shin-1さんの日記

○大きな忘れ物

 愛媛県では、昨年から今年にかけて台風の上陸が相次ぎ、各地に大きな被害をもたらしました。私の家の裏山も崩れ、その後片付けをしている最中に不注意からチエンソーで足を切って入院する羽目になりました。今でもその古傷が時々痛みます。

 台風の時は消防団の皆さんが自分の危険も顧みず、警戒したり土嚢を積んだりして財産や人命を守ってくれました。

 最近気付いたのですが、そのとき使った土嚢が何故か片付けられもせず、うず高く積まれているのをあちこちで見ます。水害の時はわれ先に奪いあった土嚢も、要らなくなったら放置する。人間なんかこんなものかと人間のわがままに多少呆れています。特に道端の土嚢は車に踏み潰されて中の土が無残にはみ出て、夏草が生え美観を損なうようなものまであります。

 さてこの土嚢は誰が処理や始末をすればよいのでしょうか。消防関係者か自治会か、それとも市役所か当事者か、教えてくれる人もいないものですから勝手に片付けるわけにもいかず困っています。市役所支所に話をしても「調べときます」で何の音沙汰もありません。この分だと来年の梅雨時まで放置される運命にあると思うと、何だか土嚢が可愛そうになりました。バチが当らないとよいのですが・・・・・・。

 土嚢は私たちが子どもの頃稲藁で編んだムシロで袋を作り、その中に土を入れて縄で縛ったものを使っていましたが、今はナイロン製の軽くて強いものが使われ作業も随分楽になりましたが、それでも雨の降りしきる中での作業は、腰を痛めるほどの重労働です。

 最近は消防団も高齢化や、入団を渋る人もいてなかなか厳しいと関係者から聞きました。少年防火クラブ、婦人消防班などあの手この手の普及活動は大変だとしみじみ思います。消防団は字のごとく火を消す、災害を防ぐ日本が世界に誇るボランティア団体です。特に防災も地震対策など幅が広いものですから、私たち自治会も消火や防災のお手伝いをするような気構えが必要です。

 ブログを読まれた方、妙案を教えてください。

 

 

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shin-1さんの日記

○長距離フェリーに乗って

 日本は島国だけあって、全国各地の主要都市を結ぶ長距離フェリーが走っています。時間的余裕のない現代人とって、のんびりと船旅を楽しむ余裕なんてないものですから、主に貨物輸送に使われているようですが、例えば京都舞鶴と小樽を結ぶ航路は一度は利用したいと思っています。

 ところで昨日、仕事で福岡県須恵町に行くため、私は松山ー小倉間の長距離フェリーを使いました。夜9時55分に松山を出向した船は瀬戸内海を走って早朝5時に小倉の港に着きました。あいにくの雨模様でしたが、船を降り各駅停車の鈍行列車を乗り継いで、8時には須恵の駅に降り立ちました。降りてから駅長さんに聞いて気が付いたのですが、アザレアホールのある目的地は一駅先のこと、時間もあるのでゆっくりのんびり歩いてみました。秋風に乗って金木犀の香りが漂い、醤油屋の古いレンガ造りの煙突や町並みを鑑賞しながら、今度の旅はまさにスローライフだとしみじみ思いました。途中路を尋ねた若いお母さんは親切に路を案内してくれたし、人情の温かさも味わいました。

 仕事が終わって再び同じ道と同じ電車を乗り継いで、長距離フェリーの人となりました。今朝5時に松山観光港に着きましたが、九州旅行だというのにホテルに泊まることもなく戦中で2泊しました。船は片道だと4千円、往復だと何故か割引で6千8百円、小倉ー博多間1千2百円、帰りは途中駅からなので1千80円、しめて8千2百80円と今回も安価な旅は大成功でした。飛行機に乗れば片道だけでも1万7千5百円ですから、えらい違いです。

 しかし世の中には私たちが寝ている間に、社会のシステムを動かしている人が意外と多いことに気がつきました。長距離トラックの運転手さん、フェリーの乗組員さんなど様々な場所で黙々と働いているのです。

 フェリーを降りるとき、乗組員さんが「有難うございました」と声を掛けるのに、「私は金を払っている客だ」と言わんばかりに誰も無口で列をなし足早に去っていきました。私は「有難うございます。ご苦労様」と大きな声で言ったら、次の人も少し小声で「有難う」と後に続きました。乗組員さんの顔が嬉しさを表現しているようで気持ちよかったです。もしこの乗組員さんが「無口でしたら「多分お客は「あいさつも出来ない横着者」とののしるでしょう。お互い様の心であいさつぐらい返したいものです。

