shin-1さんの日記

○トイレが綺麗なパチンコ屋事情

 今日は日本銀行の会議室で金融広報アドバイザーの研修会が予定より1時間も早く終わったため、久しぶりに大街道にある明屋書店へ立ち寄り、何冊かの本を読書の秋に相応しく立ち読みしました。そして2冊で2千円余りの投資をして本を買い求めました。最近は年齢のせいなのか昔のような読書意欲が湧かず、折角買った本も書斎の隅に積ん読状態になっているのです。

 本屋を出ると急に小用をもよおしたので、大変失礼な話ですが仕方なく近くのパチンコ屋さんのトイレに入りました。そういえばパチンコ屋へはこの10年一度も入ったことがないなあと思いつつ、タダでトイレをお借りしました。昔のパチンコ屋さんのトイレは小便器にタバコの吸殻やガムが落ちていて、汚いものの代名詞のようでしたが、今パチンコ屋さんのトイレは掃除が行き届いていてピカピカで、便器はウォッシュレットと、まあ至れり尽くせりなのです。

 小用を済ませ店内へ入ると、店員さんが「いらっしゃいませ」と愛想のいい声を笑顔で掛けてくれました。「私はトイレを借りただけ」と言いたくても言えず、さもパチンコをしに入ったような顔をしてそこら辺を何気なく歩きました。店内は相変わらず音楽と間珍この音が賑やかに聞こえ、平日の昼過ぎというのにパチンコ台の前にはほぼ満員の状態でパチンコに熱中していました。中には自分の横に何ケースもの箱を積み重ねて、大当たりしている人もいましたが、殆どの人は渋い顔をして残り少ないタマの行方芽と顔の表情で追いかけ、財布から取り出した1000円札を何枚も入れて憮然とした態度を顔に表していました。


 ふと店内を見渡すと、男性の客に混じってかなり多くの女性が一心不乱にパチンコをしているのです。昔はパチンコや飲み屋といえば男性の代名詞のように思われ、女人は禁制のようでした。ところが聞くところに寄れば最近はレディー専用のコーナーまで用意され、かなりの女性がパチンコ店通いをしているというのです。前々からその話は聞いていましたが、実際に目の当たりにして少しショックを受けました。

 年齢を聞いた訳ではありませんが、見るからに30歳前後の女性と思しき女性が真昼間に堂々とパチンコをしている姿に首をひねりながらパチンコ店を出たのです。最近若い女性がパチンコにのめり込み、消費者金融でお金を借りて首が回らなくなり、離婚したという話を何件か聞きました。パチンコは競輪や競馬、ボートのように大きな掛け金が動く遊びではありませんが、毎日やっているといつの間にか負けが込んで、知らず知らずのうちに借金地獄のぬかるみに入り込んで抜き差しならなくなる、パチンコ依存症という一種の病気になるのです。

 他人事とは言いながら、また小用のついでと言いながら、いい社会勉強をさせてもらいましたが、あの人たちの顔が今も頭から離れないのです。


  「小用を 足しにパチンコ 店に入る 綺麗なトイレ タダで使って」

  「雑音と タバコの煙 立ち込める ここは例外 治外法権」

  「パチンコは 男遊びと 思ってた レディ多くて お目々白黒」

  「せちがらい 世の中なのに 遊ぶ金 よくぞ工面と 感心しきり」

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shin-1さんの日記

○自然の色は美しい
若松進一ブログ

 この色を見て何の色だと想像するでしょう。うっすらと筋が入っているのが見えるため、あるいは「何かの葉っぱでは?」と思うかも知れません。正解で実は正岡子規が「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだ、これからが旬の「柿の木の葉っぱ」なのです。昨日私の散歩コースである裏山の急な坂を登る最中、足元に落ちているのを見つけました。自然とはいいながら余りの見事さに目を奪われ、そこら辺を探すと何枚も落ちていて、既に朽ち果てようとしているものもありましたが、2~3枚拾って持ち帰り妻に見せました。妻も私に同調して手に取り、「まあ綺麗、絵に書いたよう」と感心し、「料理の盛り付けに使ったらどうかしら」と提案がありました。

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 少し芸術家になったような感覚で、思いを込めて同じ葉っぱを少し遠くから周りをぼかして写真に撮ると、ほらこのように葉っぱだと分かるのです。もしも私が画家ならこの葉っぱを水彩日本画に描くのに、もし私が漆芸家ならお盆のデザインにするのにとしみじみ思いました。それにしても自然の営みは何て不思議で、何て繊細で美しい色を出すのでしょう。じっと色づいた葉っぱを見ていると、飛鳥人の秘宝が眠る正倉院さえも思い出すのです。


若松進一ブログ
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 同じ葉っぱでも、ストロボを焚かず自然の光だけで写真に撮るとこのような色になります。また読書の秋を表現するため愛読書「人間学のすすめ」の上に置くと、ちょっとした主張が、また立体的な光と影を写すと器、遊び心でブドウを盛ると食欲の秋も連想できます。残念ながら私の表現はここまででした。でも素人ながらこの写真、雑誌のグラビアに使いたい気もするのです。うーん芸術の秋か、俺には無関係かな?。


  「一枚の 柿の葉拾い 持ち帰る 手っ取り早く 写真表現」

  「この色を 何かに生かす 手はないか 頭の中に 霧が立ち込め」

  「絵に描こう 色鉛筆を 持ち出して アタックするも 同じ色など」

  「自然には 理解の出来ぬ ことばかり ここから始まる 科学の一歩」  


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