○振らないバットにボールは絶対当たらない
私は仕事柄毎日毎日色々な人に出会います。現職時代は毎月600枚もの名刺を配っていました。リタイア後はさすがに少なくなりましたが、今回の長旅では100枚、つまり一箱の名刺をカバンに忍ばせての行脚でした。だのにその名刺が殆どなくなってしまいました。妻に言わせると「名刺もタダではないのだから」と反論されます。でも名刺は「振らないバットにボールは当たらない」のと同じだと思うのです。
野球に「見逃し三振」というのがあります。ストライクと思い込んでバットを振らないことをいうのでしょうが、ストライクやボールをやみ雲に振る必要はないにしても、ボールかストライクか分からない球を振りに行く勇気を持ちたいものです。
この1週間、様々な人に出会い、配った名刺は様々な新たな出会いを生んで行きます。例えば一枚の名刺がご縁で私の元へはたくさんのはがきが届きます。もちろん私もハガキを書きます。この一週間カバンに忍ばせて名刺とともに持ち歩いたハガキを旅先で全て書き終え投函しました。
木曽福島といえば木曽檜の産地で中山道の宿場町ですが、そこで知り合った大目さんとの再会も実は一枚の名刺からでした。高知県馬路村でこの6月に開かれたまちづくり全国大会で大目さんと名刺交換をしました。200人もの大集会で、いただいた名刺の人などいちいち覚えているものではありませんが、大目さんの名刺は免許証タイプで珍しく、私の目に留まりました。私の名刺も渡辺悦子さんが書いてくれた素敵な似顔絵入りの名刺で、立ち話が講じて私は木曽福島へ公園に呼ばれる羽目になりました。もちろん私の基調講演が大きな要因でしたが、私は200人の中の大目さん空受けた強烈なインパクトで覚えていたのですから、大目さんも傑物といわれる人なのでしょう。
私たちはいつの間にかバットを振らない人間になりつつあります。失敗を恐れているのかもしれません。また批判を怖がっているのかも知れません。そして見逃し三振をした後に、「あの時振っていたら」と悔やむし、自分がバットを振らなかったのは監督や周りの人のせいだと「やらないことをやれない」といって言い訳するのです。
私はたとえそのボールに当らなくてもストライクと信じてバットを振り続けます。思い切り振ったバットが空を切り、みっともないような尻餅をつくかも知れませんが、それでもいいのです。バットを振らずに三振するよりもその方がずっとずっと格好いいと思うからです。
今日も私はヒットやホームランを打つ気概を持ってバッターボックスに立ちます。たとえ三振しようとも・・・・・・。
「思い切り 振ったバットが 空を切り 尻餅三振 格好いいね」
「振らないと ボールはバットに 当たらない 買わないくじも 当たるものかと」
「一枚の 名刺が縁で 再開す せめて一枚 そんな出会いが」
「旅先で もらった名刺 取り出しつ 駅のホームで ハガキしたため」