shin-1さんの日記

○今日は幼稚園の運動会

 昨日の「孫デー」に続いて今日は孫尚樹の運動会です。招待されたのか野次馬なのかは分かりませんが、見にこないかと誘いがあって妻と二人で出かけて行きました。孫の通う愛媛幼稚園は市内ど真ん中の三番町にありますが、運動会は星ヶ丘の愛媛幼稚園運動場を使って行われました。妻は孫朋樹の時に出かけたことがるので、近くの駐車場に車を止めて歩いて出かけました。今日は朝から絶好の秋晴れで、とても気持ちがよく、近所の庭に咲くきんもくせいの香りが漂い、暑さのせいで遅れ気味に咲いたのであろう彼岸花が、土手沿いに真っ赤な花を咲かせていました。

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(旗を持っての入場行進)
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(うさぎさんの冠を被ってポンポンを振って踊る演技)
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(かけっこは2位でした)
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(観戦する娘婿と娘、兄朋樹、それにおばあちゃん)

 かなり広い運動場ですが、周りには沢山の家族連れが応援に駆けつけ、デジカメやビデオカメラで盛んに撮影したり応援したりしていました。孫は一番年少のことり組で、入場行進とかけっこ、それに踊りに出るだけで、10時過ぎには終了し親の手元に返されました。私たち夫婦も娘の家族と一緒に娘が用意した場所にシートを敷いて座りましたが、私はカメラで孫の写真を撮ってやろうと空き場所に陣取り何枚かの初診をとることができました。2年生になった孫智樹の時も湯築小学校の運動会に行きましたが、あの時は人数が多い上、また運動場が広いゆえ孫の姿を探すことが中々容易ではありませんでしたが、今日はばっちり探すことが出来、孫も演技よりはどちらかというと家族のことが気になるような仕草でした。


 昨日、「明日の運動会に頑張ったら、クリスマスにはプレゼントしてあげる」とおばちゃんと約束していたので、席に戻った孫は「僕頑張った」と首に架けてもらった金メダルを誇らしげに見せてくれました。それのしても右も左も分からない孫のような子どもによくもまああんな踊りを教えられるし、孫たちもよくもまあ覚えて踊れるものだと感心しました。日に日に成長する孫の姿に目を細めながら、10時30分には演技も終り私たちは運動会会場を後にしました。

 この二日間、馴れない孫たちの対応に私たち夫婦は少し疲れを覚えました。せっかくだからと近くの星ヶ丘温泉で汗を流し、遅い昼食をして息子の家に立ち寄り帰宅しました。孫はいいものです。


  「連休の 二日を孫と 過ごしたが どこか浮き浮き 少し疲労も」

  「三歳の 孫が上手に 踊ったり かけっこしたり する度拍手」

  「顔見知り 声掛けられて 振り返る 相手も孫の 応援だとか」

  「いい写真 撮れたと言わん ばっかりに ブログにアップ 記念の記録」

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○連休中日は孫のお守です

 娘の家族全員4人、息子の家族3人(息子は仕事欠席)、それに私たち夫婦が連休ということもあって、松前町にある大商業施設エミフルに買い物に行きました。「孫の買い物」が主な理由でしたが、渋る私も孫のお守役として借り出され、一日付き合わされてしまいました。

 土曜日を含めれば三連休とあって多くの人が集まるだろうから昼食が混むだろうと、11時過ぎに郊外にある北斗という和食の店にそれぞれが終結、少し早めの昼食となりました。うどんをメインにした思い思いの品をメニューを見ながら注文して久しぶりの談笑をしました。男だけの孫たちも小学校2年生、3歳、3歳、1歳とそれぞれ成長しまあ賑やかで、隣の部屋に気の毒なほどの勢いです。やがて注文した料理が運ばれ少しの間は静かでしたが、零した、かやした、汚した、泣くとこれまた普段2人で食事をしている私たち夫婦にとっては、食事も喉を通らないような有様で、右往左往するばかりです。

