shin-1さんの日記

○絵になる光景

 今朝裏山を散歩していると、谷間の向こうに見える長い鉄橋の上をマッチ箱のような小さな列車が、いとも長閑に下って行きました。あの列車はいよ上灘駅で行き違いのぼりの列車が来るかも知れないと、急いで部屋に戻ってカメラを取り出し、再び自宅裏に登りました。案の定直ぐに今度は2両編成の上りの列車が、再び鉄橋の上を走って行きました。伊予灘の海をバックに朝日を浴びて走る予讃線海岸周りの列車は長閑で、まさに絵になる光景でした。

若松進一ブログ

 わが家がこの地に移転して新築した頃は回りに高い屋根も殆どなく、長い鉄橋の上を通る列車は夜ともなるとまるで空中を走っているようにも見え、わが家へ逗留した元副知事の松友孟さんはこの様子を見ていたく感激し、「まるで銀河鉄道のようだ」と形容されたことを思い出しました。

 海岸周りが山周りにに本線の座を奪われ、敗戦の危機に直面していたころ、夕やけコンサートをやって起死回生のホームランを放ったことを思えば、この列車にもっと思いを寄せなければならないと思うのですが、人はあるものに価値を見出しにくいものなのでしょうか。

若松進一ブログ

 市役所に勤める大森さんが作ってプレゼントしてくれた卓上カレンダーも、いつの間にか今日が終われば捲られ、師走の後一枚のみになります。私が今朝撮影したとは反対側の法から鉄橋を見るとこの季節はハゼ紅葉の赤い色やクヌギの紅葉が見事で、町のシンボル本尊山が一際艶やかに見えるのです。

 絵になる光景は気にして見なければ何の意味もないものです。でもこんな小さな町でもその気になって見れば、「ああ美しい」と思い、思わずカメラを向けたり、時には文章に書いたりするのです。せっかくこの町に生まれこの町に生き、この町で死んで行くのですから、これからももっともっと思いを寄せて生きて行きたいものです。


  「この町で 生まれ育って 死んで行く もっと愛して 長く愛して」

  「鉄橋を 渡る列車の ガタゴトと 音する方向 振り返り見る」

  「予讃線 海岸周り 一両の 列車が走る 長閑絵になる」

  「夜走る 列車はまるで メルヘンだ 銀河鉄道 宮沢賢治」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○夢を語った夜でした

 私の名刺の裏が白いのを何かに生かせないかと昨年考えました。「そうだ、この名刺の裏を企業のCMとして売り込もう」と、いつもながら愉快なアイディアが浮かびました。しかし「私のような無名に等しい田舎のリタイアしたおじさんの名刺にCMなど出すはずがない」と、否定する気持ちもありました。

 そんな折、世の中には私の名刺の裏に広告を出してもいいという企業の社長がいたのです。その人の名前は松前町に本社工場を持つギノー味噌の田中正志社長さんでした。田中社長とは奥さんが双海町出身ということもあって、先代も含めてよく知っているし、私の話しにも熱心に耳を傾けてくれ気楽に話せる間柄なのです。ギノー味噌は今年の春先に本社工場が落成し、会社も増収増益をしている頼もしい会社です。

若松進一ブログ

 私の発案を年輪塾塾頭の清水さんの協力を得て二、世にも不思議で人を喰ったような「裏が味噌」というCM名刺を作ったのです。CM料は名刺の印刷代をギノー味噌に払ってもらうことで相談がまとまりました。100枚入り10箱、つまり1000枚の名刺は私の旅の友として木になるカバンと共にこの一年北は北海道から南は沖縄まで旅を続け、この名刺は県内外で思わぬ評判となって、それなりの成果を収めることが出来たのです。

 ところが、こんな私でも一年余りで1000枚の名刺は使いきってしまいました。先日電話でそのことを田中社長さんに伝えると、継続のゴーサインが出たのです。つまり私のやった名刺作戦の効果を認めてくれたのです。

若松進一ブログ

 昨晩その作戦会議をしようと、田中社長さんは若い営業担当の社員を連れて、待ち合わせ場所である松前町の和風レストランにやって来ました。お二人とも面識のある方で、二人は私の話に耳を傾けメモを取りながら2時間ばかり話し合いました。名刺の件は「裏が味噌」の名刺をもう一度リニュアールして使うことで内々話がまとまりましたが、清水塾頭と話していた新しい名刺案は次の機会にする方向に向かうようです。

