○高校の先生が児童買春
新聞の3面記事には様々な事件や事故がニュースとして、毎日のように紙面を賑わせています。昨日まで東京出張で留守にしていたので、二日分をまとめて読みました。殆どの記事はホテルや駅の売店で買った新聞で読んでいるのですが、愛媛県内のニュースはローカル紙面しか扱っていないので、二日たったとはいえ目新しく感じました。
一番驚いたのは事もあろうか県立高校の先生が児童買春をしたというショッキングなニュースでした。9月中旬から3回、松山市内のホテルで18歳未満の無職少女と知りながら、偽名を使いみだらな行為をしたというのです。お金を計6万8千円渡していました。学校では生徒に人気の真面目な先生だっただけに関係者の驚きや落胆は相当なもののようです。
先生は昔から聖職といわれるような超自我の世界にいる人たちです。絶対悪いことはしないという信頼があるから、生徒も親も信じてついて行くのです。ところがこの先生は聖職ならぬ性殖でした。
このような事件があった場合学校の校長先生の言葉は決まっており、「信頼していたのに残念、今後このようなことがないよう、職員一丸となって信頼回復に取り組みたい」と疲労の色を滲ませ深々と頭を下げるのです。
教育長さんは「二度とこのようなことが起こらないよう再発防止に向けて通達を出しました」でしょう。
子どもたちにとってこうした大人の行動や対処方法は心にどう響くでしょうか。信じていた先生の信じ難い行動が引き起こした残念な事件は、何故か当分の間鳴りを潜め、また一定の周期で繰り返されているのです。他校の校長先生は自分の学校でなくて良かったと胸をなでおろし、定年までは大過なくと祈るような気持ちで、教育委員会のお墨付きという通達を武器に、上から下へ厳しい指導を行なっているようです。
先日の愛媛県小中校長会主催のシンポジウムにパネリストとして登壇した時も言わせてもらいましたが、
学校や教育委員会が常識だと思っていることは社会の非常識であるということを、もう一度考えて欲しいと思います。今回の事件は先生たちの心の中に潜む「日常の抑圧された意識」が生んだ出来事だと考え対処なければ次のステッアップは望めません。人は食欲と同じく性欲や睡眠欲、学習欲など様々な欲持っています。その欲をコントロールするのは学校という組織ではなく、自分であるということに気付くことが大切です。つまり自分というもう一人の自分と向かい合い、二人の自分を高めなければ解決しないのです。「自分は一人で二人などいるものか」と反論されそうですが、自分というもう一人の自分をコントロールする自分づくりが求められているのです。
子どもを育てる場合もそうした自分づくりをすれば、心の強い子どもが育つはずです。
「俺だって不倫のひとつもしたいけどしないできない自分の強さ」
「ああまたか薄い頭の校長さん苦汁滲ませ深々詫びる」
「センコウは言うことやること違うから好きじゃねえんだ文句があるか」
「寂しいね教師という名の星一つ消えてなくなる心が痛む」