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 さあ孫たちにとっては楽しみなエムフルです。孫たちは親に連れられてしょっちゅう来ている商業施設なので、何処に何があるのか大体頭にあるらしく、玩具売り場に一目散です。玩具売り場の面積は広く私たちと同じように親や祖父母に連れられた子どもたちでごった返していました。エミフルに買い物に行く時は決まって事前に娘や息子嫁の指導で、「買うものは一つ、高いものは駄目」と約束させれれている孫たちは、お目当ての玩具をあれでもないこれでもないと品定めし、私と娘婿はその後をのこのこついて助言をするのです。手に取り「これが欲しい」という度に「それは駄目」と打ち消して歩くのです。2年生の孫朋樹はお父さんと二人で買い物していたようですが、私は3歳の孫尚樹と希心の手を引き品定めです。二人はまだ私の誘導に弱く、結局は105円のコマと300円のお菓子で納得させることに成功しました。

 「おしっこ」と言ってはトイレへ連れて行き、喉が渇いたといってはお茶を飲ませ、近くの遊び場に囲い込んで遊ぶ姿を見ながらしばしの休憩をしました。

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 娘と息子嫁、妻の女性群は私と娘婿のお守役がいることをいいことに、子どもたちの衣類や靴などに加え、食料品など買い物三昧で有に2時間半も付き合わされてしまいました。2時間が過ぎた頃には持っている携帯電話で、「早くしろ」「いつまでかかる」と苛立ちの声を送るのですが、「もう少し」「間もなく」と気の抜けたサイダーのような返事が返ってきて、少々ご立腹な私の姿など多勢に無勢でまったく無視されてしまいました。

 女性にとって買い物は日ごろのストレスを発散させる最高の機会のようで、3人ともいつもそばにいる相棒たちから開放され、孫たちもまた同じように満足な一日となったようです。昨日の買い物や食事の会計は全て妻の財布なので、覚悟はしていたものの帰り際には多少のドルショックを蚊うせないようなため息が漏れていました。

 私は骨折り損のくたびれ儲けです。デオデオでプリンターのインクとFAXのカーボンを買い求め、夕方自宅恵帰りました。「あ~しんど」な一日でした。今日は続いて孫尚樹の運動会です。連日でゾッとしています。


  「孫の手を 握って右往 左往する 玩具売り場で 行ったり来たり」

  「女ども いい気なものだ 孫任せ ストレス発散 俺はストレス」

  「三歳の 孫は私の 作戦に 乗って買い物 僅か金額」

  「不景気は 何処に行ったか 人の波 おめかし人が 大勢たむろ」

 

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○ギンモクセイの花の香るころ

 昨日の朝友人から、「翠小学校のギンモクセイの話題がNHKテレビで全国放送されていて、懐かしくなりました」と電話がかかってきました。私はあいにくその時間、鱧の骨切りを外の調理場でしていて見ることは出来ませんでしたが、旅先へNHKの方から取材の電話があって風の風景や香りの風景について、助言した経緯があるので頷きました。丁度一週間前にその友人を案内してギンモクセイを見に行っていたので友人も私もタイムリーな話題に納得したのです。

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 上の写真はその時撮影したものですが、この木は近くに寄るとまるで傘を広げたような大きな木で、「この木何の木木になる木」といったテレビコマーシャルフレーズを思い出させるようです。合併前の双海町時代から引き継いで今は市の天然記念物に指定されています。

 毎年この頃になるとギンモクセイの香りが風に乗って学校の周囲の山里に広がり、学校の赤い屋根と共に何ともいえないメルヘンの世界を思い出させてくれるのです。


 最近樹勢が少し衰えたのを気にして、根元は耕され立ち入り禁止になっているようですが、花の咲く今頃はエコ改修の終わった学校校舎とともに、一度見学されることをお勧めします。ただし学校ですのでみだりに出入りすることは許されませんので、きちんと学校の承諾を得て、子どもたちの勉強の邪魔をしないようにしなればなりません。

 ギンモクセイが咲く頃になるとみかんの取入れが始まり、周りのクヌギやハゼもみじが少しずつ色づき始め、山里の秋は次第に深まって行くのです。ほのかなギンモクセイの香りは、何となく慌しい社会に生きる私たち人間の心を癒してくれるようで大好きです。


  「ギンモクセイ ほのかに香る 山里の 秋は深まり 周り色づく」

  「ギンモクセイ 私の五感 くすぐりて 花に鼻寄せ 香り楽しむ」

  「ギンモクセイ トイレの匂い ふざけ言う 子ども笑って 私うなずく」

  「ギンモクセイ 学校自慢 俺自慢 地域の人も 自慢タラタラ」 

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○過則勿憚改

 今日の論語カレンダーは8の「過則勿憚改」です。「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」と読みます。「過ちに気がついたら直ぐにあっさり謝りなさい」という意味ですが、人間は歳をとると頑固になって、自分の言動が間違いだと分かっていても、体面を気にして中々謝れないものです。特に目下や思っている相手には維持を通して、結果的にはそのことが元で喧嘩になったり疎遠になったりするのです。