 それにしても、中小企業の社長さんも社員も生き残りをかけて貪欲です。革新とは今を否定して生きることをいうのですが、彼らのみなぎるやる気は、何処かの市役所の人に煎じて飲ませてあげたいような心境でした。この晩お互いが頭を突き合わせて語った夢物語は必ずや大きな成果になるに違いありません。

 夢なき民は滅びるといいますが、夢を持ちその夢の実現に向かって行動する限り、不可能はないと自分の過去を振り返りながら思いました。


  「名刺裏 CMいかが 乗ってきた 社長に感謝 配りまくりて」

  「一年で 千枚名刺 全国に 裏が味噌なる 話題沸騰」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日はいい勉強をしました

 今日は午前10時から午後4時まで、松山市道後のにぎたつ会館で金銭・金融教育研究協議会があって、かなり長時間の研修会に出席しました。参加者の殆どは幼稚園や小中高の学校の先生ですが、私は金融広報委員会の金融広報アドバイザーという肩書きでの参加です。午前中は金融広報委員会から指定を受けている幼小中高の研究発表でした。

若松進一ブログ

 発表が終わると司会者から参加者に意見や質問が投げかけられました。「金融広報アドバイザーの若松さん、何かご意見はありませんか」と、意見をまとめる間もなく藪から棒にご指名を受けてしまいました。幼稚園のサツマイモ植えと、小学校の小遣い帳記帳について質問をして答えてもらいましたが、そのことがきっかけで、アドバイザーの皆さんもいろいろと話をしていただきました。


 昼食の後大阪教育大学の先生が、消費者教育について1時間20分ばかり講演し、その後何班かに分かれてワークショップをやりました。最近はワークショップもすっかり板について、皆さんそれぞれ意見を述べ合いましたが、時間も短くまた事前指導が行き届かなかったのか、意見のまとまりは今一といった感じでした。私は4時半に遠来の友と会う約束をしていたので、4時過ぎに会場を後にしました。

 久しぶりに研修を受けると、発表や講演、それに討議など、攻守変わってよく見えてくるものです。発表のテクニック、講演の組み立て方や話芸、ワークショップのファシリテーターの役割など、いつも自分がやっているだけに、「私だったら・・・・」と随分反省の意味を込めて冷静に見させてもらいました。今日の学びはその点大いに役に立ちました。

 人を動かす、人に話を聞かせる、人の話を聞いてまとめる、自分が発表やプレゼンテーションをする、それぞれどれ一つ取ってみても難しいものばかりです。相手を飽きさせず巻き込む術は容易なことで身につくものでもありませんが、次に自分がやる時はさらに磨きをかけて進化したいと思っています。はてさてそんな役割がこれから先何回あることでしょう。

  「人のやる 役割見つめ なるほどと 今日は沢山 学びましたよ」

  「プログラマー その次大事 プロデューサー うまくやれたら プロフェッショナル」

  「ああ俺も こんな目つきで 常日頃 見られているか 感心しきり」

  「延々と 六時間もの 長時間 机座りて 金融教育」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○喪中ハガキが届く頃

 このところ、私の元へは毎日のように、「喪中につき年末年始のご挨拶は控えさせていただきます」という挨拶状が何枚も届いています。本当はその都度年賀状の整理をしなければならないのでしょうが、忙しさにかまけて机の墨に山積みされ、年賀状を出す頃に一括整理と相成るのです。

 この一年私の知っている人の訃報も随分聞き、その都度葬儀に参列したり、止む無き事情で葬儀に出れない場合は香典を届けたり、通夜に参列したり、中には遠方ゆえ弔電で済ませたりと色々でした。喪中のハガキを手にする度に、その人の思い出が蘇り、行員矢の如く過ぎ去った日々の速さに驚くのです。


 昨日は79歳で亡くなった叔父の一周忌の法要が行われました。あいにく視察受け入れの日程が早々と決まっていて、失念ながらお坊さんの読経やお墓参りには参列できず、参拝と食事会だけの酸化となりましたが、正月を3日後に控えた昨年末に叔父が急逝して早くも一年が過ぎようとしているのです。


