shin-1さんの日記

○二人で分け合って別の物を食べれる幸せ

 私たち夫婦はこれまで、私が外食を好まないこともあってめったに外食はしませんでした。故にどの店が美味しいのか、人の話を聞いてもチンプンカンプンなのです。ところがつい最近、息子の結婚話や私の退職などで二人一緒に外に出掛けることが多くなったものですから、昼食程度の軽い食事をする機会が増えました。今日も友人の踊りを見るため妻に誘われて市民会館へ出掛けました。踊りが終わって折からの寒波雨にあったので、温泉へでも行くかと相談がまとまり車を走らせました。温泉は男湯と女湯があるので時間を決めて別々に入り別々に出てきました。久しぶりの温泉は寒さが身にしみたこの日はとても気持ちがよく、「いい湯だな」と歌いたくなるような雰囲気でした。

 夕方の小腹が空く頃だったので近くの日本蕎麦屋に入りました。二人は相談して私はかき揚げザル蕎麦大、妻は山掛け月見蕎麦を注文しました。二人はまず自分の好みの蕎麦を半分食べ、半分を取替えっこして食べるたのです。「まあきたならしいしお行儀が悪い」とお思いでしょうが、これが私たち夫婦にとってとても楽しい食べ方なのです。

 先日は私が寿司御膳、妻がサイコロステーキランチを注文しましたが、その時も左様な食べ方をしました。私たちの歳になると一つのものを沢山食べる腹は持っていませんが、少しづつ色々な物を食べたいのです。お蔭様で夫婦仲良く食事が出来るようになりました。

 食事をしながら思うのですが、体重の痩せた私と少し太り気味の妻の食事の量が、最近ではむしろ妻の方が少し多めであることに気付きました。ダイエットと言いながら。妻はそのことを「私のように働くものは食い力を付けておかないと」と舌も乾かないうちにパクつくのです。

 コーヒーの飲めない私は食後のコーヒーというものが理解できません。妻は食後のコーヒーは美味しいと注文します。こればっかしは半分こできないので私はタダのお茶を飲んで時間調整をします。やがてレジへは財布持ちの妻が支払いに向かいお店を出て一件落着です。驚いたことに最近ではお客商売とでも言うのでしょうか、ファミリーレストランや喫茶店でポイントカードやサービス券を出す所があって、妻の財布にはいつの間にかあれやこれや入っているようです。無頓着な私には出来ぬ芸当でしょう。でもいくら外食が嫌いだからといっても、妻の後片付けのことを思うと、たまには外食もいいものだと思うようになってきたshin-1さんなのでした。

  「飯は家そう決めていた頑固者近頃二人で恥ずかし食事」

  「私よりよく食う妻の下腹がまるで妊婦の生み月似たり」

  「簡便をしないと持たぬ会計をよくぞここまで妻への感謝」

  「石鹸がカタカタ鳴った風呂上り昔聞いたなそう神田川」

  

 

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shin-1さんの日記

○スズメとカラスの世界も田舎は過疎

 スズメといえばお米、カラスといえば長閑な泣き声で田舎の代表選手のように思われていましたが、スズメとカラスの世界では田舎に過疎化現象が起こっています。「えっ、そんなことはないでしょう?」と疑るのは無理からぬことです。童謡や童話の世界は殆どが田舎の物語ですが、そこに登場するスズメやカラスは紛れもなく田舎の自然と共存していました。

 先日東京へ出張してその姿を目の当たりにしました。まず空港ではカラスが出迎えをしてくれました。空港ではカラスが増えて飛行機のジェットエンジンに巻き込まれては大変とあの手この手で駆除しているようですが、カラスはジェットエンジンの凄まじい音にさえ慣れてくると平気だそうです。皇居の周辺の緑豊かな公園にもカラスがたくさんいました。また街中では収集を待つゴミの上にカラスが群がり残飯をついばんでいるのです。人間はその横を避けるようにして通っていました。

 夕方ホテルの前の歩道を散歩していたら、何やら騒がしい小鳥の鳴き声が聞こえてきました。スズメの大群が木という木に群がって騒いでいるではありませんか。鳥目といって夜は目が見えないから寝るのかと思いきや、不夜城のような眠らない都会では夜も明るいので、小鳥は24時間活動をしているのです。

