shin-1さんの日記

〇今年度最後の日に思う

 日本は不思議な国で、旧暦と新暦が混在し、新暦中心の暮らしをしているのに、どちらかというと暮らしの知恵は旧暦を使うのです。種蒔きなどの農作業には昔から言い伝えがあって、年寄りなどはむしろその言い伝えを忠実に守って野良仕事をしているのです。「八重桜が咲けば遅霜に会わない」などという言葉を聞く度に納得して作業を始めるのです。

 ところがつい最近、旧暦や言い伝えさえも当てにならない異常気象が頻繁に起り、農家はかなり苦しめられているようです。東北では春が来たと芽吹き始めたアスパラガスが、突然の春先の積雪によって冬が来たと勘違いしたアスパラは休眠状態となって成長を止めてしまったというのです。例年日本人が大移動をするゴールデンウィークの頃に出荷する予定だったアスパラガスは再びの眠りから覚めて芽を出しても、間に合わないと農家の方々をがっかりさせています。

 柿の産地和歌山県では南風が吹いて春が来たと思って芽吹いた芽がその後の寒波で枯れてしまい、このままだと収穫ゼロも予想されると嘆いているし、温度管理して作っているはずのハウストマトだってこのところの寒さで揺るだけの加温が真昼にも加温しなければならず、加えて日照不足で玉太りが悪いと嘆いているようです。農林関係の調査によると、そすした異常気象の影響を受けている都道府県は日本の半分にも及んでいるというから、農家の悩みは深刻です。今後の野菜の価格変化を注意深く見守らなければなりません。

 さて日本にはもう一つ会計年度と教育年度というのがあります。これは4月1日に始まり、翌年3月31日をもって終わりになる制度です。会計も税金も全てこの年度が採用されているため、年度末には確定申告、年度初めには税の確定、そして税の取立てと、息つく暇もなく貰う金は少ないのに税金だけは容赦なく取り立てられるのです。税金を払えるのだからまだ結構と幾分諦めてはいますが、年金生活者になってみて初めて「税金は高い」ことがしみじみ分かるのです。

 教育年度も会計年度と一緒です。学校は一年の一区切りを終えて殆どの人が進級します。最近は就職難で卒業しても内定がもらえない人の中には留年という道を選ぶ人もいるようです。私の子どもが大学に進学した折、親子の約束として「大学は4年で卒業すること」などといっていた言葉も今は変えざるを得ない就職の現状を思うと、本人は勿論のこと親の悩みも深いのです。

 昨日上灘中学校の浅野校長先生が異動離任の挨拶にわざわざ自宅までお見えになりました。学校評議員をしていたこともあって校長先生とは色々なご厚誼をいただきました。菅外から異動で来られこの2年間、下灘中学校と統合するという節目の年にめぐり合って翻弄され、心労はピークに達したのではないかと思われますが、異動先は鬼北町泉小学校だそうです。休む間もなく新しい任地で学校経営をしなければならない教育年度のことを思うと、どうかご無事でいい仕事をして欲しいと祈るばかりです。

 異動しなかった人も移動した人も、特に行政職員や学校職員はしっかりと自分自身の生き様を総括して、子どもたちが進級したのを見習って、ワンランクアップして欲しいと思うのです。人は何かの区切りがないと総括しないし成長の確認も出来ません。一日、一ヶ月、一年などなど、区切りはあっても、異動から異動まで何の総括も進級もせずに過ごすような愚かな仕事だけはして欲しくないのです。かくいう私も今日で終わる年度を総括して、リタイア後6年目を迎えるに当たり、目標を立ててまた心新たに生きたいと今朝を迎えて思いました。


  「新暦や 旧暦年度 使い分け 日々の暮らしを 組み立て生きる」

  「子どもさえ 進級するから 俺たちも 進級目指し 励まなければ」

  「明日から リタイア六年 事始め 五年総括 新た目標」

  「メリハリの 効いた五年を 生きてきた これから先も 健やか生きる」


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shin-1さんの日記

〇名残の椿

若松進一ブログ

 春が来て、桜に人々の目や心は奪われているようですが、海沿いに面した暖地の四国愛媛県双海町では、そこここに椿の花が咲いて、人知れず名残の花を咲かせたり散らしているのです。風情を楽しみたい私としては野山にひっそりと咲くやぶ椿の赤い花が何とも愛しいのです。

