shin-1さんの日記

○人間牧場での芋掘り体験①

 今朝は午前7時に家を出て、人間牧場へ7時20分頃に着きました。早速水平線の家の鍵を開けて中に入り、海沿いのガラス戸を全て開けて秋晴れの澄み切った清々しい空気を入れました。そしてやがて登って来るであろう子どもたちのために、ふかし芋を作ろうとかまどに火を入れ、大河内さんからいただいた木製の丸い蒸篭に、前日持参しておいた洗った芋を、両袖を包丁で切りながら並べて行きました。この芋はイノシシの被害に会った時に転ばぬ先の杖としてわが家の菜園に植えていたものを、公民館の赤石主事さんと堀り、赤石さんが宮栄館長さんの指導で芋ごり洗いをしたもので、昨日石を拾うついでに牧場まで運んでおいたものなのです。

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(ススキの穂もすっかり出揃いました)

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(今日はかまどもフル操業でした)

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(かまど小屋のかまどで蒸篭で蒸かした美味しそうな紅いも)

 芋はどちらかというと小ぶりでしたが、50人の人がつまみ食いするための量を蒸かさなければならないので、二つの蒸篭いっぱいに詰め込みました。やがてはがまのお湯も沸き蒸篭の芋は順調に蒸かして行きました。

 そのうち宮栄館長が準備物の荷物を積んで到着、相次いで調理を担当する女性群がやって来て、今日のメニューである、芋の天ぷら、芋餅、芋をトッピングした蒸かし饅頭を作る準備を始めました。それぞれは手馴れたものであっという間に下準備ができました。

 そのうち下灘コミセンから約2キロの山道を約40分かけて歩いてやって来る子どもたちの話し声が聞こえ、予定通り9時30分に35人の子どもたちがリーダーに引率されて到着しました。今年は池久保地蔵尊の言い伝えに基づいて浜の石を一個ずつ持っての登山なので、少々疲れたという子どもたちもいたようですが、昨日赤石主事さんと用意した50個の石は全て揚げられました。

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(青空の下元気に人間牧場へ登って来た子どもたち)

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(美味しそうに蒸かし芋を食べる子どもたち)

 開会式では私が沖合いに浮かぶ愛媛県・山口県・広島県の島々の話や、石一個運動に協力してくれた石のことについて話してやりました。人間牧場の直ぐ上の池久保公民館付近いは手繰りの石で作った石垣が今も現存しています。その昔肥後のお殿様が参勤交代の折この沖合いで時化に合い、助けて下さいと神仏に祈ったところ、この付近から雷鳴とどろいて時化が収まり参勤交代の役目を無事果たした帰り道、願ほどきのお礼にと海岸の石を地元の人の協力を得て手繰りで運んだというのです。自らの力で石を一個運んだ直後だけにこの話はインパクトがあって、子どもたちは皆熱心に私の話しに耳を傾けてくれました、

 早速私が作った熱々の蒸かし芋を、ウッドデッキで食べました。一人一個の予定でしたが、余りの美味しさに二個三個と欲しがる子どもたちもいて、いい雰囲気でスタートしました。この日私は芋掘り指導をする予定でしたが、かまど守がいないこともあって急遽調理方に回ることになりました。かまどの火はずっと休むことなく燃え続け、急遽不足分を補うために松本さんは下山して実家の蒸し器蒸篭を持って来て加勢するなど、賑やかなかまど小屋周辺でした。

  「朝早く 牧場登り 支度して かまど火入れし 蒸かし芋蒸す」

  「石一個 持って山道 テクテクと 汗をかきつつ 秋を満喫」

  「蒸かし芋 いきなり出され 子どもたち もう一つ頂戴 お変わりねだる」

  「空青く ススキ色づき 芋匂う 子ども歓声 山にこだます」

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○ハガキの達人

 「若松さん、一日に3枚はがきをかたらしあわせになれるよ」と、「ハガキは嬉しい活力素」という半田正興さんの著した一冊の本をくれたのは、広島県旧新市町(現福山市)に住む平井悦夫さんでした。平井さんとは地域づくりの研修会で知り合い講演に招かれたり、私が代表を務めているしている21世紀えひめニューフロンティアグループが主催していたフロンティア塾の講師として招いたり、かつてはかなり頻繁に交流をしていました。

