shin-1さんの日記

○あの鳴き声はクツワムシかな?

 秋も深まり外を歩くと何処からともなくコオロギやスズムシの鳴き声が涼やかに聞こえますが、我が家でで2~3日前から玄関先で賑やかな秋の虫の大合唱が聞こえています。その声はテレビの音もかき消すほどの大きさで、このままでは寝れない思い、虫かごごと家の外に出して寝ました。

 松山市に住む小学二年の孫朋樹は大の虫好きです。休みの日にわが家へ来ると、天気のいい日には必ずといってよいくらい虫かごと網を持って家庭菜園や果樹園あたりを右往左往して虫を追っているのです。最初は怖いのか虫に触れなかったのに、今では平気で虫を捕まえて虫かごに入れ、さも宝物のように大事に持ち歩いているのですが、マンションは家が狭いため置き場がなく、また他の住人と壁を隔てただけの暮らしなので迷惑がかかるといけないからと、帰り際には母親に注意をされてしぶしぶわが家へ置いて、世話を頼んで帰るのです。

 そんなこともあって、所要で電話をすれば必ずと言ってよいほど、夏の置き忘れ物であるカブトムシやクワガタのことや、先日捕まえた虫のことを盛んに話すのです。相棒だったおじいちゃんの私より友達が大事になりつつある孫朋樹ですが、唯一の共通話題は虫のことくらいになり、成長は喜ばしいのですが、ちょっぴり寂しくも感じているのです。

 昨日の夜、所用で電話をかけたら孫が電話口に出ました。運よく虫かごの虫が賑やかに鳴いている最中だったので、電話の受話器を虫かごに向けて、電話で虫の鳴き声を聞かせてやりました。孫は少し興奮した様子で「今度行くまで餌をしっかりやって育てていてね」と電話を切りました。

 私も妻も鳴いている虫の声が何という名前の虫なのか、さらには餌は何をやればいいのか困ってしまいました。とりあえず畑の秋茄子を包丁で切り、楊枝を刺して蒸す籠の中に入れてやりました。妻は梨も入れてやったようです。

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 今朝食べ具合を調べてみましたが、ナスはかなりかじられていて、虫も元気に休んでいるようでした。ところで虫かごにいる虫の名前は何というのでしょう。図鑑も今は孫が持って帰っているので調べようがありません。昔習った童謡を頼りに推測するため、ネットで「虫のこえ」という歌詞を見つけました。

  あれ松虫が 鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん

  あれ鈴虫も 鳴きだした りんりんりんりん りいんりん

  秋の夜長を 鳴き通す ああおもしろい 虫のこえ


  きりきりきりきり きりぎりす がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫

  あとから馬おいおいついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん

  秋の夜長を 鳴き通す ああおもしろい 虫のこえ

 わが家で鳴いている虫はガチャヤガチャヤガチャガチャとないていますから、クツワムシに違いないようです。クツワムシが鳴き始めると妻はテレビを消し、玄関先に二人で腰をかけて虫の声を聞きながら、しばし秋の夜長を楽しんでいます。

  「虫の声 電話受話器で 孫聞かす 餌をやってと 催促受ける」

  「田舎ゆえ こんな楽しみ 味わえる 玄関座り 虫の鳴き声」

  「あの声は ガチャガチャ鳴くから クツワムシ 歌に合わせて 名前を探る」

  「ナスを切り 楊枝を刺して 虫かごに 孫顔思い そっと入れやる」 

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shin-1さんの日記

○小さな努力で大きな成果を得ようとすると長続きしない

 私たち人間は得てして「小さな努力で大きな成果」を得ようとするものです。その結果自分の努力が小さいにもかかわらず大きな努力をしたと勘違いし、成果の小ささを嘆きながら、「これ程努力してもこんな小さな成果なら、いっそのこと辞めてしまおう」と諦めてしまうのです。私の場合も若い頃はその繰り返しだったようだと短くも長い半生を振り返り、小さな努力をコツコツすれば、その努力の成果がやがて大きくなるのだと信じれるようになるのには、ある程度心の余裕が出来る年齢も必要ではないかと思うこのごろです。


 昨日の夜、私宛に届いた友人である玉井さんからのメールに「努力と成果」の相関関係について、先日私が玉井さん宛てに差し出したお礼の返信ハガキに、奥さんの話を引用しながら私が役場在職中にやった海岸清掃のことが述べられていました。