 年老いたおばちゃんが大きな荷物を持って四苦八苦、私は自分の荷物も両手に抱えていましたが、「持って上げましょう」と荷物を持って階段を渡りました。おばあちゃんは別れ際「有難う。助かりました」といって両手を合わせ拝んでくれました。こちらも思わずいい気分になりました。世の中左様に小さな新設が小さな和みの花を咲かせるのです。雨もあがり傘が無用の長物となりましたが、傘を忘れることもなく無事家に帰りました。泊まりに来ている孫が「おじいちゃんお土産は」。しまった忘れました。でも絵本を見ながら大きな船の話を土産話をしてやりました。孫が習いたての「海は広いな大きいな・・・・・。を歌ってくれました。

 余談ですが、レーダーがあると言いながら、船はあの暗闇をよく目的地に進みますね。船員経験のある私は分かるのですが、暗闇を走るときは自分の船も暗闇にしないと、自分の明かりで相手が見えず危険なのです。私の発見した「暗闇同化」の理論です。自分の位置を知らせる最小限の光を発しながら周りと同化することは人生においても学ぶべきことが多いと思います。

 

 

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○ナミ子姉さんの心のうた

 叔母が長年大学ノートに書きとめていた短歌を数年前一冊の本にするよう勧め、私が本の構成を頼まれ印刷した「ナミ子姉さんのうた」という本が、私の書棚にあります。100ページにも満たない小さな本ですが、私はこの本を見る度に人にはそれぞれの人生があるものだとしみじみ思うのです。

 12人兄弟の7番目の子ども(私の父は12人兄弟の長男)として生まれたのは昭和5年でした。以来貧乏ながらも家族の温かい人情にはぐくまれ、戦中戦後を必死に行きながら、その折々に短歌や俳句それに短文を何冊も書き綴ってきました。4人の息子の2人までも海難事故で亡くすという悲運や、自分の病気と戦いながら書いたものは胸を打つものが数多くあり、思わず涙するものまであります。

 数回の旅行を除いてまちを出たことのない、また小学校しか出たことのない叔母が、何処でどう読み書きを習い、俳句や短歌を習ったのか定かではありませんが、まさに叔母の生き方そのものが生涯学習だとしみじみ思うのです。

 鉛筆と消しゴムでしか書けない時代のつたない文字であっても、どんな美しい文字より素晴らしい説得力があると思うのです。

 私は文章に行き詰ったらこの本を開けます。そしてこの本から不思議なパワーをいただきまた次の作業へと進めるのです。

 私たちはいつの間にか偉い人の文章に憧れ、偉い人の言葉に生き方を求めてきました。しかし、どこにでもいるような普通のおばさんの言葉には得てして見向かないものです。叔母の生き様といえるこの本はまさに生き方を教えてくれる本なのです。

 自分がいなくても地球は回ります。しかし自分がいないとある部分が回らないことも事実です。人間は自分中心でこの世の中が回っているような錯覚を持つものですが、今一度自分の身の回りにそうした人たちがいることの確認をしてみることも必要なのかも知れません。

 私の書いた「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という本など、「ナミ子姉さんの心のうたに比べたら相当レベルが低いと実感する今日この頃です。

 今晩から福岡県須恵町へ仕事で出かけます。明日はshin-1さんの日記はお休みです。

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○酒の席

 自宅の敷地内にある私設公民館「煙会所」は4畳半の畳敷きの真ん中に囲炉裏が切ってあります。私が一番酒を多く飲んでいた30代後半のころ、その部屋の周りにビールの空瓶を並べていってグルリと結んだことがありました。今考えると酒を楽しむというよりは無茶飲みといった感じでした。多分そのツケが回ったのでしょがか胆嚢を患い、今ではまったく酒が飲めません。のめないというよりは飲まないのかもしれませんが、禁酒の誓いを自分と約束してもう5年が過ぎました。今は酒が側にあっても何とも感じないのだから不思議なものです。

 一番困るのは酒席の多いことです。現役の時代から比べたら相当数減りましたが、それでも1週間に一度はあるものですから、ウーロン茶一辺倒で対応しているのですが、酒席2時間はさすに長くしんどいなあと思いつつ過ごしています。しかし2時間の酒席で人はどのように変化するのか観察してみるとこれが病みつきになって結構面白い人間模様が発見できるのです。酔うほどに楽しい人、怒る人、喧嘩を吹っかける人、泣く人など様々です。酒が怖いと思う人も酒が心の扉を開いてくれる人もいるから、やはり酒の飲み方はしっかりと考え、飲んだら運転しないなどのマナーも必要かもしれません。

