shin-1さんの日記

○面の収集

 私は面の収集をしています。面といえば能面を思い出しますが、日本全国には沢山の面があってその表情が中々面白いので、若い頃から旅のついでになけなしの財布をはたいて小遣い銭で買い求めてきました。面はお土産屋と骨董屋に行けば色々な面を見ることが出来ます。特に骨董屋には掘り出し物の面があって、ご主人を相手にした値切りの駆け引きが実に面白いのです。ある時など旅先で2万円もする面を購入して旅行の途中ずっと持ち歩いていましたし、自宅に持って帰って面を見た子どもが泣きじゃくったり、妻と「こんな面を買うなんて呆れて物が言えない」と夫婦喧嘩のネタになったりしたこともありました。

 しかし今では妻も面収集のよき理解者で、旅行に行くと珍しい面をお土産に買ってきて「高かったのよ」と恩を着せるのです。

 中国出雲地方には伝統的神楽が沢山残っていて、珍しい神楽面を見ることが出来ますし、魔除けとして売られています。島根県へは軒並みの市町村へ講演に出掛けていますので、神楽面に出会うのも楽しみの一つです。先日も島根県益田市の面々が双海町へ大勢で視察に来られた時、神楽面をお土産にいただきました。

 面は我が家の海の資料館「海舟館」の壁に吊るして保存していますが、今ではその数ざっと40面近くあり中々の風情です。

 面は魔除けといわれるだけあって般若や天狗など想像架空の世界が多いようですが、般若や天狗の面も地方によって随分表情が違うようで比べて見ると面白いものです。

 私が一番気に入っているのは天狗の面で、昔から「天狗にならぬように」と戒めの言葉があるように、自分の戒めとして面と向かい合ってきました。天狗の面を骨董屋で買い求めた時、鼻の折れた天狗面を見つけました。ご主人が「これは天狗の象徴といえる鼻が折れていますので売り物になりません」と引っ込めましたが、私はそれをタダ同然で譲り受けました。ご主人は「面白いお客もいるものです」と不思議がりました。私は帰ってから父にその修理を頼みました。見事に復元して鼻が折れたことなど感じませんが、私はこれを自分の戒めとしています。

 面はこれからも凝ってみようと思っています。昨年地元の銀行がロビー展で私の面を飾りたいと申し出がありました。結果は好評でした。

  「面汚しそんな言葉を思い出す面の表情見れば見るほど」

  「鼻折れた面を譲れという私主傾げてタダも同然」

  「お土産に面を提げ来る視察人俺の喜ぶ顔が見たいと」

  「面を取れそういわれてもこれ真顔怒るに怒れぬジョーク聞きつつ」

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shin-1さんの日記

○私の10大ニュース・その3

 8月14日  結婚してこの方、忙しさと私のわがままで新婚旅行以来二人で旅行に行った事がなかったのですが、思い切って退職記念の海外旅行に行きました。カナディアンロッキーとナイアガラの滝を組み合わせた共済の旅行でしたが、妻は私のサービスに大感激で10日間の旅は二人にとって忘れられない旅となりました。ナイアガラの滝のスケールの大きさやカナディアンロッキーの氷河を見て、人間の小さいのに驚きながら地球の広さを実感しました。

 また行きましょうと同行して出来た仲間と約束しましたが、何時のことやら・・・・・。

10月1日  三男が就職試験に合格し念願の警察官になり警察学校に入校しました。三男は大学卒業後会社員として4年間働きましたが、長年の夢を捨てきれず円満退社し、自宅で自主勉強しながら地元のサッカー倶楽部で身体を鍛え、努力の甲斐あって成果を収めたのです。わが家には3人の息子がいますが、看護士を目指して頑張っている次男ともども転職の経験をしています。回り道かも知れませんがこれも人生でしょう。

 10月8日  長男があゆみさんという女性と結婚しました。跡取りの結婚式だけに親父も大層喜んで式に出席してくれました。当分は松山に住んで新婚生活を楽しむようですが、いずれ私たちとの同居を考えています。30年前船出した私たち夫婦も長女と長男が結婚し家族がどんどん増えています。今度の正月は長男夫婦と一緒に過ごします。

 12月26日  これは10大ニュースのトリを飾る予定の出来事で、本当はまだ公表は出来ないのですが、明日26日愛媛県庁で愛媛県より金融知識普及功績者表彰を受ける予定です。昭和51年より実に30年間の長きにわたって貯蓄推進委員会の推進員として活動してきました。妻曰く、「表彰を受けるといういうことは、むそろそろ幕を引くとき」だそうです。続けるも止めるも自分が決めることですから、しっかりと考えておかなければなりません。

 以上が私の今年の10大ニュースです。来年もよき10大ニュースを作ります。

  「私にも10大ニュースありました指折り数え過ぎし思い出」

  「気がつけば今年も残すは5本指急ぎあれこれ片付けなければ」

  「年賀状今は簡単パソコンで合併住所はてはてはてな」

  「鏡見て若くなったと独り言それは気のせい影声聞こえ」

 

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shin-1さんの日記

○私の10大ニュース・その2

 4月1日  幕を閉じた双海町に変わって1市2町による新生伊予市が誕生しました。4万1千人の小さな市の誕生です。生まれた時下灘村の村民だった私は10歳で双海町民となり、60歳で伊予市民となりました。あと25年余り生きると仮定したらもう一回ふるさとの名前が変わる可能性もありますが、とりあえず私は伊予市民として生きてゆくことになり、名刺もパソコンのメールアドレスも変更しました。勿論講演などで出掛けた先々で「伊予市の若松です」と紹介せねばなりません。