 私が毎朝早起きして5時から8時まで、自分の造ったシーサイド公園の海岸清掃を思いついたのは、ある著名な方から「掃除も出来ない人間にまちづくりを語る資格はない」と諭されたからです。当時シーサイド公園の建設には町議会議員などの反対意見が多く、毎日「人が来ず赤字になったらどうするのか」と罵声を浴びせられたものでした。「あわよくば私の努力する姿を見せれば、反対する人に理解を求めれるかも知れない」と、小さな努力で大きな成果を求める私の甘い考えは、寒風吹きすさぶ冬の寒さや汗まみれにならなければ片付かない膨大の漂着ゴミの量に、ことごとく打ち砕かれました。

 それでも諦めず一日3時間の掃除を、何と教育長を最後に役場を辞めるまでの12年間続けたのです。私の小さな実践的努力はいつしか人々の心を打ち、目指した反対意見の説得という目標どころか、シーサイド公園の活性化に大きな役割を果たすことが出来ました。毎日掃除をするだけの小さな努力をコツコツやる、その積み重ねは今でも人の語り草、自分が自分に贈る無形の勲章になっているのです。

 後日私はこの掃除が認められ、国土交通省から「真似しない真似できない観光カリスマ」という称号を与えられ、「観光カリスマ百選」に選定されたのですから世の中は分からないものです。

 私は凡人ゆえに大それた大きな成果を期待しても出来ないことを悟っています。ゆえに小さなことをコツコツやるしかないのです。

 ハガキを毎日3枚書くことも、ブログを毎日2本書くことも、人から見れば他愛のないことでしょうが、ハガキで深い人間関係を作り、ブログ記事で様々な想いを文字にして記録し記憶させる小さな日々の努力は、自分の人生を存分に楽しみながら生きていると、自分自身を納得させているのです。多分ハガキもブログも大きな成果など得ることはできないでしょうが、私がきっかけでハガキやブログに目覚めた人も何人かいて、それはそれなりの小さな効果を出しているようです。

 さあ今日も一日3枚のハガキと、一日2本のブログを飽きもせず書こう、朝4時起床の生活習慣が私の心にネジを巻いているようです。


  「さあ今日も 大きな成果 期待せず ハガキ三枚 ブログを二本」

  「コツコツと 私毎日 アリのよう キリギリスには なれないようだ」

  「人生は 終わってみなきゃ~ 分からない 自分納得 それでいいのだ」

  「習慣に なって実践 しめたもの 後はどれだけ 続けられるか」

 

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shin-1さんの日記

○くだり(東よりの風)と夫婦喧嘩は夕方になると凪ぐ

 私の住んでいる双海町にも遅い秋が来て、秋特有の東寄りの季節風吹く頃となりました。等圧線が西高東低で縦縞に混むと冬型の北西の季節風が吹くのですが、等圧線が横縞になると北東の風が吹くのです。普通の年だとお彼岸辺りから東よりの風が吹くはずなのに、今年は残暑が長引いたためか北東の風が吹く日が数えるくらいしかなく、漁師さんも首をかしげながら出漁しているようです。

 昔から「夫婦喧嘩とくだり(東よりの風)は夕方になると凪ぐ」と言われているように、白波を立てて強く吹くくだりの風は、どういう訳か夕方になるとピタリと風が止むのです。しかしその風は明くる日にはまた同じようなパターンで吹いたりやんだりを続け、「くだりの吹き落ちは雨になる」という諺どおり、雨で一段落するのです。昔の人の清算や暮らしから生まれた言い伝えやことわざは、いちいち理に叶っているようで感心しながら反芻するのです。

 ところで「夫婦喧嘩は犬も食わない」というし、夕方になると雪解けになるのもやはり先人の言葉通りだと、最近はめっきり減った夫婦喧嘩についても納得しています。若い頃は良く夫婦喧嘩をしました。酒を飲んで迎えに来てもらった妻と酒酔いのいたずらか些細なことから夫婦喧嘩となり、「わしは歩いて帰る」と伊予市付近で車を降り、酒に酔った体で3時間も歩き続け、すっかり酔いが冷めへとへとになり、高野川まで心配して迎えに来た妻の車で自宅へ帰ったり、ビールが冷蔵庫に冷えてないと言って醤油差しを投げつけて困らせたり、今考えると汗顔赤面で、ものも言えない失態を繰り返しているのです。