 叔父の妻である叔母は私の父親の妹ですが、親父の兄弟姉妹は12人もいて、未だ6人健在なのです。伯母の家が目と鼻の先の3軒隣ということもあって、法要が終わってから皆が92歳になった長兄親父のご機嫌伺いに集まってきました。親父の元気な姿を喜んでくれ、昔話に花を咲かせました。

 寂しい話ですが、残った甥を迎える姉妹からは、一人減りまた一人減りする姿を寂しがったり、親父も「今度はいよいよわしの番だ」と、いつになく弱気な話を聞いたり、足腰膝の不調を訴える話が随分聞かれました。兄弟姉妹の連れ添いを含めるとまだ12人の叔父や叔母が健在なのですから、そんな話も当然かも知れません。

 私昨年、妻も今年高齢者の仲間入りを果たしました。順番から行けば悲しいかな12人の親父を含めた叔父叔母を見送らなければなりませんが、叔父叔母には一日でも健康で長生きをして欲しいと願っています。勿論私たち夫婦自身もしっかりと健康に生きていかねばならないのです。

 昨年末には事故で元町長だった丸山勇三さんも事故で亡くなっており、師走に入ると間もなく一周忌です。お墓が近所なものですから、時々お墓に行ったついでにお墓参りをしていますが、年末にはお墓参りしようかと思っています。わたしに影響を与えた人だけに心を新たにして思い出を噛みしめたいものです。


  「早一年 時の流れは 矢のように 喪中のハガキ 記憶浮かんで」

  「久方に 叔父伯母つどい 賑やかに 今度は誰か 悲し話も」

  「足腰や 膝が痛いと 椅子用意 座布団座る ことも出来ぬと」

  「ああ寂し 人の命の はかなさよ 順番来たと 親父笑って」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ダルマの夕日写真が市広報表紙を飾る

若松進一ブログ
(研修にやって来た香川県高松市植田鉱区コミュニテイィ協議会の皆さん)


 今日は県知事選挙の投票日です。私の町でも基幹集落センターほか3ヶ所の投票所で投票が行われていました。私は今日は視察研修にやって来るお客さんを迎えたり、叔父の一周忌法要があったりと忙しいため、数日前に期日前投票を終えていますが、午前8時に92歳の親父を連れて投票に出かけました。

 午前9時半頃身支度をして再び伊予市役所双海支所まで出かけ、高松からやって来る予定の視察者を待ちました。行政視察ということもあって支所の松本さんと二人でバス一台の来客の相手をするのです。

若松進一ブログ
(伊予市広報12月号の表紙を飾るダルマの夕日)

 松本さんに用意してもらった資料の中に12月号の伊予市広報がありました。まだ私の家には配られていないため見るのは初めてですが、折角県外遠方から来るお客さんに伊予市双海町の自称日本一と自慢する夕日を宣伝しようと、カラーコピーして配っていただきました。

 高松も同じ瀬戸内ですが、こんな綺麗なダルマの夕日は見たことがないらしく、私の悦にいった夕日の話の効果もあって、皆さん感心をして見ていただきました。

 この写真は表紙裏に、「11月4日のふたみシーサイド公園。夕の傾きとともに刻々と変化する空色。優しく温かな光に包まれた恋人たちは、何を語らうの?」と紹介文章が載っていました。広報を担当している閏木さんはかつて双海町役場で私と同じ地域振興課で仕事をしていた間柄で、合併した伊予市役所で今は広報を担当しています。かつて若い頃私も毎月2回、10年間で240号もの広報づくりに携わりましたが、こんなリアルな写真は写真技術が未熟だったし、カメラもお粗末だったため一度も撮ることは出来ませんでした。この写真を撮ってくれた閏木広報マンの感性とシャッターチャンスをものにした努力に大きな拍手を送ります。

 11月4日の夕日は、この写真のように一年でも数回しか見られないダルマの夕日がしずんだ日です。実はこの日私も同じダルマの夕日を西条から帰る途中高野川から見ていたのです。手持ちの古いデジカメでは望遠機能もなく、手振れのためボケた写真となりました。その模様は11月5日のブログに写真つきで紹介しているのですが、この広報表紙のような写真は撮れませんでした。