 その後交流は途絶えているように見えますが、福山で開かれた講演会に顔を覗かせてくれたりしていますが、彼こそ「ハガキの達人なのです。年に何度か私の元へ彼からハガキが来ますが、まあそれはハガキの達人らしく、裏も表も隙間は殆どなく、まるでやくざの背中の刺青か、仏教の曼荼羅のように文字が書かれているのです。現在ハガキは50円ですが、これが高いと思うか安いと思うかは使い方次第で、これ程文字を書くと「50円は安い」と感心したりしながら受け取るのです。

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 「ときめ木堂の悦びタイムス」と題したハガキ通信が私の手元に届くようになったのは、いつごろか定かではありませんが、このハガキ通信も既に198号を記録していて、私は密かに200号の到着を心待ちにしているのです。仮に一ヶ月に1号だと、一年で12号ですから十年で120号だと単純計算すると二十年で240号、二十五年で200号という計算が成り立つのです。これは凄い数字で、私もハガキを毎日3枚書いていますが、ランダムに辺りかまわず出している私に比べ、ハガキ通信にこだわっている平井悦夫さんの努力にただただ敬服をするのです。平井さんは地方公務員でありながらハガキに書かれているように、様々な旅をしたり様々な体験をしています。まあ自由時間の使い方についてはこれまた達人だし、そのことによって出会った異業種の友人・知人は数知れず、これまた仲間作りの達人かも知れないのです。


 私も平井さんを真似て、かつて毎日1枚、一年365日全てをはがき通信したことがあります。目標を達成したので辞めましたが、その通信記録は机の隅に置いている使われなくなった古いワープロとフロッピーが記憶しているはずなので、いつか暇になったら日の目を見せたいと思っています。

 平井さんの200号寸前には叶わない年数ですが、私の一年365日365号のハガキ通信も、劣らないいいアイデアだったし、オンリーワンの記録として遺したいと思っているのです。

 人はあれもしたいこれもしたい、あんな人になりたいなどと様々な夢を見ます。しかしいつの間にかその夢は見果てぬ夢と諦めたり消えたりしますが、ハガキ一枚でも毎日、毎月続けるる小さな努力は、続ければ平井さんのように大きな成果となるのです。「平凡なことも続ければ非凡になる」とはけだし名言です。

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○33人全員が生還

 昨日は朝から晩までチリ鉱山落盤事故の救出の模様がテレビやカーラジオから流れ、暗いニュースの多い昨今ながら、久しぶりに世界中が明るいニュースに胸を打たれました。

 8月5日の事故発生から69日ぶりに、地下約700メートルに閉じ込められた作業員が、救出のために掘った70センチの穴を一人ずつ引き上げられ、救出される度に完成が沸き起こり、家族と抱き合って喜ぶ姿はまさに地獄から天国への生還だったに違いないのです。

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 それにしても地下700メートルの空間で69日間も、絶望と期待の交錯巣するなかで生きていたことは信じ難いことです。ましてやその人たちを救出するために多くの技術者が昼夜を徹してトンネルを掘り続け、そのトンネルが作業員のいる空間にどんぴしゃり堀り当てられるのですから、どれ一つとっても私のような素人には神業としか思えないのです。地下に閉じ込められた33人の暮らしぶりはこれから明らかにされるのでしょうが、みんなを勇気づけながらしっかりと役割分担して、混乱もなく33人全員を無事で救出させたリーダーの存在とその手法は、大いに間生なければならないようです。