 私は酒好きだったものですから、飲んだら必ず妻の運転する車で移動したものです。仲間からは「進ちゃんの10円タクシー」などと呼ばれていました。つまり公衆電話10円で妻が迎えに来る手はずのことです。当時は携帯電話もない頃ですから、連絡の不一致で随分待ったり待たされたりのイライラで妻と喧嘩もしました。時には10円タクシーを呼んでおきながら自分はタクシーで自宅へ帰ってしまい、そのことが原因で2日間も口を利いてくれない妻の反抗にもあって、随分反省をしたものです。今は酒を飲まないため10円タクシーは弊店休業に追い込まれていますが、午前2時ごろでも平気で妻に電話して、10円タクシーを要請したことを懐かしく思うと同時に、済まない気持ちでいっぱいです。

 昨夜は久しぶりに仲間と松山で酒席を張りました。酒の席でしか出ない話に花が咲き、人間牧場の色々を聞かれ、近いうちに人間牧場水平線の家で飲む約束をさせられました。今朝その仲間から電話がかかってきました「夕べはどうも。夕べ話した人間牧場行き、楽しみにしています」ですって。酒を飲まない私がすっかり忘れてい手、酒を浴びるほど飲んだ仲間が覚えている。世の中はやはり酒飲み社会の理論で動いているのでしょうかねえ。

 熱燗恋しい秋の頃、ちょっぴり酒が恋しくなりました。「野菊見つ夢を肴に酌み交わす」、夢でした。

 

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shin-1さんの日記

○食事の門限

 健康に気を使う年齢になると、美味いものより体にいいものを食べるようになりました。特にみのもんたのおもっきりテレビなどを見た日は、妻の作る食事に変わりはないのですが、何故か食べるときに能書きや知ったかぶりの薀蓄をやたらと聞かされ、「これはお父さんの体を思って作ったのだから食べてください」とまるで監視付きです。

 今日は秋刀魚の刺身が出ました。多分テレビで青魚に多く含まれるDHAの話を聞いたのでしょう。妻が「この魚は・・・・」と言い始めたので、「分かった分かったDHAが大分含まれていて、成人病予防は老化防止に役に立つのだろう」と先手を打つと、何で知っているのとキョトンとしてあっけに取られていました。

 それにしても今年は秋刀魚が安いです。脂の乗った旬の秋刀魚は私たち庶民にとっては有難い豊漁なのですが、漁師さんにとってはこのところの原油価格の高騰がもろに響き、廃業寸前に追い込まれている人もいると聞きました。金子みすずの浜は大漁、海の中ではいわしの弔いといった逆の現象が起こっているようです。

 このところ忙しい日々が続いてまともな食事をとっていません。昼飯は平気で抜くわ、夜は遅いわで食事が健康の元と分かっていても、現役の時のような不規則な状態が続いています。大病を患ってからは食事に門限を作っていました。私の食事の門限は9時、それ以降は極力食べないように努力してきたのですが、先日も悪いこととは知りつつあえなく門限を破ってしまいました。案の定体に変化が起こり体の調子が今一になってしまいました。やはり食事の門限は守るべきと心に誓いました。

 それにしても、長男が結婚して別居し、末っ子も半年合宿の学校に入校し、我が家は只今次男と私たち夫婦の核家族になってしまいました。勿論隠居に父が暮らしていますが、夕食のみの対応なので、一ヶ月前と今とではご飯、おかず、牛乳、パン全てに随分作ったものが残るようになりました。もったいないの精神を自称する私としては妻に度々注意をするのですが、なかなか美味くいかず、結果的にはゴミとして処分してしまいます。物のない時代に育った私としては心が痛みます。妻と相談して何とかこの悩みを解消したいものです。

 先日デパ地下に行きましたが、地下の食品売り場はすっかり様変わりしていました。つまり惣菜屋がこれでもかと言わんばかりに軒を連ねていました。その惣菜屋にはお袋の味といわれるような調理した食べものが何でも売っていて、お客は先を争うように少量多品目を買い求めていました。家で作れば手間とゴミとができます。少々のお金で暮らしに彩が添えられるとしたら、多少の出費は我慢するのが現代の暮らしです。