 その際たるものは夫婦喧嘩です。私も昭和46年に結婚していますからかれこれ39年が経ちましたが、結婚当初は余り見受けられなかった夫婦間のいさかいが歳を追う毎に増え、お互い腹に据えかねて丸一日口を利かないことだってありました。今になって考えれば「夫婦喧嘩は犬も食わない」諺どおり、その原因は犬も食わないような他愛のないものだったし、もしあの時お互いが「ごめんね」と素直に謝れば喧嘩をすることもなかっただろうと思うのです。

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 妻は当時祖母、父母、私の兄弟2人、私の子ども3人とわたしたちを含めると10人の大家族の中で暮らしていました。私のお安い給料で賄おうと、内職までして爪に灯を点すような生活を強いられていました。そんな折、教育委員会で社会教育を担当していたため、土日も昼も夜も公民館活動に明け暮れ、家には殆ど居ず、やれ研修だと言っては香川大学(社会教育主事講習)へ1ヶ月余りや、青年の船で海外へ2ヶ月余り家を空け、妻の家計簿に「亭主持ち逃げ」という欄があったほど、家計を圧迫するような研修に何度も出かけていました。それはもう「ゲゲゲの女房」で語られたとそっくりな貧乏暮らしでした。祖母や父母、兄弟姉妹といった義理関係もあって頭の中の針がぐるぐる回って切れかかるようなことも何度かあったでしょうが、辛抱強い妻は細かいいさかいはあっても、私に無言の抵抗をしたぐらいで、夫婦別れに発展しなかったのですから、もう感謝するしかないのです。

 私には男、夫、長男、世帯主としての悪しきプライドがあって、特に亭主関白が最高の美徳だと見栄を張っていた時期があって、その頃はそれが間違いであろうと謝ることはせず、何が何でも自分の意見を通していたのです。一度言ったことを謝る面子の悪さは誰でも体験することです。しかし面子を脱ぎ捨て謝る勇気を持つことの方がもっと大切だと分かるのは、ずっと後のことだったように思うのです。

 世の中正直者も沢山居ますが、嘘つきもかなり多いようです。特に?をつかなければ一票に繋がらない政治家は、相手が「嫌い」でも「好き」と言わなければならないし、自分が謝れば人に迷惑がかかる世界では中々謝れないものです。何度か「政治を志してはどうか」と勧められたこともありましたが、そのことが気がかりで時期を逸してしまいました。でも今はその判断が正しかったとしみじみ思うのです。

 これからは加齢と共に人間関係も細る方向に進むものと思われますが、せめて夫婦や家族間だけでも、いや友人や地域など全ての場と機会において、論語の教えどおり「過則勿憚改」を肝に銘じて生きて行きたいと思っています。

  「過ちに 気がつきゃ直ぐに 謝れと 論語の教え 壁掛け諭す」

  「人は皆 面子気にして 生きている そんな仮面を 今になっても」

  「謝れば 丸く収まる はずなのに 意地を通して 糸は縺れる」

  「もう一人 俺の身体に 住み着いた 面子気にする 愚かな自分」

 

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○人間牧場水平線の家のワックス掛け

 一週間ほど前、志願して人間牧場の門下生第1号となっている浜田さんから、「9月の3連休のいづれかに、人間牧場の掃除に伺いたいのですが、若松さんの日程に合わせますのでご検討ください」とメールが入りました。予定表を調べ1「0月9日(土)の午前中だったら都合が良い」と返事のメールを送りました。「じゃあ、9日の8時30分に下灘の共同酒販前で待ち合わせましょう」と相談がまとまったのです。

 今日はあいにく朝からシトシト雨が降って、室内とは言いながら相似には最も不向きな日となりましたが、約束なので軽四トラックで共同酒販まで行って合流し、人間牧場へ向かいました。

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 浜田さんは船会社に勤務していますが、私が人間牧場を造った旨の新聞記事を見て、どうしても塾生第1号になりたいと書面で新生してきた方です。大の読書家で弟子など持つほど偉い人間でもないのに、熱心さにほだされて、じゃあともに学びましょうと、塾生第1号になっていただいたのです。その後彼はライフワークである宮本常一の研究を中島の豊田さんと立ち上げ、年輪塾の先人に学ぶ学習の水先案内人として、この二年間存分な働きをしてくれたのです。