 皮肉にも洪水の対応が遅れて大統領の支持率が低下していたのに、この救出劇で大統領の支持率は一辺に上昇に転じたというから南米らしい国民性を現しています。国民性と言えば救出された人たちの様子やコメントにも面白いものが沢山ありました。救出された人の一人に愛人がいて、本妻は救出現場に立ち会わず、愛人が立ち会い保養を交わす姿は、緊迫した現場の雰囲気を笑いの渦に巻き込みました。また救出された一人はやわら自分のバッグを広げ、地下から持ってきたお土産の石を皆さんに配る姿にも思わず吹き出してしまいました。

 「チリ万歳」と国旗を掲げて愛国心を叫ぶ人、ひざまずいて神に感謝する人、わが子と抱き合って涙を流す人など、様々な人間模様には思わず涙を誘いました。


  「二ヶ月余 暗い地下室 閉じ込めし 三十三人 地上生還」

  「抱き合って 涙する人 テレビにて 映し出されて 涙を誘う」

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○懐かしい人に出会いました

 この35年間一度も会っていなかった尾上さんに昨日の夜珍しく出会いました。35年間の時の流れで相手は外見的にすっかり様変わりして、記憶の彼方にある人とは似ても似つかぬ風貌をしていましたが、多分私がそうであるように尾上さんから見えた私も「若松も歳をとったなあ」と思ったに違いないのです。でも会えば「若い頃に尾上さんの自宅に泊めてもらったこと」「尾上さんのおじいさんが木の根の細工の趣味があって、所背ましと置いてある中から好みの物を一個貰ったこと」「青年団で国立大洲青年の家の誘致に明け暮れたこと」などが、走馬灯のように蘇って懐かしく握手を交わしました。

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(35年も前にいただいた木の置き物は今も大切に親父の隠居の床の間に飾っています)

 昨日の夜は、河辺村の職員だった樽井さんの声掛けで、大洲市南久米公民館へ地域活性化講演会に招かれ出かけました。樽井さんとは年齢的には随分違いますが青年団活動を熱心にやられていた頃知り合いましたが、その後平成の大合併で合併した大洲市の職員となってからは疎遠になり、たまたま公民館の研修会で再会し、大洲市立南久米公民館に勤めていることを知りました。その折「一度講演に来て欲しい」旨のご意向を伺っていましたが、こんなに早く実現することになったのです。

 大洲市南久米公民館は、いつも研修会で通う国立大洲青少年交流の家の直ぐ近くにあり、所長さんや職員さんの顔を思い出しながらカーナビに頼ることなく30分前の午後6時30分に一発で到着しました。

 通された控え室で藤岡館長さんや樽井さんと面談雑談していると、藤岡館長さんが目を白黒するほど懐かしい人がどんどん集まって来て、まるで同窓会のような賑やかさとなりました。私の人生はこのように知人や友人、顔見知りの人たちによって支えられているのだと思うと、ついつい嬉しくなりました。

 講演会の会場は満席、しかも一分も遅れることなく開会し、藤岡館長さんや樽井さんの日ごろの地道な活動の成果をを見る思いがしました。また会場の雰囲気や反応もすこぶる良く、久しぶりに打てば響く太鼓のような講演会となりました。

 私はその場の雰囲気を感じながらレジメを用意せずアドリブで話す癖があるので、約2時間弱の講演内容は詳しくは思い出せませんが、ステージの演題に伝わった参加者の顔色を見た限りでは十分に手応えがあったようでした。

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(沢山の人が集まった講演会)

 講演後の座談を終えて外に出ると、いつの間にか小雨がぱらつき始めていました。沢山の人に玄関先まで見送っていただき公民館を後にしましたが、見送り対応にも気配りができていて、藤岡館長さんや樽井さんの社会教育に対する深い思いを垣間見ることができました。

 10時頃自宅に戻り、妻の用意した遅い夕食を食べながらその日の出来事や出会った人の近況を話してやりました。妻が「あなたは人の名前や昔のことをよくもまあそんなにリアルに覚えているね」と感心しきりでした。

