shin-1さんの日記

○雨の中での支柱立て作業

 昨日の雨を存分に吸った家庭菜園の冬野菜たちは、息を吹き返したように瑞々しく、葉物野菜は首をうなだれるような格好になっていました。家庭菜園の見回りも日課の一つですが、ふと見ると発破が重くなったブロッコリーが殆ど倒れていることに気がつきました。本来は植えて一ヵ月後に倒伏を防ぐために竹の支柱を立てるのですが、竹を切って用意をしていたものの、忙しさの余りにすっかり忘れてしまっていたのです。午後出かける昼までに少し時間があったので、小雨に濡れながら支柱を倉庫から取り出し倒伏したブロッコリーを起こしながら支柱を立てて行きました。水を吸った畑の畝に竹の支柱を金槌で打ち込んでいると、見かねた親父が手伝いに出てきてくれました。

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 少しぬかるんだ中を長靴を汚しながら、40本もの竹杭を打ち込む作業をしたお陰で、少し雨に濡れましたが、何とか元通りに起こすことが出来ました。親父は倉庫から細い縄を持ち出し、両横に木の杭を打って風対策も一緒にしました。これで豆の後で吹くであろう東よりの風にも倒れなくなったようで一安心です。

 毎年のことながらブロッコリーやキャベツ、それに白菜の苗は知人友人である水口マリ子さんから育苗センターで育てた立派な苗が届きます。冬の日当たりが悪いわが家の家庭菜園では一足早く植えて丁度よい生育となるのです。ブロッコリーもキャベツも、そして白菜も近所のおばさんがびっくりするほど順調に育っていて、青虫の被害も手で一つ一つ取ったため、軽目の一回の消毒でどうにか乗り切りました。

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 人間に野菜を例えることは出来ませんが、苗の出来と植える時期は野菜作りにとって大切なことだとしみじみ思います。人間の教育も苗の時期である幼児期と同じだし、その時期にしか教えられない基本や基礎をしっかりと教えてやらねばと、ふと孫たちの顔々を思い浮かべました。そして支柱の存在も大切だと思ったのです。支柱を立てなかったらブロッコリーは倒伏したままになり、頭でっかちなため自分で起き上がることは到底不可能なのです。自立のために支柱で補助をすることもある意味人間の世界に似ているのです。早くもブロッコリーは花芽のような食べる部分が見えてきました。このまま順調に成長すると、去年と同じように丸々と太ったブロッコリーが収穫できる予定です。一緒に植えたはずのカリフラワーとブロッコリーさえ見分けがつかない幼稚な野菜作りですが、これからもせいぜい慈しんで育てたいと思っています。


  「雨の中 倒れた野菜 修復す 竹の支柱で 何とか元に」

  「雨の次 風が吹くから しっかりと 親父うるさく 縄で縛りぬ」

  「苗大事 植えるも大事 さら大事 支柱で固定 雨風勝てと」

  「ふと見れば 新芽隙間に 花芽見ゆ 間もなく美味い 野菜食べれる」



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○いきなり伊豆大島から懐かしいお客様

 昨日は朝から一日中雨でした。早朝から書き始めた「舞たうん」という雑誌の、エッセイ原稿が一本書き上がったので、少し余裕が出て読書に耽っていると、親父から「灯油を買ってきてくれ」と頼まれました。風呂用の灯油はこれまで地元のガソリンスタンドに電話をすれば入れてもらえたのですが、9月からそのスタンドが廃業し、上灘地区にはガソリンスタンドが一軒もなくなってしまったのです。仕方なくポリ容器を積んで10キロも離れた伊予農協まで、軽四トラックで買いに行きました。親父のポリ容器を三缶、わが家のポリ容器を三缶積んでシートを被せ出かけました。ガソリンスタンドはセルフサービスになっていて、カードと現金を入れれば簡単に給油できるのです。屋根がついているため雨に濡れることなく給油を終えました。灯油の値段は18リットル1260円、親父から預かった1万円でお釣りとレシートを、私は五千円でお釣りとレシートを別々に精算しました。