 今夕視察に来た人から、「今日はいいお話を聞くことが出来ました。ついては市広報表紙の写真のようなダルマの夕日はいつ見られるのでしょうか。できたら写真を撮りに伺いたい」と、早速嬉しいメールが入りました。広がりますねえ。


  「俺撮りし ダルマの夕日 お粗末で カメラ悪いと カメラのせいに」

  「同じもの 写真撮っても 出来栄えや 主張が違う やはり感性」

  「もう少し お金を貯めて いいカメラ 買おうと妻に 言うも首振る」

  「フレーズを 作った担当 自分にて しずむ夕日が 立ち止まるとは」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○視察による経済効果

 5月20日に山口県下関で開かれた山口県漁連女性部の総会に招かれてから、しばらく経った7月13日、同じく山口県漁連の豊浦支店から一通のメールが届きました。てっきり9月24日に行く山口県漁連萩支店からだとばかり思ったら、どうやら豊浦支店からのメールは、視察研修の受け入れ依頼のようでした。

 豊浦支店の河野さんから届いたメールには、「5月20日下関であなたの話を聞きました。11月27日土曜日にそちらへバス一台でお邪魔して、みんなで夕やけソフトクリームを食べながら夕日を見たい」と粋なことが書かれていました。

 私は予定表を調べ空いていることを確認して漁協女性部長の松本さんに連絡を取りました。松本さんの話だと、「この日はあいにく愛媛県産業文化祭りがあって忙しいかも知れないが、あなたが手伝ってくれるのならOKです」という返事でした。私は早速「視察受け入れ快諾」の色よい返信を河野さんに返しました。

 4ヶ月も向こうのことと鷹を食っていましたが、その後この視察研修旅行を企画委託を受けた近畿日本ツーリスト下関支店から、様々な問い合わせが舞い込むようになって、道後に泊まるついでの視察のような感じを持ちましたが、それも止むを得ずと昨日を迎えたのです。

若松進一ブログ

 前日シーサイド公園のじゃこ天のお店に立ち寄り居合わせた松本部長さんと打ち合わせをさせてもらいました。案の定26日は松山の県民文化会館で開かれる産業文化祭りで、出張販売する準備に追われていました。

 結局予定通り私と残った人たちで受け入れをすることになりました。松本部長さんは律儀な方で、昨日の間に説明用のパンフレットを40人分用意し、イベントホールへアルミ布椅子を並べてくれていました。

 昼ころツーリストの担当者から「しまなみ海道でこれから食事をします。運転手さんの話だと予定より少し早く午後3時過ぎには到着する予定なのでよろしく」とのことでした。

若松進一ブログ

 この日の午後は予定もないので少し早めの午後3時に現地に到着し、お茶の準備やラブじゃこ天を出してくれる時間と人数を確認しました。バスは予定通り到着し駐車場まで出迎えに行って、代表者の部長さんと再会しました。部長さんはもう10年も前にこの地へ視察に来ており、その時はわが家の海の資料館やメダカの学校などを案内したことを覚えていて、シーサイド公園の変貌ぶりに少し驚いていたようでした。

 私はアドリブで公園の視察を含めて約一時間ばかり滅多に聞けない裏話や案内をしました。「松山に来たついでに双海町へようこそ」と皮肉ると、部長さんは「ここへ来ることが目的です」と、大笑いしながら話されました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 その後皆さんは雲ひとつない文字通り日本一と思われる双海の美しい夕日を堪能し、お土産も沢山買ってしずむ夕日に送られながら、多少寒くなったシーサイド公園をお宿に向けて帰って行きました。この人たちは心得ていて、特産品センターで沢山の買い物をしていただき地元へ何がしかの経済効果をもたらしてくれました。元はと言えば私が山口県へお話に行ったことがきっかけでした。しかし視察研修の受け入れを伊予市役所へ打診したものの、「土日曜日は駄目。選挙の準備で忙しいので駄目。当日は産業文化祭りがあるので駄目」と断わられたようでした。結局私が受け入れるのならOKとなりました。いつもそうした言い訳の狭間で右往左往しながら受け入れるのですが、高速道路無料化による客数の現象を嘆きながら、こうした否定的対応をしていたのでは、いつまでたっても発展しないと思いました。「損をして得をとれ」は商売の鉄則、拳拳服膺肝に銘じて欲しいものです。