 最近は歳をとったせいか、あるいは修行が出来て人間が丸くなったのか、気がついてみると夫婦喧嘩がすっかり影を潜めてしまっているのです。多分亭主関白な私に利口な妻が合わせてくれているからなのでしょうが、何かにつけて腹が立たなくなったことは事実だし、今日までがむしゃらに働いてくれた妻への感謝がそうするのかも知れません。

 夫婦喧嘩の最大の原因であった子どもに関することが、子どもが独立したこともあって殆どなくなったことも大きな要因です。しかし一方で高齢になった親父の介護など家の中には新たな問題も生まれてきつつあります。また他人事でなく私たち夫婦の健康や将来のことを思うと、夫婦喧嘩どころか夫婦が寄り添って知恵と力を出さなければ老後の幸せはおぼつかないことに、うすうす気がついたからかもしれません。

 私の生活設計では後20年しか生きない計算ですから、見合い結婚ながら深い縁で結ばれた夫婦なので、お互いいたわりあい助け合いながら生きてゆきたいと思うのです。さりとて夫婦喧嘩は家庭の活性化には欠かせないものなので、夕方になると止む程度に少しだけ、妻に喧嘩を吹っかけて見たいと思い、今朝少し試みてみましたが、妻は私の言動など相手にもせず、さっさと仕事に出かけて行きました。

  「そういえば 夫婦喧嘩も めっきりと 減って優しい 夫となりぬ」

  「覚えてる 妻のセリフに 頭かく 若気の至り 思い出しても」

  「時々は 夫婦喧嘩も 必要と 喧嘩を売るが 相手にされず」

  「夕方に なれば喧嘩も 収まりて 四十年余の 時を刻みぬ」

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shin-1さんの日記

○先輩からいただいた素敵な絵ハガキ

 えひめ丸の衝突沈没という悲しい海難事故の記憶を学校史に持つ、愛媛県立宇和島水産高校漁業科を卒業していること、214.5トンの初代愛媛丸に乗って赤道を越え、南太平洋へ遠洋航海に出かけていることしか共通点のない玉井恭介さんという先輩と知り合ったのは、もう20年も前の出来事でした。確か法人会のモーニングセミナーで偶然にも出会って声を掛けられてからだったと記憶しています。

 水産高校は在学中先輩後輩の上下関係が厳しく、先輩に声を掛けるなんてことは殆どなかったし、ましてや漁業科卒業生の殆どは世界の海に乗り出して、卒業以後これまで同級生ですら出会った人は指折り数えるくらいな人数なので、玉井さんに出会った時も奇遇を感じたものでした。

 偶然出会ったその後も、玉井さんは広告代理店、私は田舎の役場とお互い現役だったため、深い出会いはなかったのですが、10年余り前私の自著本出版を頼み頼まれてから休息に二人の関係が深くなり現在に至っているのです。玉井さんは歌は歌う、作詞はする、絵を描く、作陶をする、自然農法に首を突っ込むなどなど実に多芸多才な方で、それも殆どが玄人はだしの名人芸ですから、無芸大食の私などは足元にも及ばず、いつも感心したり感心させられたりしながら羨望のまなざしで付き合っているのです。

 玉井さんはそんな非才な半面、何処となくおもわず「ウフッ」と微笑みたくなるようなウイットに富んだ転びの経験をがあって、そこがまた玉井さんのオンリーワンな魅力でもあるので、それはそれとして後輩の私としては大好きな部分なのです。

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(横長な定形外ハガキに、「赤とんぼ」の歌詞と絵が書かれた玉井さんからいただいた素敵なハガキ)

 一昨日玉井さんから一通のハガキをいただきました。殆ど毎日考える村村長の異名を持つ、玉井さんのブログを読んでいるので、「夕焼けこやけ」という三木露風の歌についての薀蓄は知っていましたが、それをハガキでいただき嬉しさの余りに、玉井さんの断わりもなくこのブログ記事でアップしようと思ったのです。自称夕日博士とうぬぼれている私にはたまらないプレゼントで、早速木になるカバンに忍ばせて、全国行脚の同行二人の旅に出ようと思っているところです。