 今朝は郵便局から地元の友人に分けてもらった極早生みかんを10箱、全国の仲間に向けて送るため、送り状を持って郵便局の裏口へ行きました。先日も極早生みかん10箱栗5箱を送っており、郵便局員さんもUパックの実績が上がるとあってホクホク顔でした。その作業途中ズボンのポケットの携帯電話が鳴り、「伊豆大島の高橋千香です。今シーサイド公園にいます。出来ればお会いしたい」と言うのです。私のカンピューターが働き始めました。高橋千香さんといえば公明党の町会議員さん、確か2006年1月19日に建設して間もない人間牧羊へ案内、三宅島での講演や東京都町村議会議員研修会に同行などの記憶が蘇りました。早速車を走らせ、シーサイド公園の屋外テントの中で雨をしのぎながら、五年ぶりの懐かしい出会いとなりました。

 聞けば子どもさんが松山市にある県民文化会館で開催された音楽の全国大会に出場し、その応援に駆けつけたのだそうです。昨日は移動日で飛行機の出発時間まで少し暇があるので、取るものもとりあえず予讃線海岸周りの列車に乗って、記憶を頼りに上灘駅に到着したそうです。まだ開いていない特産品センターの事務員さんに私の携帯電話番号を教えてもらい連絡が取れたのです。

 帰りの列車は10時33分、僅か20分程度の短い時間でしたが、5年前女性3人の議員で双海町を訪ねた懐かしい思い出や、その後の議員活動、まちづくりの話をさせてもらいました。高橋さんは現在4期目の議員活動をしていますが、かなり活発に活動していて、その様子はインターネットで時々見ているし、高橋さんも私のブログを読んでくれているようで、楽しいおしゃべりを終えて、上灘駅まで送る頃には二人とも完全に5年前の記憶を共有していました。

 嬉しい出会いと別れでしたが、早速私は極早生みかんを伊豆大島の高橋さんに向けて送り、午前中の慌しさを少し雨に濡れながら終えました。それにしてもよくぞ私を思い出し、よくぞ予讃線海岸周りの列車に乗って上灘駅へ降りたものです。そして寄寓にも私と連絡がとれ、何の前触れもアポもなく私が都合よく空いていたものだと感心しました。出会いとはこういうものだと納得しながら、自分のパソコンで2006・1・19のブログを呼び出せば、その穂の様子がリアルに描かれていました。まさに記録したものしか記憶されず思い出すことは出来にくかったと、毎日コツコツ書いているブログの効用に感謝するのです。多分昨日の出来事もこうして記録することによって小さな記憶として残ることでしょう。いつかまたお会いして、昨日のハプニングを語り合いたいものです。


  「『若松さん 双海にいるの 会いたい』と 懐かし人から 連絡ありて」

  「五年前 女三人 やって来た 牧場案内 蘇らせて」

  「この議員 猪突猛進 やりますね 会いたい一心 成就し帰る」

  「パソコンで あの日のブログ 呼び出しつ 記録と記憶 ダブらせながら」 


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○家の周囲に小さな秋を見つけました

 今年の秋は猛暑に明け暮れた夏顔を引いているのか連日気温が温かく、過ごしやすい毎日が続いています。それでも家の周りを見渡すと、秋の深まりを知らせるようにそこここに秋の野草が咲き始め、別に用事もないのについつい家の周りを散歩したくなるのです。昨日からの雨に続いて今朝も小雨がパラついてしっとりとしています。それでもカメラ片手に庭先の小雨に濡れた野の花を写真に収めました。

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 書斎の庭には私が一番大好きな岩にしがみつくように生えているノキシノブが、少し色づき始めてきました。これから秋が深まるにつれて紅葉し、ミニチュアながら深山幽谷の景色を見事に演出してくれるのです。大きなコケ玉に仕上げていたノキシノブは妹が玄関先に飾るからとプレゼントしたので、来年の春は少し切り取って作り直さなければならなくなりました。