 人間牧場が出来てからこの方私は、特に中心研修施設である水平線の家の掃除や手入れを小まめに行ってきましたが、年に2回のワックス掛けは一人では重荷で人手がいるため、これまで浜田さんが決まったようにボランティアを買って出てくれ大助かりなのです。


 人間牧場へ足繁く通う皆さんがたの殆どは、酒が入れば酒の勢いに任せて「草を刈りに行くから」とか、「掃除は任せてくれ」とか大口を叩きますが、まだ何人かが数回程度しか手助けに来ないのです。その点浜田さんは律儀で、しっかりと手伝ってくれるのです。

 今日は水平線の家のテーブルや椅子などを土間に移動して、板間と木造内壁にワックスを塗る作業をしました。一年に2回ワックスをかけると汚れ目がつかず、いつまでも木目の美しさが確保できるのです。家は手入れ次第で幾らでも綺麗なままで使えるものです。お陰様で見違えるように綺麗になりました。

 働き者の二人なので無駄口や休むこともなく、作業効率がすこぶる良かったため予想以上に早く仕上がり、ついでにロケーション風呂の脱衣場の大掃除と、内壁にもワックスを塗りました。

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 作業終了後二人で記念撮影をして山を下り、シーサイド公園のレストラン夕浜館で食事をしてお別れをしました。話によると浜田さんは来月運動公園で開かれる運動競技会に出る計画で、暇を見て練習をしているそうでした。浜田さんも私も何にでも挑戦するタイプで、小さなことを思いつき一歩前へ踏み出す、そしてそれを日常の暮らしの中で習慣化する、そうすれば人生が充実するのです。浜田さんから学んだ読書の大切さも、例え10分でもいいから毎日本を読む習慣を続ければ、それがやがて大きな蓄積になるようです。


  「牧場に 塾生1号 やって来て 二人仲良く ワックス掛ける」

  「壁板間 ワックス掛けて ピカピカに なりて嬉や 二人で写真」

  「外は雨 中は半そで 汗をかき 刷毛でワックス 片っ端から」

  「今度行く 酒の勢い 借りる人 誰一人来ず そんなものです」

 

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○五行歌と笑売啖呵の狭間で

 2005年9月8日(私のブログ記念日)にブログを書き始めて、もうかれこれ5年があっという間に過ぎました。パソコンとは偉いもので、私のブログのTHEME LISTには、その間書いた記事の数までカウントされていて、昨日までに「人間牧場」というタイトルで書いた記事数は、何と3471本もの膨大な数になるようです。しかもパソコンが偉いのはその記事をカレンダーをクリックすると瞬時に呼び出して読めるのですから、これはもう神業としか言いようがないのです。

 そのコラムの書いた記事の末尾に「笑売啖呵」と称して、思いつくまま4首の偽短歌を即興で書くようになったのは、ブログを始めて何ヶ月か後でした。俳句王国愛媛に生きる人間として、短文である俳句や短歌、川柳なら簡単に出来ると思ったし、川柳だと5・7・5で知能浅はかな私には舌足らずになる可能性があるので、7・7を加えて短歌風にして、思わず微笑んだり、なるほどと相槌を打つような言葉遊びをしようと、「笑売啖呵」なるものを考えついたのです。

 ブログを始めて2ヵ月後の2005年11月9日に1首作りました。最初は1首~2首程度でしたが、そのうち「笑売啖呵」なる戯言を発想し、そのうち4首が定着して今に至っているのです。その間愛媛新聞の「自悠くらぶ」の原稿執筆が毎週2年余り続いたり、えひめ地域政策研究センターの「舞たうん」に「shin-1さんの日記}が連載されたり(この記事にも笑売啖呵を4首掲載)しつつも、「塵も積もれば山となる」如く、毎日毎日積み重ねているのです。

 そして今年の4月から、友人で先輩である玉井恭介さんから誘われるまま五行歌の会に入会し、句会にも出席せぬわがままでずぼらな会員として、パソコン投句を繰り返しているのです。

 昨日の朝方、正式には午前0時を少し回った頃、投句の締め切りが7日であったことと見山あつこさんの顔を思い出し、夜も明けぬので間に合うかも知れないとスケベ心が顔を出し、即興駄作を一句つくり、さも考え抜いたような顔をしてメールで見山さんに送ってしまいました。


