shin-1さんの日記

○ジャガイモの植え付け

 昨日は朝起きて隠居に行くと親父が、「お前今日は家にいるのか」と尋ねました。私は「2時頃まで広島県から視察が来て対応するのでいない」と答えると、「明日は雨のようだからジャガイモを植えなきゃあいけんので、午後から手伝ってくれ」というのです。「分った。手伝うから」と約束をして出かけました。やがて視察に来た人も無地帰り、わが家に帰って親父の所へ行ってみると、「もう済んだが中腰でやったため腰が痛い」というのです。私は親父の背中をめくり冷たいサロンパスを電気ストーブで温め2枚貼ってやりました。

 家の横の畑へ出てみると、すっかり綺麗になった畑には、ジャガイモを植えたであろう場所に籾殻と腐葉土と肥料が撒かれていました。私などはいい加減に植えるのですが親父は几帳面な性格なので、わざわざ定規用の糸を張って植えるのでそれはきちんと植えられて完璧でした。

 隣に住むおばさんがちょくちょく親父のところに話しにやって来ます。そのおばさんは野菜の作り方に詳しいので、親父の野菜つくりの先生のような存在です。このおばさんから先日立ち話で間接的に親父の呟きを聞きました。「もう椿さんも終りそろそろジャガイモを植えつけなければならないが、種は何処へ行けば売っているのか、息子にいえば買ってくるが、自分の思い通りに作らんと、収穫したジャガイモをこどもや孫にやるには、自分で鐘を出さないと気兼ねする」といっていたそうです。同じ敷地内に住み毎日顔をあわせる親子でさえもこうした気がねをしているのかと、少しばかり思ったものですから、先日大洲青少年交流の家に出かけた際種芋を5キロも買って帰りました。

 親父はいつもやって来る野菜作りの上手いおばさんに種芋の切り方を教わり、5キロの種芋を一人で植えたのです。私だって多分腰を伸ばしながら植えたでしょうに、親父の作業に敬服しました。しかもその植え床は耕運機でしっかりと中耕して本格的にやっているのです。

 親父も90歳になりました。これらのまるでアリが物を運ぶような仕事ながら毎日毎年繰り返す作業はいよいよ私が受け継ぐ日が近づいてきました。親父に比べればはるかに不器用な私は何とも心もとないし、親父もその事を心配しているようなのです。でも妻は「あなたも結構器用だから」と持ち上げてくれますが、性根を据えて受け継ぎたいと思っています。

 春が近づきました。三寒四温というのでしょうか、このところ春の嵐が冬の名残風のように雨を伴って吹き荒れています。あれ程上天気だったのに今日は朝から雨、天気予報だと低気圧が発達して移動するとのこと、お天気さんも春と冬がせめぎ合いをしているようです。春が恋しいですね。

  「いつの間に ジャガイモ植えた 九十の 親父腰曲げ 今年も元気」

  「このところ 冬と春とが 喧嘩する 雨風雪が 交互に襲う」

  「先植えた タマネギ未だ 小さくて ジャガイモやがて 同じに太る」

  「秋植えた 新ジャガ掘って その後に 春ジャガ植える 何とも奇妙」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○丸刈りの思い出

 わが家には3人の男の子がいます。既に3人とも建築士、看護師、警察官とそれぞれの道を親元から離れた県内で働いていますが、この3人の子どもは義務教育の中学校を出るまで全て頭は丸刈りでした。思春期の子どもにとって仲間の存在やお洒落が気になる時期なのに、親の教育方針とかを子どもに押し付け、自宅で電動バリカンを使い逃げ惑う子どもを座らせては妻と二人で丸刈りにしたものでした。バリカンの調子が良い時は結構スムースに刈れるのですが、少し調子が悪いとまるで寅皮、縞模様のようになって「格好悪いから学校へ行くのが嫌だ」とダダをこねられたことも何度かありました。 その頃の学校はまだ丸刈りの子どもが沢山いて、長髪の子どもと半々くらいでしたから、子どもの反発も散髪の時だけだったように思いました。

 子どもたちがたまの休暇で家に揃うと、たまにその丸刈りの話が出てきます。「丸刈りは嫌だった」「長髪にしたかった」「バリカンで虎刈りにされた時は学校を休みたかった」「丸刈りだったのでもてなかった」などなど述懐は様々ですが、今振り返ると懐かしいと、母親や父親に散髪されたことを懐かしがっていたようです。

 そういえばいつの間にか子どもの丸刈りした姿を周りで見なくなりました。「丸刈りに詰襟の学生服は凛々しい日本男児の理想の姿」と未だに思い込んでいる私のような古い人間はもう世の中では賞味期限が切れているのです。でも子どもの頭を親の手で丸刈りにする行為は、月に一度にせよ親子にとっていい向き合いだったように思うのです。今は子どもの何から何まで既製品や人の作ったものでまかなうような時代になって、親が子どもにしてやれる親らしい子育ての分野が相当減っています。靴下だって破れれば継ぎ接ぎ繕いなどせず直ぐに捨てるし、弁当だってコンビニの弁当で代用する親が相当いるのです。時間と効率からいえばそれが便利なことは分っていて格好いいのでしょうが、母親が別の仕事をしながら焼いた焦げた玉子焼きだって子どもにとってはかけがえのないお袋の味なのです。

 昨日妻と二人で夕餉の膳を囲んでいると、妻がしみじみ大家族だった何年か前までの食卓の事を話しました。家を建てたり、子どもが進学をしたりした時代は安月給ゆえそんなに贅沢も出来ず、粗末な食事しか出来なかったのですが、それでも妻は手づくりにこだわって食事を作り続け、子どもも美味しいといって食べてくれました。今は親父の分を含めて3人分、あの頃から比べるとまるでメジロの餌のような少なさです。

 先日久しぶりに帰省した三男の姿を見てハッと気がつきました。三男は警察官という仕事柄、丸坊主に近い丸刈りなのです。もう30歳になる息子ですが丸刈りの姿は中々凛々しいものです。時代の進んだ世の中にあってまだこんな職場があるのかと内心驚きますが、私にとっては子どもの頃から終始一貫したように見える息子の姿に心の中で惜しみない拍手を送るのです。

 バリカンという言葉さえもう死語になりつつある現代ですが、私にも親父に頭を刈ってもらった苦い思い出が一杯あります。今の電動のようなものではなく、手動でやるものですから早過ぎず遅過ぎず動かさなければなりません。早過ぎると食いついて痛い思いを何度も経験しました。また虎刈りなどはしょっちゅうで恥かしい思いも何度かしました。でもその度に親父は「髪型くらいで女に持てない奴は所詮もてる訳がない」などと小理屈を並べ立て、自分の正当性を主張していました。でもこれも過ぎてしまえば親父のいい思い出なのです。残念ながら今の子どもたちにはそんな親父の思い出は残るべきもないのです。

  「丸刈りは 日本子どもの 代名詞 そんな時代に 生きれ幸せ」

  「バリカンと いう道具など 家にない それは何です? 答え飲み込む」

  「マルコメの 味噌のCM 一休さん 全て丸刈り 格好いいよね」

  「親父から 俺に受け継ぐ 丸刈りも 息子途絶える これも世流れ」

[ この記事をシェアする ]