 最近は椿愛好者も結構増えて、品種改良や輸入品種も増え、春先には展示会などを行われているようですが、艶やかな西洋椿もさることながら、やぶ椿も単調さゆえに大好きな品種なのです。厚手の濃い緑の葉っぱの上に対照的に配置された赤い色、そして黄色い雌しべは何ともいえない美しさなので、可愛そうだとは思いましたが一輪折って持ち帰り、備前焼の一輪挿しに挿して机の上に置きました。

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 ふと去年の夏から秋にかけてかまどを造った時のことを思い出しました。老練な本田さんという左官さんお願いしてかまどを2基造ってもらいましたが、その折かまどに塗ったべんがら色を際出させるため本田さんは、人間牧場の椿の葉っぱを細かく砕いて布に包み、かまどを磨き始めたのです。椿にはつばき油というのがあるくらい植物油が豊富です。花が終わると私たちが子どもの頃、「かたちもも」と呼んでいたボール状の実を幾つもつけるのです。それらは全て見向きもされることなく地上に落下して砕け、中の実は鳥たちに運ばれてあちこちで芽吹くのです。

 これまでまちづくりで特産品づくりを手がけてきた私としては、このい未利用資源を何とかできないかいつも考えていました。椿油は伊豆大島、「あんこ椿は恋の花」などで知られていますが、この油の活用と利用方法を考えたら面白いと、椿の花を愛でながら思いました。

 早速今年の夏には「かたちもも」を野山に分け入って拾い集めて油を絞ることを考えてみたいと思っています。この油がもし食用になるようなら最高なのでしょうが、油は化粧品や磨き油としても利用できるはずなのです。せっかく本田さんという左官さんがヒントをくれたのですから考えてみたいものです。

 子どもの頃はこの花をポロリともぎ取って、花茎の穴から花蜜を吸って遊びました。まるで蝶やミツバチのように甘い蜜を吸った経験は、食べ物に不自由した戦後間もない少年時代の思い出として今も忘れることが出来ないのです。

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(今も庭の隅に咲く西洋椿の艶やかな花々)
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  「人知れず 野山に咲きし やぶ椿 見る人もなく やがて散りゆく」

  「濃い緑 葉っぱがゆえに 赤い花 見事に咲いて 目心奪う」

  「かたちもも 何かの役に 立たないか 今年の夏は 挑戦したい」

  「やぶ椿 去年今年も 来年も 見る人なくも 咲いて散り落ち」

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〇水ぬるむ頃

 自然界に生きてるものは人も動物も植物も全てが、特に四季の国日本では気温の変動によって生かされて生きています。粉雪が北風に舞うあれほど寒かった冬が終わり、寒いといっても朝の気温が5度以上、昼の気温は10度を超えるこの頃になると、木々は一斉に芽吹き始め、日本の代名詞といわれる桜も、もう4~5日で満開の春を迎えるのです。

 昨日今日双海町の海岸線を通って見ましたが、木々によって差異はあるものの美しい桜の花がいっぱい咲いて、「ああ春だなあ」と思わず見とれてしまいました。

 学校も待ちに待った春休みで、子どもたちの歓声も何処となく進級の喜びに満ち溢れているようです。今日は人間牧場へ草刈に出かけました。弁当も用意せずどうせ午前中で終えようと思って出かけたのに、草刈りと倉庫の掃除に手間がかかり、結局自宅へ帰ったのは午後4時頃でした。

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 この頃になるとつわぶきやワラビなど山菜採りを楽しむ人に良く出会います。また水が幾分ぬるんだため海岸では、ワカメやひじきを採る人で賑わっていました。ところで皆さんは山菜採りも海草採りも厳密にいうと泥簿であることをご存知でしょうか。山は地主のもの、海は漁業者のものだからです。「えっ本当」といわれそうですが、山菜の王様といわれるワラビもゼンマイもウドもフキも全て映えている土地の所有者のものなのです。

