shin-1さんの日記

○二つの木の根っこの運命

 今日は少し時間が取れたので人間牧場へ出掛け畑を耕しました。まだ何を植えるか決めないままの耕しですが、10年も放置していたみかん畑は荒れ放題で、カズラやハズの根が縦横無尽に地下茎を伸ばし、ノミ鍬で地中深く耕しながら草と根を丁寧に拾って行きました。先日の作業でノミ鍬を折ってしまったので、ホームセンターで4千5百円もの投資をして買った新品の鍬で耕しましたが、さすが道具が良いとはかどります。

しかし厄介なことに畑のあちらこちらにチエンソーで切り倒した木の根っこが埋まっており、これが厄介者で畑の真ん中に根を下ろして座っているのです。あせらずと思ってもやり始めると熱中して、今日は2つの大きな根っこをおがしました。その大変さを思うとゴロゴロある根っこが恨めしく感じられました。でもあせらずこの冬の作業としてやり遂げたいと思っています。

 昨日高知県奈半利町の坂本さんから電話が入りました。貰っている梁瀬杉の根っこについて私がハガキを出していたものですからその返事でした。何でも「佐川急便にお願いして送って貰うと6千円くらい送料がかかるが、着払いだと1万円を超える」とのこと、どう考えても不思議だと坂本さんは「私がお金を払います」と言っていましたが、私も不思議に思いました。早速「今日の便で送るから明日は車から降ろすのを手伝うように」指示がありました。明日はそのため何処へも行かず荷物が届くのを待ちたいと思います。

 同じ根っこでも人間牧場の根っこは鍬を折る程の厄介者、片や高知県の梁瀬杉の根っこは喉から手が出るほどの宝物、同じ地球に根を張りながら月とスッポンのこの差は何なんだろうと思いました。名もなき雑木に生まれた根っこは堀り上げられて焼却されるというのに、梁瀬杉に生まれた根っこは百年を超える年輪を刻んだといいながら人々に愛されるのですから・・・・・・。

 今日人間牧場で二つの根をおがして分かったのですが、春にチエンソーで切り倒した木の根は、雑木の力強さなのか根はしっかりと生きており、切り株から新しい芽が出ていました。このままにしておくと来年の春には再び木は蘇ることでしょう。可愛そうですが仕方がありません。おがします。

  「ノミ鍬で汗をかきかき根を掘れば地中のミミズ寒き地上に」

  「神様のお札いただき棚供え二礼二拍手モゾモゾ祈る」

  「地中では根と芽早くも春待ちの準備するよに大きくなりて」

  「もよおして畑の隅にひる小便ミミズ腫れした昔なつかし」

 

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shin-1さんの日記

○お気に入りのネクタイ

 高校を卒業し家業を継いだ私にとってネクタイやワイシャツは無縁な存在でした。初めてネクタイを締めたのは成人式、しかも自分でネクタイが結べず父親が藁草履を作るような格好で足の親指にネクタイを引っ掛けて輪を作り首へ入れてくれました。その後の青年団活動や転職もあって、あれ程違和感のあった肩苦しいはずのネクタイが、今ではネクタイをしないと何か忘れ物をしたような感じがするから、慣れというのは不思議なものです。

 余り服装にこだわらない私ですが、私の洋服ダンスのネクタイ掛けには40本以上のネクタイが無造作に吊り下げられています。その殆どは一年に一度も日の目を見ない無用のネクタイですが、何故か捨てがたいものばかりで相変わらずそのままの状態です。

 私はネクタイを選ぶ基準はありません。普通の男性だと季節や会合の相手に合わせて選ぶようですが、どうせ似合わないと鷹を食って無造作に愛用の数本の中から似合いそうなものを選らぶのですが、妻はそんな私に「それは似合わない」とか「これをして行ったら」とか注文をつけます。最後は私の「うるさい、これにする」で決まるのです。

 先日息子が「お父さんこのネクタイ貰っていい」と唐突に言うのです。私のネクタイを欲しがる息子も私に似て無頓着だと思いました。私が好みに合わないと思っていたネクタイなのに気に入って使っていますが、息子は背も高く親が言うのも何ですが、結構男前なのでそのネクタイがとても似合っています。ネクタイも親子兼用なんて時代が来たと思っていたら、まとめて4~5本息子に取られてしまいました。

 退職したらもうネクタイも不要だと思っていましたが、大学の講義や全国を巡っての講演活動にはまだまだネクタイが必要なようです。先日も妻や娘が退職記念にネクタイをプレゼントしてくれましたが、ここに来て役に立つかも知れません。しかし妻や娘はお高い一流メーカー品をくれたのですが、先日東京下町へ行くと1本千円なんてネクタイがたくさん売られており「あの金額なら10本買える」と、帰って妻に話すと「あなたには猫に小判だ」と詰られました。

 妻と娘に買ってもらったネクタイを締めて講演会に行きましたが、ある女性が「いいネクタイしてますね」と褒めてくれました。結局はネクタイしか、はいネクタイしか褒めてくれませんでした。結局は締めやすいお気に入りのネクタイを締め今日も出かけました。

  「このネクタイちょっと派手だと思ったが似合うといわれて思わずニンマリ」

  「ある女性ネクタイ贈ってくれましたもてない夫に妻やきもせず」

  「流行に遅れたはずのわがネクタイ息子の首をシャキリ飾って」

  「虫干しのつもりで締めたネクタイをくれた女性は忘れてました」

  

