shin-1さんの日記

〇同質と異質を兼ね備えた人

 私には同質と異質なまったく異なった友人が何人もいます。同質は同じ志や考えを持った人で、ある意味心の通う人なのです。普通人間は気が休まるものですからこうした人を求めたがるものですが、余り同じ考えを持った人とだけ付き合うと、自分の成長が止まってしまうのです。逆に異質の人は何事においても対立し、精神的に不安定になるので敬遠しがちですが、対立軸の中に自分のないものを発見したり学んだりする影響は、計り知れない自分の成長を促してくれるのです。

 私の友人には同質と異質を併せ持った優れ者もいるので随分助かっています。年輪塾の塾頭をしている清水さんもその一人で、年輪塾を興してからはその運営もあって時々同調し時々対立しますが、また私にないものを持っているため学ぶことが多く、塾長と塾頭という上下の関係はいつも逆転現象を起こしているのです。

若松進一ブログ

 音楽やパソコン、気象学、それに宮沢賢治への畏敬など、どれをとっても私は彼に遠く及ばないばかりか年齢的にも若く、強いてあげれば私が年齢的に上だということだけが取り柄なのです。

 先日私は自分のブログに、農協会館の前にある石碑文を何気なく写真に収めて載せました。すると彼はすかさず直ぐにメールをくれました。

 「一人は万人のため 万人は一人のため」という碑文は共同組合の提唱者ロバート・オーエンの言葉だそうです。そしてその下に書いている英文は「One for all all for Each」は相互扶助を意味するらしく、古代ゲルマン人の昔からの言い伝えで、航海する人たちの助け合いに由来するという説もあるそうです。フランスの作家アレキサンドル・デュマの「三銃士」には騎士たちの友情をあらわすモットーで登場、英国で始まったラグビーの精神もこの言葉でいまだに引き継がれ、ヨーロッパではかなり前から広く使われているようです。

 18世紀末から産業革命が進行して資本主義社会の矛盾が現れてきて、協同組合運動の創始者オーエンの言葉として、ドイツ農協運動の父とされるライファイゼンが信用組合論に使ったのが初めとされています。

 ちなみに農協(JA)は農村が大恐慌のあおりを受け、どん底生活にあった明治33年、一人ひとりでは弱い立場にあった農家が手を結び、助け合い精神の産業組合として誕生しました。その流れを受け継ぎ昭和22年に定められた農業協同組合法に基づき各地の設立されました。


 知らないことを知っている人に教わる驚きは計り知れないものがあります。今回も清水さんのお陰で「一人は万人のため 万人は一人のため」という言葉の意味を知ることが出来ました。多分あまた数ある農協職員に農協会館の前にある記念碑について訪ねても、「えっ、そんな記念碑ありました?」とか、「詳しいことは分かりません」で終わるのでしょうが、さすが筋金入りの農協マンです。少し褒め過ぎかも知れませんが、まあいい友人を持ったと喜んでいます。


  「分からない 教えて欲しい ブログ書く すかさず返事 メール詳しく」

  「いい言葉 出処分かりで 一安心 これで一歩前 明るくなりて」

  「農協も 時代の流れ 飲み込まれ 基本忘れて 右往左往す」

  「もう一度 万人のため どうするか 真剣議論 すべき思うが」


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shin-1さんの日記

〇孫朋樹と菜の花ウォークを楽しみました②

 孫朋樹は小学校一年生で、間もなく4月にはよほどのことがない限り落第もせず2年生に進級します。歩いて見て分かるのですが、一年一年体力の衰えを実感する私に比べ、まるで雨後の筍のように毎日毎日成長しているため、歩く速度が早いのです。さすがに10キロの持久足となると最後ころには私の足が勝るのですが、多分来年当たりは私など非ではないほどに成長することでしょう。

 一昨日は歩き始めて3キロほどの閏住を越えた所で小雨が降り出しました。北東の風が強く北東方面の海上を見ると次々と雨雲がやって来て、中島や松山方面は雨が降っているように見えました。リュックサックに雨具を入れていましたが、どうしようか迷いました。またひょっとして本降りになったら携帯電話で妻に助け舟を出すかもしれないと言っていたので判断を迷いましたが、まあ歩ける所まで歩こうと少し早足で歩きました。繋いだ孫の手は少し悴んでいるようにも見えました。

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(孫は遊び心旺盛で、道端の浜ウドの葉っぱを取ってやると、それを傘代わりにして大はしゃぎでした)

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(私もヤツデの葉っぱを取って傘の代わりにして歩きました)

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(孫朋樹はこれをお面にして悪ふざけをして遊びながら歩きましたが、雨も小康状態でどうにか唐崎の石畳道まで歩きました。

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(私が勝手に「金子みすずのいわしの大漁」と名付けているモニュメントは、いわしの数を数えてクイズを出されました。25匹のようでした)
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(やっとたどり着いた亀の森の休憩所で一服し、お菓子を食べながらお茶を飲みました)

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(ひょうたんナマズのモニュメントの上に乗ってご満悦でした)
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(石畳の道には双海町で獲れる魚の絵が沢山描かれ埋め込まれていました)
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(私たちが10数年前に植えた杏の花が見事に咲いていました)

 多少遊び感覚で歩いた10キロ近くのウォークも所要時間1時間40分で見事完歩ゴールです。寒さと小雨の中でしたが、何事もなく無事歩ききりました。朋樹は早速お約束の肉まんの熱々を買ってほおばっていました。また馴染みのじゃこ天のおばちゃんたちにたこ焼きを貰いご満悦でした。妻に電話おかけて迎えに来てもらい、充実した一日となりました。私は引き返してウォークイベントの手伝いを少しだけしました。

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(ゴールのシーサイド公園でVサインです)

  「完歩して 二人ゴールの テープなし 褒美肉まん 孫は笑顔で」

  「来年は 二十キロだと 言ってるが 鬼が笑うと 半信半疑」

  「久方に 顔見たおばさん 目を細め 大きくなった 孫を称える」

  「心地よい 疲れのウォーク したためか その夜ぐっすり 十時間寝る」

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