 玉井さんは司馬遼太郎さんや奥さんのみどりさん、吉永小百合さんなどの有名人とも親交があり、底知れぬ奥の深さを持っていて、現職時代に培ったプロデュース能力も、私など足元にも及ばない力を持っています。今は見山あつこさんの主宰する「五行歌会に玉井さんから誘われて、駄作を送る程度の付き合いですが、音信が途絶えると会いたくなって、少し気になる人なのです。


  「こんな絵が 書けたらいいと 思いつつ 届いたハガキ カバンにしまう」

  「ハガキ手に カバン中から 取り出した ハーモニカ吹く 赤とんぼの歌」

  「一枚の ハガキ幼き 日に帰る 思い出しつつ 母への思慕も」

  「まあ素敵 私のハガキ 手にとって 妻も感心 しつつ話題に」

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○枝豆どっさりお裾分け

 昨日の朝、伊予市の水口マリ子さんから、丹波黒豆の枝豆が収穫期を迎えたので取りに来るよう電話が入りました。例年のことなので人の畑のことながら内心「今年はまだかなあ」と、首を長くして待っていたので、一も二もなく午後3時に出会うことを約束しました。例年のことながら田んぼゆえ長靴を履き長袖のシャツと軍手という出で立ちで事務所に到着しました。水口さんは主に稲苗を巣立てる苗屋さんなのですが、野菜の苗やキューリ・トマトなども栽培して、手広く経営されている農家というよりは会社なのです。

 ひょんなことからお知り合いになって、いつも色々な珍しい野菜や野菜の苗をいただくのですが、お返しの品もなく、ただただいただくだけのお付き合いなので心苦しく思っているところです。

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(水口マリ子さん宅の豆畑、裸になっているのは私がいただいた所です)

 到着すると、マリ子さんは用意していた剪定ばさみを二丁用意して私の車に乗り込んで近くの豆畑へ連れて行ってくれました。車を横付けした豆畑には一面に丹波黒豆が植えられていて、「さあお好きなだけお取りなさい」と開けっ広げです。私とマリ子さんは畑に入り根元からはさみで切り落として行きました。マリ子さんが「私が覚えて一番の出来だ」自慢するだけあって、枝豆の茎には重たいほどの枝豆が鈴なりになっていました。

 沢山の枝豆をトラックの荷台に積んでの帰り際、あきたこまちとコシヒカリを一袋ずつ、それにキューリも沢山いただいて帰りました。さあ帰ってからが大変です。圧らこちらにお裾分けで、「水口マリ子さんからいただいた丹波黒豆の枝豆です。ご賞味ください」と説明しながら2株づつ配りました。

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(私がむしり取った丹波黒豆の枝豆)

 夕方日も暮れかかった庭で、妻が仕事で遅くなるため私は一人枝豆むしりの作業をしました。マリ子さんから教えられたとおり、枝を切り分け豆をむしり取るのです。薄暗くなったので台所の電気をつけその明かりでどうにか6時30分頃に終わりました。発泡スチロールいっぱいに枝豆が出来ました。今日はむしった枝豆を松山に住む娘や息子の所へもお裾分けしなければなりません。運よく今日は松山で午後会議が予定されているので持って行ってやろうと思っています。

 わが家はまだこの枝豆を食べていません。今夜の夕食が楽しみです。近くに住む姉からは昨晩既に「食べた。美味しかった」と今朝報告がありました。田舎暮らしはこれだから止められないのです。

  「いただいた 丹波黒豆 枝豆を お裾分けする 説明しつつ」

  「そそそろと 首を長くし 待っていた 枝豆貰い 夜が楽しみ」

  「今までで 一番出来た 自慢する 納得しつつ 豆をもぎ取る」

  「人様の ふんどし相撲 有難や 枝豆外交 喜び貰う」

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○瓢箪から駒が出た

 冗談だと思って言ったことが事実となることを「瓢箪から駒が出た」といいます。先日私は伊予市の青色申告会の講演会に招かれました。講演の数日前、「友人から誘われたので部外者だが講演を是非聞きに行きたい」と、私の友人である自動車修理業の稲葉さん(砥部町在住)から電話がありました。講演会場に知人や友人が多過ぎると気を使って話さなければならないこともあるものの、気にもせず「是非来て下さい」と答えました。

