○くだり(東よりの風)と夫婦喧嘩は夕方になると凪ぐ
私の住んでいる双海町にも遅い秋が来て、秋特有の東寄りの季節風吹く頃となりました。等圧線が西高東低で縦縞に混むと冬型の北西の季節風が吹くのですが、等圧線が横縞になると北東の風が吹くのです。普通の年だとお彼岸辺りから東よりの風が吹くはずなのに、今年は残暑が長引いたためか北東の風が吹く日が数えるくらいしかなく、漁師さんも首をかしげながら出漁しているようです。
昔から「夫婦喧嘩とくだり(東よりの風)は夕方になると凪ぐ」と言われているように、白波を立てて強く吹くくだりの風は、どういう訳か夕方になるとピタリと風が止むのです。しかしその風は明くる日にはまた同じようなパターンで吹いたりやんだりを続け、「くだりの吹き落ちは雨になる」という諺どおり、雨で一段落するのです。昔の人の清算や暮らしから生まれた言い伝えやことわざは、いちいち理に叶っているようで感心しながら反芻するのです。
ところで「夫婦喧嘩は犬も食わない」というし、夕方になると雪解けになるのもやはり先人の言葉通りだと、最近はめっきり減った夫婦喧嘩についても納得しています。若い頃は良く夫婦喧嘩をしました。酒を飲んで迎えに来てもらった妻と酒酔いのいたずらか些細なことから夫婦喧嘩となり、「わしは歩いて帰る」と伊予市付近で車を降り、酒に酔った体で3時間も歩き続け、すっかり酔いが冷めへとへとになり、高野川まで心配して迎えに来た妻の車で自宅へ帰ったり、ビールが冷蔵庫に冷えてないと言って醤油差しを投げつけて困らせたり、今考えると汗顔赤面で、ものも言えない失態を繰り返しているのです。
最近は歳をとったせいか、あるいは修行が出来て人間が丸くなったのか、気がついてみると夫婦喧嘩がすっかり影を潜めてしまっているのです。多分亭主関白な私に利口な妻が合わせてくれているからなのでしょうが、何かにつけて腹が立たなくなったことは事実だし、今日までがむしゃらに働いてくれた妻への感謝がそうするのかも知れません。
夫婦喧嘩の最大の原因であった子どもに関することが、子どもが独立したこともあって殆どなくなったことも大きな要因です。しかし一方で高齢になった親父の介護など家の中には新たな問題も生まれてきつつあります。また他人事でなく私たち夫婦の健康や将来のことを思うと、夫婦喧嘩どころか夫婦が寄り添って知恵と力を出さなければ老後の幸せはおぼつかないことに、うすうす気がついたからかもしれません。
私の生活設計では後20年しか生きない計算ですから、見合い結婚ながら深い縁で結ばれた夫婦なので、お互いいたわりあい助け合いながら生きてゆきたいと思うのです。さりとて夫婦喧嘩は家庭の活性化には欠かせないものなので、夕方になると止む程度に少しだけ、妻に喧嘩を吹っかけて見たいと思い、今朝少し試みてみましたが、妻は私の言動など相手にもせず、さっさと仕事に出かけて行きました。
「そういえば 夫婦喧嘩も めっきりと 減って優しい 夫となりぬ」
「覚えてる 妻のセリフに 頭かく 若気の至り 思い出しても」
「時々は 夫婦喧嘩も 必要と 喧嘩を売るが 相手にされず」
「夕方に なれば喧嘩も 収まりて 四十年余の 時を刻みぬ」