 私も一昨年人間牧場でちょっとしたハプニングがありました。人間牧場の畑にはフキが沢山生えています。元々植えたものが次第に広がったのですが、これを自然の恵みと勘違いして、私に相談もなく収穫し持ち帰ろうとしたのです。注意をすると「どこに書いているのか」などといちゃもんをつけられ、結局乗りつけた車を狭いため回転することが出来ず、後味の悪い結果となったのです。


 今日も松山から来たというおばさん2~3人が目敏くわが家のフキを見つけ、「少し分けていただけないでしょうか」といわれました。容姿の美しい女性に弱い私のことですから、ついつい「一緒に採ってあげましょう」「お幾らですか」「いえいえタダでいいです」なんていい格好をしてしまいました。

 帰り際海沿いを通ると、海岸ではワカメやひじきを採っている人を沢山見かけました。厳密にはワカメもひじきも共同漁業権が設定されていて漁民のものなので、密漁ということになるようです。まあ今時そんなにとがめる漁民もいないでしょうが、黒いウエットスーツを着てアワビやサザエを我が物顔で採ることは完全に密漁で、罰則の対象となるのでご用心です。

 私も許可を得てワカメを採りに行きたいのですが、残念ながらその暇は毎年ないようです。


  「水ぬるむ 海山川に 出かけるが 人の持ち物 採れば泥棒」

  「このフキを 分けて下さい 上品な 女に弱く 採ってあげます」

  「植えぬのに 勝手に生える 雑草は 早くも俺の 仕事を作る」

  「草刈機 そろそろお暇 出す予定 随分俺の 役に立ったな」

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〇大臣表彰の伝達式

 昨日は平成21年度金融知識普及功績者に対する金融担当大臣と日本銀行総裁連名の表彰伝達式があり、

会場となったえひめ県議会議事堂4階委員会室へ出かけました。この歳になって大臣表彰をいただくなんて思っても見なかっただけに、えひめ県知事さんの代理である愛媛県県民環境部長さんから表彰状と副賞を手渡された時は、今回の受賞が1個人(私)、2団体(大臣表彰は今治市富田小学校・知事表彰は宇和島市宇和津小学校)と少なく、少々戸惑ってしまいました。また県知事さんと日銀松山支店長さん、それに財務局松山財務事務所長さんたちの祝辞にも、私たち受賞者のことがかなり詳しく述べられ汗顔の至りなのです。

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(知事代理の県民環境部長さんから大臣表彰状を伝達されました)

 受賞が終わって受賞者それぞれが謝辞を述べなければなりませんでした。私は昭和51年に時の貯蓄増強中央委員会から貯蓄推進員という委嘱状を頂き、3年刻みの更新を経て今に至っていますが、貯蓄増強中央委員会は金融広報中央委員会へ、貯蓄推進員は金融広報アドバイザーと名前を変え、それぞれの時代を反映した取り組みを行ってきました。最初に委嘱された時は全国で一番若い推進員でしたが、今は若い人も増えて年齢が高くなってきました。

 事務局を担当した人の思い出、実践地区の思い出、それぞれの講座での思い出などなど、思い出は数限りなくあり、この仕事で広がった人間関係や知識、それに人生観は私の一生の宝物なのです。

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(県知事代理と金融広報委員会長さんに謝辞を述べる私)

 自宅に帰って妻に表彰状と副賞(立派な木製の電波時計)を見せました。私の人生にとって多分最後の大臣からの表彰状だけに、まあ素直に喜ぶべきだと思った次第です。貰った表彰状を見ながら不思議なことを思い出しました。

 かつて双海町役場で地域振興課長をしたいたころ、福井県鯖江市で開かれた地域づくり全国大会で私の発表した事例が最優秀賞に選ばれ、主宰した国土庁長官賞が贈られましたが、その時の大臣が亀井久興さんでした。今回の金融担当大臣が亀井静香さんで同じ亀井さん、しかもお二人はその後自民党と袂を分かった国民新党なのです。まあどっちでもいい話ですが私的には面白い話なのです。