 南久米公民館は国道56号線を通る時、川岸の良く見える場所にあります。大洲以南に行く時や大洲青少年交流の家に行く度に、これからも昨夜のことや出会った顔を思い出しながら通ることでしょう。


  「懐かしき 人に出会って 懐かしく 昔のことが 昨日のように」

  「迎えより 送る大事と 教えられ その目で見れば 完璧でした」

  「今は亡き 市長のことを 思い出す 家の誘致に 励んだ日々が」

  「相手から 見れば私も 歳相応 若いつもりで いるにはいるが」

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○親父は92歳の軽業師?

 今朝妻が私に、「おじいちゃんが気の上って剪定をしている。危ないから止めてと言っても言うことを聞かないので、あなたが言って」と言うのです。外に出てみると、わが家の庭で一番大きくて高いクロガネモチの木の上に、脚立をかけて登りせっせと剪定をいるのです。92歳とは思えぬ軽業に思わず拍手を送るのか、それとも危ないと止めさせるべきなのか一瞬思いましたが、このようなことは今始まったことではなく、これまでにも再三いさかいをしました。

 妻の注意など何処吹く風、私が注意をすると「お前がやらないから」と開き直られる有様です。「まあ好きなようにさせたら」と呆れ顔で見守るしかないのです。

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(クロガネモチの木の上に上がって剪定をする親父)

 親父は9月の誕生日で92歳になりました。同級生や友人は既に他界し、92歳といえば寝たきりになっても可笑しくない年齢です。それがこうして色々こまごましたトラブルはあっても、家のために働いてくれることは有難いことなので、今回もいつもと同じように見守ることにしました。

 車に乗れない親父の唯一の交通手段は電動自転車です。毎週一回7キロ向うの下灘診療所へ受診のために電動自転車に乗って、往復14キロを走る健脚ぶりです。自転車は危ないからと注意をするのですが、私も妻も忙しいため病院へ連れて行くことが出来ず、結局は親父の思い通りになっているのです。


 昨日は間もなく始まるであろう家庭菜園のタマネギの作付けのために、土作り用の牛糞堆肥を買い求めるため、伊予市のダイキというホームセンターへ、親父の要望に応えて軽四トラックに親父を乗せ、買いに出かけました。お店の店員さんに「牛糞を10俵下さい。お金は幾らですか」と尋ね、自分の財布から支払いを済ませる姿は、とても92歳の老人とは思えないのです。さすがに重い荷物を運ぶことは出来ませんが、むしろ66歳の私が親父の後追いをしているようで、思わず苦笑いをしてしまいました。昨日の野菜の消毒だって、親父が消毒し私がホースを引っ張るとという作業分担で、幾つになっても親は親、子は子ですから、ひょっとしたら私より長生きするかも知れないと思ったりするのです。


 親父の健康の秘訣は色々あるのでしょうが、太陽とともに起きて太陽とともに寝ること、毎日少々の寝酒をたしなむこと、肉は食べず魚と野菜を食べること、骨董や日曜大工などの趣味を持っていること、毎日家庭菜園の草取りや庭の手入れをすること、暇があれば昼寝をすることくらいで、普通の暮らしをしています。外の人との交流も殆どありませんが、それでも近所に子どもや兄弟が住んでいるため毎日誰かは訪ねて来て色々な話をしているようです。まあ気ままで穏やかな暮らしがいいのかも知れません。何よりも夕食を作ってくれる妻と、相談相手になってくれる長男の私が同一敷地内にいる安心感も長生きの秘訣だと、人に漏らしているようですが、私たちには言いません。まあこれからも好きなことをして長生きして欲しいと願っています。


  「ひょっとして 俺より長生き するのかも そんな気がする 軽業見ると」

  「あのように 三昧日々を 暮らせたら 当面今は 親父目標」 

  「わが家では 親父一番 俺二番 三番息子 孫四番」

  「年寄りが 元気で同居 何気ない ことだがこれは 最高幸せ」


 

