shin-1さんの日記

○豊後大野市講演日帰りの旅②

 迎えの臼杵タクシーに乗り込み、運転手さんと他愛のない四方山話をしながら見慣れた光景の山道を1時間ばかり走りました。国道10号線を越えて豊後大野市の中心地旧三重町へ入りました。最初大分県公民館連合会からメールで講演依頼の打診があった時、「えっ、豊後大野ってどの辺だったっけ」と戸惑いました。それもそのはず平成の大合併で三重町、清川村、緒方町、大野町、千歳村、犬飼町、朝地町の5町2村が合併して出来た人工4万人の街なのです。この九町村名を聞いて思い出すのは何といっても清川村です。清川村には17年も前に一度行ったことがあり、そのご縁で今は市内緒方公民館長になっている渡邊久洋さんとは、その後音信こそ途絶えていましたが、思い出に残る出会いをしているのです。渡邊さんご夫妻も一度わが家に見えられ、煙会所で懇談をしているのです。

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(会場となったエイトピアおおの)

 今回の講演が決まったある日、渡邊さんから一通のお便りをいただきました。~前略~「清川公民館時代にご講演をお願いしましたし、そのご縁で双美町を訪れ、若松さん宅の囲炉裏を囲み、お話を伺ったことを懐かしく思い出します。あれから17年ほど時間が経ちました」。~中略~「県公連事務局から記念講演に『若松進一さんをお願いした』と聞いて、大変懐かしく、そして再会を楽しみにしているところです」~後略~という内容でした。

 第61回大分県公民館研究大会の会場はエイトピアおおのというモダンで立派な公民館でした。県公連会長である中野臼杵市長さんは社会教育を、会場市の橋本市長さんは青年団をそれぞれ経験されていて、講師控え室での面談は賑やかでした。石井県教育庁社会教育課長さんとご一緒に渡邊久洋さんと懐かしい握手を交わしました。勿論私もこの17年間の間に人が変わったほど進化していますが、渡邊さんもすっかり立派になられて頼もしく思いました。あの時お腹を大きくしていた奥さんのこと、3人の子どものことなど、願わくば泊まって語り明かしたいほどでした。

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(素晴らしい文化ホール、エイトピアおおのでの公民館研究大会)


 大会には350人ほどが大分県から集まっていました。昔馴染みの好で渡邊さんから私の紹介をしていただき講演が始まりました。私の話は90分でしたが、話したいことがいっぱいありながら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。まあ何とかそ責めを終えたようです。

 講師控え室に来年1月30日に講演が決まっている大分市西部公民館の工藤社旗教育主事さんが見えられ、「夕やけ小やけもまちづくり」について簡単な打ち合わせをするなど、早くも気の早い話となりました。またお茶を出してくれた女性が高知大学出身ということもあって、出会いの不思議や広がりを大いに感じました。

 木枯らし1号と思しき大風は幾分収まりましたが、前日まで半袖姿が目立った外の風景は一転、冬支度に身を縮めながら寒そうに歩いていました。

 運よく帰りは17時30分の船便に乗れました。オレンジフェリーのオレンジ四国に乗りましたが、これまで乗ったどのフェリーよりも豪華で、まるで動くホテルのような雰囲気でした。

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  「お互いに 時は流れて 十七年 握手した手に 力がこもる」

  「いい話 でしたとメール 水知らぬ  人から届き 嬉しくなりて」

  「市長さん 青年団で 磨いたと 嬉しい話 してくれました」

  「帰り船 動くホテルと 見まがうよう 次も乗りたい 気持ちになりて」 

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shin-1さんの日記

○豊後大野市へ日帰り講演小旅行①

 昨日は木枯らし1号と思えるような強い北西の風が吹き荒れる中を、大分県公民館連合会主催の第61回公民館大会の記念公園に招かれ、双海町~(自家用車)~八幡浜~(フェリー)~臼杵~(タクシー)~豊後大野市と、日帰りとしてはかなりきつい道中旅をしました。

 札幌では初雪が降っているというニュースを聞いて朝7時過ぎに家を出る頃は、まだそれほど北西の風は強くなかったのですが、長浜を過ぎると海は白馬が走るが如く大波が立ち、海沿いを走る夕やけこやけラインのあちこちでは潮水の洗礼を受け、ウォッシャー液を出しながらワイパーで洗わね、ば前が見えない時が何度もありました。少し早めに八幡浜に到着したので、港の近くにある妻の実家へご機嫌伺いに立ち寄り、建設有の魚市場に変わって仮移転している魚市場を見学しました。

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 フェリー乗り場で宇和島運輸カウンターで切符を買い求め待合室で待っていると、中年がらみのおばさん3人組の一人に声を掛けられました。その声の掛け方が、「よくテレビに出ている双海町の夕日の仕掛け人」でした。名前は知られていませんが、「双海町・夕日・仕掛け人」という固有名詞を並べられれば会話は十分で、「まあお食べなさい」と差し出すみかんやお菓子を断わりながら、待合会話となりました。聞けば大洲の方らしく、「昔女学校に通っていた頃予讃線海岸周りの列車の窓から真っ赤で大きな夕日を見て綺麗だった」とか、「双海のシーサイド公園は賑わっている」とか、断片的な話をしました。今日から二日間3人で別府温泉へ遊びに行くのだとクーポン券を見せてくれました。私の乗るのは臼杵航路、3人が乗るのは別府航路で、船も行き先も出発時間も違うため、私は3人と別れて9時40分発のフェリーに乗り込みました。

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 昨日までは穏やかだったと船員さんが言う宇和海の海はかなり荒れていました。窓越しに八幡浜向灘の耕して天に至ると形容されているみかん畑や、日本一細長い半島と形容される佐田岬半島を見ながら、北西の風波を横波として受けるるためかなり大きくローリングする船内で読書に耽りました。元船乗りの私にはこの程度の揺れは子守唄で、2時間20分の船旅は難びりゆっくりでしたが、隣の升席にいた若い女性は気分が悪いとトイレへ駆け込んだり、小さい子どもが大きな桶で泣き叫び、まあこれも船旅の風景だと感じつつ豊後水道を渡りました。船は少し早く臼杵湾に入りました。臼杵の街はその周辺にある町や村への中継点として、何度か訪ねているため、別に戸惑いもなくタラップを降りました。本来ならここから先は公共交通を使うのですが不便という理由で、今回に限り大分県公民間連合会が手配してくれ待っていたタクシーに乗り込みました。運転手は渡邊さんでした。佐賀関も渡邊さん、これから行く豊後大野で待っていてくれる人も渡邊さんと、不思議なご縁を感じながら目的地へ向かいました。


  「名前など 言ってもらえず ほら夕日 声をかけられ 嬉しくなりて」

  「段畑の みかん薄っすら 紅化粧 窓越し見える あれが向灘」

  「木枯らしが 機嫌悪くし 右左 船を揺らして 水道進む」

  「佐賀関 今日は煙突 裏を見る 仲間今頃 どうしているか」

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