shin-1さんの日記

○今日から雪深い島根県益田へ旅に出ます

 ブログにこう書き記し旅に出ました。今回の旅の目的は二つです。広島県から島根県益田市に通じる191号沿線にある6つの公民館がこれから連携して地域の活性化を図ろうという館長・主事さんの研修会が午後2時から2時間半、さらに夜は午後7時から午後9時まで有限会社真砂という会社の経営会議です。友人寺戸一朗さんが仕掛けた会議なので、喜んで研修に加わる事にしました。

 有り難いことに広島の港まで寺戸さんと館長さんが遠路で迎えに来てくれていました。

 私が益田に行くと何故か天気が荒れ気味です。一回は大雪、もう一回は雷と大雨でしたから、寺戸さんからは「嵐を呼ぶ男」とまるで石原裕次郎のような呼び方をされてしまいました。その呼び名どおり今回も、191号線沿いにある恐羅漢スキー場では7人の人が行方不明になるなど大騒ぎしている場所を横目に見ながらの通り過ぎました。県境付近は大変な雪で、最初は珍しく右や左の窓を開けてカメラで写真を撮りましたが、そのうち同じような光景が続いて、カメラスポットで車を止めてもらい写真に収めました。

(車の中から見る国道191号線、行けども行けども雪道は続いていました)
(途中ロータリー除雪車に出会いました。ガードレールギリギリまで除雪を行い、ロータリーで切取った雪は勢いよく吹き飛ばされて、道沿いには雪の壁が出来ていました。その中を車が走るのですから、まるでスノーモービルの競技のようです)
(寺戸さんの車は優れもので、屋根が開いて外の景色が一望で快適でした。しかし寒さも加わり直ぐに天窓を閉めてしまいました)
(車窓に広がる一面の銀世界です。峠の頂上付近の景色です)

 道川の立派な庄屋屋敷を横目に観ながらやがて温泉センター近くの食堂で遅めの食事を済ませ、会場となる文化ホール会議室へ入りました。500の固定席を持つ田舎には過ぎるほどの立派な建物でした。会議室には4人の女性館長さんを含めた12人の方が勢揃いして、早速会議を始めました。何故公民館が地域の活性化について話沿うとするのか不思議に思いつつ、少しずつ公民館のあるべき姿とまちづくりについて解きほぐしながら話しを進めて行きました。小さな会議なので話す言葉も帰って来る反応も息がピッタリで、こんな会議をこれからも続けて人と情報のネットワークをしっかり取るよう話して締めくくりました。日本全国の公民館が合併によって危機的状況にあるだけに、皆さんのやる気はとても頼もしく思え、これからも支援する事を約束しました。

 それにしても会議で出されたホットユズの美味しかったことは格別でした。女性館長さんの笑顔も素敵で公民館はこの温かさと感動が売り物だと実感しました。

 益田駅の裏にあるホテルでチェックインを済ませ、真砂の公民館に6時過ぎに到着して、おばちゃんの作ってくれた押し寿司と山芋と豆腐の入ったつみれ汁をご馳走になりました。これも人の心の温かさが染み渡る美味しい味でした。

 夜の会議は過去8年間の売上高を示す一覧表を元に参加した出資者と役員が集まって会議を進めました。私も似たような第三セクターの経営を12年間手掛けただけに一目瞭然の指摘が出来ました。地域振興といいながら地域への貢献が不十分な会社が豆腐を主体にして経営することは大変な苦労です。特に食品の安全性や地産地消が問題になる時代ですから、何としても原料となる大豆の生産を地元で耕作しなければならない事を力説しました。米作万能な農家にリスクの大きい大豆を奨励してもみんなは最初から諦めているような雰囲気でしたが、それを動かすのが役員であり職員であり、私のような部外の支援者なのです。

