shin-1さんの日記

○腕時計が止まった

 私の手に巻きついて常に時刻を刻み続けてきた時計がついに止まりました。私は何処ででも時計を外す癖があって、先日も自分のこの腕時計が見当たらないと思って探していたら、愛車の助手席座布団下に置かれていたのを発見しました。アッあったと喜んでその時計を持って講演会場へ入ったまでは良かったのですが、いくら話しても話しても時計が進まないのです。動いていないことに気がついて携帯電話を取り出し確かめたら何と終了5分前でした。たまげたたまげた、結局は気がついて事なきを得たのですが、講演会が終わって腕にはめて家へ帰ると、時間こそ違うもののちゃんと動いているではないですか。日付と曜日、それに時刻を合わせて使っているのですが、今のところ正確に時を刻んでいますから大丈夫のようです。要は腕を動かさず自動巻き機能が働かなかっただけと分かり一安心しました。

 私の腕時計はシンプルです。最近若者が持っているデジタル時計ではなく文字盤も明らかに小学生向きといった方が良いかも知れないものですが。、私のように決められた時間を決められたように動かなければならない者にとっては便利なものですが、私はどの会でも時計を外して机の上に置いてにらめっこしながら話を組み立てて行くこれまた癖があり、そのことが原因で時計をうっかり忘れることがあるのです。こうしたハプニングの度に探すことを強要される妻は「自分の時計くらいは自分で管理してください。私も忙しいんですから」と手厳しくも冷たい声が返ってくるのです。

 この時計のお陰で私は5分前・10分前行動が取れるのです。最近の若者は時間的観念がないというかルーズで、大学の授業にも遅れてくる学生が何人かいます。その都度何気なく諭すのですが遅れてくる学生はいつも遅れ、早い学生はいつも早いところをみると、心がけ一つで習慣は変わるものなのです。

 私は始める時間も正確ですが止める時間も正確にするようにしています。そうしないと待ち時間を相手に強要することになって、時間のロスが出来るからです。そんな態度でやっていると徐々にではありますが時間が守れるような集団が育ちますから、今後も止める時間に気をつけたいと思っています。

  時計が止まったショックは失敗経験ですからまた一つ利口な実践が増えそうです。

  「腹時計もうそろそろと飯時か思った瞬間昼のチャイムが」

  「飯喰をや一杯飲もやその次は明日にしょうやこの3つしか」

  「寝ずに打つ時計の刻みコツコツと俺はそんなに働きゃしない」

  「ご主人と同じくらいにいい加減時計遅れて本当に遅れ」

 

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shin-1さんの日記

○田舎の面白い話

 昨日車の中で田舎の面白い話に花が咲きました。

 「おらの親父は口癖のように『おらはもう長生きしたって仕方がない』と毎朝いいますが、そんな口の下テレビで覚えたんじゃろか、サプリメントなる横文字を知ってて、栄養剤を買って飲んどります」

 「おらの隣のじいさんは『おらの人生下り坂』といっとりますが、『登りきってもいないのに何で下り坂ぞ』と返したら『そらそうじゃあ』と大笑いしました」

 「うちの隣のばあさんは少々耳が遠い。『ばあさん、この野菜消毒しとるんか』と聞いたら『消毒液は余るほどかけとらん』と答えました。消毒しとるんじゃろうか、してないんじゃろうかそれでは分からんのです」

 「こないだ老人が集まってクロッケーしとりました。ばあさんの持っているクロッケーの玉に、愛子、小百合などとええ名前が書かれてありました。『ばあちゃん昔の人にしてはええ名前ですな』と尋ねたら、『えっへっへ、これは私の名前じゃありません。これは若嫁の名前です。この玉を足で踏んづけ木槌で叩くとスーとしますらい』というのです。田舎では嫁姑の関係も難しいものです」。「でもこのおばあちゃんが悪いのではありません。時代が悪いのです。このばあちゃんは嫁に来た頃姑に散々いじめられました。私が姑になったら若嫁に仕返しせんと死んでも死に切れんと思とったら、今度は若嫁に『ばあちゃんは古い』といじめられるのです。仕方がないから長男の嫁になったばあちゃんたちが相談して、せめてクロッケーの玉に若嫁の名前を書いて憂さ晴らししようと考えたのだそうです。考えてみれば、旦那は戦争に行き、子どもは育てにゃあならんし、ましてや喰うものにも着る物にも事欠く貧乏暮らし、ええこと一つもありませんもんなあ。せめてクロッケーぐらいはさせてあげましょうや」

