shin-1さんの日記

○心友・深友・信友・そして親友

 私には色々な友人がいますが、中でも今日の見出しに掲げたような心の友(心友)、深い絆の友(深友)、信じあえる友(信友)など、変換ミスではないかと思える程幾つかの表現をしても足りないほどの親友が、人間牧場へやってきました。

今日は天気も良く、夕方から所用で出かける以外はさした用事もないので、思い切って人間牧場へ農作業に出かけました。妻に弁当を頼んだのですがあいにく今日はお大師様のお接待日なので昼でないと赤飯が間に合わず、ご飯も玄米のため弁当には不向きとのことで、買い置きのパンを2個とお茶、それに果物を袋に詰めてもらい田舎のオープンカーに乗って9キロの道程を走りました。機能までの寒さや風も治まって、今日は絶好の日和で気温も久しぶりに10度近くまで上がったようで、日向はポカポカ陽気です。

 こんな日は決まって外出先へ電話が入るので、予定表と携帯電話は欠かすことが出来ないと思い持参したのは良かったのですが、次から次へと電話がかかりその都度草刈機を止めねばならず、作業にならないため、草刈り作業を諦めて梅畑の草削りをする事にしました。一番下の畑はそんなに広い場所ではないのですが、地堀鍬で草の根元を掘り起こしたり、苦汁菜の根株を沢山掘り起こし作業が随分はかどりました。

 昼になった頃隣町の旧友菊地さんから電話が入り「病院へ定期健診に行ったが早く終わったので人間牧場を訪ねたい」というのです。約束を下灘コミュニティセンターまえ13時20分と設定し、菊地さんを迎えるまでの間、寸暇を惜しんで周辺のカズラを剪定ばさみで着る作業をしました。

(ダンディな親友菊地邦求さん)

 やがて菊地さんは時間通りに現れ、私の車で下浜からの狭い道を登りました。そして人間牧場の施設を案内しながら色々な話に花が咲きました。菊地さんとは青年時代から深いご縁があって、青年団・公民館など様々な分野で若い頃から付き合ってきた間柄なのです。青年団長も、NHK青年の主張県代表も同じような道を辿り公民館では愛媛県公民館連絡協議会の主事部会の正副部会長としてしのぎを削りました。特に公民館主事時代は「煙仲間」という主事集団を発足させてお互い自分の生涯を公民館活動に捧げたいと、夢を語り合ったものです。その後お互いが職場異動して出会う機会は少なくなりましたが、いつしかつかず離れずお互いがお互いを心配しあう使い間柄になっていました。私は3年前、彼は一年前にリタイアし、再び出会いの場が広がって、今年に入るとシンポジウムなどで盛んに出会うようになって、旧交を温めているのです。私も菊地さんも中途採用で出世とは無縁の世界で生きてきたため、よく上司とひと悶着をやりました。それは仕事に命を掛けた人間のやむにやまれぬ行動だったと、今でもその当時の行動を誇りに思うのです。

 お互い夜を徹して酒を飲みながら夢を語ったものです。お互い当時を振り返ってもよく仕事をしたと思うほど理想に燃えて仕事をしました。またそれゆえに成果も上げたと自負しています。お陰で体調を崩し今では二人とも酒に縁のない暮しを余儀なくされていますが、もし酒でも飲めたらどんなにか武勇伝を語るのにと悔しい気もしますがまあ済んだこととして諦めなければなりません。

 これからの生き方について少し意見を戦わせました。昔のような対立した意見より同感同感と相槌を打つ話が多かったのですが、これからは自分が理想とした夢の実現に向けてお互いいい人生を送りたいものです。菊地さん叉出会いましょう。

  「あの頃は いいつつ話 花が咲く 過ぎてしまえば いいことばかり」

  「いつの間に 俺たち初老 仲間入り 白髪が目立つ 目線の頭」

  「お互いに 酒を飲めない 半端者 素面で話す まともな話」

  「親友を 漢字で書くと 変換の ミスだと言われ 駄洒落通じず」 

 

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shin-1さんの日記

○二人の青年

 昨日の夕方人間牧場に松下政経塾の塾生である青年二人がやって来ました。一人はもうご存知の希望の島フォーラムを企画した兼頭さんですが、もう一人は島根県横田出身の塔村俊介さんです。兼頭さんと出会ってからもう一年余りが過ぎましたが、彼に出会ってからやたらと松下政経塾が気になり始め、松下政経塾生や卒業生によく出会うようになりました。例えばよく出会う新居浜出身の衆議院議員小野晋也さんは松下政経塾の第1期生で、政治家としても頑張っていますがむしろ思想家として多くのことを学ばせてもらっています。先日上島町弓削島で開催した希望の島フォーラムで貰った松下政経塾のパンフレットに次のような紹介文が載っていました。

 人間を磨き志を磨く道場といわれる松下政経塾は、松下電器産業の創業者である塾主松下幸之助が、自らの経験と直感から、数十年前に、「日本は益々混迷の度を深めていく」と今日の日本の危機的状況を予見し、この難局を打開するためには「新しい国家経営を推進していく指導者の育成が何としても必要であると思い、私財70億を投じ、1979年財団法人松下政経塾を設立しています。

 塾生は全寮制で、寝食をともにしながら3年間研修を行なうものの常勤の講師はいなく、理想の国家経営はどうあるべきか各自仮説を立て現場の体験を積み重ねながら自得してゆく、「自習自得」「現地現場」「切磋琢磨」などを研修の基本方針としています。そして卒塾後は理想の実現に向け自らの道を切り開いて行こうとしています。

 自習自得、現地現場、切磋琢磨の他にも、徳知体三位一体や万差億別という研修方針があるようです。徳知体三位一体とは「時代を牽引する指導者にはパラダイムや哲学を構築できる感性、深い洞察力、歴史的かつ世界的視野が必要であり、同時に力強く健全な肉体も必要である。しかし全ての前提となるものは、真に人々の幸せを願い、行動できる人間性である。よって政経塾では徳育に重点を置き、知育、体育を三位一体で進めていく」といっています。

 また万差億別では「人間は一人ひとり違った顔を持ち、違った天分を持っている。いってみれば千差万別、さらには万差億別の存在だ。そしてその天分を生かし発展させることこそが、人間の幸福と成功につながるはずだ」と述べています。

 兼頭さんはコミュニティビジネスを目指し、塔村さんは政治を目指しているそうですが、いずれの若者も未来に向って希望の灯を掲げ研修していて、目の輝きは政経塾の目指す人間と志を磨く道場であることを実感しました。その二人が人間牧場にやって来たのですからこれ以上の場所はないと思いました。人は様々な場所で様々な志を磨くものです。人間牧場のウッドデッキに立って黄砂けむる海を眺めていると、私はまるで坂本龍馬になったような気持ちになるのです。政経塾を作った松下幸之助の思いも人間牧場を作った私もその根底に流れている思いは一緒だと思いました。私には残念ながら70億円の私財などあろうはずはなく月とスッポンほどの差がありますが、思いや志だけは負けないと思いました。

 始めて兼頭さんが人間牧場に訪ねてきてから早いもので早1年余りが過ぎました。その間兼頭さんには跡継ぎの息子も生まれ、彼ももうこの3月で卒塾です。知らない間に時代は流れているのです。

  「志 持った若者 二人して 牧場訪ね しばし談笑」

  「松下も 私も同じ心だが 札束もなし わが牧場は」

  「牧場の デッキに立ちて 海を見る 竜馬のような 心になりて」

  「この黄砂 はるばる海を 越えてきた 自然は偉大 人間愚か」



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