 先月の句会の選評が見山さんからお便りを添えて送られてきています。これが私の9月の駄作です。

    値上がりを見越してタバコ

    まとめ買い

    これがなくなりゃ辞めようと

    心に誓うも

    煙と消える

               若松進一


 選評には 「☆喫煙者の気持ちがわかりやすくまとめられています。タバコだけに誓いは煙と消える・・・・という掛け言葉が見事だといういう感想がありました」と記されていました。私のような駄作にもこうして目を通しレポートしていただくことを嬉しく思いながら、今月も相変わらず駄作を一首送りました。

 一ヶ月に一度のパソコンでの投句なのに、一ヶ月が直ぐにやって来るような気がします。忙しく充実した日々を過ごしているからなのか、追いまくられて日々を過ごしているからなのかは、微妙なようです。


  「締切日 深夜になって 思い出す 駄作即興 メール便にて」

  「選評を 添えて手元に 戻り来る 人の五行歌 頷きながら」

  「月一が あっという間に やって来る 充実日々か 追われる日々か」

  「五行歌を 作って俺も 風流人 偽者メッキ 剥がれて錆が」

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○共栄網の加工場が完成

 我が家は生まれた時漁家でした。夏から秋にかけてはイワシ巾着網でカタクチイワシを協同で獲り、各家々に分配して煮干を作っていました。その頃は子どもとて貴重な労働力で、親父やおふくろと一緒になって一生懸命働きました。私が大きくなるのと相前後して下灘の巾着網は廃れわが家も鯛網や底引き網に転換して行ったのですが、当時の長閑な漁村の暮らしを思うとついつい懐かしさが込み上げてくるのです。

 下灘の巾着網が廃れた後、上灘小網の「共栄網」という巾着網は船引き網に漁法は変わりましたが、今もカタクチイワシで煮干を作り、チリメン弱を加工して生計を立てています。小網が今日まで残ったのは坂の集落ゆえにいわしを運ぶ重労働から開放されたいという願いが集結し、共同加工場を建設したからでした。以来加工場は多くの成果を上げて漁民の暮らしを向上させましたが、施設の近年老朽化が目立つようになり、色々な知恵を絞って再建に取り組み、このほどやっと新しい加工場が完成しました。

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 何日か前の愛媛新聞にその全容が紹介されました。外観はオレンジ色で統一され、外から見るととてもイワシの加工施設には見えないモダンな建物です。知らない人は国道沿いにお目見えしたこの施設のことを、今流行の「特老ですか?」と聞く有様です。

 私も中を覗いたことはありませんが、近代的で衛生的な加工場は煮干のシーズンを迎えて活気に満ちているようです。
 双海町は農業と漁業以外これといった産業のない町です。その農業もみかんの不振、漁業も魚の不漁と、この30年いいことは余りなかったような気がします。ゆえに農業も漁業も将来が危ぶまれていますが、この加工場がもっともっと発展して欲しいと願うのです。


 私は高校を卒業後漁業に7年間従事しました。病魔に襲われ漁業を断念、止む無く転職して別の道を歩んできましたが、今でも漁業のことが気がかりで、時々当時の仲間たちと漁業について話をしますが、明日の漁業を語り合った仲間たちからは残念ながら希望に満ちた話は殆ど聞こえず、諦めにも似た話しかしないのです。

 漁業を病気とは言いながら途中で見切りをつけた私ですから、大きな声では言えませんが、やる気にさえなればいくらでも方法はあるのです。私のこの歳になりながらも万分の一の恩返しをしたいと考えていて、イメージ的には固まりつつあり、近いうちに綿新漁業に対する夢を聞いて欲しいと思っています。私は現在愛媛海区漁業調整委員でもあるのですから・・・・・・。


  「おらが町 漁業発展 して欲しい あれやこれやと 夢を描きつ」

  「未利用の 資源ゴロゴロ 転がって 誰も気付かず 浜辺で朽ちる」

  「海草の 産地表示を 読んでみる ヒジキワカメも 韓国・中国」

  「急がねば いや落ちつけと 独り言 海はこれから ホスピタリーに」

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○人はどの程度覚えているのか

 二日前の10月6日、年金受給者協会八幡浜支部の招きで八幡浜市民会館に行きました。私の記憶が正しければこの会合には過去2回招かれていて、一昨年も行っているのです。いくら何でも近過ぎると思いお断りをしたのですが、40周年ということもあって懇願されてしまいました。