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(いただいた賞状と副賞)
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  「表彰は  これが最後と 妻に言う 辞めろ烙印 妻がポツリと」

  「三十年 時を越えれば 意味がある 素直喜べ 自分を褒めろ」

  「いい人に 出会い生き方 教えられ 人生観まで 変わった自分」

  「表彰に 恥じぬ生き方 すると謝辞 拳拳服膺 忘れず生きる」



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(後日4月4日の愛媛新聞あの町この街欄に載った記事) 



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〇息子の転勤②

 無量寺の枝垂れ桜を見学したため、息子の官舎に着いたのは9時半を回っていました。息子がこの官舎に移ったのは2年前のようです。私たちは忙しい仕事の合間を縫って一度は訪ねてやりたいと思っていましたが日程が合わず、今治へは再三再四来ているにもかかわらず、官舎訪問は今回が初めてなのです。鉄筋コンクリート4階建ての官舎はエレベータもないので、住んでいる3階から荷物を運び出すのは容易なことではないと思っていました。部屋は男一人で住んでいるゆえ乱雑と思いきや、異動が内示されてから少し時間が経っていたのでかなり片付けられていました。


 玄関に車を止めて、まず一番大きな荷物であるベッドを外し下ろしました。そして順次重い冷蔵庫や洗濯機などを運ぼうとしていたら、腕力と体力に自信のある警察の同僚たちが応援に駆けつけいとも簡単に下の車まで運んでくれました。私はその荷物を順序良くトラックの荷台に整理をしながら積み込み、息子の乗用車と息子の友人のジープタイプ乗用車にも積み込み、11時過ぎに出発できるようにこぎ着けました。

 掃除のため官舎に妻を残してしまなみ海道を異動先の伯方まで走りました。満車状態の後ろに積んだ荷物を気にしながら、時速70キロ程度で走りましたが、既に高速道路は日曜日とあって交通量が増え、時々路側帯に車を停車させて後続車に迷惑のかからないよう走りました。

 伯方のインターで下車しオアシス伯方という道の駅で合流し官舎のある木浦まで一般道を走りました。官舎は警察署をやり過ごした少し奥まったところにありました。部屋はまだ空いていないようで、とりあえず倉庫に荷物を入れましたが、これを一人で部屋に入れ、片付けることは大変だと思いましたが、仕方のないことだと割り切ってもと来た道を引き返しました。多分新任地では3年間は異動しないだろうと思われるので、息子の仕事を陰ながら支えてやりたいと思いました。

 官舎へ帰ってみると妻は既に明け渡す部屋の拭き掃除を終え、ゴミを外に出して一服していました。その荷物を車に積み込み全ての作業を終え、ドコモで携帯電話の機種交換をして玉川のそば屋で引越しそばを食べました。遅い昼食だったため腹ペコで、美味しくいただきながら息子の話を聞き、分かれて帰途に着きました。


 異動とはほとほと疲れるものです。独り身の身軽な異動ながらそれでもあれだけの荷物を運ばなければならないのです。警察という仕事の特異性ゆえ仕事の話など一切話せないこともあって、妻の息子を思う気持ちは痛いほど分かるのですが、お互いそのジレンマにこれからも悩むものと思われます。まあ5年前この仕事を好きで選んだ訳ですから、そこはお互い越えないとこの仕事は勤まらないのです。

 ある部分すっかり逞しくなった息子と、時折見せる苦悩を垣間見ながら、願わくば早く良き伴侶をと願っているのです。どこかにいい人いませんかねえ。


  「逞しく なったと思う 息子見て 少し安堵の 胸撫で下ろす」

  「異動とは こんなに疲れる ものなのか 当の本人 もっと心労」

  「ありがとう 言葉残して 去る息子 社会荒波 もろに被りて」

  「私など 上下左右 ささやかな 異動だったと 昔述懐」


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〇息子の転勤と無量寺の枝垂れ桜見学①

 昨日は末っ子で警察官をしている息子がこの度の人事異動となったため、引越しの手伝いに今治まで出かけました。息子にとって初任地である今治は、この4年間過ごした場所だけに思い出も一入のようでした。願わくば4人の子ども全てを県内に住まわせたいと思い、その通りになったもののまさか県内を移動する転勤族になろうとは思っても見ませんでした。

