○絵になる光景
今朝裏山を散歩していると、谷間の向こうに見える長い鉄橋の上をマッチ箱のような小さな列車が、いとも長閑に下って行きました。あの列車はいよ上灘駅で行き違いのぼりの列車が来るかも知れないと、急いで部屋に戻ってカメラを取り出し、再び自宅裏に登りました。案の定直ぐに今度は2両編成の上りの列車が、再び鉄橋の上を走って行きました。伊予灘の海をバックに朝日を浴びて走る予讃線海岸周りの列車は長閑で、まさに絵になる光景でした。
わが家がこの地に移転して新築した頃は回りに高い屋根も殆どなく、長い鉄橋の上を通る列車は夜ともなるとまるで空中を走っているようにも見え、わが家へ逗留した元副知事の松友孟さんはこの様子を見ていたく感激し、「まるで銀河鉄道のようだ」と形容されたことを思い出しました。
海岸周りが山周りにに本線の座を奪われ、敗戦の危機に直面していたころ、夕やけコンサートをやって起死回生のホームランを放ったことを思えば、この列車にもっと思いを寄せなければならないと思うのですが、人はあるものに価値を見出しにくいものなのでしょうか。
市役所に勤める大森さんが作ってプレゼントしてくれた卓上カレンダーも、いつの間にか今日が終われば捲られ、師走の後一枚のみになります。私が今朝撮影したとは反対側の法から鉄橋を見るとこの季節はハゼ紅葉の赤い色やクヌギの紅葉が見事で、町のシンボル本尊山が一際艶やかに見えるのです。
絵になる光景は気にして見なければ何の意味もないものです。でもこんな小さな町でもその気になって見れば、「ああ美しい」と思い、思わずカメラを向けたり、時には文章に書いたりするのです。せっかくこの町に生まれこの町に生き、この町で死んで行くのですから、これからももっともっと思いを寄せて生きて行きたいものです。
「この町で 生まれ育って 死んで行く もっと愛して 長く愛して」
「鉄橋を 渡る列車の ガタゴトと 音する方向 振り返り見る」
「予讃線 海岸周り 一両の 列車が走る 長閑絵になる」
「夜走る 列車はまるで メルヘンだ 銀河鉄道 宮沢賢治」