○えっ、もうお正月?
人々は何を目安に生きているのだろうと思わせるように、世の中には何でも早く取り組もうとするせっかち野郎がいて、何だか気あせらしくて仕方がありません。まだ2ヶ月向こうだというのに巷にはジングルベルの音楽が鳴り響き、クリスマスの赤い飾り付けがやたらと目に付くようになったし、ケーキ屋さんやコンビニにはクリスマスケーキ予約受付中の幟がはためいて、新聞折込にも日々そんな慌しさを更にせかすようなチラシが入っているのです。勿論クリスマスだけではありません。10月31日の昼頃近所の郵便局に手紙を出しに行くと、11月1日の年賀状発売を前に何と門松がお目見えして、「えっ、もうお正月?」なんて錯覚をしてしまいました。
普通門松は正月を迎える縁起物として元旦の2~3日前に大安のようなよい日を選んで飾り付けるのが普通ですが、多分今の日本で一番早く門松を取り付けるのは全国の郵便局だろうと思われるのです。年賀状を売りたいという魂胆は分るのですが、これは世の中の流れや社会通念を無視したり、正月本来の習慣を変えるようなやり方で余り感心しないと私個人は思っています。現代の日本はこのように一事が万事早いものがさも価値があるかのようになっていて、うかうかすると一儲けを企む人の格好の標的になりかねないのです。もうここらで「ウサギと亀」の童話ではありませんが、もう少しユックリズムを取り戻して欲しいと思うのです。
そうは言っても季節を追って暮らしている人々にとってこれは死活問題ですから、ケーキや年賀状を売るのも競争相手がいることなので仕方がないと諦めねばならないのでしょうが、要は消費者たる私たちがそんなコマーシャルに安直に乗って衝動的行動をしないよう心にブレーキをかけることが大切なのではないでしょうか。
昨日妻が年賀状を買ってきました。私は現役の多い頃には約千枚近くも年賀状が届き、約800枚程度出していたのですが、今では500枚に縮小しています。でも一枚五十円のハガキでも500枚だと2万5千円と結構な値段なのです。勿体ないけどハガキ人間の私としては仕方がないのです。今年は少し減らそうと頑張るのですが、自分のパソコンに入った住所録を整理する間もなく、結果的には今年も多少の増減はあっても500枚くらいに落ち着きそうな雲行きなのです。
クリスマスケーキも昨年は無駄なことをしました。妻でみると家族はそれぞれ独立して少なくなったけど、せめてケーキぐらいはと注文したのですが、息子たちがそれぞれ良かれと思い思いに注文したのが三つも届いて、毎日ケーキを食べる羽目になってしまいました。いくら最近のケーキが甘さを控えているからといっても、ケーキばかり食べれる若い時とは違いますから、最後は勿体ないと思いつつ生クリームで賞味期限のこともあって、捨ててしまいましたし、アイスケーキなどは溶けると食べれないので冷凍庫の中で正月まで保存されていたようです。
冷蔵庫や冷凍庫には物が溢れ、わが家のような貧乏さんでさえ飽食の日本を象徴するように片付かない余り物が散らばっています。毎日出る生ゴミの中には賞味期限の切れた封も切らない食べ物まで捨てられて、何と勿体ないことでしょう。私は講演などで日本全国を旅したり、また視察者が全国からやって来るためそれぞれの土地の名物的お菓子を持参してくれたりします。殆どは近所や友人におすそ分けするのですが、それも限界があり不始末を余儀なくされる事だってあるのです。
お正月を迎えるのを機に少し暮しの仕方を変えようと妻と話しています。ゴミ袋が有料化されて少しの間は減ったゴミも、馴れるとまた元に戻りつつあります。暮しを変えることは容易なことではありませんが、せめて一年の区切りぐらいでもそう考えて日々の暮しを見直したいものです。
「門松は 正月飾りと 思ってた ところがどうだ 二ヶ月前に」
「クリスマス 見まがう程に 電飾し おいで買ってと お客呼び込む」
「ああケーキ 今年も食えと 妻が言う 食いたくないのに 何でこんなに」
「見直そう 見栄無駄無理な この暮らし 日本は何て 豊かなんだか」