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 岩の隅から恥ずかしそうに顔を出して咲いているのはヨメナの花のようです。菊に似た紫色の花はまるで一輪挿しに差した花のようでとても清楚です。

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 野菊もそろそろ満開を迎えます。毎年今年こそは野菊の花を摘み取り陰干しして安眠枕を作りたいと思いつつ延び延びになっていることを思い出しました。少しゆとりが出来たらぜひとも作りたいと思っています。

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 ツワブキの花も今年は例年になく開花が遅れているようです。大きな通夜のある葉っぱの間から、どんぐりのような蕾をつけて顔を出しています。あと一週間もすれば黄色い菊の花に似た可憐な花が当たり一面に咲くことでしょう。ツワブキは野菊とともに温暖な海沿いに群生して咲きます。早春に咲く水仙と共に双海を代表する野生の花ですが、ツワブキが咲くと段々畑のみかんが色づき、秋は次第に深まって行くのです。


  「野の花は 季節を知って 咲き誇る 見る人なくも ただひっそりと」

  「もうそんな 時期が来たかと 思いつつ 野辺の花々 座りて眺め」

  「ツワブキの 花咲き思う 逝きし母 背中いっぱい みかん背負いて」

  「牧場の 風呂場入り口 植えし花 今年も可憐 咲いて和みぬ」



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○日曜日の一日はデパートで

 人間牧場の道具類やパソコンのインク類など以外は、自分が着る物も食べるものも殆ど妻任せの私ですから、何かを買うためにお店に入ることは殆どない私です。ましてや道の駅の経営に携わっていた現職時代のような市場調査もないので、道の駅や直売所などでも財布からお金が出ることは殆どないのです。最近は孫たちにせがまれてドライブスルーでマックのハンバーガーハッピーセットをたまに買いますが、それも400円程度の出費なのです。

 最近は知らない間に買い物事情も随分変わって、娘や息子などはインターネットで買い物したり、カードで決済をしているようですが、私は金融広報アドバイザーをしている身なのに、カードを使って買い物をしたりカードでお金を引き出したり巣タコとは一度もない現金決済主義な、時代遅れとでも烙印を押されるような人間なのです。

 それでもたまに妻に連れられて買い物につき合わされます。一緒に買い物に行けば、「そんなもの止めとけ」とかいちいち口うるさいので、買い物は荷物持ちくらいな感じです。昨日は妻が習っているお花の先生の華道の展示会が高島屋であって、マンションへ送る孫を伴って出かけました。さすが三越と共に県内第一のデパートとあって、店内は洗練された展示内容で、松前町にオープンしているエミフルのような品揃えとは違った高級感が漂い、客層の顔々もどこか違って見えました。

 7階のお花の展示会場付近に玩具売り場があって、孫たちは知っているのか目敏くその場所を見つけ、約束どおり「買い物は1つ」を守るべく品定めをし始めました。私は展示会場へ入りましたが、お鼻の展示会場には沢山の女性がさりげなく着飾ってお花を見学していました。お目当ての花を見つけて見ていると、「若松さんですか」と先生の先生に声を掛けられました。他にも会釈や声を掛けてくれる顔見知りの方が何人もいて、普段着に毛が生えた程度の身なりで出かけたことを多少悔やみました。

 やがて買い物を終えた孫たちが妻に連れられてやって来ました。一緒に見学した後食堂街で昼食し、デパ地下の食料品売り場で、妻は次男に頼まれた食料品を買いました。私は孫と一緒にくるくる回る駄菓子の中から好きなお菓子を選んで重さで買えるコーナーで品定めをしました。まるで夢のようなお菓子の中から何個か取り出し籠に入れて、妻から貰った小遣いで買い物を済ませました。

 立体駐車場を出る頃には、いつの間にか外は雨脚が強くなって、カーラジオをから流れるCDの歌を孫と一緒に口ずさみながらマンションへ孫たちを送り、チャイルドシートを娘の車に戻し帰宅の途につきました。

