○66回目の誕生日
高齢になると、何だか誕生日が来るのが憂鬱になるそうです。「ああまた一つ歳をとってしまうのか」と、殆どの人が思うそうなのですが、若い頃はこんな話を聞いても「俺はそんなことを思わないだろう」と思っていました。しかし自分が実際にその歳になると、加齢の重みはまるでボディーブローのようにずっしり心に響くのです。比較的ポジティブに生きる私がそうなのですから、ネガティブな人や女性は思わず自分の顔を鏡に写し、そう思うだろうなあと推察するのです。
わが家は親父が9月1日に92歳、妻が9月12日に65歳、私が今日66歳と、この一ヶ月で3人が1歳ずつ歳をとって高齢化社会真っ只中です。ゆえに親父のこれから、妻のこれから、勿論66歳になった私の将来をどう見据えるか、いよいよ正念場となってきました。
昨日私の元に2通のハガキが届きました。一通は元県議会議長を務めた俊成薫さんからです。俊成さんとは若い頃ひょんなことから知り合い、もう20年間も切らすことなく私の誕生日に達筆なお便りが毎年届くのです。俊成さんには私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの活動として行っていた「無人島に挑む少年のつどい」で子どもが事故に巻き込まれた時、海上保安協会の会長として尽力して助けていただいた恩があるのです。その後双美町でウォークラリーをやった折も沢山の人を送り込んでいただきました。今は政界を引退しておられますが、日中友好奉賛会会長や県木材協会長などをして幅広くご活躍をされているようです。
もう一枚素敵なハガキが届きました。ハガキの友だちである高知県大月町に住む高校事務職員の掘充恵さんからです。女性らしい手づくりのハガキにはバーズデーケーキと花束をあしらったカットが添えられ、嬉しい祝詞となりました。高知新聞の記事を引用して、「田んぼの肥やしは人の足音」という格言を送っていただきました。
人にはそれぞれ誕生日があって、誰しも同じように一年に一回その日を迎えるのです。私も早66回目の誕生日を迎えました。掘充恵さんが書いている通り「素敵な一年の始まりになりますように」と思えば、今日は66回目の一年の始まりなのです。また俊成薫さんが書いているように産み育ててくれた父母への感謝に合掌し、健康と多幸を祈る日と考えれば、まさに今日は一年の中で最も大切な一日だと思わなければならないのです。
今朝妻が、「あなた誕生日おめでとう」と言葉をかけてくれました。歯の浮くような言葉ですが最も身近な人からの祝福を「ありがとう」と甘んじて受けました。娘や息子がプレゼントをくれたし、長男の嫁は何処で捜し求めたのか、「進一」「繁子」と名前入りの夫婦箸をプレゼントしてくれました。少しボケてきて自分の箸が分からなくなっても、この箸なら迷い箸にならないと大笑いをして貰いました。
ここまで書いていると、携帯電話のメール受信音が急に鳴り出しました。メル友の青木晴美さんからです。「66回目の誕生日おめでとうございます。また一年若松さんらしく、元気に過ごして下さい」とのメールでした。ありがとう皆さん。
「重ねたり 六十六度の 誕生日 目出度くもあり 目出度くもなし」
「世の中に 私気遣う 人がいる 嬉しいことと 素直喜ぶ」
「一枚の ハガキ嬉しや 誕生日 今日は朝から そわそわしきり」
「ボケてから 使えるようにと 名前入り 箸を贈られ 思わずウフフ」