shin-1さんの日記

○蕎麦の花が満開

 我が家のすぐ下の畑に今年も白い蕎麦の花が咲いて満開を迎えています。8月の下旬稲刈りをした後を中興してバラ蒔きをしたいわゆる二毛作です。最近は田圃さえ荒れる時代なのに、米の後に蕎麦を蒔くなんて余程働き者なお百姓さんだと感心して見ていますが、この方は私と同い年で、かなり広い畑のこの蕎麦を手刈りし自前で脱穀するのですから並大抵の人ではないので、付近の人は多少変わり者のような目で見ているようです。それでも同年代に生きて来た人ゆえ、また田圃を効果的に使う勤勉さは私たちも見習うべきだと思うのです。

若松進一ブログ
(今年も真っ白い花を咲かせた家の直ぐ下の蕎麦畑)

 私が3冊目を出版した自著本「夕やけ徒然草・水の書」にも蕎麦の花の話は第38話、「うどんの花が見てみたい」で紹介していますが、田圃一面に広がる蕎麦の真っ白い花は実に見事な原風景を演出してくれているのです。農林省のお役人が蕎麦の花を見て感激し、「今度はうどんの花が見てみたい」という話は、今も私の話芸話で笑い度はかなり高い話となっているのです。私にとって家の近くに咲く蕎麦の花は、今年は格別な意味を持っているのです。それは今年の春先、わが家の裏山にミツバチの巣箱を設置しているからです。

 新しく設置したミツバチの巣箱にミツバチが分蜂したのは6月下旬でした。蜂蜜は採れなかったものの、今もミツバチは来年の種蜂として働き続けているのですが、この時期になると蜜源となる花が少なくなるのです。ミツバチたちに聞いた訳でもありませんが、巣箱の近くにこれ程の蜜減があることは願ってもない話で、飛び交うミツバチたちはそばの花からも蜜を運んでいるに違いないのです。蕎麦の花の蜜が土おおな物かも分からぬまま想像していますが、冬篭りの餌にでもなればと密かに思っているのです。


 私が裏山でミツバチを飼っていることを知っている人は妻以外知りません。もし蕎麦畑のおじさんが「うちの鯖畑の花の蜜を勝手に盗むとは何事か!」と叱られたら私はどう答えるでしょう。頓智の効く私ですから即座に「俺のミツバチが受粉して蕎麦の実を実らせているんだ。蕎麦を幾らか寄こせ」と反論するかも知れません。百戦錬磨なおじさんは、「そばの実のどこにお前さん所のミツバチが受粉したと書いている」と反論するに違いないのです。はてさて知恵者のあなたはこの問いに堂答えるでしょうか?。


  「ああ綺麗 今年も咲いた 蕎麦の花 見るだけタダと 存分味わう」

  「蕎麦の花 お陰ミツバチ 活発に 冬餌あさり せっせと運ぶ」

  「蕎麦問答 これも話の ネタになる 蕎麦タネネタに 話し作ろう」

  「花を見て 新蕎麦思う 喉が鳴る つるり喉越し 早く食べたい」



 

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shin-1さんの日記

○年に一度の秋祭り

 昨日は年に一度の秋祭りで、神社や町の辻々に祭り幟がはためいて、遠くで獅子舞のリズミカルな太鼓の音が聞こえる、穏やかで温かい一日でした。私が子どもの頃や若い頃は漁家だったわが家では、鯛の活け造りなどの皿鉢料理が幾つも作られて座敷に並べられ、親類縁者が沢山集まって一日中夜遅くまで酒盛りをしたものでした。神社には露店が並び、神輿や獅子舞、村相撲などもあって、子どもは子どもなり、大人は大人なりに楽しい思いをしたものです。

 しかし、車の普及とほぼ同じくして広域交流が日常化したり、おご馳走が日常化したため、取り立てて出会う意味もおご馳走もなくなり、今ではごく身近な子や孫がやって来て楽しむ程度の秋祭りになっているようです。


 わが家へも今年の秋祭りは土曜日と都合よく重なったため、長女家族、長男家族、次男がやって来ました。孫たちの泣き笑いが一日中聞こえ、妻は料理を作ったり孫たちへの対応に大わらわでしたが、私はぎっくり腰だったこともあって、何をするでもない一日中ゴロゴロといった秋祭りの一日でした。

 祭りに欠かせないものに神輿があります。一昨年までは地元の自治会長をしていたため、宮総代も兼ねていたこともあって、神輿の運行に深く関わり、子ども神輿について歩いたりして忙しく振舞っていましたが、いまはそれもなく、時折やって来る子ども神輿がやってくる度にお祝儀を渡して家族が玄関に集まり、孫たちと一緒に手を合わせて祈りました。

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(小網の子ども神輿)
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(玄関先に据えられた子ども神輿)
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(玄関先で神輿にお祈りをする家族たち)

 結婚してからこの方、約40年が経過しましたが、秋祭りが来るとわが家では毎年決まったように、コタツを用意していましたが、今年は夏のスーパー猛暑を引きずっているのか温かく、みこしを担ぐ子どもたちも法被の下は半袖のTシャツの子もいるほどでした。

 前日の夕方漁師をしている叔父の家から電話があって、大きな柳鯛を頂に行きました。早速出刃包丁の大きいのを取り出して私が料理しました。退職して5年余りになりますが、これまで厨房に立つことのなかった私は、少々懺悔の意味もあったり、務めている妻の多少なりの手助けもあって、魚の下ごしらえは殆ど私が担当しているのです。昨日は柳鯛のアラ煮と飛び切り美味しい刺身が食卓に並びました。3歳になった孫尚樹と孫希心はお刺身が大好きで、1歳の孫奏心は煮魚が大好物とあって、秋祭りらしい澤地料理に舌鼓を打ちました。

 秋祭りが終わると秋も深まり、いよいよ冬がやって来ます。そういえば後2月余りでお正月です。月日は駆け足で過ぎて行くようで、ちょっぴりせつなさも感じる今日この頃です。


  「秋祭り 神輿も孫も やって来る 酒こそ飲まぬ 賑やか一日」

  「温かい 今日の温度は 二十三 過ごし易いが 少し気になる」

  「お祭りも 時代と共に 変わり行く ワクワクせずに 一日終わる」

  「歳とった ような会話を 息子する 昔良かった 今じゃ口癖」

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