 この4年間派出所、駐在所などを経て私服での勤務など様々な職場を体験し、ある意味初めての異動だけにと惑いや驚き、それに郷愁もあって住み慣れた官舎を引き払う作業は何処か気の重いものでした。

 妻は昨日は幾分早く起きて、転勤作業で朝飯も昼飯も食べる暇がないだろうと弁当を作りました。私たち夫婦は自家用軽四トラックに毛布や座布団、荷造りロープなどを積んで午前7時半に自宅を出発しました。日曜日なので奥道後~水ヶ峠経由の道を選びました。

 昨日の夜夫婦で何気なくテレビを見ていたら、今治無量寺の枝垂れ桜が満開というニュースを見ました。インターネットで調べて見ると、寺の位置が朝倉村上朝倉辺りで、目的地の官舎へ行く途中のようなので、お参りがてらちょっと寄り道しようということになりました。


 付近の人に場所を尋ねると、「学校と農協の近く」と教えていただきました。やがてお寺の屋根と桜の梢が遠く近くに見え、近所に車を止めて歩きました。噂をかぎつけた人たちが9時前だというのにお寺の境内には何人もの人が桜見物にやって来ていて、愛でるというより持参したカメラで盛んに写真を撮っていました。

 「綺麗で見事」な桜を横目に、私たちはまず本堂の前で手を合わせお賽銭を入れ、桜を見せてもらうお礼も込めてお参りさせてもらいました。そしてじっくり桜を鑑賞させてもらいましたが、今月18日に内子町で見た川沿いの枝垂れ桜以来の銘木に目を奪われてしまいました。

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 「せっかくだから」と嫌がる妻を桜の前に立たせて早速2枚記念撮影しました。さながらモデル撮影会のようですが、残念ながらこの肌寒さや引越し準備のためドレスアップしていないため、ただのおばさん撮影会となってしまいました。

 85歳まで生きる予定を考えると、桜の季節はもう20回しか巡って来ません。ゆえにこのような満開の素晴らしい桜にもっともっと出会いたいと思っていますが、妻は今年初めての桜見物とあって感激し、桜を表側裏側からじっくり眺めていました。

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 私のカメラの技術では、ましてや地上に落として故障したりしているカメラ道具では、この素晴らしい桜をより美しく表現することは出来ず、立派な一眼レフデジタルカメラで桜を狙っている人を横目で見ながら、迷惑にならないようについついちょい撮りをしてしまいました。

 帰ってからこの桜が今治地方では有名な桜と知り、夜にはライトアップしていることを知り、また沢山のカメラマニアが無量寺の桜の風景をインターネットで紹介していることを知りましたが、私の写真技術での表現は難しかったようで、パソコンに入力した写真を見て多少がっかりしてしまいました。

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  「冬耐えて 見事開花の 桜かな 見上げる空の 青に浮き出て」

  「妻モデル 桜びっくり してるよう 普段着ゆえに 桜引き立て」

  「凄いねえ 二人感心 するばかり いいもの見たと 妻も感激」

  「この桜 息子に見せて やりたいと 思ったけれど どさくさ忘れ」

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〇上灘漁協女性部農林水産大臣賞に輝く

 上灘漁協女性部の富岡喜久子さんから先日電話が入り、東京で行われた大会で松本洋子部長の発表が農林水産大臣賞を受賞した旨の連絡がありました。長年一緒にやって来た間柄だけに苦労が報われた感じで、お互い大いに喜びを分かち合いました。

 昨日は午後5時からそのお披露目を兼ねた祝賀会が基幹集落センターであり出かけました。市長さんや議会議長さんも地元議員さんとともに列席され祝辞を述べていただくなど、参加した全女性部員さんと笑顔で談笑するとてもいい雰囲気でした。