 

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○折り合いの狭間

 種蒔きの頃の高温と雨不足で、「種を蒔くのは210日前後」と聞いていた種蒔きの時期が大幅に遅れ、その後台風は来なかったものの今日まで高温続きで、春が来たと勘違いしたモンシロチョウが家庭菜園を飛び回る姿に、「やはり異常気象だ」と納得する今日この頃です。

 異常気象は農家などを苦しめます。これまでの日本の歴史を振り返っても干ばつや洪水、冷害、害虫などが原因で飢饉や騒動が起こっています。人々はなすすべもなく自然の猛威に立ちすくんで涙したものでした。最近は気象そのものはコントロールできなくても、ビニールハウスなどで囲って温度を上げたり下げたりしながら、気象に逆らって農業をすることは可能になりましたが、そのためには莫大なエネルギーと労力が必要であり、環境問題が取り上げられる度に議論されているようです。昨日テレビを見ていたら、土を使わないで出来る野菜工場が話題になっていました。

 土を使わず、囲われた室内で作る野菜は、無菌無害虫状態を保って生育するため、農薬を使わないで済むし、収穫した野菜は洗わなくても食べられるのだそうです。しかもレストランの室内に野菜工場を併設して、地産地消をPRする所まで出来ているのです。

 私はふと養殖魚のことを思い出しました。魚の養殖が普及し始めたのはそんなに古い時代ではありませんが、草創期の頃天然のハマチの味に慣れた人が、「ハマチを食べたらイワシの味がする」と言ったそうです。それもそのはずハマチは生簀の中で、人間の与えたイワシばかりを毎日食べて育ったのですから、イワシの味がしても当然なのです。最近は残餌による海の汚染が問題になって配合飼料で育てられているようですが、やはり現代のハマチも「配合飼料の味がする」のかも知れません。

 イチゴの高床式ハウス栽培が盛んに行われています。イチゴは土から病気が発生しないよう綿状のベットに染み込ませた液肥を吸って育つのですが、土で育てたイチゴの香りを知っている味に敏感な人は、「イチゴを食べたら液肥の味がする」と言うのだそうです。

 米も洗わないで炊ける無洗米、おかずも調理済みのお惣菜、野菜も洗わないで食べる無洗野菜と、まあ包丁もまな板も使わないでも別に困らない便利な世の中になって来ましたが、今に食事を食べさせてくれるロボットが開発されて、人間は何もしないで生きることだって出来る、手も使わない時代が来るのでしょうか。

 全てではありませんが幾つかの食べ物を自分が作って食べている私としては、土を使わず太陽にも当たっていない野菜が、本当に身体にいいものなのかは疑いの目を持っています。

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(青虫にものの見事に食い荒らされたキャベツ畑)

 昨日親父と二人で家庭菜園の葉物野菜の軽めの消毒をしました。虫がキャベツや白菜など野菜の葉っぱを食い荒らしているのを見るに見かねての消毒でした。消毒は身体に良いとは私も思っていません。しかしこのままだと全滅しそうなのです。「折り合いの狭間」で随分悩んだ末の消毒でしたが、割り切って散布しました。昨日妻がスーパーで買ってきて食卓に上った小松菜などは虫の食ったところはまったくなく、いかにも美味しそうな姿をしていたし、実際に食べても美味しかったです。でもこれ程綺麗に育てるためには、やはり農薬のお世話になっているものと推察するのです。野菜を買う時やこれを調理して食べる時、「折り合いの狭間」で揺れ動く心は、安心安全と健康で長生きを願う人間の、あくなき心理のようなものだと思いました。寒さに触れると死滅する害虫のためにも、早く温度が下がって欲しいと願っています。


