○島根県隠岐の島・西ノ島町⑥
角市さんに予約してもらっていた宿泊施設国賀荘は確か2回目で、しかも2回とも同じ部屋でした。部屋からは湾内が一望でき、ぐっすり寝たため旅の疲れもすっきり取れて快適な目覚めでした。この日で10月も終わりかと思うと、いい日に来れて幸せでした。薄暗い外に出てそこら辺を散歩して予定していた7時から広間で朝食をいただきました。クロメ、ノリ、ワカメなどの海草に加え、アジの一夜干をその場で焼いて食べれる朝食を堪能しました。
この日は移動日とあって大した用事もなく、本来は3時過ぎの船で帰る予定でしたが、急遽10時20分発のフェリーしらしまで境港を目指すことにしました。全や相談がまとまった角市さんの娘さんの案内で焼火神社に出かけることにしました。焼火と書いて「たくひ」と読むのだそうです。伝説の島だけあって由緒のある神社らしく、8時前に国賀荘に迎えに来てもらい、中腹まで山道を走り、そこからさらに急峻な山道を二人で約400メートル登りました。山道には無数の椎の実が落ちていて、お年寄りが一人座り込んで椎の実を拾っていました。椎の実といえば昔は貴重品でしたが、今は落ちるに任せているようです。私も2~3粒拾って口にしましたが、懐かしい味に昔を思い出しました。途中まで行って見返ると湾内が一望できて絶景でした。
(社殿の前で、案内役の角市さん)
程なく無人ながら立派な社務所に着きました。祭礼出しか活用されないようですが勿体ない感じがしました。やがて社殿に到着しました。社殿の奥には岩穴を利用した見事な本殿があり、その周囲には3抱えもあるような杉の大木が空に向かって真っ直ぐに立っていました。
角市さんの娘さんは若いのにお父さんの影響でしょうか、かなり詳しくガイドをしてくれました。登山と下山で1時間ほどの時間でしたが、日ごろの仕事の話や、色々なことへのアドバイスを求められ、楽しい登山となりました。この日は寒かったら、スーツが汚れたらとズボンや上着を用意してもらいましたが、泥棒草の洗礼を受けた程度で済みました。
帰りに多治見市から移り住んで陶芸業を営んでいる焼火窯を訪ねました。角市さんとここで合流しましたが、ご主人も奥さんも気さくな方で、色々とお話をしたり見学をさせてもらい、お茶をご馳走になりました。焼火窯で焼いたぐい呑を失礼ながら言い訳程度に2個買わせていただきました。
窯元さんは自分の焼いた焼き物を海に沈めてフジツボをつけるという奇抜なアイデアを実践していました。私も色々な陶芸家に会いましたが、この技法は初めてでした。フジツボをつけると、まるで沈没船から引き上げたようで、面白いと感心しました。
船着場で山椒の実の入った不思議なソフトクリームをご馳走になり、角市さん親子に見送られしらしまに乗り込み西ノ島に別れを告げました。
この日も海は大荒れでした。船員さんに聞けばこれが仏だと聞いてびっくりしました。午後2時40分、船は境港へ到着、折から振り出した大雨の中を車を置いていた七類港までタクシーで引き返し、紅葉染まる米子から高速を走って瀬戸大橋を渡り44時間ぶりに無事ふるさとへ帰ってきました。