〇息子の転勤②
無量寺の枝垂れ桜を見学したため、息子の官舎に着いたのは9時半を回っていました。息子がこの官舎に移ったのは2年前のようです。私たちは忙しい仕事の合間を縫って一度は訪ねてやりたいと思っていましたが日程が合わず、今治へは再三再四来ているにもかかわらず、官舎訪問は今回が初めてなのです。鉄筋コンクリート4階建ての官舎はエレベータもないので、住んでいる3階から荷物を運び出すのは容易なことではないと思っていました。部屋は男一人で住んでいるゆえ乱雑と思いきや、異動が内示されてから少し時間が経っていたのでかなり片付けられていました。
玄関に車を止めて、まず一番大きな荷物であるベッドを外し下ろしました。そして順次重い冷蔵庫や洗濯機などを運ぼうとしていたら、腕力と体力に自信のある警察の同僚たちが応援に駆けつけいとも簡単に下の車まで運んでくれました。私はその荷物を順序良くトラックの荷台に整理をしながら積み込み、息子の乗用車と息子の友人のジープタイプ乗用車にも積み込み、11時過ぎに出発できるようにこぎ着けました。
掃除のため官舎に妻を残してしまなみ海道を異動先の伯方まで走りました。満車状態の後ろに積んだ荷物を気にしながら、時速70キロ程度で走りましたが、既に高速道路は日曜日とあって交通量が増え、時々路側帯に車を停車させて後続車に迷惑のかからないよう走りました。
伯方のインターで下車しオアシス伯方という道の駅で合流し官舎のある木浦まで一般道を走りました。官舎は警察署をやり過ごした少し奥まったところにありました。部屋はまだ空いていないようで、とりあえず倉庫に荷物を入れましたが、これを一人で部屋に入れ、片付けることは大変だと思いましたが、仕方のないことだと割り切ってもと来た道を引き返しました。多分新任地では3年間は異動しないだろうと思われるので、息子の仕事を陰ながら支えてやりたいと思いました。
官舎へ帰ってみると妻は既に明け渡す部屋の拭き掃除を終え、ゴミを外に出して一服していました。その荷物を車に積み込み全ての作業を終え、ドコモで携帯電話の機種交換をして玉川のそば屋で引越しそばを食べました。遅い昼食だったため腹ペコで、美味しくいただきながら息子の話を聞き、分かれて帰途に着きました。
異動とはほとほと疲れるものです。独り身の身軽な異動ながらそれでもあれだけの荷物を運ばなければならないのです。警察という仕事の特異性ゆえ仕事の話など一切話せないこともあって、妻の息子を思う気持ちは痛いほど分かるのですが、お互いそのジレンマにこれからも悩むものと思われます。まあ5年前この仕事を好きで選んだ訳ですから、そこはお互い越えないとこの仕事は勤まらないのです。
ある部分すっかり逞しくなった息子と、時折見せる苦悩を垣間見ながら、願わくば早く良き伴侶をと願っているのです。どこかにいい人いませんかねえ。
「逞しく なったと思う 息子見て 少し安堵の 胸撫で下ろす」
「異動とは こんなに疲れる ものなのか 当の本人 もっと心労」
「ありがとう 言葉残して 去る息子 社会荒波 もろに被りて」
「私など 上下左右 ささやかな 異動だったと 昔述懐」