 僅か2時間の短い時間でしたが、企業秘密になることが多く、このブログでは書けませんが、これからも支援する事を約束して会議を終わりました。


 地域には地域の、会社には会社のそれぞれ言うに言われぬ悩みがあるものです。それでも夢や目標をを持って努力すれば必ず道は開けるものです。人の意見に耳を貸し、心の窓を開ければ必ず成功するものです。出来ないのではなくやろうとしなければ道は開けないのです。

  「大豆から 豆腐を作る 村つくる やれば出来ると 心に決めて」

  「目標も ないのに会社 よくならぬ 緩やか成長 願っているが」

  「そりゃ出来ぬ やらない事を やれぬいう そこから先は 進まないかも」

  「俺もやる お前もやれと お互いに 少しやる気の ほのぼの会議」

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shin-1さんの日記

○小さなやかんは直ぐたたぎる

 秋田県へ出かけた折、パネラーとして同じステージに上がったJRの石塚友寛さんは筆まめな方で、時々季節の写真を添えて私の元へ便りを送ってくれます。パソコンが得意なのでしょうが今回は「隣家の屋根に出来た芸術品」と書いて屋根の白い雪をデジカメで撮影した写真をあしらって北国の冬の寒さや楽しみをさりげなく書いていました。石塚さんはとにかく几帳面で、私がどこかで講演した記録をしっかりと手帳に書き込んでいるのですから驚きです。多分今も石塚さんのメモはどんどん膨らんでいることでしょう。ふと送られて来た絵葉書を見ると、旧国鉄マンらしく、切手は列車をあしらっていて、いつまでも保管しておきたくなるような便りなので、早速ハガキファイルに収納しました。

 私の書斎には小さなストーブが置いてあります。冬の訪れとともに昨年の12月頃から使っているものですが、部屋が僅か4畳と狭いため、ストーブを点けると直ぐに暖かくなります。反面灯油の量も少ないため、時々忘れて油が空になることもあるのです。

 このストーブの上にステンレス製のやかんが置いてあります。このやかんは狭い部屋でストーブを焚くと湿度が不足して喉を痛めるため、蒸気を出し湿度を確保するために、年末に小遣い銭をはたいて買いました。三千円程度の小さなやかんです。したがって買い求めた年末から今日まで、まだ3ヶ月しか経っていないというのに、もう3回もお湯がなくなり空焚きをしてしまいました。ストーブの油はなくなれば火が消えますが、やかんのお湯は「少し焦げ臭いなあ」と思った時点ではやかんの中は焼け爛れてしまうので、うっかり物の私にはとても面倒が見切れず、今になって「もっと大きいのを買えばよかった」と悔やむのです。

 「小さなやかんは直ぐたぎる」という言葉を親父から聞いたことがあります。やかんを人間に例えての諺なのでしょうが、今になって思えば、私の事を小さなやかんに例えての諭の言葉だったようです。

 小さなやかん、つまり小さな人間は何につけ直ぐに怒る弱点があるのです。私の場合はその最たるもので若い頃は、仕事から帰って冷蔵庫にビールが冷えていないという理由だけで、妻に食って掛かったものでした。また友だちといい争いをしても直ぐにカッカして、殴り合いのような喧嘩もよくしました。結局は人を思いやったり辺りを見渡し思慮分別ができるだけの心の」余裕がなかったなあと、今頃になってその当時の自分の浅はかさを悔やむのです。

 私たちの身の回りを見渡してみても、そんな小さなやかんに似た人が沢山います。結局最後は自分の未熟さを恥じるのですが、これからは小さなやかんになることなく、大きな度量で生きて行きたいと思うのです。

 今朝も小さなやかんが書斎の隅でたぎり始めました。しかし小さなやかんにもいいところがあって、直ぐに感動するように熱くなるのです。この感動する心だけは見習いたいものです。

  「直ぐたぎる やかんのように 浅はかな 人間なるな 親父の言葉」

  「やかんまた 空焚き中は 空っぽに 蒸気も出ずに 外に出されて」

  「小さくも 感動だけは 忘れまい やかんのように 熱く燃えたい」

  「やかんより 熱湯注ぎ お茶にする 心和みて しばし休息」 

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