 東京での発表の内容を聞きたいと思っていただけに、スライドショーを交えた再発表を聞きながら、過ぎ越し長かった15年余りの歳月を振り返り感無量なものがありました。

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(松本洋子部長の発表は見事でした)
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(大臣賞表彰状を持って記念写真)

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(挨拶に駆けつけた中村市長さん)

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(坂田さんの祝舞)

 「じゃこ天で設けてヨーロッパに行こう」を合言葉に、じゃこ天を主力商品にして年間売り上げも7千万円を突破し、今では県内で最も輝いて活動している女性グループの一つとして、度々マスコミにも登場しているのです。

 市長さんや議長さんの挨拶にもありましたが、漁協女性部がここまでこれたのは、富岡さんや松本さんなどリーダの存在が大きかったように思うのです。15年前は若かった富岡さんも私も15歳も歳をとりましたが、これからも元気で下支えしてあげたいと思っています。

 私は富岡さんが「漁協女性部の動く広告塔」と命名したように、どれほどじゃこ天の宣伝をしてきたことでしょう。また視察が来る度に皆さんの色々な苦労話をさせてもらいました。これからも語り部として口支えしたいものです。

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(挨拶する富岡喜久子さんと松本洋子さん)

 この会場でちょっとしたことがありました。私が会場へ入ると受付の顔見知りの女性が私やかつてこの運営に関わった人たちを上席へ案内してくれました。名もなき私や関わった人たちは席が高いと固辞しましたが、決めていることなのでと座らされました。やがて全員が席に着き宴会が始まると一人の人が席が低いと不満顔で言うのです。その人は役職上呼ばれた人で、私たちが決めた訳でもない旨を話しましたが納得せず、大臣賞受賞のことなど何処吹く風でした。

 いつも思うことですが、人の値打ちは自分が決めるものではなく人が決めるものなのです。自分は偉いと思っても人はそれほど偉いとは思わないもの、その言動を見て少し腹立たしくなり、少々後味の悪い結果となりました。世の中色々な人がいるものです。

 でも何かと暗い話題の多い昨今、まるで春風のように爽やかな「農林水産大臣賞受賞」という朗報に、また元気が沸いてきました。


  「起業した あの頃私は 若かった みんな十五の 歳を重ねて」

  「このごろは 暗い話題が 多いけど 久方ぶりに 明るい話題」

  「席低い ぶつぶつ言って 胸を張る そんなにあなた 偉いんですか?」

  「夢を持つ いかに大事か 見てご覧 ついに花咲く だから頑張れ」 

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(後日4月7日付け愛媛新聞に紹介された大臣表彰の記事)

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〇草刈・防腐剤塗り・そして入浴

 久しぶりに春の上天気に恵まれたので、人間牧場の草刈に出かけました。「えっ、3月だというのにちょっと早いのでは?」と思われがちですが、今年は桜の開花が早かった分草の伸びも例年になく早いようで、人間牧場に通じる私道入り口では、道の両側の草が競ってきて道が狭くなったような感じがしていました。

 10年以上使っている私と同じ古びた草刈機を倉庫から引っ張り出して給油し、いざかけようと紐を引っ張るのですが、冬の間休眠していたため中々かかりません。そのうち紐が切れてしまい暗雲が立ち込めました。機械類に弱い人なら農機具屋さんのお世話になるとkろでしょうが、道具箱を引っ張り出して分解し、自動巻取り紐を少し短くして修理を終えました。給油ポンプを押して紐を引っ張るとエンジンが勢い良く始動し、さあ草刈の始まりです。まずウッドデッキの周辺から始め、私道へと順次草刈の領域を広げて行きました。