  「講演が ご縁で視察 バス一台 山口県から しまなみ越えて」

  「松山へ 着たついでだと 皮肉ると ここが目的 胸張り反論」

  「人が来ん 言いつ受け入れ 拒否をする 土日だろうが 来るを拒むな」

  「バス一台 経済効果は 抜群で 買い物袋 提げてお帰り」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○違う世界に生きる人

 昨日散歩の途中近くに住む友人に出会いました。同じ組内に住みながら、一年間に出会うのはほんの数回ですから、住み方や暮らしの波長がまったく違う世界にいることを、彼と話をしながら実感しました。彼は役所に40年間勤め、一昨年定年退職してから再任用で1年間勤めていましたが、今年の春にその職場も辞めて悠々自適の生活をしているようです。役所在職中からゴルフが飯より好きで、ハンディもシングルですから並ではなく、毎日庭の隅に造った打ちっぱなし練習場で黙々と練習する努力は今も続けているようでした。彼の話によると週に一度か二度ゴルフ場へ行くそうですが、ゴルフを通じて知り合った各界各層の人のことも話題になりました。


 彼も私もリタイア組ですが、ゴルフをしない私にとってゴルフはまったく縁のない世界だけに、ふと「彼がゴルフに費やしている時間一体私は何をして過ごしているのだろう」と思いました。彼の言葉にもそのことは随所に現れ、「近頃何をして過ごしているのか」「体の方は元気なのか」と私の近況を聞いてくるのです。

 彼も私が講演活動やまちづくり活動をしていることは新聞やテレビで見てうすうす感じているようではありましたが、地域活動には殆ど参加しない彼はまったくといっていいほど私の存在を知りませんでしたし、知っていても無駄のようでした。


 さて彼から学ぶのは、何でもいいからひとつの事にこだわって努力しながら続けることです。毎朝3時間の海岸清掃も12年間でリアイアとともに終止符を打ちましたが、今続けているものは毎日3枚のハガキを書くことと、毎日2本のブログを書くことでしょうか。ハガキは20数年間続いているし、ブログも5年間が過ぎました。人はどう思うか分かりませんが、私にとってはこれも彼が真似できない大事な自分流の行き方なのです。

 人には色々な生き方があるものです。私の場合脳の訓練、身体の訓練、心の訓練というおおよそ3つの訓練を毎日しています。ブログは脳の訓練です。日々の思いを文字にすることは容易なことではありませんが、これも慣れてくると最初考えたり人が考えるほど難しいものではありません。だって私のような凡人が続けられるのですから・・・・。


 身体の訓練は歩いたり走ったり、時には人間牧場の草刈りで身体を鍛えています。鍛えるというより加齢による体力の劣化を防ぐ程度かも知れませんが、今のところ別に悪いところもなく元気に日々暮らしているのです。それは栄養を考えて気を配ってくれる妻の存在は欠かせませんが、まあこれからも健康で暮らしたいと願っています。心の訓練は家族や仲間との人間関係、依頼のままに話す話芸、地域づくり活動など、指折り数え切れないほど多くの人たちとの、出会いやふれあいが喜怒哀楽の世界を作り上げてくれるのです。

 加齢により狭められようとしている私の世界ですが、せめて広い世界を望む気概で・・・・・。


  「脳・身体 心訓練 しなければ 次第衰え やがて死に行く」

  「友人と いつの間にやら 別世界 話も合わず 違う道行く」

  「幸せは 仲間沢山 いるからと 顔ヾ思い 感謝をしつつ」

  「人は皆 自分の世界 持っている 人から見れば 価値無き自分」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○小さな輪の広がり

 私は縁あって求められるまま色々な場所へ出かけて、講演や講義など色々な話をします。時には日本のど真ん中東京で話したり、時には名前も知られていない小さな草深い山間地へ出かけることもあります。また大は2千人から小は10人足らずまでこれまたまちまちなのです。そしてそれらは池の中へ小石を投げると小さな輪が広がるように小さく大きく広がって、次の機会へと広がって行くのです。それは話をした私にとって無上の喜びであり、声がかかれば遠隔地であったり少人数であっても、無理をしてでも出かけるようにしています。

