訪れる私の町だって、観光客ゼロから始めたのですから、やれば出来るのです。

 人間は自分というもう一人の自分と向かい合って生きる動物です。つまりもう一人の自分が「ぼちぼちです」と思うのか、「頑張ってます」と思うのかは、一日くらいはそんなに違いませんが、一ヶ月、一年も経つと偉い違いになってくるのです。同じ文字のように見える「偉い」と「違い」はそんな意味を私たちに教えてくれているようです。今からでも遅くはありません。「逢う」と「遅い」もよく似た文字、ポジティブに生きる人に逢い、いい感化を受けてもう一人の自分を強くしましょう。


  「元気かい? 返った言葉は ぼちぼちか これでは前へ 進めないかも」

  「世の中は 変わらないけど 自分なら 変えれるのだと 自信を持って」

  「一歩でも 二歩でも前へ 少しずつ さすればきっと 成果現る」

  「ネガティブな 人に逢うのか ポジティブな 人に逢うかは 運命変わる」

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