shin-1さんの日記

○表彰状をいただきました

 役場の職員という職業は表彰など殆ど無縁なものなのですが、私は何故か表彰とよくよく縁があるようです。青年の船の班長として建国200年のアメリカへ行った経験を、総理府30周年記念論文に応募したところ、何と総務庁長官賞を東京赤坂プリンスホテルで受賞しました。その後まちづくりでは町や団体が総務庁長官賞2回、自治大臣賞、愛媛地域づくり創造賞、愛媛アメニティ賞、テレビ愛媛賞など名だたる賞を総なめにしましたし、自身もPTA功労者全国表彰や知事表彰を受けています。でもそれは過去のことで退職した私には関係ない世界だと思っていましたら、先日県庁から金融広報功績者として表彰すると通知がありました。耳を疑ったのですが、30年も続けている金融広報委員として、今までは公務員だったので表彰できなかったそうで、思わぬ表彰通知にびっくりしました。

 今日はその表彰日で県議会の立派な会場でうやうやしく表彰状をいただきました。県知事さんの代理ながら県の部長さんが祝辞を読み、日本銀行松山支店長さん自らも出席して祝辞を述べられました。そして謝辞や記念撮影まであり、格式のある表彰を実感しました。記念品は桐の箱に入った砥部焼の立派な花瓶でした。謝辞など聞いていなかったので即興で感想を述べました。

 「昭和51年に当時は日本で一番若い貯蓄推進員に任命されました。以来31年間生活設計と金銭教育という自分の得意の分野で県下各地を回って指導をしてきました。今年は雪が沢山降って寒いですが、この仕事のお陰で心も財布も温かく感じます。表彰は終わりではなく出発点、恩に報いるために更なる精進を誓います」と本音を述べました。帰りに日本銀行に立ち寄り来春で切れる任期後も言葉に甘えて続ける旨の返事を言って銀行を出ました。

 私が金融教育に携わってきたこの30年、日本の金融をめぐる社会環境は大きく様変わりしました。高度成長は低経済成長へ、ペイオフや金融業会の再編、低金利時代、振り込め詐欺など県民の暮らしにかかわる出来事が次々と起こっています。金銭教育元年と定めてスタートした背景も社会の乱れの原因が金銭であることを物語っているようです。小さな草の根のような私たちの活動は、取るに足らないことかも知れませんが、今こそ次なる世代へしっかりとした金銭教育や生活設計の重要性を教えてゆくべきであると思うのです。

  「表彰状知事の名前が書いてある成果も挙げぬ自分恥ずかし」

  「表彰状貰うは辞めよのシグナルか妻の警告有難く聞く」

  「副賞に貰った花瓶高そうね値踏みの妻は早速花活け」

  「日銀はわれら庶民に縁遠いなのに私は30年も」

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shin-1さんの日記

○このゴミ誰が出すの

 毎日毎日とどめなく出るゴミの量を見て「このゴミほど金が貯まったら大金持ちになるのになあ」と、ため息をついていらっしゃる方も多いことでしょう。ゴミの量は普通の場合家族の数と比例しますから、家族の多い家はゴミの量も多いようで、私の家もご多分に漏れず毎ゴミの日には両手で抱えきれないほどのゴミを近くのゴミ置き場まで持って行きます。特に年末のこの頃は多かれ少なかれお歳暮が届き、その包装類や掃除で出たゴミでいっぱいになっています。

 何年か前私の町ではごみ減量作戦としてコンポストと燃えるゴミは自家焼却処分にしていました。ところが最近になってダイオキシンによる大気汚染が問題になってから自家焼却処分は自粛されたものですから、明らかに自然ゴミと分かる落ち葉などもビニール袋に入れて出さなければならず、当然ゴミの量も増えています。わが家のように敷地内に畑があり、落ち葉を埋めて堆肥にしたり出来る家は良いのですが、市街では殆どの人がゴミにしているのです。

 コンポストも当時は鳴り物入りで補助金を出し、多くの人がコンポストに生ゴミを入れてEM菌の籾殻をふりまき、堆肥にして再利用していました。しかし今は合併の影響もあるのでしょうが、そうした取り組みを指導してくれる人もいませんのでなし崩し、打つ手なしの状態です。

 ゴミは住民自らが持てる力を発揮しないと減らないし、マナーも資源再利用の意識も向上しませんが、行政の流行り病のような指導ではこれまた長続きしないのも実情です。

 「このゴミ誰が出すの」という言葉には四つの意味が込められています。一つはこのゴミを出すのは家族の中の誰でしょう。家の中ではみんながゴミを出すのです。二つ目は、さて出したゴミは誰が出すのでしょう。家から出たゴミをゴミ置き場まで運ぶのは妻ですか、私ですかと出す人を問うています。三つ目は出し方のマナーを守るべきゴミ置き場周辺の群衆です。そして最後はみんなの税金を使ってゴミ処理を担当する行政と出す住民の関係になるのです。

 ゴミ問題は結局は私ひとりから始まり自分の所へ帰ってくるのです。いい市民でありましょう。

  「持てぬほど提げてゴミ出すお父さん今は見慣れた朝の風景」

  「弾みますゴミ端会議の延々とパジャマ姿のおばちゃんもおり」

  「透明の袋でゴミの中身見え賞味期限の過ぎた手付かずお肉」

  「誰もまだ出してないけどゴミ置きて走り去り行く見知らぬ女性」

 

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