 毎日のように人混みの中へ行く私ですが、デパートのような人混みや都会の人混みは疲れます。それだけ私が歳をとったというこ証拠でしょうが、時間が止まったような田舎の日々の暮らしとのギャップはかなり大きいようで、それはそれとして小さなカルチャーショックなので、これからも折に触れて意識的に出かけようと思いました。自宅の居間に座り、夫婦ともども「フーッ」と安らぎの声を出しました。「わが家が一番」です。


  「久々に デパート訪ね キョロキョロと 買うでもなしの 半日過ごす」

  「何となく 金持ちみたい 人の顔 孫はさっさと じいちゃん早く」

  「ため息を ふっと一息 居間でつく やはり落ち着く わが家一番」

  「食料を ついでと言って 届けたる 妻の気配り 次男喜ぶ」 



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○蕎麦の花が満開

 我が家のすぐ下の畑に今年も白い蕎麦の花が咲いて満開を迎えています。8月の下旬稲刈りをした後を中興してバラ蒔きをしたいわゆる二毛作です。最近は田圃さえ荒れる時代なのに、米の後に蕎麦を蒔くなんて余程働き者なお百姓さんだと感心して見ていますが、この方は私と同い年で、かなり広い畑のこの蕎麦を手刈りし自前で脱穀するのですから並大抵の人ではないので、付近の人は多少変わり者のような目で見ているようです。それでも同年代に生きて来た人ゆえ、また田圃を効果的に使う勤勉さは私たちも見習うべきだと思うのです。

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(今年も真っ白い花を咲かせた家の直ぐ下の蕎麦畑)

 私が3冊目を出版した自著本「夕やけ徒然草・水の書」にも蕎麦の花の話は第38話、「うどんの花が見てみたい」で紹介していますが、田圃一面に広がる蕎麦の真っ白い花は実に見事な原風景を演出してくれているのです。農林省のお役人が蕎麦の花を見て感激し、「今度はうどんの花が見てみたい」という話は、今も私の話芸話で笑い度はかなり高い話となっているのです。私にとって家の近くに咲く蕎麦の花は、今年は格別な意味を持っているのです。それは今年の春先、わが家の裏山にミツバチの巣箱を設置しているからです。

 新しく設置したミツバチの巣箱にミツバチが分蜂したのは6月下旬でした。蜂蜜は採れなかったものの、今もミツバチは来年の種蜂として働き続けているのですが、この時期になると蜜源となる花が少なくなるのです。ミツバチたちに聞いた訳でもありませんが、巣箱の近くにこれ程の蜜減があることは願ってもない話で、飛び交うミツバチたちはそばの花からも蜜を運んでいるに違いないのです。蕎麦の花の蜜が土おおな物かも分からぬまま想像していますが、冬篭りの餌にでもなればと密かに思っているのです。


 私が裏山でミツバチを飼っていることを知っている人は妻以外知りません。もし蕎麦畑のおじさんが「うちの鯖畑の花の蜜を勝手に盗むとは何事か!」と叱られたら私はどう答えるでしょう。頓智の効く私ですから即座に「俺のミツバチが受粉して蕎麦の実を実らせているんだ。蕎麦を幾らか寄こせ」と反論するかも知れません。百戦錬磨なおじさんは、「そばの実のどこにお前さん所のミツバチが受粉したと書いている」と反論するに違いないのです。はてさて知恵者のあなたはこの問いに堂答えるでしょうか?。


  「ああ綺麗 今年も咲いた 蕎麦の花 見るだけタダと 存分味わう」

  「蕎麦の花 お陰ミツバチ 活発に 冬餌あさり せっせと運ぶ」

  「蕎麦問答 これも話の ネタになる 蕎麦タネネタに 話し作ろう」

  「花を見て 新蕎麦思う 喉が鳴る つるり喉越し 早く食べたい」



 