 「うちのじいさんが『最近は耳が遠くなって困る」というのです。俺はじいさんに言ってやりました。『耳が遠くなっても近くなるものもあるんじゃきんこらえないかん』『そんなもんあるんか』と聞き返しましたんで『じいさん小便が近くなっとろうが』いうたら、納得しました。

 どうですか、こんな話聞いたら面白い話どころか同情する感じませんか。こんな村のひそひそ話は山ほどあります。今思いつきましたが、まるで人情落語話とでもいえる「進ちゃんのひそひそ話」を一冊の本にしたら面白いと思いました。何時の日にか必ず・・・・・と考えました。

  「言っちゃダメそう言いいながら口の下絶対言うなと次々人へ」

  「スピーカー名前のついたおばあちゃん今日もせっせとあることないこと」

  「厚化粧誰に見せるかおばあちゃん三途の川が近いというのに」

  「ロボットが歩いているよな歩き方笑っているけどやがてあんたも」

 

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shin-1さんの日記

○お寺のコンサート

 普通お寺といえば葬式や供養のために出掛ける場所であり、88箇所のような札所を除けば、檀家の人以外には滅多に行く場所ではないのですが、最近は世の中が変わったのか、いや人間が変わったのでしょう、様々な催しがお寺であって随分あちらこちらのお寺へ行くようになりました。昨晩も伊予市に栄養寺というお寺でモンゴル国立民族音楽団のコンサートがあるというので、誘われるままに出掛けました。まるで健康を考えるにはピッタリのようなその名も栄養寺へは、伊予市の文化活動「宮内邸を守る会」の拠点となっているので、これまでにも何度も足を運んでいますが、昨晩のコンサートはモンゴルの民俗音楽で、物悲しい、そして力強いメロディや声に久しぶりに感動を覚えました。

 モンゴルといえば今話題の大相撲朝青龍のふるさとです。冬にはマイナス20度以下に下がるという厳しい気候、遊牧民やゲル、何処までも広がる大草原、ジンギスカンなどを連想するだけで、その国の知識は何ら持ち合わせていませんが、人口220万人の小さな国であったり数年前の大寒波で家畜が死んで都会へ移り住む人が増えたことなど、出演したハスバートルさんの流暢な日本語レクチャーで始めてその国のことを知りました。

 民族衣装に身をまとった出演者はハスバートルさんとエンフバットさんの二人だけ、それに伊予高校へ留学で来ている女子高校生一人の友情出演という少数でしたが、お寺の本堂に響く馬頭琴やリンベ(笛)、それにホーミー(裏声)は人間ののなせる業とは思えない素敵なものでした。

 特にリンベと呼ばれる笛は、笛自体特別なものではないものの、演奏方法は不思議そのもので、口から息を吹き出して笛を吹くと同時に鼻から息を吸い込むという常識では考えられないものでした。したがって何分でも笛を吹き続けられるのです。自分で試しにやってみましたが出来ませんでした。またホーミという不思議な声も水の音や風の音を表して何とも奇妙な声なのです。私は目をつぶり耳を澄まして馬頭琴や笛の音色を聞きながら、まだ見たこともないモンゴルに思いをはせてみました。自然と動物と人間の織り成す何かが感じられました。多分それは私の少年の頃の思い出のような、ゆったりとした時の流れだと思いました。家族愛、謙虚さ、風や水の流れ、太陽の輝き、野辺に咲く花など忘れられた日本の原風景が蘇ってきました。同じアジア民族でありながら、まるで生き馬の目を抜くようなあくせく社会に生きる私たちが、もう一度思い出したい「何か」がそこにあるようでした。

  「悲しくも強くも響く馬頭琴瞼閉じれば少年の頃」

  「吹いて吸う同時に出来る笛の音が寺の本堂涼しく流る」

  「あの顔もこの顔も見た同じ顔顔々集まる田舎のお寺」

  「ストーブの横に陣取り馬頭琴柱が邪魔して側耳立てる」

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