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 混合湯が半分になったところで休憩し、冷蔵庫から取り出したお茶を飲みました。働いて汗をかき、飲むお茶は美味しくて、まるで砂漠でオアシスに出会ったような気分でした。草の上に腰を下ろし休憩しながら海を見ていて、ふと「そうだ、天気がいいのでウッドデッキの防腐剤を塗ろう」と思い立ちました。「ひょっとしたら土曜日なので長男が休みかも知れない」と持ち合わせた携帯電話で連絡すると運よく長男息子はOKです。防腐剤の缶の残量が半分程度なのでホームセンターに立ち寄り飼ってくるよう頼み、松山の自宅から防腐剤を買ってくる息子を待ちながら、再び草刈機を動かしました。

 1時間ほどしたら息子は乗用車でやって来ました。早速草刈を中断して二人で防腐剤を塗り始めました。春の好天といっても吹き抜ける風はまだ冷たく、日脚もまだ短くて日向の部分はまだ少しでしたが、二人がそれぞれの場所から刷毛で塗って行きました。途中で昼のミュージックサイレンが鳴りましたが、弁当を持ってくなかったため、無視して1時間余り塗り続けた結果、思い通り防腐剤を塗ることが出来たのです。

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 息子は風呂好きで、防腐剤を塗りながらロケーション風呂の風呂を沸かしていました。作業が一段落したところで息子が先に入浴しました。「お父さんも風呂に入ったらと勧めれれたので、久しぶりに私も風呂を楽しみました。眼下に広がる春の海や空、そして漁港を眺めながらの入浴は、遠く近くでウグイスの声も聞こえ最高でした。下の上の写真は自動シャッターで自分が、下の下の写真はモザイクをかけなければいないのかも知れませんが、息子が撮ってくれた私の入浴写真です。

 息子が言うようにせっかく作った風呂なので、これからもせいぜい楽しみたいと思います。幸せでした。

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  「三月と いうに一番 草を刈る 今年の草も したたか伸びて」

  「俺に似て 歳をとりたる 草刈機 修理しながら 大事に使う」

  「いい湯だな ウグイス鳴いて 春日和 これぞ幸せ 金はなくても」

  「防腐剤 五年歳月 消すように 息子と二人 塗り分けてゆく」

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〇金融担当大臣表彰(日本銀行総裁連名)をいただくようです。

 昨日自宅書斎でパソコンを打っていると、玄関のチャイムが鳴りました。出て見ると若い郵便局員さんが「速達です」といって、A4の茶色い封筒を届けてくれました。愛媛県庁の封筒の下に差出人の県民環境部県民生活課とあるのです。「あああの件か」と納得しました。というのも先日県民生活課の担当の方から表彰の件で電話連絡があったのです。私はこれまで海外派遣30周年記念論文で国土庁長官大臣表彰を受けたり、県政発足記念功労賞などを受けていますが、リタイアして5年にもなりそんな世界とは無縁だと思っていたのに、大臣表彰に内定しているというのです。

 ハサミで封を切って中身を見ると、「平成21年度金融知識普及功績者金融担当大臣表彰(日本銀行総裁連名)の決定及び表彰(伝達)式の実施について」とあり、本文には、「さてこの度、あなたの長年にわたる金融に係る知識の普及や実践活動、団体の指導・育成などのご功績により、標記表彰の受賞が決定されましたのでご通知申し上げます。つきましては、表彰(伝達)式を下記のとおり実施しますので、ご多用のこととは存じますが、是非ご出席下さいますようご案内申し上げます」と書いてありました。

 表彰は嬉しいことに違いはないのですが、はてさて金融知識普及功績者となると、「はて私はそれだけの働きをしてきたのだろうか?」と疑心が頭をよぎるのです。

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 確かに私は昭和51年(1976年)からこれまで34年間も、飽きもせず金融広報中央委員会長から委嘱を受けて金融広報アドバイザーという仕事をやっているのです。私が始めて委嘱を受けた当時は公民館に勤めていて貯蓄推進員という肩書きでした。その後時代の変化とともに名前も改称され現在に至っていますが、若かった私も34歳歳をとったのです。3年ごとに委嘱を繰り返し、12枚もの委嘱状をいただいているのです。その間異動や仕事の忙しさなどに悩殺されながらも尾の仕事だけはボランティア活動として真正面から取り組んできました。