 当日は満席でしたが、稲葉さんは中ほどの席に座り、他の知人や友人、それに参加者と共に終始熱心に聞いていただきました。講演が終わった明くる日、稲葉さんからお礼の電話が入り、私の話について感想意見をいただきました。その時稲葉さんは「あんな話を広島の友人にも聞かせたい。実はその友人の会社が創立30周年で砥部焼きをお客さんに配るらしいのですが、講演会でも開いたらもっと思い出に残る記念になると思うので、提案してみたい。その時は宜しく」と、冗談ともとれる話をされ、私も「はいはい、その時は」と軽く受け流していました。

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(煙会所で話も弾む)

 先日稲葉さんから再び電話が入り、「先日電話で話したことが具体的になりそうです。最初は相手も突拍子もない話にびっくりしていましたが、やってみようということになりました。つきましては土日で何日が空いていますか?」とトントン拍子の話です。相手たる自動車会社の社長さんからも電話があって、近々挨拶がてら打ち合わせに行くからと、これまたトントン拍子、そして二日前の日曜日の午前中、稲葉さんの案内で社長さんは奥さんを伴ってわが家へやって来ました。

 聞けば社長さんは稲葉さんが何年か前にわが家の海の資料館「海舟館」を見学に来ているらしく、私設公民館「煙会所」で短い時間ながら面談させていただきました。社長さんは見るからに実直そうな方で、奥さんもとても素敵な方でした。講演期日も11月7日(日)に決まり、稲葉さんも車でご一緒してくれるそうで、嬉しくも楽しい一日になりそうです。

 折角の機会なので3人を人間牧場へ案内しました。車を上の市道へ止め、のんびり話しながら歩いて山道を下りました。山にはもう秋の気配が漂い、みかんも色づき、木々にぶら下がっている烏瓜の色も日増しに濃くなっているようです。かすんで遠望こそ効きませんでしたが、長閑な人間牧場を見ていただきました。

 いただいた名刺には、「(有)ボディショップ高屋、代表稲井誠」と書かれていました。中国運輸局長認証工場-板金塗装・フレーム修正・四輪コンピューターホイルアライメント・車検・点検・整備一式が主な仕事だそうで、はてさて私は一体どんな話をすればいいのか、一体どんな人が集まるのか、「ウーン困った」という心境です。

 この際、強い味方か弱い味方か分からぬ稲葉さんにこの身を任せ、悪ければ稲葉さんの責任、良ければ私の責任なんて無責任(笑い)な開き直りで、「瓢箪から駒が出た」駒よろしく、王手と行きましょう。


  「友人が 冗談交じりで 言ったこと 瓢箪駒に なってしまった」

  「責任は 誰が取るのか 大笑い 結局連帯 責任逃れ」

  「面白き こともなき世を 面白く 一歩踏み出し 楽しく生きる」

  「ええ加減 だから人生 面白い 不真面目生きる ハラハラしつつ」

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shin-1さんの日記

○何気ない一言②

 私がまだ若い時の話です。当時私は「日本一の公民館主事になりたい」と大きな夢を抱いて日夜努力していました。そんなやる気満々の想いが周りの人に伝わったのか、私は次第に頭角を現し、愛媛県公民館連絡協議会の主事部会長を負かされるまでになっていました。当時は条例設置公民館が県下に366館あり、それぞれの公民館に常勤や非常勤を含めるとかなりの数の公民館主事さんがいたのですから、私のボルテージはいやがうえにも高まって、様々なアイデアを駆使して日本一を目指した活動を開拓していました。私のやった自治公民館を場とした、「金儲けの公民館活動」や「夫婦学級」は全国的に有名になり、視察が訪れたり、NHK明るい農村で全国放送されたりしたものです。

 その頃愛教研という学校の先生の団体から、一本の電話がかかってきました。「愛教研で創立00年を記念して記念誌を発刊するので、そのメインに鼎談を計画しているので3人のメンバーの一人として是非お願いしたい」というものでした。聞けば県の校長会長さんと、地元大学教育学部長さん、それに私だというのです。「それは何が何でも格が違う」と思いましたが、向こう意気の荒い若気の至りで、位置もにもなく引き受けてしまったのです。

当日は文京会館の一室で半日もすし詰めにされて鼎談が行われました。

 その席上大学の教育学部長さんが唐突私に、「若松さんは何処の学府をご卒業ですか?」と言われました。私は「この大学の先生は人の値打ちを学歴で見ようとしている」と直感し、「はい公民館大学在学中です」と言ってしまいました。怪訝そうな顔をした先生は、「ほう、そんな大学何処にありました?」、「はい公民館大学は日本中何処にでもあります」とすかさず答えたのです。