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shin-1さんの日記

○年に一度の秋祭り

 昨日は年に一度の秋祭りで、神社や町の辻々に祭り幟がはためいて、遠くで獅子舞のリズミカルな太鼓の音が聞こえる、穏やかで温かい一日でした。私が子どもの頃や若い頃は漁家だったわが家では、鯛の活け造りなどの皿鉢料理が幾つも作られて座敷に並べられ、親類縁者が沢山集まって一日中夜遅くまで酒盛りをしたものでした。神社には露店が並び、神輿や獅子舞、村相撲などもあって、子どもは子どもなり、大人は大人なりに楽しい思いをしたものです。

 しかし、車の普及とほぼ同じくして広域交流が日常化したり、おご馳走が日常化したため、取り立てて出会う意味もおご馳走もなくなり、今ではごく身近な子や孫がやって来て楽しむ程度の秋祭りになっているようです。


 わが家へも今年の秋祭りは土曜日と都合よく重なったため、長女家族、長男家族、次男がやって来ました。孫たちの泣き笑いが一日中聞こえ、妻は料理を作ったり孫たちへの対応に大わらわでしたが、私はぎっくり腰だったこともあって、何をするでもない一日中ゴロゴロといった秋祭りの一日でした。

 祭りに欠かせないものに神輿があります。一昨年までは地元の自治会長をしていたため、宮総代も兼ねていたこともあって、神輿の運行に深く関わり、子ども神輿について歩いたりして忙しく振舞っていましたが、いまはそれもなく、時折やって来る子ども神輿がやってくる度にお祝儀を渡して家族が玄関に集まり、孫たちと一緒に手を合わせて祈りました。

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(小網の子ども神輿)
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(玄関先に据えられた子ども神輿)
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(玄関先で神輿にお祈りをする家族たち)

 結婚してからこの方、約40年が経過しましたが、秋祭りが来るとわが家では毎年決まったように、コタツを用意していましたが、今年は夏のスーパー猛暑を引きずっているのか温かく、みこしを担ぐ子どもたちも法被の下は半袖のTシャツの子もいるほどでした。

 前日の夕方漁師をしている叔父の家から電話があって、大きな柳鯛を頂に行きました。早速出刃包丁の大きいのを取り出して私が料理しました。退職して5年余りになりますが、これまで厨房に立つことのなかった私は、少々懺悔の意味もあったり、務めている妻の多少なりの手助けもあって、魚の下ごしらえは殆ど私が担当しているのです。昨日は柳鯛のアラ煮と飛び切り美味しい刺身が食卓に並びました。3歳になった孫尚樹と孫希心はお刺身が大好きで、1歳の孫奏心は煮魚が大好物とあって、秋祭りらしい澤地料理に舌鼓を打ちました。

 秋祭りが終わると秋も深まり、いよいよ冬がやって来ます。そういえば後2月余りでお正月です。月日は駆け足で過ぎて行くようで、ちょっぴりせつなさも感じる今日この頃です。


  「秋祭り 神輿も孫も やって来る 酒こそ飲まぬ 賑やか一日」

  「温かい 今日の温度は 二十三 過ごし易いが 少し気になる」

  「お祭りも 時代と共に 変わり行く ワクワクせずに 一日終わる」

  「歳とった ような会話を 息子する 昔良かった 今じゃ口癖」

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○腰の調子が今一で整体院へ

 昨日から腰に違和感があり少し心配していましたが、今朝になって歩く状態が可笑しいと妻から整体へ行くよう勧められました。年に一回はぎっくり腰に悩まされている私としては早めに整体で揉み解してもらった方がいいかも知れないと、妻が電話で午前10時の予約を取ってくれたので、伊予市本郡の松本整体院へ出かけて行きました。馴染みの整体院なので私の歩く姿を見ただけで、少し背骨が乱れていると言い、早速治療にかかりました。治療台に寝そべり首背中、腰、太もも、足と順次揉んで行くのですが、筋肉のツボに当たると目が飛び出るくらい痛くて、悲鳴を上げるほどでした。