 私が参加者の顔をいちいち覚えることは無理ですが、3回も行くと役員の中には馴染みの顔も出来て、「若松さんの久しぶりですがお元気でしたか」と声を掛けてくれる人もいるのです。はてさて私の話を毎年参加する人たちはどんな気持ちで聞き、どれ程覚えているのだろうと気になりながらお話をしました。役員さんが言うように、「今朝食べたものを忘れるくらいの年齢の人たちばかりですから大丈夫」と言って大笑いをしましたが、余り同じような話も出来まいと少し趣を変えて話しました。

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 講演は大盛況で、私のまねにお話した年金機構の方のお話が多少間延びをしたこともあって、窮屈な時間帯ではありましたが、皆さん熱心に話を聞いてくれました。講演終了後玄関先の駐車場へ向かっていると、3人ばかり女性が私を追いかけて来ました。「あなたの話はいつ聞いても楽しくてためになる」、「先日松山の県民文化会館で老人クラブ連合会50周年の時に聞いた話とは中身が全然違って凄いですね」、「2年前よりバージョンアップしていましたね」などと、私が喜ぶような褒め殺しの言葉を連発してくれました。3人は私の名刺をせがみ、その中の一人は持っていた八幡浜特産のじゃこ天(15枚)を「食べて下さい」と、縁もゆかりもないのに差し出すのです。名刺を差し上げた、そしてじゃこ天をいただいた方から早速昨日素敵なハガキが届き、嬉しさ百倍です。そのハガキの中に、私が講演で話した「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャン」と、「氷の実験」の話が記憶されて書かれていました。

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 一昨日の昨日ですから覚えていても不思議ではありません。しかしそのハガキの中に、今回は話さなかった「菊の実験」の話や、「世界地図の真ん中に日本がない世界地図」の話が記されているのには驚きました。ハガキをくれたこの女性は完全に3年前の講演内容を記憶していたのです。

 私は思わず顔が熱くなるのを覚えました。確かに年金を貰う年齢の方々は私と同じように、「今朝何を食べたか」「去年どんなことがあったか」などをいちいち覚えているものではありません。でも一度聞いたことは潜在能力として記憶の片隅に残っているのです。人様の前で何気なくその場の雰囲気で話すアドリブな私ですが、これからは少し勉強して、新しいジャンルも開発せねばなるまいと、自分自身に進化のノルマを課しました。

 もうそろそろセミリタイアから、本物のリタイアに移行しなければならない年齢になってきました。オファーの数もそんなに多くはないだろうと思いますが、それでも既に来年のオファーが何件か舞い込んでり、これからもしっかりと学ばなければならないと思いました。


  「じゃこ天を 『お食べなさい』と いただいて 恐縮しつつ 会場後に」

  「三年も 前の話を 覚えてる うかうか出来ぬ 進化をせねば」

  「今朝メール 三年前の ブログ読み 間違い指摘 直ぐに訂正」

  「集まりし 人は年金 いただいて まるで国家の 公務員みたい」


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○家庭菜園でのサツマイモ掘り

 今日は秋晴れで天気も良いので、身の回りの仕事も一段落したことから、午後になって家庭菜園のサツマイモ掘りをしました。わが家の菜園は昔田んぼだったこともあってサツマイモの栽培には適していないので普通は植えないのですが、人間牧場の芋つるが余ったので、捨てるのも勿体ないと思い3列ほど植えたのです。

 ところが人間牧場のサツマイモが約半分猪の被害に遭って、収穫祭が出来るかどうか危ぶまれているため、わが家の菜園に植えたサツマイモで支援しようということになりました。しかしわが菜園は人間牧場より一ヶ月も遅れて植えつけたため、サツマイモが収穫できるかどうか心配していました。

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(芋つるを刈り取る私)

 今日は急な思いつきで、担当の赤石公民館主事さんに連絡したところ、収穫を手伝う旨の連絡が取れやって来ました。サツマイモのつるを切り、マルチの黒いビニールシートを剥いで掘り始めましたが、心配していた通りサツマイモは小さいものばかりで、大不作だったのです。直ぐ横に植えていたわが家のサツマイモは一ヶ月以上も前に植えたものなのですが、掘ってみるとかなり大きな芋がついていて、一畝なのにキャリーに二杯も収穫できたのですから、天候のせいでもなくやはり植える時機を逸したのが原因としか思えないのです。

