shin-1さんの日記

○笑いの裏の深さ・半家地区(20-19)

 人の集まる条件を社会教育流にいうと①楽しみづくり、②しくみづくり、③値打ちづくりだと思うのです。まず何よりも優先されるのは楽しさでしょう。酒が飲めたり馬鹿話に花が咲くような楽しい雰囲気だと行ってみようかという気分になるものです。そのため主催者はレクリェーションなどを交えて集まりやすい雰囲気を作るために努力をします。次はしくみづくりです。役員組織をつくるのもそのためで、役割があるとお義理にせよ人は集まります。ひとり一役を分担させて役割感を持たせれば主役になった気分で頑張れるのです。最後は値打ちづくりです。集会に参加してためになったりそのことが自分の儲けにつながると人はその集会に価値観を見出すのです。

 昨夜の会合はその意味からすると残念ながら三つとも事前の人を集めるアプローチに失敗して殆ど人が集まりませんでした。主催した側はすまなさそうに詫びを入れ集会はほんの小さな車座で行われました。しかし講師の私は、たとえ少人数であっても真面目に来た人が馬鹿を見るようなことだけはしたくないと値打ちづくりに情熱を傾け、多い人数のどの時にも劣らぬ想いで最初から最後まで話をしました。

 あいにくカメラを忘れ、藤倉さんに会場のスナップ写真を頼んでいたのですが、藤倉さんから昨夜のうちにパソコンで送られて来たのでコンパクトな集会の模様を縮小処理してブログに載せることにしました。

 参加した人の数は物足らなくてもいい雰囲気の集会だったことだけは間違いありませんでしたので、集落の名誉のためにも付け加えさせていただきます。

 半家というこの集落の名前を発見したのは20回の西土佐集落巡りが始まったばかりの頃でした。江川崎駅のプラットホームの看板に次の駅は「はげ」と書いているのを見て思わず吹きだしてしまったのです。半家という地名は平家の落人伝説に由来しているそうですが、察するに平家だとよく分るので平の上の一文字を取って下につけ半にしたのではないかと思われるのです。

 集会所に入って掲額をみてこの半家という集落は重みのある集落とお見受けしました。桜島の噴火や宮城県の凶作、戦前戦後の軍国時代のその度に義援金や資金を調達してそれぞれの時代に対応した県知事の感謝状がやたらとあるのです。中には大正時代や昭和19年などと記述したものもあって中々興味をそそりました。これらの古文書は一度調べて記録にでも残すと時代背景やその頃の様子が分り面白いと思いました。

 公民館に掲げられた2枚の写真ももの言わぬ歴史の証人として大切にして欲しいものです。上は沈下橋の代用橋として架かった立派な橋の竣工渡り初めの写真、下の写真は秋祭りでしょうか牛鬼と五鹿が沈下橋を渡るこれまた貴重な写真です。牛鬼や五鹿は宇和島藩、遠くは伊達仙台藩に由来する伝統文化で、土佐でありながら伊予の文化の影響を受けている様子がうかがえます。

 この集会所には田舎の女性が書いたと思われる美人画も掲額されておりましたが、中にはこんな面白い絵と短歌がありました。「女房を尻で見分ける田植えかな」の句です。おみそれしました。私の笑売啖呵などまだ足元にも及ばない秀作です。

 迎えて長くもあったし過ぎて短くもあった20回の西土佐集落巡りの旅も名残惜しいかないよいよ後1回でフィナーレです。思いを込めて13日の最後は締めくくりたいものです。

  「今頃は 尻など見えぬ 田植え機が 田んぼの中を わが者顔で」

  「人の数 気にすることは ありません 来た人どんな 学びをするかだ」

  「お茶沸かし お茶も出したる 行った人 茶番劇だが お茶を濁して」

  「人のため 世のため資金 出す証 無形の教え 今に伝えて」 


 


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