 体全体を何度も揉み解して三十分ばかりの治療を終わりましたが、治療代4千円の値打ちがあって幾分が楽になりました。自宅へ帰ると今日は秋祭りなので昨日の夜から泊まりに来ている孫二人に加え、新たな孫2人もやって来ていて、まあ賑やかなことです。1歳半の孫は私に抱っこして欲しいとせがむのですが、腰を痛めていることもあって、この二日間は抱っこを遠慮しなければならず、腰の痛みなど分かるはずもない孫は泣いて私を追っかけるのです。それでも遊んでやろうと庭に連れ出して、時折炎歩で聞こえる獅子舞の太鼓の音を聞きながら、午前中を過ししました。


 ぎっくり腰になると起き上がれないほどしんどいのですが、最近は前触れが分かりかけてきて、今日のように早めに治療をすれば比較的早く治るのです。治療に当たった先生からは毎日簡単な柔軟体操をするよう勧められていますが、毎朝風呂の中でやる腰動かし運動や、布団の上での柔軟体操のお陰で最近は随分遠ざかっていたものの、この際ラジオ体操などの柔軟体操を取り入れてやらねばいけないと、深く深く反省しました。

 腰にちょっと不具合があるだけで行動が制限され、もやもやとした気分になります。その度に健康の有難さを噛みしめるのです。今日はお祭りですが別にする予定もないのでゆっくりと養生したいと思っています。


  「腰少し 違和感感じ 整体へ 三十分の 治療受け行く」

  「孫四人 腰の痛みを 知らずでか 遊ぼ遊ぼと 誘いの言葉」

  「祭りだと 言うに憂鬱 一日が 今日は一日 寝たり起きたり」

  「腰の字に 要と言う字が 入ってる 納得しつつ コルセット巻く」

 

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○松山や秋より高き天守閣

 年金受給者交流大会に招かれ、松山市堀の内にある松山市民会館へ出かけました。市民会館へは次男が出演してた劇団イリュージョンの公演を見に行って以来です。今回は堀の内界隈も県民館や競輪場が移転して、史跡公園としての整備が整って随分すっきりして背後に聳える城山が寄り大きく感じられるようになりました。これまではNHK松山放送局や美術館側の西堀端から車は乗り入れていましたが、今は北堀端の方からしか進入できないようになりました。

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(松山城の城山)

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(堀の内から県庁を望む)

 電車通りを横切って堀の内に入ると市民会館の駐車場に着きました。大会事務局から市民会館駐車場に入れるよう指示があったと守衛さんに伝えたのですが、車は既に満車で断わられてしまいました。時間は迫るし少々あせり、とっさの判断で再び電車通りに出て税務署の駐車場に止めさせてもらい、底から堀の内の広場をほぼ突っ切るように歩き、NHK側から控え室になっている楽屋に入りました。楽屋の入り口には「講師控え室・若松進一様」とご丁寧に書かれていて、入り口の戸を開け受付の女性と時間までおしゃべりをしました。

 間もなく司会の女性が打ち合わせにやって来ました。いきなり「若松先生のご講演は30分ですね」と言われました。私はカバンの中から講師依頼書を取り出し、「私への連絡では確か1時間となっていましたが・・・」と怪訝そうに返すと、慌てた女性の司会者は「ちょっとお待ちください」と言って確認のため出て行きました。間もなく息せき切って引き返してきて、「私の勘違いでした。間もなく始まりますのでこちらへどうぞ」とステージの脇の暗がりに案内されました。

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(年金受給者協会宇和島支部の山本伊津美さんが撮影して送っていただいたハガキ写真)

 この日の会場は大ホールです。このところ県民文化会館の大ホールで老人クラブ50周年県大会など、広い会場での公園が続くようですが、大ホールでの講演は時間を取り仕切る舞台マスターがしっかりしていて、予鈴や本鈴、終了時間、マイク等の準備物などが全て時間通り、打ち合わせ通りなのでとても助かるのです。加えてマイクの性能が良くて、話していてもまったく疲れず、むしろ自分の声が隅々まで通るので、自分の声に酔いしれるような錯覚を覚えるのです。