  「虫食べる 美味い野菜を 俺食べる 折り合いつけて 軽め消毒」

  「ハマチ食べ イワシの味と 思う人 イチゴも液肥 味がするかも」

  「工場で 土や太陽 無関係 作った野菜 本当に美味いの?」

  「米野菜 洗うくらいの 手間かけて 食べてくれよと 言いたいけれど」

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○卒業しなかった人に卒業証書

 昨晩は年輪塾のメンバー10人ほどが行きつけの居酒屋に集まり、一風変わった卒業証書授与式を行いました。卒業証書を授与したのは年輪塾塾長の私、卒業証書を授与されたのは大学院を中途退学した若者です。この若者は千葉県(本当は広島県呉出身福山育ちだそうです)から、はるばる松山の大学に入学して卒業しましたが、折からの就職難の突風にあおられて就活が上手く行かず、結局は大学に残り院生として勉強をする道を選んだのです。しかし様々な環境に馴染めずついには大学院を退学する決断をしたのです。退学しても進路は決まらず間もなく郷里の千葉へとりあえず身を置くそうですが、将来のことを思うとついついネガティブな考えになるようです。

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 彼は大学在学中からボランティア活動に興味を抱き、子どもを巻き込んだ活動に特に熱心で、その関係もあってえひめ地域政策研究センターの主宰する地域づくり人養成講座にも参加して皆さんと楽しくやっていました。そんなきっかけで年輪塾や人間牧場へも単車で参加するなど仲間の輪も広がっていたのです。

 先日突然年輪塾ネットで皆さんに、退学の意思表示をメールで伝えてきた時は本当に驚きましたが、私を含めて仲間内の何人かは慰留もしたようですが、意思が硬いだけに結局はその行方を見守るだけしか出来なかったのです。

 それだったらせめて激励のためのお別れ会をしてやりたいと、清水塾頭や米湊大番頭や松本小番頭が中心になって、送別会のようなスタイルとなりました。清水塾頭が密かに本人にも内緒で、大学の卒業証書ではなく年輪塾の卒業証書をつくりましたが、記念に「采根譚」という本を塾長と塾頭でプレゼントしました。

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 地域づくり人養成講座の同期生である青き晴美さんは自作の素敵な茶碗をプレゼントしたようです。この日は真鍋さんや新山さんも駆けつけていただき、終始賑やかな送別会となりました。私も若い頃を振り返ると顔が熱くなるような失敗や回り道をしてきましたが、今となってはそれもよき思い出となっていますから、米谷さんも臆することなくこれからも堂々と、人生にチャレンジして欲しいと祈っています。

 皆さんのはなむけの言葉もとてもいい言葉が沢山あったようです。

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  「本物は 貰えないけど 本物の 卒業証書 しかと手渡す」

  「これだけの 人が集まり 旅立ちを 祝ってくれる それも幸せ」

  「壁ありて 回り道ある 人生を 一生懸命 生きて欲しいと」

  「乾杯の 声高らかに ウーロン茶 それでも酔った ような気分に」


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○3つのリンゴであなたの潜在能力テスト

 毎年この時期になると地元郵便局のカウンターに、いかにも美味しそうなリンゴのサンプルが置かれます。実はこのリンゴはイミテーションで、「訳ありリンゴ」の販売促進用モデルなのです。郵便物や荷物を郵便局へ持って行く度に、すっかり顔馴染みとなった郵便局の女性職員から、「今年も訳ありリンゴのご注文を」と勧められています。実はこの「訳ありリンゴ」はある年、収穫前のリンゴが台風の大風で大きな被害を受けた時、リンゴ農家を助けようと始まったのです。これが意外と好評だったため、落ちなかったリンゴには「落ちないリンゴ」と名前をつけ、受生や就職試験に望む時期に売ったり、少し傷がついていてもアジは美味しいものに「訳ありリンゴ」と名前をつけたりして売っているのです。リンキャベを実践しているわが家でも、毎年この「訳ありリンゴ」を沢山買って食べていますが、味はいいようです。

