shin-1さんの日記

○心が痛む奄美大島の大雨災害

 これ程物質文明が進んだ世の中なのに、何故か鹿児島県奄美大島の豪雨による被災状況はかなり長い時間掌握しきれず、その状況が分かるにつれて大変な災害であることがようやく分かりかけてきました。今朝の新聞にはトップ記事ならぬ5面の社会覧に「鹿児島奄美豪雨、住民2000人以上孤立か、電話7000回線寸断、使者3人に」という見出して紹介している程度なのです。国や県の災害危機管理能力はどうなっているのか、奄美大島に知人や友人がいて安否を気遣っている私としては、腹立たしい思いでいっぱいです。

 奄美地方では10月20日、1時間に130ミリを越える局地的な豪雨が降り、18日夜の降り始めから20日午前0時までの総雨量は715.5ミリで、平年の10月月降雨量の約3倍というから、まさにバケツをひっくり返したような大雨に見舞われたのです。安全なはずの高齢者施設が大雨の直撃を受け2人のお年寄りが水嵩が増した廊下のカーテンレールを持ったまま亡くなるという痛ましさに思わず胸が痛みました。

 若い頃から深いご縁をいただいている奄美大島瀬戸内町も、かなりの被害だと報道で知りましたが、知人や友人、訪ねた島や集落の思い出が頭に浮かんで、心配は募るのです。

 瀬戸内町のカケロマ島は南の島の楽園で、寅さんとリリー(浅丘ルリ子)の恋の舞台になった所です。寅さんがらみで、あるいは東シナ海に沈む美しい夕日がらみで何度か訪ね、そのご縁でわが家へも青年たちが大挙して訪ねてくれました。出産間近な娘がわが家に帰っていて、そんなことお構いなしに大酒を飲み踊り狂ったお陰で娘の出産が多少早まったエピソードも今は懐かしい思い出です。

 またそのことがご縁でシーサイド公園に送ってもらったデイ後の花の木は今も大地にしっかりと根を張って夏になると綺麗な花を咲かせてくれているのです。

 さらに嬉しいことは、わが家の庭にある私設公民館「縁会所」は、志ある若者たちによって全国に広がっていますが、奄美大島瀬戸内町には「煙会所」から分家した「第17縁開所」が設置されていて、そのこともその後どうなっているのか気になるところです。

 何はともあれ安否を確かめるために、今日にでも役場に勤めているであろう重村さんに電話をして、災害の状況や安否を確認したいと思っています。

 今朝の報道によると遅まきながら21日に災害対策本部を設置して、陸上自衛隊に災害派遣を要請したとのこと、住民の安全と一日も早い復興を祈っています。

  「あの島は あの人たちは どうだろう 災害報道 食い入り見つめ」

  「どうなって いるのだろうか この国の 危機の管理は お粗末至極」

  「これ以上 雨の降らない こと願う 遠く離れた 奄美大島」

  「住用の マングローブも 気にかかる 一度ゆっくり 訪ねてみたい」

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shin-1さんの日記

○学校から学ぶ新しい気風と気力

 小中高と12年間学校に通って3つの卒業証書をいただき、四つ目は親父ががんで倒れるというアクシデントで幻に終りましたが、その後3人の息子のお陰で松山工業高校のPTA会長として6年間、そのことが縁で小・中・高の学校評議員を今日まで、今は一年に数度ではあるが小・中・高の学校訪問を繰り返しているのです。

 そしてもう一つ、私は昭和51年から今日までの34年間の長きに渡って、日本銀行の外部組織である貯蓄推進委員会(現在は金融広報委員会)の貯蓄推進員(現在は金融広報アドバイザー)として、幼小中高の児童生徒に直接話したり、学校に関係のある人たちに子育てやPTA活動の話に行ったりしています。加えて大学の非常勤講師や客員教授として学生に授業までやっているのですから、教育委員会で教育長という教育行政まで含めると、「学校」とのかかわりは半端な数ではないのです。

若松進一ブログ

 学校は比較的変化の少ない世界です。それでも危険な社会に対応して門扉が作られたり、パソコンや電子黒板が導入されるなど、私たちが子どもの頃のような無に等しい学校とは雲泥の差があるようです。社会の変化に合わせた指導要領やカリキュラムが組まれた学校に多少の戸惑いを感じながらも今週は、二つの学校を訪問しました。前述の金融広報アドバイザーとして、研究校に指定されている松山市立新玉小学校を訪問しました。

 新玉小学校は今年創立100周年を迎えていて、5年生の授業では「新玉100周年、魅惑のスイーツを開発しよう」とうテーマの語年一組の焦点授業を見学しました。子どもたちが生き生きと学ぶ姿はに、将来の大人として大いに感心させられましたし、その後の研究協議には私や教育委員会の指導主事の先生も加わって、活発な議論が交わされました。金銭教育領域への踏み込みは今一歩でしたが、これから2年間の研究成果が期待できそうな予感がしました。

若松進一ブログ

 昨日は松山市立晃の小学校の招きで、人権・同和教育の懇談会に出かけました。私は人権や同和教育は余り得意ではないのですが、県の社会教育課からこの春の異動で河野小学校の教頭に赴任された親しくしていただいている和田先生の口添えもあって、止む無く講師を引き受けました。

 旧北条市の晃の小学校は中規模の学校で、奥田校長先生も顔見知りの先生なので、約50分PTAの皆さんの前でお話をさせてもらいました。その後短い時間ながら学年ごとの分散会が持たれ、活発に感想や意見がまとめられていました。て先日偶然にもPTAの担当の方とシーサイド公園で出会い、打ち合わせも出来て多少砕けた話をしてしまいました。和田先生から「花へんろ」という北条の銘菓までお土産に貰い、皆さんの心温まるお見送りをいただきながら帰ってきました。

 学校は「木が交わって学ぶ」と書きますが、現代の学校は鉄筋コンクリートで木の交わりは殆どありませんが、木を気に変えれば、人の持つ気力が様々に交じり合い、子どもを少しでもよい子に育てようとする気風が感じられました。これからも機会があるごとに学校を訪問し、むしろ私が学校から新しい気力や気風を学びたいと思っています。

 時間がなくて宗教心については舌足らずに終わりましたが、校長先生がものの見事に閉会の挨拶でまとめていただきました。


  「学校は 木が交わって 学ぶとこ 木こそ消えたが 気力・気風が」

  「縁ありて 学校訪問 次々と 微妙に違う 校風感じつ」

  「金銭や 人権教育 本当は 家庭の教え 今は学校」

  「人間が 人間として 生きるため 持たねばならぬ 金銭・人権」

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