 田舎からカラスもスズメもいなくなったとは思いませんが、これら都会派のスズメやカラスは一体何処から来たのでしょうか。勿論都会生まれ、都会育ちのカラスやスズメもいるでしょうが、田舎からひとっ飛びして来た田舎出身のカラスやスズメもいるはずです。過疎で人々の自然の営みが少なくなった田舎は食うものとて少ない、スズメやカラスにとっても住みにくい社会になっているのかも知れません。そこへいくと都会は残飯類の余り物とは言いながら、餌が豊富で日々の暮らしに事欠かないのでしょう。

 スズメやカラスからも見放された田舎の行く末を思うと何だか侘しくなりますね。その分イノシシが増えたのですから畜害があっても人間にすり寄ってくるイノシシを大切にしてやらなければバチが当ります。

 よくしゃべる人間をスズメのような人と表現します。数年前には「カラスの勝手でしょう」というギャグが流行りました。スズメもカラスも結局は人間が恋しいのです。

  「聞きましたスズメのお宿は何処ですかホテルの前の木々がホテルと」

  「都会ではゴミ食べ物を食い漁るカラスにだって糖尿心配」

  「東北のなまりすすめはスズメかも焼き鳥暖簾くぐってすすめ」

  「カラスさん鳩の豆までいただいて平気で平和のシンボルぶって」  

  

 

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shin-1さんの日記

○人間って素晴らしい造形物

 万国博覧会以来ロボットの話題が多くなってきました。子どもの頃に読んだ漫画の主人公であるピノキオや鉄人28号のことを考えると、人間が創造から具体的な造形物を造る技術は相当進歩したようです。多分コンピューターの普及がそれを可能にしたのかも知れません。しかし進んでいるように見えるロボット製作技術でも、人間のように2本の足で歩くようになるために要した研究の年月ですら、相当なものであったに違いありません。そのことを考えると人間は実に素晴らしい造形物だと思うのです。科学者が幾ら頑張っても人間以上の動きの出来るロボットはまだ出来てはいないし、これからも無理かもしれません。

 人間のロボット造りの発想は人間に代わって人間がすることを代役し効果を上げることから始まりました。車を製造する会社が組み立て過程において採用している技術システムは、人間の形こそしていませんがロボット産業でしょうし、その技術システムの開発によって効率は飛躍的に伸びました。しかし効率を高めた代償として合理化という名のもとに人間がいらなくなる皮肉な結果を生んでいるのです。ロボットは文句を言わないし、スイッチを入れれば自動的にこちらの指示通り動くのですから文句のつけようがありません。でもここで気がつくのはロボットにはスイッチがあるが人間にはスイッチがないということです。また人間は疲れても寝て起きたら、いつの間にか元気が出るという再生装置がついているのです。人間ってなんて素晴らしい造形物でしょう。そして私という人間造形物をいとも簡単に作った親父とおふくろは天才だと思うのです。勿論私という造形物を育てるのに長い年月をかけてはいますが・・・・・・。

 ロボット開発のもう一つの狙いは立派なロボットを造って一儲けしようとしていることです。万博会場で競った各社のロボット開発にかける熱意がそれを物語っていました。初物喰いの好きな人間の好奇心を誘い懐のお金を狙っているのです。高齢化社会の到来を見越して介護ロボットの開発が行われています。多分お金持ちは近い将来介護ロボットのお世話になることでしょうが、そんなロボットに払うお金があるのであれば、有り余る人間にお願いして人間らしい心の通った介護をした方が余程ましなはずです。

 ロボット開発の副産物は人間の研究かもしれません。ロボットの動きをより人間に近づけるには、人間の動きがどういうメカニズムで動くのか、徹底的に研究しなければなりません。多分今まで分からなかった人間の知的な動きは相当研究が進んでいることでしょう。人間故障の致命傷であるガンの克服もこうした研究からの方が、案外近道かも知れませんね。

  「僕というロボット造った父母は偉大科学者真似は出来ない」

  「足動く手までが動くこの不思議スイッチ入れずも意の向くままに」

  「切傷も何時の間にやら治ってる修理修繕した覚えなし」

  「髪伸びにゃ床屋行かずもよいものを生きてる証金を払って」

 

 

 

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