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 リンゴのイミテーションは実によく出来ていて、先日そのうちの一個を許しを得て貰ってきました。これを3個にして話のネタにしようと、先日リンゴを買い求めある講演会場へ持参しました。一個のイミテーションは軽いものの残りの2個は本物なので持ち運びに重たく、今日あたり郵便局長さんにお願いしてあと2個手に入れたいと密かに思っているのです。

 このリンゴをネタにどういう話にしたかというと、「3つのリンゴ」の話です。まず一つはニュートンのリンゴです。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て万有引力の法則を(発見)しました。次にアダムとイブの話や白雪姫の話の出てくるのは毒入りリンゴです。毒が入っているかどうかは食べなければ分かりませんが、そのリンゴを見抜く(眼力)や(信用)が必要です。三つ目はウイリアム・テルの話です。頭の上に乗せたリンゴを弓矢で射抜く話にはハラハラドキドキしますが、(目的}を持って(挑戦)することの大切さを説いています。


 さてあなたは一個のリンゴを見て、どんなリンゴの物語を想像するでしょう。ニュートンのリンゴを思ったりアダムとイブや白雪姫を思うかも知れません。またウイリアム・テルを思い出す人もいるでしょう。その思い出す物語によってその人の潜在能力の順位が決まるようですが、私はこのリンゴの結末に、郵便局の「訳ありリンゴ」の話をするのです。人間には美しく見せたいという(見栄)の気持ちが必ずと言っていいほどあります。しかし人間早々完璧な人はいないのです。時には人に知られたくない古傷(過去)を持っていたりしていますが、それで人間の値打ちが変わるものではありません。役職がなくっても、古い傷を持っていても人間らしく生きている人は世の中沢山いるのです。

 今年もリンゴの美味しい季節がやって来ました。あなたも是非郵便局の「訳ありリンゴ」を食べて、あなたの心の中に潜む(優しさ・思いやり)心を発見しては如何でしょう。


  「リンゴ見て 何を連想 テストする 私はやはり 訳ありリンゴ」

  「本物と 見まがうほどの イミテーション 食べれぬ故に 美しいのか」

  「常日頃 リンゴを食べて 健康に 医者要らずとは よく言ったもの」

  「あと二つ 欲しいと思う リンゴ故 局長ねだり 行こうか迷う」 

 

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○トイレが綺麗なパチンコ屋事情

 今日は日本銀行の会議室で金融広報アドバイザーの研修会が予定より1時間も早く終わったため、久しぶりに大街道にある明屋書店へ立ち寄り、何冊かの本を読書の秋に相応しく立ち読みしました。そして2冊で2千円余りの投資をして本を買い求めました。最近は年齢のせいなのか昔のような読書意欲が湧かず、折角買った本も書斎の隅に積ん読状態になっているのです。

 本屋を出ると急に小用をもよおしたので、大変失礼な話ですが仕方なく近くのパチンコ屋さんのトイレに入りました。そういえばパチンコ屋へはこの10年一度も入ったことがないなあと思いつつ、タダでトイレをお借りしました。昔のパチンコ屋さんのトイレは小便器にタバコの吸殻やガムが落ちていて、汚いものの代名詞のようでしたが、今パチンコ屋さんのトイレは掃除が行き届いていてピカピカで、便器はウォッシュレットと、まあ至れり尽くせりなのです。

 小用を済ませ店内へ入ると、店員さんが「いらっしゃいませ」と愛想のいい声を笑顔で掛けてくれました。「私はトイレを借りただけ」と言いたくても言えず、さもパチンコをしに入ったような顔をしてそこら辺を何気なく歩きました。店内は相変わらず音楽と間珍この音が賑やかに聞こえ、平日の昼過ぎというのにパチンコ台の前にはほぼ満員の状態でパチンコに熱中していました。中には自分の横に何ケースもの箱を積み重ねて、大当たりしている人もいましたが、殆どの人は渋い顔をして残り少ないタマの行方芽と顔の表情で追いかけ、財布から取り出した1000円札を何枚も入れて憮然とした態度を顔に表していました。


