shin-1さんの日記

○人間牧場での芋掘り体験①

 今朝は午前7時に家を出て、人間牧場へ7時20分頃に着きました。早速水平線の家の鍵を開けて中に入り、海沿いのガラス戸を全て開けて秋晴れの澄み切った清々しい空気を入れました。そしてやがて登って来るであろう子どもたちのために、ふかし芋を作ろうとかまどに火を入れ、大河内さんからいただいた木製の丸い蒸篭に、前日持参しておいた洗った芋を、両袖を包丁で切りながら並べて行きました。この芋はイノシシの被害に会った時に転ばぬ先の杖としてわが家の菜園に植えていたものを、公民館の赤石主事さんと堀り、赤石さんが宮栄館長さんの指導で芋ごり洗いをしたもので、昨日石を拾うついでに牧場まで運んでおいたものなのです。

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(ススキの穂もすっかり出揃いました)

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(今日はかまどもフル操業でした)

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(かまど小屋のかまどで蒸篭で蒸かした美味しそうな紅いも)

 芋はどちらかというと小ぶりでしたが、50人の人がつまみ食いするための量を蒸かさなければならないので、二つの蒸篭いっぱいに詰め込みました。やがてはがまのお湯も沸き蒸篭の芋は順調に蒸かして行きました。

 そのうち宮栄館長が準備物の荷物を積んで到着、相次いで調理を担当する女性群がやって来て、今日のメニューである、芋の天ぷら、芋餅、芋をトッピングした蒸かし饅頭を作る準備を始めました。それぞれは手馴れたものであっという間に下準備ができました。

 そのうち下灘コミセンから約2キロの山道を約40分かけて歩いてやって来る子どもたちの話し声が聞こえ、予定通り9時30分に35人の子どもたちがリーダーに引率されて到着しました。今年は池久保地蔵尊の言い伝えに基づいて浜の石を一個ずつ持っての登山なので、少々疲れたという子どもたちもいたようですが、昨日赤石主事さんと用意した50個の石は全て揚げられました。

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(青空の下元気に人間牧場へ登って来た子どもたち)

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(美味しそうに蒸かし芋を食べる子どもたち)

 開会式では私が沖合いに浮かぶ愛媛県・山口県・広島県の島々の話や、石一個運動に協力してくれた石のことについて話してやりました。人間牧場の直ぐ上の池久保公民館付近いは手繰りの石で作った石垣が今も現存しています。その昔肥後のお殿様が参勤交代の折この沖合いで時化に合い、助けて下さいと神仏に祈ったところ、この付近から雷鳴とどろいて時化が収まり参勤交代の役目を無事果たした帰り道、願ほどきのお礼にと海岸の石を地元の人の協力を得て手繰りで運んだというのです。自らの力で石を一個運んだ直後だけにこの話はインパクトがあって、子どもたちは皆熱心に私の話しに耳を傾けてくれました、

 早速私が作った熱々の蒸かし芋を、ウッドデッキで食べました。一人一個の予定でしたが、余りの美味しさに二個三個と欲しがる子どもたちもいて、いい雰囲気でスタートしました。この日私は芋掘り指導をする予定でしたが、かまど守がいないこともあって急遽調理方に回ることになりました。かまどの火はずっと休むことなく燃え続け、急遽不足分を補うために松本さんは下山して実家の蒸し器蒸篭を持って来て加勢するなど、賑やかなかまど小屋周辺でした。

  「朝早く 牧場登り 支度して かまど火入れし 蒸かし芋蒸す」

  「石一個 持って山道 テクテクと 汗をかきつつ 秋を満喫」

  「蒸かし芋 いきなり出され 子どもたち もう一つ頂戴 お変わりねだる」

  「空青く ススキ色づき 芋匂う 子ども歓声 山にこだます」

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○ハガキの達人

 「若松さん、一日に3枚はがきをかたらしあわせになれるよ」と、「ハガキは嬉しい活力素」という半田正興さんの著した一冊の本をくれたのは、広島県旧新市町(現福山市)に住む平井悦夫さんでした。平井さんとは地域づくりの研修会で知り合い講演に招かれたり、私が代表を務めているしている21世紀えひめニューフロンティアグループが主催していたフロンティア塾の講師として招いたり、かつてはかなり頻繁に交流をしていました。

 その後交流は途絶えているように見えますが、福山で開かれた講演会に顔を覗かせてくれたりしていますが、彼こそ「ハガキの達人なのです。年に何度か私の元へ彼からハガキが来ますが、まあそれはハガキの達人らしく、裏も表も隙間は殆どなく、まるでやくざの背中の刺青か、仏教の曼荼羅のように文字が書かれているのです。現在ハガキは50円ですが、これが高いと思うか安いと思うかは使い方次第で、これ程文字を書くと「50円は安い」と感心したりしながら受け取るのです。

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 「ときめ木堂の悦びタイムス」と題したハガキ通信が私の手元に届くようになったのは、いつごろか定かではありませんが、このハガキ通信も既に198号を記録していて、私は密かに200号の到着を心待ちにしているのです。仮に一ヶ月に1号だと、一年で12号ですから十年で120号だと単純計算すると二十年で240号、二十五年で200号という計算が成り立つのです。これは凄い数字で、私もハガキを毎日3枚書いていますが、ランダムに辺りかまわず出している私に比べ、ハガキ通信にこだわっている平井悦夫さんの努力にただただ敬服をするのです。平井さんは地方公務員でありながらハガキに書かれているように、様々な旅をしたり様々な体験をしています。まあ自由時間の使い方についてはこれまた達人だし、そのことによって出会った異業種の友人・知人は数知れず、これまた仲間作りの達人かも知れないのです。


 私も平井さんを真似て、かつて毎日1枚、一年365日全てをはがき通信したことがあります。目標を達成したので辞めましたが、その通信記録は机の隅に置いている使われなくなった古いワープロとフロッピーが記憶しているはずなので、いつか暇になったら日の目を見せたいと思っています。

 平井さんの200号寸前には叶わない年数ですが、私の一年365日365号のハガキ通信も、劣らないいいアイデアだったし、オンリーワンの記録として遺したいと思っているのです。

 人はあれもしたいこれもしたい、あんな人になりたいなどと様々な夢を見ます。しかしいつの間にかその夢は見果てぬ夢と諦めたり消えたりしますが、ハガキ一枚でも毎日、毎月続けるる小さな努力は、続ければ平井さんのように大きな成果となるのです。「平凡なことも続ければ非凡になる」とはけだし名言です。

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