shin-1さんの日記

○人権教育講演会

 いつも声を掛けてくれる八幡浜市保内町宮内公民館の金谷さんから、「人権教育」の講演依頼がありました。私は「人権教育」に余り詳しくないのでためらいの返事をしましたが、百戦錬磨の金谷さんは「詳しくなくってもそれをこなすのが若松さんのいいところ」と、褒められたようなくすぐりの言葉に心を動かされ、ついつい引き受けてしまいました。金谷さんは果樹農協に勤めていたころからの知り合いで、退職後公民館に勤め始めてからも何かにつけて気心を許す間柄なのです。

  昨日の会場となった公民館の2階大ホールは、予定されていた100席は満員で、参加者の中には顔見知りの方も多く、少し気遅れがしました。というのも金谷さんが作ったであろう講演会の案内状には、「~若松進ちゃん人権教育を大いに語る~」などと吹聴した怪文書(笑い)が町内に配られていたのです。

若松進一ブログ

 私が付けたこの日の演題は、「幸せな人生を共に生きる」でしたので、まあそこそこ90分くらいの時間だったらと軽く思って講演を始めました。私はいつも肝に銘じているのは、「どんな立派な話でも、実践できないような話はご法度」「評論化的話は極力しない」「参加者が眠るのは講師の責任」です。この日は私たちの身の回りの社会の変化について、気になることを10項目ばかり取り上げて前段話しました。

 ①地域のコミュニティの崩壊と少子化(地域での支え合いが出来にくくなった)

 ②高齢者福祉施設の充実と親子の人間関係(家族とは・親子とは一体何か)

 ③食生活と健康問題(額に汗して働く勤労・第一次産業の疲弊)

 ④進む情報化の波(近い情報<遠い情報)

 ⑤流通革命と価値観の変化(重厚長大<軽薄短小・ガソリン料金<お茶や水)

 ⑥市町村合併と広域社会(行政サービス<住民負担・ふるさと意識の低下)

 ⑦危険な時代と自己責任(頻発する犯罪・自然災害)

 ⑧環境の変化(自然環境・社会環境・教育環境の悪化)

 ⑨高学歴社会(知恵人<知識人)

 ⑩貧富の格差増大(人間や人権<金や物)

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 こんな日常の暮らしの気がかりなことや矛盾を紐解きながら、3つのリンゴ、氷山の一角という話をしました。人間は自分の目に見えない潜在能力で物事を判断する悪い癖があるのです。その癖を学習という手法によって知識を知恵に変え顕在化することが大切なのです。差別心は恥ずかしながら私の心の基底にもあります。それを取り除くには子どもたちが学校で習うように、繰り返し学習して得たことを習慣化実践によって、顕在化させるのです。

 信じ難いことですが現代は、①自分が信じられない、②人が信じられない、③社会が信じられない、④未来が信じられない世の中です。自分を信じ、人を信じ、社会を信じ、未来を信じ、幸せな人生を共に生きて行きましょう。

 分かりやすい話を分かりやすく話したかどうか疑問ですが、少しでもお役に立てたら幸せです。


  「不得意と 逃げる間は 差別する 心どこかに 置いたままなり」

  「顔見知り ちらほら会釈 してくれる 嬉し恥ずかし こんな話で」

  「芋持ちて 隣町から 夫婦連れ 嬉し出会いに 思わず感謝」

  「ああ今日も いい日でしたと 感謝する 今日は帰らぬ 昨日になりぬ」   

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shin-1さんの日記

○「こやけ」の綺麗な夕方でした

 「♭夕焼けこやけの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か~」「♯夕やけこやけで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手々繋いで皆帰ろ カラスと一緒に帰りましょう~」はご存知「赤とんぼ」と「夕焼けこやけ」の歌詞ですが、最近は葛原しげるの「♭ぎんぎんぎらぎら  夕日がしずむ  ぎんぎんぎらぎら 日がしずむ 真っ赤っかっか空の雲 みんなのお顔も真っ赤っか ぎんぎんぎらぎら 日がしずむ~」を加えた三曲を、いつまで経っても下手糞ながら自慢のハーモニカで、臆目もなく人様の前で吹いているのです。私のハーモニカを聴いた皆さんは、ハーモニカの上手さはさて置き、懐かしいハーモニカの音色に郷愁を覚え、最後はお追従の拍手を送ってくれるのです。私はそれをアンコールと勘違いして別の曲を披露するというあつかましくも迷惑な行動をとっているのです。しかし中には懐かしさの余りに思わず口ずさんだりして、益々悦に入るのです。

 ところで、「赤とんぼ」や「夕焼けこやけ」に歌われている、「夕焼け」と「こやけ」とはどういう状況をいうのかご存知でしょうか。夕日博士を自認する私の長年の研究によると(エヘン)、「夕焼け」とは太陽全体が沈んでしまう、つまり太陽の上弦が地上から消えてしまうまでの様です。つまり太陽が西に傾き始めて日没30分前くらいになると、それまで肉眼では見えにくかった太陽が輝きを失い肉眼で見えるようになるのを夕日や夕焼けというのです。それは地球上にはチリやゴミが無数に飛び散っていますが、それが太陽の談反射を遮り、光を通しやすい赤い光だけが残るから赤く見えるのです。

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 では、「こやけとは」一体どういう状況をいうのでしょう。まるでご当地検定のような質問ですが、種を明かすと、「こやけ」とは太陽の上弦が地球上から姿を消した一瞬から「こやけ」といい、にしのそらに明るさが残る状態を「こやけ」というのです。この時期は「秋のつるべ落としの夕日」といわれるように日の入り後の「こやけ」状態は短く、逆に夏の「こやけ」状態は長く続いているようです。

 一昨日はは大分県豊後大野市へ大分県公民館研究大会の行き戻り、昨日は八幡浜市保内町宮内公民館の人権研修会への行き戻り、同じ夕やけこやけラインを連続して二日間通りました。昨日は夜7時からの会合だったため、右手の伊予灘の海と空を染め分けた「こやけ」を見ながらのドライブでした。夕日は既に落ちていたものの「こやけ」の美しさに見とれながら走りました。日ごろは見えることの少ない山口県祝島付近や大分県国東半島・姫島あたりまで、「こやけ」が見事なシルエットを見せてくれました。残念ながら先を急いでいたので、上の一枚の写真しか獲ることは出来ませんでしたが、見事な「こやけ」に心表れる思いがし、車が来ないことを確認して走る車の中から夕闇迫る「夕やけこやけライン」を一枚撮りました。

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  「夕やけも いいがこやけも 味がある 海の向うに 思いを馳せて」

  「反射板 まるで電気を 点けたよう ヘッドライトに 照らされた道」

  「山口や 大分辺り シルエット 見えて明日の 天気占う」

  「同じ道 行きつ戻りつ この二日 講演先に 思い巡らす」 

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