 この日は1人も入る広い会場に8割方の入場者で、僅か1時間の短い講演でしたが会場とステージが一体となって、自分としては反応上々な満足の行く講演となりました。それは帰ってから今日まで、何通かのハガキとメールの届き具合で参加者の反応を読み取れるからです。

 私もハガキやメールでご意見をいただいた方々へ丁重に返信をしましたが、驚いたことにその中の一人は昨日再びお手紙をいただきました。

 講演が終わって外に出ると、心地よい秋の風が頬を撫で、昼時の散歩を楽しむ人々が足繁く行き交う中を再び歩いて駐車場へ引き返しました。毎日のように松山をフィールドにして活動している私ですが、いつもは松山城や堀の内の存在すら忘れるほどで、こうして自分の足で歩き目の当たりに城山や堀の内を見るのも久しぶりなのです。ふと「近々城山に登ってみよう」と思いました。孫たちと夏に高島屋のぐるりんという観覧車に乗って城山を意識して以来の目線に、少し安らぎを覚えた一日でした。

  「久方に 城山眺め 堀の内 界隈歩く ゆるりゆるりと」

  「大ホール ステージさすが 格違う 自分の声に 酔い知れ話す」

  「駐車駄目 講演時間 三十分 話の前の ハラハラドキドキ」

  「大ホール ステージ立ちて 思い出す 青年団長 時代のことを」

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○心が痛む奄美大島の大雨災害

 これ程物質文明が進んだ世の中なのに、何故か鹿児島県奄美大島の豪雨による被災状況はかなり長い時間掌握しきれず、その状況が分かるにつれて大変な災害であることがようやく分かりかけてきました。今朝の新聞にはトップ記事ならぬ5面の社会覧に「鹿児島奄美豪雨、住民2000人以上孤立か、電話7000回線寸断、使者3人に」という見出して紹介している程度なのです。国や県の災害危機管理能力はどうなっているのか、奄美大島に知人や友人がいて安否を気遣っている私としては、腹立たしい思いでいっぱいです。

 奄美地方では10月20日、1時間に130ミリを越える局地的な豪雨が降り、18日夜の降り始めから20日午前0時までの総雨量は715.5ミリで、平年の10月月降雨量の約3倍というから、まさにバケツをひっくり返したような大雨に見舞われたのです。安全なはずの高齢者施設が大雨の直撃を受け2人のお年寄りが水嵩が増した廊下のカーテンレールを持ったまま亡くなるという痛ましさに思わず胸が痛みました。

 若い頃から深いご縁をいただいている奄美大島瀬戸内町も、かなりの被害だと報道で知りましたが、知人や友人、訪ねた島や集落の思い出が頭に浮かんで、心配は募るのです。

 瀬戸内町のカケロマ島は南の島の楽園で、寅さんとリリー(浅丘ルリ子)の恋の舞台になった所です。寅さんがらみで、あるいは東シナ海に沈む美しい夕日がらみで何度か訪ね、そのご縁でわが家へも青年たちが大挙して訪ねてくれました。出産間近な娘がわが家に帰っていて、そんなことお構いなしに大酒を飲み踊り狂ったお陰で娘の出産が多少早まったエピソードも今は懐かしい思い出です。

 またそのことがご縁でシーサイド公園に送ってもらったデイ後の花の木は今も大地にしっかりと根を張って夏になると綺麗な花を咲かせてくれているのです。

 さらに嬉しいことは、わが家の庭にある私設公民館「縁会所」は、志ある若者たちによって全国に広がっていますが、奄美大島瀬戸内町には「煙会所」から分家した「第17縁開所」が設置されていて、そのこともその後どうなっているのか気になるところです。