 「連帯を育む教育のあり方」と題した座談会は滞りなく終わりました。私の話の内容が良かったのか悪かったのかは分かりませんが、理論を述べた先生は私の論理に感心したのか、帰り際丁重に頭を下げて私に謝られました。「私たち学者はどうも学歴で人の値打ちを見る悪い癖があり、冒頭あなたに失礼な話をしてしまいました。あなたの言うとおり、人の値打ちは何処の学校を出たかという学歴ではなく、学習歴だと思います。以後拳拳服膺肝に銘じます」と話されました。そのその時の座談模様は分厚い一冊の本にまとめられ、人間牧場の長い本棚の隅に置かれています。この本を見る度に「何気ない一言」の意味と先生の顔が思い浮かぶのです。何と私はその先生のいた大学で今は客員教授になって学生に「地域活性化論」を話しているのですから、世の中は分からないものです。


  「何処出てる 学歴判断 されるなら 俺は値打ちの ない人間だ」

  「学歴が ない俺出来る ことがある 学習歴は 積むこと可能」

  「学齢が ないのに何故に 大学で 球団立ちて 教える不思議」

  「公民館 大学在学 今もなお 故に恩人 恩を返さにゃ」

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shin-1さんの日記

○何気ない一言①

 私は双海シーサイド公園にある450メートルの人工砂浜の掃除を毎日朝5時から8時までの3時間、毎日12年間やりました。今考えるとよくもまああんなことを思いつき、よくもまあ実践したものだと感心するのです。何でもない毎日3時間の平凡と言えば平凡な掃除を習慣化することによって、自分の足元が見えてくることはいっぱいあるのです。シーサイド公園の砂浜はかなり広いため熊手と一輪車を使うだけの人海戦術は、毎朝1万歩を越えるほど砂浜を行ったり来たりしますが、ゴミの量も半端ではありませんでした。雨が降れば近くの増水した川から大量のゴミが海へと流れ出し、それが塩と風に乗って漂着するのです。また北西の季節風が吹けば沖合いから大量のゴミが漂着するし、春先には牛一頭もあるような海草(ホンダワラ)が漂着するのです。手に負えない時は同僚や知人に応援を頼むのですが、それも限界があってかなり心労したものです。

 ごみは海からだけではありません。年間50万人とも言われる来訪者が落としたり残して帰るゴミの量も半端ではなく、海水浴シーズンともなると軽四トラック2~3台分のゴミの片づけが待ち受けているのです。

 ある日の暑い夏の朝の出来事です。前日が日曜日だったため海水浴客の残した大量のゴミを片付けたり掃除をしたりと、それはもう汗だくでした。私はゴミを集めた後燃えるゴミ、空き缶、ペットボトルなどに分別して所定のゴミ置き場まで運ぶのですが、丁度そこを通りかかってトイレへ行くであろう親子とすれ違いました。

 お母さんは連れ立った小学生の子どもに「僕、綺麗な海水浴場ねえ。ゴミも落ちていないし気持ちがいい公園ね」と、公園の行き届いた掃除に感心しているようで、私は聞くとはなしの会話に一人嬉しくなりました。二人は私から次第に離れましたが、いきなり立ち止まって振り返り、私の薄汚れた姿を指差し、「僕見てご覧あの人、汗に浮いてドロドロになって、あなたも勉強が出来なかったら、あのおじさんのように朝早く起きて掃除をしないといけないようになるのよ。頑張ってね」と言っているのです。

 私は持っている空き缶を投げつけてやりたいような憤りを感じました。朝早く起きて汗をかき、汚れて掃除する人がそんなに醜いのでしょうか。

 私たち親は何かの対象物を引き合いに出して諭すということはままよくある話です。確かに勉強は出来ないより出来た方がいいし、勉強が出来れば楽な仕事に就けるのかも知れません。しかし掃除をしている人が醜い仕事で、ネクタイを締めて冷房の効いたところでデスクワークをする仕事が立派だとは思わないのです。その当時私は役場の課長という顔と早朝ボランティア清掃員という顔の二つの顔を持っていたのですが、役場で働く私が偉くて、掃除をしている私が醜いなんて考えもつきませんでした。

 親の何気ない一言は人を平気で差別します。この子どもの心には親の教えとして「掃除をする人は勉強しなかった人、勉強しなかったら掃除をしなければならない」という教えが深層に深く残り、人を差別する心が一生続くのです。まし私があの親だったらとふと思いました。