 金に無縁な私がなぜ貯蓄推進員になったのか未だに疑問が残りますが、分相応な身でありながら事務局の日銀松山支店に再三出入りして、時流にあったご指導を受けてきたのです。私の得意分野は生活設計や実践地区の指導で、自らの生活設計の事例を引用しながら多くの人たちに、人間関係の貯蓄、金銭の貯蓄、知識の貯蓄、健康の貯蓄などを話してきました。

 まあ表彰を辞退する理由もないので、今回は甘んじて全国14名の受賞者の末席(四国・中国・九州で2名なので本当に末席)を汚し、3月29日の授賞式に出席する旨返事をしたところです。


  「大臣と 総裁連名 表彰を すると速達 通知が届く」

  「受賞など リタイアゆえに 無縁だと 思っていたが 嬉し恥ずかし」

  「表彰は 辞めろのサイン 妻が言う そろそろ俺も 引き時なのか」

  「この仕事 一番得は 俺だった お陰で牧場 人生までも」

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〇盛り沢山なスポーツを新品のテレビで観戦

 ゴルフをする訳でもなく、ジョギングやウォーキング以外、これといってスポーツをしない私は、もっぱら「スポーツは見るもの」とばかりに、このところの寒さゆえコタツに入ってテレビの観戦を決め込んでいます。昨日は雨で二日間も順延した高校野球に、愛媛県勢が出るというので、午後からは早々に仕事を切り上げ一部始終を見ながら応援しました。雨のせいでもないのでしょうが今治西は、延長の末4-5でさよなら負けを期してしまいました。今日からは甲子園球場のニュースも興味半減といったところです。

 続いて4時から大相撲春場所の放送があり、パソコンを打つ手を休めて5時過ぎから相撲の観戦です。興味は大関昇進をかけて頑張る把瑠都と朝青龍の突然の引退で一人横綱になった白鵬の相撲です。いずれも絶好調で、全勝対決の24日は満員御礼が出るほどの注目度でした。24日は子ども教室の閉講式があって残念ながら見ることができず、帰宅してからインターネットで速報を見ました。さすが横綱白鵬で熱戦の末全勝を守り今に至っているのです。さて一歩横綱がリードしている優勝賜杯は誰の手に行くのでしょう。


 午後6時からはプロ野球セリーグが昨日開幕しました。月並みな球団ですが私は巨人が好きなのでニュースを見ながら時折気になってチャンネルを切り替え巨人ーヤクルト戦を観戦しましたが、内海の好投と打線がうまくかみ合い幸先良く4-1で開幕戦をものにしました。去年の世界大会優勝やリーグ戦優勝、日本一などですっかり自信を深めた原監督の采配が光るゲームとなって、安心して見ることができました。

 プロ野球は長丁場なので、選手の怪我などが重なったり不調が続くと思わぬ連敗などがあるようですが、今年も楽しみにしたいと思っています。


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 さて、わが家のテレビが故障して新しい42インチ画面のテレビに変わってから半月近くが経ちました。わが家ではテレビの主導権は妻なので、妻は薄型テレビの操作を取扱説明書をメガネをかけて読みながらやっていましたが、もう殆どマスターして自由自在に操り楽しんでいるようです。私たちの地区は海から少し入っていて本尊山が電波をさえぎっているため、共同アンテナで受信をしています。共同アンテナをデジタル放送にする工事がまだなのか、デジタル放送の電波が届いていないのか分かりませんが、今はアナログ放送のままのようです。アナログ放送の終わる来年の7月までには見えるようになるのでしょうが、松山に住む息子や娘の家のデジタル放送を見るにつけ、早くデジタル放送を見たいと期待をしているのです。


  「甲子園 相撲に野球と 忙しく 半日テレビ つけっぱなしで」

  「大型の テレビで観戦 臨場感 財布はたいた だけのことある」

  「チャンネル権 テレビ変われど 妻の手に 亭主寂しく 妻のおこぼれ」

  「死んだはず 藤田まことが 生き返る テレビは不思議 自分疑う」

 

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