shin-1さんの日記

○雨の中での支柱立て作業

 昨日の雨を存分に吸った家庭菜園の冬野菜たちは、息を吹き返したように瑞々しく、葉物野菜は首をうなだれるような格好になっていました。家庭菜園の見回りも日課の一つですが、ふと見ると発破が重くなったブロッコリーが殆ど倒れていることに気がつきました。本来は植えて一ヵ月後に倒伏を防ぐために竹の支柱を立てるのですが、竹を切って用意をしていたものの、忙しさの余りにすっかり忘れてしまっていたのです。午後出かける昼までに少し時間があったので、小雨に濡れながら支柱を倉庫から取り出し倒伏したブロッコリーを起こしながら支柱を立てて行きました。水を吸った畑の畝に竹の支柱を金槌で打ち込んでいると、見かねた親父が手伝いに出てきてくれました。

若松進一ブログ

 少しぬかるんだ中を長靴を汚しながら、40本もの竹杭を打ち込む作業をしたお陰で、少し雨に濡れましたが、何とか元通りに起こすことが出来ました。親父は倉庫から細い縄を持ち出し、両横に木の杭を打って風対策も一緒にしました。これで豆の後で吹くであろう東よりの風にも倒れなくなったようで一安心です。

 毎年のことながらブロッコリーやキャベツ、それに白菜の苗は知人友人である水口マリ子さんから育苗センターで育てた立派な苗が届きます。冬の日当たりが悪いわが家の家庭菜園では一足早く植えて丁度よい生育となるのです。ブロッコリーもキャベツも、そして白菜も近所のおばさんがびっくりするほど順調に育っていて、青虫の被害も手で一つ一つ取ったため、軽目の一回の消毒でどうにか乗り切りました。

若松進一ブログ

 人間に野菜を例えることは出来ませんが、苗の出来と植える時期は野菜作りにとって大切なことだとしみじみ思います。人間の教育も苗の時期である幼児期と同じだし、その時期にしか教えられない基本や基礎をしっかりと教えてやらねばと、ふと孫たちの顔々を思い浮かべました。そして支柱の存在も大切だと思ったのです。支柱を立てなかったらブロッコリーは倒伏したままになり、頭でっかちなため自分で起き上がることは到底不可能なのです。自立のために支柱で補助をすることもある意味人間の世界に似ているのです。早くもブロッコリーは花芽のような食べる部分が見えてきました。このまま順調に成長すると、去年と同じように丸々と太ったブロッコリーが収穫できる予定です。一緒に植えたはずのカリフラワーとブロッコリーさえ見分けがつかない幼稚な野菜作りですが、これからもせいぜい慈しんで育てたいと思っています。


  「雨の中 倒れた野菜 修復す 竹の支柱で 何とか元に」

  「雨の次 風が吹くから しっかりと 親父うるさく 縄で縛りぬ」

  「苗大事 植えるも大事 さら大事 支柱で固定 雨風勝てと」

  「ふと見れば 新芽隙間に 花芽見ゆ 間もなく美味い 野菜食べれる」



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shin-1さんの日記

○いきなり伊豆大島から懐かしいお客様

 昨日は朝から一日中雨でした。早朝から書き始めた「舞たうん」という雑誌の、エッセイ原稿が一本書き上がったので、少し余裕が出て読書に耽っていると、親父から「灯油を買ってきてくれ」と頼まれました。風呂用の灯油はこれまで地元のガソリンスタンドに電話をすれば入れてもらえたのですが、9月からそのスタンドが廃業し、上灘地区にはガソリンスタンドが一軒もなくなってしまったのです。仕方なくポリ容器を積んで10キロも離れた伊予農協まで、軽四トラックで買いに行きました。親父のポリ容器を三缶、わが家のポリ容器を三缶積んでシートを被せ出かけました。ガソリンスタンドはセルフサービスになっていて、カードと現金を入れれば簡単に給油できるのです。屋根がついているため雨に濡れることなく給油を終えました。灯油の値段は18リットル1260円、親父から預かった1万円でお釣りとレシートを、私は五千円でお釣りとレシートを別々に精算しました。

 今朝は郵便局から地元の友人に分けてもらった極早生みかんを10箱、全国の仲間に向けて送るため、送り状を持って郵便局の裏口へ行きました。先日も極早生みかん10箱栗5箱を送っており、郵便局員さんもUパックの実績が上がるとあってホクホク顔でした。その作業途中ズボンのポケットの携帯電話が鳴り、「伊豆大島の高橋千香です。今シーサイド公園にいます。出来ればお会いしたい」と言うのです。私のカンピューターが働き始めました。高橋千香さんといえば公明党の町会議員さん、確か2006年1月19日に建設して間もない人間牧羊へ案内、三宅島での講演や東京都町村議会議員研修会に同行などの記憶が蘇りました。早速車を走らせ、シーサイド公園の屋外テントの中で雨をしのぎながら、五年ぶりの懐かしい出会いとなりました。

 聞けば子どもさんが松山市にある県民文化会館で開催された音楽の全国大会に出場し、その応援に駆けつけたのだそうです。昨日は移動日で飛行機の出発時間まで少し暇があるので、取るものもとりあえず予讃線海岸周りの列車に乗って、記憶を頼りに上灘駅に到着したそうです。まだ開いていない特産品センターの事務員さんに私の携帯電話番号を教えてもらい連絡が取れたのです。

 帰りの列車は10時33分、僅か20分程度の短い時間でしたが、5年前女性3人の議員で双海町を訪ねた懐かしい思い出や、その後の議員活動、まちづくりの話をさせてもらいました。高橋さんは現在4期目の議員活動をしていますが、かなり活発に活動していて、その様子はインターネットで時々見ているし、高橋さんも私のブログを読んでくれているようで、楽しいおしゃべりを終えて、上灘駅まで送る頃には二人とも完全に5年前の記憶を共有していました。

 嬉しい出会いと別れでしたが、早速私は極早生みかんを伊豆大島の高橋さんに向けて送り、午前中の慌しさを少し雨に濡れながら終えました。それにしてもよくぞ私を思い出し、よくぞ予讃線海岸周りの列車に乗って上灘駅へ降りたものです。そして寄寓にも私と連絡がとれ、何の前触れもアポもなく私が都合よく空いていたものだと感心しました。出会いとはこういうものだと納得しながら、自分のパソコンで2006・1・19のブログを呼び出せば、その穂の様子がリアルに描かれていました。まさに記録したものしか記憶されず思い出すことは出来にくかったと、毎日コツコツ書いているブログの効用に感謝するのです。多分昨日の出来事もこうして記録することによって小さな記憶として残ることでしょう。いつかまたお会いして、昨日のハプニングを語り合いたいものです。


  「『若松さん 双海にいるの 会いたい』と 懐かし人から 連絡ありて」

  「五年前 女三人 やって来た 牧場案内 蘇らせて」

  「この議員 猪突猛進 やりますね 会いたい一心 成就し帰る」

  「パソコンで あの日のブログ 呼び出しつ 記録と記憶 ダブらせながら」 


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