〇黄砂の降るあいにくの天気の中を
昨日の朝起きて外を見ると、乳白色のもやのようなものがかかって、何やらいつもの様子と随分違っていました。外に出て見ると視界は完全に落ちて、いつもだと鉄橋の向うに見える上灘漁港の赤い灯台の明かりも目を凝らさないと見えないほどでした。
この日は香川県で行われる四国の学生たちの集まりに講演を頼まれているのを利用して、妻と妻の友人たち3人も同乗するとあって、自家用車を綺麗に水洗いして車庫に入れて置いたのに、シャッターを下ろすのを忘れていたため、強い南風に乗った黄砂が車の至る所に降り注ぎ、わやになって私を落胆させました。急いで車を車庫から出して水をかけて洗いましたが、黄砂はその後も降り注いで返って見苦しくなってしまいました。
やがて山の端から朝日が昇りましたが、下の写真のように太陽も乳白色の黄砂にさえぎられて、まるでおぼろ月夜のような感じに見えました。
私もこれまで65年間生きてきましたが、これほど酷い黄砂現象は始めてて、黄砂を伴った低気圧や前線の影響で北日本や東日本では飛行機の欠航、列車の運転見合わせが相次ぎ、せっかくの3連休に水を指す格好となったようです。
しかし四国の天気は徐々に回復し、私たち一行は私の車に乗って香川県へ向けて出発しました。高速道路を順調に走り1時間30分ほどで善通寺インター下り、最初の目的地金比羅さんにお参りしました。ご存知金比羅さんは785段もの石段のある難所です。中年の女性たちにとっては少々難儀なお参りでしたが、何とか本田までたどり着き、お参りを済ませました。
ノロノロした階段登りで時間を食ってしまい、私の講演予定の時間が迫ったので、予定していた岸という名代うどん屋へ立ち寄って昼食をする暇がなく、結局は善通寺から再び坂出北まで再び高速に乗り、有料道路を経て五色台にある青少年研修センターまで一目散、やっとのことで間に合いましたが、残念ながら昼ご飯を食いっぱくれる羽目となりました。
個々で妻たちと別れましたが、妻たち一行は妻の運転する車で天下の名勝屋島まで行き、観光を楽しんだようです。その間午後4時まで私は青年の分科会や全体会に出席し熱弁をふるいました。迷いながらも妻たちは楽しい思い出話を大笑いしながら青少年研修センターまで迎えに来てもらって合流し、一路岐路の途に付きました。私たちの反対車線上りは新居浜付近から長蛇の列が連なっていました。今朝の新聞では高速道路の高架橋から人が落ちて3時間にわたって通行止めがあったらしく、その列を尻目に伊予まで帰り、みんなで思い出話をしながらそば吉で夕食を食べ、戻ってきました。
「一匹の 野獣と美女の? 珍道中 785段を フーフー言いつつ」
「講演に 出かける機会 生かそうと 四人の美女が お供となりて」
「年上の 私が一番 先歩く のろまメス豚 口だけ軽く」
「はいチーズ 顔はまあまあ 尻と腹 写真は?を つかずに写す」