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(刈り取った芋つるとマルチを片付ける親父と私)
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(サツマイモを掘る私)

 それでも赤石さんはキャリーに一つの小さい芋を持ち帰りました。少しは役に立つのかも知れません。それにしても非農家である赤石さんは、サツマイモを掘るのは初めてとあって、鍬で掘るのに悪戦苦闘していました。そこへ行くと自慢ではありませんが(多少自慢しています)、鎌で芋つるを刈りても、鍬でサツマイモを掘ってもまだまだ若い赤石さんには負けず、少し自信が湧いてきたようです。

 わが家の収穫したサツマイモは早速料理をして秋の味覚を楽しみたいものです。


  「つるだけで 土中の芋は からっきし 役にも立たず 誰かに似てる」

  「来週に 迫ったけれど また一つ 悩みの種が 浮かんで消える」

  「百姓に ならず良かった 体たらく こんなことでは 飯も喰えぬわ」

  「失敗で 学ぶことあり また一つ 来年こそは ちゃんとやろと」 



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○海沿いに見える風景

 私の住んでいる双海町から大洲市長浜町、八幡浜市保内町にかけては、海に向かって180度の視界が開けるとても見晴らしの良い所です。私は殆ど毎日海を見て過ごしていますが、それでも時には驚くようなものに出会うことがあります。昨日のことです。講演を頼まれ八幡浜へ向かって夕やけこやけラインの愛称で親しまれている、海岸国道378号線を西に向かって走っていると、目指す方向に何やらでっかいクレーンが見えました。走るほどだんだん近くになりましたが、所在は長浜町晴海の埋立地海岸でした。私の町から見てでっかかったそのクレーンは、直ぐ近くから見ると空を見上げるような大きさです。クレーンは船に取り付けられ、道のない海を自由に航行して目的地で作業をするのですが、海に沈める大きなコンクリートのケーソンを吊り上げたり、時には沈船を引き上げたりもするのです。

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 やがて長浜の町に入ると、市役所支所庁舎前のパン屋さんの玄関先にお地蔵さんを見つけました。ここまことやパンのご主人は昔からよく存じ上げている次家誠さんですが、近年大病を患い半身不随のようで、せっかくだからと店の中を覗いてみました。偶然にも車椅子でディサービスに出かける前の誠さんに出会い、立ち話ながら色々なお話をしました。誠さんはご存知念ずれば花開くで有名な坂村真民さん信奉者で、お店には坂村さんの額が至る所に飾られているのです。

 先を急いでいたので早々にお暇しましたが、顔見知りの息子さんから沢山の菓子パンをいただき恐縮してしまいました。

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 沖浦を過ぎると左手遠方に白い大きな建物が見えてきます。これが四国電力の伊方原子力発電所なのです。遠方なので全容は見えませんが、何度か傍まで行って見学したことがありますが、今はブルサーマル発電をしているようです。

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 やがて最初のトンネルを抜けると夢永海岸近くになります。近年夢永海岸近くに住む人から、素晴らしい海岸なので是非一度とお誘いを受けていたのですが、最近は忙しくて思うに任せず疎遠になっていたので、少し時間があるようなのでちょっと覗いて見ることにしました。秋晴れの空を映した海の色は何処までも澄んで、泳ぎたくなるような美しさでした。自慢するだけのことはあると思い夢永海岸を後にしました。

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 三つ目のトンネルは佐田岬半島を横断する最も長いゴゼトンネルです。このトンネルが開通するまでは、ゴゼ峠の曲がりくねった細い道を走りソーメン流しで有名な平家谷に向かって下りていましたが、今はこのトンネルのお陰で、八幡浜や佐田岬半島、九州までもが一片に近くなり、私たちの町の交通量が多くなったのです。

 何気なく走る夕やけこやけラインもこうして少し気をつけて走ると面白く見飽きないのです。

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  「見慣れてる 風景さえも 目を変えりゃ 結構楽し あちらこちらに」

  「ありゃ何だ 見上げるような クレーン船 何するため ここに来たのか」

  「ゴゼ峠 今はトンネル 佐田岬 あっという間に 友のいる町」

  「足元を 見れば見るほど いいとこに 住んでいるなと わが意を得たり」 


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