 ふと店内を見渡すと、男性の客に混じってかなり多くの女性が一心不乱にパチンコをしているのです。昔はパチンコや飲み屋といえば男性の代名詞のように思われ、女人は禁制のようでした。ところが聞くところに寄れば最近はレディー専用のコーナーまで用意され、かなりの女性がパチンコ店通いをしているというのです。前々からその話は聞いていましたが、実際に目の当たりにして少しショックを受けました。

 年齢を聞いた訳ではありませんが、見るからに30歳前後の女性と思しき女性が真昼間に堂々とパチンコをしている姿に首をひねりながらパチンコ店を出たのです。最近若い女性がパチンコにのめり込み、消費者金融でお金を借りて首が回らなくなり、離婚したという話を何件か聞きました。パチンコは競輪や競馬、ボートのように大きな掛け金が動く遊びではありませんが、毎日やっているといつの間にか負けが込んで、知らず知らずのうちに借金地獄のぬかるみに入り込んで抜き差しならなくなる、パチンコ依存症という一種の病気になるのです。

 他人事とは言いながら、また小用のついでと言いながら、いい社会勉強をさせてもらいましたが、あの人たちの顔が今も頭から離れないのです。


  「小用を 足しにパチンコ 店に入る 綺麗なトイレ タダで使って」

  「雑音と タバコの煙 立ち込める ここは例外 治外法権」

  「パチンコは 男遊びと 思ってた レディ多くて お目々白黒」

  「せちがらい 世の中なのに 遊ぶ金 よくぞ工面と 感心しきり」

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○自然の色は美しい
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 この色を見て何の色だと想像するでしょう。うっすらと筋が入っているのが見えるため、あるいは「何かの葉っぱでは?」と思うかも知れません。正解で実は正岡子規が「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ、これからが旬の「柿の木の葉っぱ」なのです。昨日私の散歩コースである裏山の急な坂を登る最中、足元に落ちているのを見つけました。自然とはいいながら余りの見事さに目を奪われ、そこら辺を探すと何枚も落ちていて、既に朽ち果てようとしているものもありましたが、2~3枚拾って持ち帰り妻に見せました。妻も私に同調して手に取り、「まあ綺麗、絵に書いたよう」と感心し、「料理の盛り付けに使ったらどうかしら」と提案がありました。

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 少し芸術家になったような感覚で、思いを込めて同じ葉っぱを少し遠くから周りをぼかして写真に撮ると、ほらこのように葉っぱだと分かるのです。もしも私が画家ならこの葉っぱを水彩日本画に描くのに、もし私が漆芸家ならお盆のデザインにするのにとしみじみ思いました。それにしても自然の営みは何て不思議で、何て繊細で美しい色を出すのでしょう。じっと色づいた葉っぱを見ていると、飛鳥人の秘宝が眠る正倉院さえも思い出すのです。


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 同じ葉っぱでも、ストロボを焚かず自然の光だけで写真に撮るとこのような色になります。また読書の秋を表現するため愛読書「人間学のすすめ」の上に置くと、ちょっとした主張が、また立体的な光と影を写すと器、遊び心でブドウを盛ると食欲の秋も連想できます。残念ながら私の表現はここまででした。でも素人ながらこの写真、雑誌のグラビアに使いたい気もするのです。うーん芸術の秋か、俺には無関係かな?。


  「一枚の 柿の葉拾い 持ち帰る 手っ取り早く 写真表現」

  「この色を 何かに生かす 手はないか 頭の中に 霧が立ち込め」

  「絵に描こう 色鉛筆を 持ち出して アタックするも 同じ色など」

  「自然には 理解の出来ぬ ことばかり ここから始まる 科学の一歩」  


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