 今年の9月3日、松山市民会館で愛媛県老人クラブ発足50周年記念大会があり、記念講演を頼まれて出かけました。千人を超える高齢者が県内から集まっていました。高齢者は若者に比べ一テンポ遅いと思われていますが、どうしてどうして、参加した人から何枚かのハガキをいただきましたし、わが老人クラブへも話に来て欲しいという講演依頼が何件か届いているのです。私はその都度ハガキで返信し、「講演料がないないのですが・・・」とか、「遠くて小さな集会なのですが・・・」と心配する人たちに、「大丈夫ですよ」と電話で話し講演依頼に快く応じているのです。

 昨日はそんなご縁で、旧友知人の薬師寺智彦明間公民館長さんの声係りもあって、西予市宇和町多田老人クラブの研修会に出かけました。大洲から宇和に抜ける長いトンネルを抜け、急な坂道を下って宇和盆地に入ると間もなく多田地区です。松岡会長さんが手書きで書いて送ってくれた地図を頼りに迷うことなく10時に会場となる公民館に到着しました。2階では既に開会式は始まっているようで、靴箱は満杯で自分の靴の置き場が無いほどでした。入り口では早くも一見豪華な弁当が到着していて多少混雑していました。

 奥まった控え室へ案内されましたが、対応してくれた人は渡辺静子さんという80がらみの女性でした。いきなり「私は松山市民会館で9月にあなたの話を聞きました。面白くてためになって、一緒に行った会長さんと、うちの会員にもあなたの話を聞かせたいと思い、伝を頼って依頼し、やっとのことで夢が叶いました。とても嬉しいです。」と持ち上げられました。それから20分静子さんは私を独占して楽しいおしゃべりをしました。静子さんは自分でも言うように名前と正反対のような方で、「あなたと20分も二人で話せて嬉しい」と話されました。

若松進一ブログ

若松進一ブログ

 

会場は既に満席で、それから約一時間、一番前に座ったおばさんの入れ歯が公演中に落ちるのが見えたほど笑い声が充満した講演会でした。講演が終わって控え室でお茶をいただいていると、昔公民館に勤めていた順子さんが懐かしい顔を見せてくれました。ご主人は既に亡くなったそうで、お互い寄る年波を感じながら暫く昔の話に花を咲かせました。昼前に皆さんに見送られて会場を後にしましたが、今日もいいご縁をいただきました。帰宅後早速松岡会長さん宛にお礼のハガキを一枚したためました。

  「松山で 話した話 広がりて お座敷かかり 今日も出かける」

  「私ねえ 名前は静子 言うけれど 賑やかなんよ 吐露して喋る」

  「前の席 座るおばちゃん 入れ歯落ち 思わずあっけ 話しながらも」

  「懐かしき 人も私も 年波の 寄る宿命を 感じて握手」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○花三題

 最近町内のあちこちで背丈がジャンボな花をよく見かけるようになりました。近づいて見ると茎は3~4メートルにも伸びて、節もあることからまるで竿竹のようです。淡い紫色の花は花言葉「乙女の純真」が示すとおり気品のある花です。何で皇帝ダリアというのでしょう。多分ダリアの常識を覆すほど背丈が高く見上げねばならないことからこの名前がついたのではないかと思うのです。本当の名前は立木ダリアというのだそうですが、花の色は白や黄色もあるそうです。

 花は晩秋に咲くようですが、花が終わると一節を残し小切りにしてミズゴケで巻いて挿し木をすると、来年の春には根と芽が出て、移植すれば簡単に増やせるのだそうです。近所に住む花好きな姉もどこかで貰ったのを植えたのでしょうが、畑に綺麗な花を咲かせていました。先日友人のブログでもこの花のことが紹介されていて、メッセージを書き込みました。