 何はともあれ安否を確かめるために、今日にでも役場に勤めているであろう重村さんに電話をして、災害の状況や安否を確認したいと思っています。

 今朝の報道によると遅まきながら21日に災害対策本部を設置して、陸上自衛隊に災害派遣を要請したとのこと、住民の安全と一日も早い復興を祈っています。

  「あの島は あの人たちは どうだろう 災害報道 食い入り見つめ」

  「どうなって いるのだろうか この国の 危機の管理は お粗末至極」

  「これ以上 雨の降らない こと願う 遠く離れた 奄美大島」

  「住用の マングローブも 気にかかる 一度ゆっくり 訪ねてみたい」

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○学校から学ぶ新しい気風と気力

 小中高と12年間学校に通って3つの卒業証書をいただき、四つ目は親父ががんで倒れるというアクシデントで幻に終りましたが、その後3人の息子のお陰で松山工業高校のPTA会長として6年間、そのことが縁で小・中・高の学校評議員を今日まで、今は一年に数度ではあるが小・中・高の学校訪問を繰り返しているのです。

 そしてもう一つ、私は昭和51年から今日までの34年間の長きに渡って、日本銀行の外部組織である貯蓄推進委員会(現在は金融広報委員会)の貯蓄推進員(現在は金融広報アドバイザー)として、幼小中高の児童生徒に直接話したり、学校に関係のある人たちに子育てやPTA活動の話に行ったりしています。加えて大学の非常勤講師や客員教授として学生に授業までやっているのですから、教育委員会で教育長という教育行政まで含めると、「学校」とのかかわりは半端な数ではないのです。

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 学校は比較的変化の少ない世界です。それでも危険な社会に対応して門扉が作られたり、パソコンや電子黒板が導入されるなど、私たちが子どもの頃のような無に等しい学校とは雲泥の差があるようです。社会の変化に合わせた指導要領やカリキュラムが組まれた学校に多少の戸惑いを感じながらも今週は、二つの学校を訪問しました。前述の金融広報アドバイザーとして、研究校に指定されている松山市立新玉小学校を訪問しました。

 新玉小学校は今年創立100周年を迎えていて、5年生の授業では「新玉100周年、魅惑のスイーツを開発しよう」とうテーマの語年一組の焦点授業を見学しました。子どもたちが生き生きと学ぶ姿はに、将来の大人として大いに感心させられましたし、その後の研究協議には私や教育委員会の指導主事の先生も加わって、活発な議論が交わされました。金銭教育領域への踏み込みは今一歩でしたが、これから2年間の研究成果が期待できそうな予感がしました。

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 昨日は松山市立晃の小学校の招きで、人権・同和教育の懇談会に出かけました。私は人権や同和教育は余り得意ではないのですが、県の社会教育課からこの春の異動で河野小学校の教頭に赴任された親しくしていただいている和田先生の口添えもあって、止む無く講師を引き受けました。

 旧北条市の晃の小学校は中規模の学校で、奥田校長先生も顔見知りの先生なので、約50分PTAの皆さんの前でお話をさせてもらいました。その後短い時間ながら学年ごとの分散会が持たれ、活発に感想や意見がまとめられていました。て先日偶然にもPTAの担当の方とシーサイド公園で出会い、打ち合わせも出来て多少砕けた話をしてしまいました。和田先生から「花へんろ」という北条の銘菓までお土産に貰い、皆さんの心温まるお見送りをいただきながら帰ってきました。

 学校は「木が交わって学ぶ」と書きますが、現代の学校は鉄筋コンクリートで木の交わりは殆どありませんが、木を気に変えれば、人の持つ気力が様々に交じり合い、子どもを少しでもよい子に育てようとする気風が感じられました。これからも機会があるごとに学校を訪問し、むしろ私が学校から新しい気力や気風を学びたいと思っています。

 時間がなくて宗教心については舌足らずに終わりましたが、校長先生がものの見事に閉会の挨拶でまとめていただきました。


  「学校は 木が交わって 学ぶとこ 木こそ消えたが 気力・気風が」

  「縁ありて 学校訪問 次々と 微妙に違う 校風感じつ」

  「金銭や 人権教育 本当は 家庭の教え 今は学校」

  「人間が 人間として 生きるため 持たねばならぬ 金銭・人権」

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