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shin-1さんの日記

○布団が恋しい季節

 朝晩冷え込んだり、テレビの天気予報で「明日の朝は放射冷却現象で・・・・」とか、「シベリアから寒気の吹き出しが・・・・・」なんて聞くと、ついつい憂鬱になって朝布団から出にくい季節になりました。日本ではベットが主流の洋風生活がすっかり定着しましたが、私は何故か畳に布団を敷いて寝ています。もう60年間もやっている習慣ですからあのギシギシするようなベットには寝れません。そう言いながら旅に出たときはそんなに違和感もなく寝ているのですから、それは私の錯覚に過ぎないのです。でもでも畳の布団で寝ることが私のこだわりなのです。

 私たちは夫婦が同じ布団に寝ています。聞いた話ですが最近の夫婦は別々の布団や別々の部屋で寝る人が多くなったといいます。私にとっては結婚以来続けている習慣なのでこれも私のこだわりでしょうか。お蔭様で夫婦喧嘩もしますが同じ布団に入ると何故か仲が直って離婚するでもなく35年間夫婦を続けることが出来ました。勿論4人の子宝も全てこの布団の中で製造してきましたから、私たち夫婦にとって布団は子ども製造機であると同時に夫婦愛倍増機といったところでしょう。

 寒くなると布団の中ではお互いが湯たんぽの役割を果たします。冷え性の妻は私のマタクラに平気で足を突っ込んできます。おっと、卑猥な表現になりつつありますのでここらで止めますが、兎に角夫婦が同じ布団に寝ることは会話も弾み、いいことだらけだということを強調しておきましょう。

 布団は柔軟体操の場にもなっています。風呂から上がって汗が引いたころ、命の貯蓄体操で覚えた幾つかの体操をするのが日課になっていますが、お蔭様で体の調子もいいようですし開脚はこの歳になっても180度開くにですから布団体操に感謝しています。今は羽毛布団を利用しているので昔のように何枚も重ね布団をしなくてもすみ楽チンです。冬は夜の時間が長いですから昔のように枕元に電気をつけて読書をすることも考えていますが、妻は布団に入って旅番組を見ながら眠気を誘うのが日課、多少の考えや行動の違いは譲り合いましょうか。

  「妻曰くあなたと寝ると暖かいそんな夫婦を羽毛布団が」

  「えっあんた別々寝てる嘘でしょう夫婦は同じ布団で寝るもの」

  「風邪ひいた妻と寝てもうつらない免疫効果注射より効く」

  「世界地図描いた昔が懐かしい布団思い出風にさらして」

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shin-1さんの日記

○短い言葉の数々

 デパチカといえばデパート地下の食料品売り場、デパオクはデパート屋上の遊技場と、まあこんな風な短い言葉が若者の間では日常語として使われています。中年?いや実年組の私たち少々時代に遅れ気味?の人間には、理解に苦しむような短い言葉が次々登場しています。

 昔の歌が再度流行った頃ナツメロなる言葉がお目見えしましたが、カタカナで書いているものですから私たちはてっきり英語とばかり思っていましたら、何と「なつかしのメロディー」の頭を取った略語だったのです。

 私は幾つ短い言葉を知っているのか考えてみましたが、正直なところなかなか思い浮かびませんでした。あなたは幾つくらい言えるでしょうか。ちょっとここで一休みして考えてみて下さい。

 カーナビ(カーナビゲーション)、セクハラ(セクシャルハラスメント)、デジカメ(デジタルカメラ)、コミセン(コミュニティセンター)、トレセン(トレーニングセンター)、トレパン(トレーニングパンツ)などなど、馴染みの言葉から新語まで様々です。しかし短い言葉もみんなが使っているからという安易な考えで使うと、良識を疑われるような言葉もあります。何年か前簡易カメラが登場しました。通称「バカチョン」というカメラですが、観光地へ行くと必ず売っていて便利なものです。ピントもシャッターも自動で調整してくれ、カメラに慣れていない人でも簡単に、「写るんです」という流行語そのままに写るカメラです。しかし同和教育的見地からいうとこれは馬鹿とチョンを組み合わせた差別的発言となるのです。

 朝晩寒くなった今でも若者はこんな暮らしをしているのかな?と思うのが「アサシャン」です。朝髪をシャンプーすることですが、私たち実年組には風呂やシャワーに入って髪を洗うのなら分かりますが、洗面台の前の狭いシンク手洗いで髪を洗うなど殆どしません。「あー私も若くない」としみじみ思います。最近は整髪用のスプレーやムースの登場で、今お風呂から出て髪を乾かしていないのではと思われるようなしっとり髪の女性をよく見かけます。職場にそんな女性がいたので「朝風呂入ってきたの?}と聞き、その女性がキョトンとしていたのを思い出しました。

 言葉は時代を映す鏡ですから、どちらかというと都会から田舎へ、若者から実年への流れで生まれては消えて行きます。日本語なのか外国語なのか、正しい意味さえも分からず、ついつい使ってしまうことだってあるでしょう。流行語大賞などであおるものですからちょっと、いや相当日本語も乱れています。正しい日本語が話せるよう努力したいものです。

  「合唱をハモルと聞いてミスル年何の意味だかチンプンカンプン」

  「ナタデココ食い物だとは知らなんだ子どもの頃に喰ってないから」

  「ドレメなる花嫁修業の場のありて姉ちゃん行ったが言葉分からず」(ドレメは服飾専門学校)

  「フロマネは風呂屋の親父じゃありませんフロアーマネージャーの略語です」

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