若松進一ブログ

 昨日年輪塾の看板を削りに藤建設の作事小屋まで行きました。ホタルの見学地の唐子橋より少し奥まった道端に、何やら白い花を見つけました。帰りに側によってよく見るとどうやら桜のようでした。この時期咲く桜の品種はヒマラヤ桜ではないかと思われます。春咲く吉野桜のようなあでやかさではありませんが、控えめで清楚な淡いピンク色の桜を物珍しそうに見ていると、通りかかった近所の人が数人寄って来て、立ち話に花が咲きました。

 先日行ったマイントピア別子にも、桜の花が咲いていることがニュースで流れていましたが、日本を代表する桜はやはり春爛漫の季節の方が見応えがあるようです。

若松進一ブログ

若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「花はいい どの花見ても 綺麗だな 特に野の花 俺に似ている」

  「いつの日か 暇が出来たら 花作り 始めようかと 密かに思う」

  「口開け 見上げるダリア 皇帝と 言うだけあって 気品漂う」

  「冬近し だのにミツバチ ブンブンと 飛んで花蜜 巣箱に集め」

 花はどんな花でも人の心を和ませてくれます。晩秋なので道端には名残の白い野菊や黄色いツワブキの花がいっぱい咲いて寒そうに風に揺れています。野の花は派手さこそありませんが、私たち凡人には自分の人生と重なるだけに一入愛おしい感じがするのです。師走も秒読みとなってきたこの時期、今年の花をしっかりと目と心に焼き付けたいものです

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○看板倒れにならぬように

 一昨日は清水塾頭から提案のあった年輪塾の看板を製作するため、高知県馬路村の木下さんからいただいていた魚簗瀬杉の丸太切りした2枚の板を、しまっていた倉庫の奥から引っ張り出し、人間牧場の建設に携わった藤建設に持ち込みました。そして今日は藤建設の作事小屋へ軽四トラックで出かけ板を受け取りました。

 木下さんからいただいた時は一枚でも一人が持ち上げるのがやっとくらい重かった板も、4ヶ月間倉庫の中でじっくり乾燥させたためすっかり軽くなりました。心配していた割れ目もそれほど大きく広がらず、藤建設の親父さんがカンナ掛けとペーパーで仕上げてくれた板を、庭に降ろして周囲の皮を剥く作業をしました。

若松進一ブログ

(磨き終えた杉の木の板)

 板が乾燥したため杉皮はしっかりとひっついて、手では中々剥げないのです。倉庫にあった竹を削ってくさびを作り、金槌で板に傷をつけないように剥いで行く作業は思ったより手間がかかりました。約一時間弱の作業でどうにか皮が剥けすっかり看板らしくなりました。

 今年の7月24日に八幡浜市日土の清水塾頭宅で開いたあらし山年輪塾に掲げた看板が第1号の看板ですが、年輪塾の出発ともなった人間牧場には年輪塾の看板が未だかかっていないため、来月18日に行われる年輪塾のつどいまでに看板製作を間に合わせようと、松本小番頭と準備を進めているのです。

若松進一ブログ
(見本のあらし山年輪塾看板)

 見本はあらし山に掲げている看板ですが、3枚一組の板の一番大きなのをあらし山看板に使ったので、人間牧場は真ん中の板を使う予定です。少し小ぶりの残った板は大洲市田処の看板にする予定で仕上げました。文字は書家が書いたデザイン文字を板の大きさに縮尺や拡大をして原画を作り写し取って墨を入れて行くのです。その作業は松本小番頭が一手に引き受けるため、磨き終えた板を松本さんの職場に運びました。松本さんはあいにく出張で留守でしたが、職場の隅に置かせてもらい私の役目を終えました。

 年輪塾の目標はこのような看板を概ね10ヶ所に広げる予定です。つまり年輪塾という私塾を10ヶ所作るのです。既に人間牧場、あらし山に開講していますが、大洲市田処大杉と高知県馬路村に分家も内々決まっていて、構想実現は順調のようです。この看板のようにしっかりと年輪を重ね看板倒れにならないよう励みたいと思っています。


  「看板は 心表す 表示にて 思いを込めて 製作励む」

  「風雪に 耐えて年輪 刻む板 一年一つ 感心しきり」

  「目標は 十年十ヵ所 開くこと 思いある人 育てにゃならぬ」

  「来年は この木の里に 行く予定 元気頑張り 恩を返しに」

[ この記事をシェアする ]