○埼玉県へ行ってきました
世の中には面白い人がいるといえば失礼になるかも知れませんが、私の出版した「昇る夕日でまちづくり」という本を埼玉県公連の事務局長坂本さんから「読んで見ないか」と言われ、借りて読んだだけでその内容に興味を引かれ私にインターネットで講演依頼をした人がいます。熊谷や深谷を中心とする大里地区公民館に所属して活動している寄居町の黒瀬仙一さんです。寄居町といえば前述の坂本さんが若い頃公民館主事をしていた懐かしい土地だし、かつて双海町が町名変更に取り組んだ頃、長瀞町へたった一人で勉強に行った帰りに寄った思い出の土地なのです。
かつて13年間も公民館に勤め日本一の公民館主事を目指して奮闘した経験を持っている私としては、公民館から声がかかると、何ものもさて置いて駆けつけなければならない程の恩人ですから、誘いに乗ってのこのこと出かけて行きました。普通地区公民館といえば中央公民館があってその傘下の公民館と思いがちですが、大きなエリア公民館連絡協議会なのです。
彼とは面識もなくただ電話とメールでのやり取りだけだったのですが、その押しの強さや送られてくる緻密な計画に「一度は会ってみたい」と心を動かされるのは当然かもしれません。ましてやかつて愛媛県公民館連合会の主事部会長をした折埼玉との交流で、埼玉県の連中の理論武装に大きな衝撃を受けた経験のある私としては、その後の公民間人のレベルを推し量る意味からも是非相対したいと思うのは当然のことかも知れません。
言われたとおり東京から新幹線に乗って熊谷まで行き、迎えに来た黒瀬仙一さんと出会いました。会場となった深谷生涯学習センターまでの道のりは時間にして小一時間かかりますが、その間車の中で彼と思う存分話し、青年団出身ということもあって波長のあった話に花が咲きました。
彼の案内で訪ねた深谷の町もレンガ製造の工場があった関係からか、中仙道の宿場町として栄えた面影が随所に残っていて、タイムリーにもNPOで運営している映画館の話題が数日前に朝日新聞の天声人語で紹介されたこともあって、どことなく人通りを感じる街歩きでした。
この日のテーマは驚いたことに何と「昇る夕日でまちづくり」な本の中から引用した「日本一の公民館主事を目指して」なんて書いてあるのです。
それでも過去を思い出しながら、昨年まで教育長と中央公民館長を兼務した学びが生きて、楽しいお喋りをすることが出来ました。会場は満席で、熱気ムンムンといった感じでした。
私の話に先立って若い公民館主事3人が発表に立ちました。「あああんな初々しい頃が自分にもあったなあ」と感慨深げに聞かせてもらいましたが、彼や彼女たちの初心とも思える発表の経験は、長い人生のほんの小さな出発かも知れませんが、「頑張って欲しい」と発表の前の打ち合わせで大きなエールを送りました。
同じ地区内といいながら、顔見知りの人が多い集会はかえってやりにくいものです。額に滲んだ汗がそれを物語っているようでした。
最近は前置きした話で私の講演の模様をビデオで撮影する風景も見られます。ビデオ写りの悪い私としては断りたいのですがそうもいかず、求めに応じますが、話が弾むとビデオの存在など感じる間もなく話が終わってしまいますから、そんなに気にすることはないでしょう。
講演終了後熊谷の駅まではラッシュにかかったこともあってやっとの思いでヒヤヒヤものでしたが、何とか新幹線にも乗れ大宮で新宿ラインに乗り換えて、無事次の移動が出来ました。
合併して公民館が危ないと思っています。施設の管理運営が指定管理者制度の導入で危うくなりつつあり、予算も財政難で大幅削減の洗礼を受けています。また人材の配置も次第に削減されつつあります。合併後のまちづくりは思わぬ方向に進んでおり
当分は公民館受難の時代となりそうです。
「青年団 死語になったと 思いきや 経験活かし 頑張る人あり」
「恩受けた 恩を返すは 当たり前 俺の力じゃ 役にも立たぬが」
「一枚の 異動辞令で 涙出た そんな時代も あった懐かし」
「何時の世も 結局人が やるものだ 公民館は これから先も」