 「僕見てご覧、あのおじさんは朝早くから働いて偉いねえ、この公園が綺麗なのはあのおじさんのお陰なのよ。あなたもゴミを落とさないようにしようね。このお金であの自動販売機でお茶を買ってあのおじさんにご苦労さんと渡しておいで」なんて会話が弾めば、人を思いやる温かい心が育つのにと思いました。


  「何気ない 親の一言 耳に入る 勉強せずば 掃除する人」

  「諭すため 言っただろうが 差別心 親の一言 深い傷産む」

  「スカートを 履いたら奥さん 地下足袋と モンペおばさん 何処が違うの?」

  「人は皆 見た目判断 するものか せめて私は 本質見る目」

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○人のお役に立つという小さな喜び

 2~3日前の夕方、上灘漁協女性部の島津さんから、「若松さん、今度の日曜日シーサイド公園で秋の収穫祭というイベントをするのだけれど、ダイガラ餅つきを予定しているのに臼鳥がいないので、手助けしてもらえないでしょうか」と電話がかかってきました。午前中は広島からのお客様対応、夕方からは松山で打ち合わせ会があるものの、予定された午後1時から2時までなら何とか空いているのでと、一も二もなく快諾しました。

 この日のイベントのことは支所の松本さんから詳細を聞いていたし、私の性分上小さなボランティアでも頼まれたら断わるわけにはいけないのです。

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(シーサイドのバザール)


 私は35年間役場に勤めその殆どを公民館活動や村おこし、まちづくり活動に明け暮れてきました。自分が発想したイベントは数限りなく、その都度天気や人出、協力者を気にしながら多くの人たちに支えられて生きてきたのです。その間熱心な役場職員にも出会いましたが、その人たちの殆どは職場が変われば無関心になり目覗きさえしないのです。また頼まれてもあれこれと理由をつけて避けるようにしている人もいます。その点今日のイベントの手伝いに出ている職員は立派で、褒め言葉をかけてあげたいような心境でした。

 少し前に「午後1時を午後12時30分に繰上げしたいので早めに来て欲しい」旨の連絡があり、12時頃に出かけて行きました。シーサイド公園の広場には沢山のテントが並び、中では伊予地区から集まった女生活研究会の人々が様々なお店を開いて即売をしていました。中には顔馴染みの人も沢山いて懐かしい言葉を交わしましたし、聞かれる度に近況を懐かしくお話しました。

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(まるで木馬のようなダイガラ餅つき機)

 

 お礼に持ちの詰め合わせを1パック、お礼にとじゃこカツとじゃこつみれまでいただき、恐縮してしまいました。まあこれからも求めに応じ積極的にボランティアとしてまちづくりに参加しようと思った爽やかな二日間でした。

 

  「臼取りが いなくて困る 声かかる 小さな善意 皆が持ち寄る」

  「掛け声に 合わせダイガラ 餅をつく 子どもの参加 和気藹々と」

  「タカキビに 粟とヨモギが 加わりて 昔懐かし 餅をほおばる」

  「強弱の 阿吽の呼吸 よみずらく 手臼難し ダイガラ餅は」

さて私の役目であるダイガラ餅つきの臼取りですが、今日は粟、タカキビ、ヨモギの3種類の餅つきをしました。ダイガラ餅つきも今ではすっかりお馴染みとなって、子どもたちも体験餅つきに参加し、その出来上がった餅を買い求める列が出来るほどでした。私はボイラーから降ろした蒸篭をダイガラまで運び、臼に入れて小突きした後臼取りをするのです。子どもたちが足を踏んで突き降ろす杵は不規則で、下手をすると手を突かれる心配があるし、それを気にしていると冷めて餅にならないので真剣にやりました。3臼なのでそれほど時間はかかりませんでしたが、みんなの協力で上手く収めることが出来ました。私も松本さんも昨日人間牧場で3臼、今日シーサイドで3臼と合計6臼突いた計算になるのです。私は手臼なので手の皮が餅の熱で焼けたのか少々ヒリヒリしました。