 4月1日から地元の灘町という集落の区長をすることになりました。長年の不義理とお世話になった感謝を込めて自治会長職をこなしてきました。田舎の自治会長は中々忙しく、やれ防犯灯切れたの下水道が狭いので直すよう取り次いで欲しいだの、様々な要望を取り次ぎます。また公民館の管理や貸し出しまでする有様です。盆踊り、敬老会の主催も大切な仕事です。

 恩返しといいながら、300戸余りの双海町では一番大きな集落だけに少し戸惑い、少し慣れて何とかやっています。

 4月20日  愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤職員としての仕事が始まりました。この仕事は教育長時代からやっていたことなのでもう3年目になります。今年は26人の学生が私のガイダンスを聞いて応募してくれました。ガイダンスで私の人気は高く希望者が沢山ありましたが、私がその希望調査のコメントを読んで決めました。いい学生が揃っています。今年のフィールドワークでは西条市・砥部町・大洲市・伊予市双海町を撰び調査をしたりしました。「教えることは学ぶことなり」といつも考え、それなりの学習をこれからも続けたいと思っています。

 7月29日  人間牧場の「水平線の家」の建前をしました。4間半に2間半の小さな建物ですが、建築士の息子が設計し親子喧嘩をしながらやっとの思いで建てました。4月から瀬戸内海を見下ろす山の上に上がって木を切り草を刈り、土地を造成し、大工さんと土木業者さんの力を借りていよいよ念願の人間牧場建設が始まったのです。海と空の広がりがまさに絶景です。私の新しい人生はここから始まります。何をするのかはブログを読んでください。

  「わが人生村民町民市民へと出世街道昇りつめたり」

  「自治は何宝くじかと思いきや暮らしを守る大事な仕事」

  「高卒の私が何と大学で教壇立って話するとは」

  「あの土地にあのよな家を建てたいとめぐらす夢の叶うやうれし」

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shin-1さんの日記

○私の10大ニュース・その1

 誰にだって一年365日が平等に与えられ、一日24時間を絶え間なく刻んで日々を暮らしているのですから、その年の自分の10大ニュースくらいはあるものです。私は毎年その10大ニュースを「青春の履歴書」と称して年賀状に書いてきました。61歳になって青春なんてと言われますが、私にとっては「今やれる青春」なのです。本当は年賀状を差し上げた人のみが知る私の10大ニュースなのですが、今年から方向転換し、年賀状を極力少なくする決意をしました。何故なら私は毎日3枚のハガキを18年間

毎日書いていますし、少し変化をさせて進化したいと思っているからです。去年は私への年賀状は千枚を越えましたが、そろそろ出会いの整理も必要と思っています。

 そこで一足早い私の10大ニュースをブログで書くことを考えました。私にとってこの一年間はまさに人生の転換を意味する大きなニュースが余りにも多過ぎたことを、自戒の念をこめて書いておきます。

 3月6日  双海町最後のまちづくりフォーラムが開かれました。私がまちづくり担当になって初めて開いたのが「18時間マラソンシンポジウム」でした。あくる年には「コスモス鉄道2001年の旅」を企画し、双海町の名前が少しずつマスコミに取り上げられるようになりました。20年間もまちづくりシンポジウムを連続して開催しているまちはそんなに多く多くありません。このまちづくりシンポは双海町の隠れた功労者です。振り子時計の議論がやがて夕日というかけがえのない地域資源を生み、弾み車となって花開きました。

 この日、教育長になった私が2年間在籍のマニフェストとして掲げた「双海町誌」発刊の記念すべき日となりました。800ページに及ぶこの本は2年間の編纂委員会委員の皆さんが知恵を出し合った成果です。毎月1回の編纂委員会も終盤には校正などで大変な苦労がありましたが、多くの方々の努力で、閉町前の秒読み段階での完成でやきもきしました。でも追録から改定へ大きく舵を切っての作業だったけれど、役割を果たしてホッとしています。

 3月31日  双海町という自治体が日本から消えました。合併による再編という美談とは少し違った町の消滅はやはり寂しいものがありました。特に35年間も役場に在籍しそれぞれの時代の町の歴史に関わってきたのですから寂しさも一入です。最後の2年間は教育長として多くの仕事をこなしました。思い出に残る730日はいつか記録にして残したいと思っています。もう少し早くブログに出会っていたらと思うと残念ですが、まだ私の頭の中は痴呆が進んでいないので大丈夫だと思います。この日は私の人生にとって生涯忘れられない一日であり、退職という考えようによれば重くも軽くもなった一日でした。

 私はこの日たくさんの人から花束や餞別を貰いましたが、一番の功労者は何と言っても妻です。その妻に心からなる感謝を込めて「退職報奨金」を贈りました。つまり私が妻に贈った後にも先にもない「退職金」です。妻が涙を流して喜んでくれました。

  「今年また10大ニュースの頃となる私の一年激動でした」

  「町閉じる仕事も閉じる寂しさも明日から荷物軽くなりけり」

  「教育長役職取ったらただの人俺には何が残っているのか」

  「本当は妻が支えたわが人生古き封筒感謝を入れて」

  

 

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