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○人間牧場の芋掘り体験②

 子どもたちが到着するのを待って宮栄館長さんと中嶋さんが芋畑へ入り、長く伸びた芋つるを鎌で切り取り、黒いマルチ用のビニールシートを剥がして行きました。人間牧場の土はサツマイモの栽培に適した赤土なので、つるやシートを剥がした姿はまるで禿山のようでした。子どもたちはまず回りに張り巡らしたイノシシ除けの網と網にぶら下げた空き缶を取り除き、またこの1ヶ月間お世話になった子ども風の案山子二体を感謝しながら片付けました。鉄の杭を抜いたあと簡単な説明を受けた子どもたちは畑に入り、軍手をはめて手スコップを持ち、思い思いにサツマイモを掘りました。

 心配されていたイノシシやハクビシン、野ウサギの被害も思ったほどでもなく、人間牧場の芋畑は芋を掘り当てる度に、子どもたちの賑やかな歓声が抜けるような秋空にこだましていました。

 
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(サツマイモを掘る子どもたち)

 サツマイモを掘り終わると、自分が掘った自慢のサツマイモを持って畑で記念撮影をしました。秋の日差しは猛暑の夏を忘れさせるように、随分山の端で遮られるようになり、ロケ風呂の日差しが写真の左隅に長く延びていました。

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(自慢のサツマイモを持って記念撮影しました)

 ボランティアスタッフの皆さんは芋掘りには参加せず別行動で朝から料理作りに励みました。スィーツの好きな子どもたちのために、サツマイモをトッピングした蒸かし饅頭、サツマイモとヨモギをつき込んだ餅つき、サツマイモの天ぷらがメインです。昼前でお腹の空いた子どもたちはかまど小屋周辺をうろちょろして、つまみ食いでお腹を満たしていました。

 餅つきは希望者が多く一人5回という回転で杵で餅つき体験をしてもらいましたが、見た目より意外としんどい

持ちつきにフーフー言いながら挑戦していました。私と松本さんは三臼とも仕上げを行い、つき上がった餅はウッドデッキに運ばれて、子どもたちも餡子を入れてもらって、自分で丸めた餅をほおばっていました。

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(私は手馴れた手つきで臼取りし、宮栄さんが小突き、松本さんが本突きしました)


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(ウッドデッキで餅を丸める子どもたち)

 私は昨日、農作業をした子どもたちのためにロケーション風呂を沸かしてやりました。本当は風呂に入らせたかったのですが、大人を含めると50人もの参加者なので、全員足湯にとどめました。一回10人程度の子どもたちが靴下を脱ぎ、ズボンを脛まで捲って風呂がまの回りに陣取って足湯をするのです。「進ちゃん気持ちいい~」とか、「いつまでも出たくな~い」とか、「まるで天国へ行ったみたい」、「昔が懐かしいね」などと、大変喜んでくれました。ロケ風呂は先日友人で年輪塾生の浜田さんと二人で折角綺麗に大掃除した所なのに、土足でかなり汚れてしまいました。まあ使えば汚れるのだからと目をつぶり、子どもたちが入れ替わり立ち代り足ゆする姿を見て満足しました。それにしても「天国に行ったみたい」とは大袈裟です。「おいおいあんたは天国へ行ったことがあるのか」ととか「昔が懐かしいって昔はいつ頃?」なんて掛言葉で大笑いしました。

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(ロケ風呂で足湯を楽しむ子どもたち、「天国へ言った見たいとは大仰な)

 私はこの日のために人間牧場で採蜜した蜂蜜を子どもたちに食べさせてやろうと、瓶詰めを4個持参しました。しかし朝から芋を蒸かしたり、風呂を沸かしたり、餅つきをしたりとめまぐるしい忙しさの余りに、すっかり忘れてしまったのです。仕方がないのでまた地祇の機会にしようと思っています。

 ウッドデッキに全員整列して記念写真を撮りました。この写真は私のブログの写真としてアップする予定です。

 子どもたちは今年も沢山の思い出を作って手を振りながら人間牧場を下山して行きました。私は全員去った人間牧場でかまどの火の始末をしたり、風呂の湯を抜いたり、トイレの掃除をして山を下りました。

若松進一ブログ
(記念撮影)


  「芋を掘る 土の中から ニョッキリと 子ども歓声 汗が光りて」

  「蒸かし芋 子どもの頃の 思い出が 頭かすめる 湯気の向うに」

  「芋餅や 芋の天ぷら 美味しいと 子ども満面 笑みを浮かべて」

  「はいポーズ ウッドデッキに 揃う顔 今年の秋も 次第深まり」

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