でも妻の手作りの食べ物の方が美味いに決まっていると心に言い聞かせて、味見をしながら通りすがり増した。飽食日本、物余り日本、贅沢日本、本当に困った世の中です。

 私は買えないのではありません。買わないのです。

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○私のペンネームは大根心

 かつて私は教育委員会に勤務し、公民館活動をやりながら町の広報を書いていました。タブロイド版とはいいながら毎月2回の発行はすさまじい仕事量で、寝る暇を割いて紙面づくりに明け暮れました。10年間で240号をたった一人で発行したのですから、立派というほかはありません。当時はワープロもパソコンもなく鉛筆と消しゴムの原稿書きでしたから、机の下は消しゴムのカスと間違って書いては丸められた原稿用紙が所狭しと散らかって、まるで売れない貧乏作家の部屋のようでした。

 しかし今思うに若さにまかせて何の屈託も疑問もなく、使命感を持って望んだこの仕事が、実は「書く」という大きな宝物を得ていたのです。私にとって「書く」という作業は喋ることや実践することと同じくらい重要な意味を持っています。インターネットが普及しブログに雑文を書く作業も、雑誌依頼の原稿を書くことも全て「書く」という行為で、随分書けることによる恩恵を受けてきました。まさに「鉄は熱いうちに打て」の格言そのままの修行をしました。私の書棚にはファイルに納められた240号の広報がしっかりと収納されています。

 町の広報は町の歴史そのものでもあります。ひとつひとつの記事には取材で出会った町民の顔や声が秘められており、懐かしさでいっぱいです。

 その広報に「こちら編集局」というコラムを私的タッチで書きましたが、その時のペンネームが「大根心」だったのです。時には痛烈な行政批判を隠し味として書いたため、町長や議会からクレームをつけられたりもし増したが、読者たる町民からは様々なエールが送られてきました。町名変更の責任を取って異動させられた時まで10年間にわたって書いた「大根心」の戯言は自費出版「町に吹く風」にまとめられ発行しました。

 「大根心」というペンネームのいわれは、大根は根の白い部分を食べるのですが、ついつい緑の葉っぱに人の目が行きがちです。でも本当は地中に埋まって隠された部分が値打ちなんだと、自分を戒めるつもりで名付けました。

 大根が美味しい季節になりました。我が家の畑の大根もやっと大きくなって、もうそろそろ食べごろです。昨日始めて収穫した大根ですり大根を作り、水炊きのタレに入れて食べましたが中々の味です。そろそろおでんとして煮込まれることでしょう。また葉っぱは菜飯、根は沢庵に漬け込んだり、最近よく食べる大根サラダとしても重宝です。今年は早く種を蒔いたため残暑で害虫にやられてしまいましたが、それでも自家には問題ないようです。

 「大根を見る度思うペンネーム良くぞ書いたね10年間」って心境ですが、お陰で今朝もブログに走り書きしました。

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shin-1さんの日記

○校長会で顔が紅潮し心が高潮しましたが好調に話しました

 日本語は難しいとしみじみ思います。漫才のねたではありませんが、《こうちょう》というひらがなをパソコンに打ち込むと校長・紅潮・高潮・好調などが出てきます。うっかりすると自分の考えた漢字とは違った漢字に変換され感じ悪い結果となります。

 私の友達はそのことを逆に取って「言葉遊び」なるジャンルを開発し楽しんでいます。例えば《観光から歓交へ」などと屁理屈をつけ、観光の持つ意味を現代風に分かりやすくアレンジしていくのです。慣れていない人や生真面目な人は、それは邪道だなどと文句を言うのですが、それが正論だけに反論の言葉もありません。要は楽しめばいいのです。その意味でいうと今日のshin1-さんの日記のタイトルは言葉遊びなる学問(学問といえるかどうか)からいうとまさに名言と、自画自賛しています。

 今日は旧知の校長先生の口添えで地域の中学校で開かれた校長会に招かれ一席ぶちました。話を仕事とするプロ集団に喧嘩を売ることは自殺行為に等しく、出席するまでは気が重かったのですが、壇上(実際はワンフロアーでした)に立つと、知人友人顔見知りばかりなので肩の力が抜けて、顔を紅潮させながら、心も高潮し、絶好調といかないまでも楽しい話をさせてもらいました。

 今日は午前中その話をしてから、松山のホテルで愛媛県ガス協会の記念講演会をこなし、夜は大学の講義とダブルヘッターならぬ三回転ジャンプをやり、帰宅は9時過ぎ、腹は減るしさすがに少し疲れたものの充実した一日でした。

 しかし驚いたことに私を口添えしてくれた校長先生は、私のブログを読んでこっそり人間牧場の見学を試みていました。さすが素早い行動力に感服し、私の会話がスムーズに進みました。校長先生とは2年間でしたが、様々な教育談義をしたものです。校長と教育長という垣根を越えた議論は、お互いの仕事に大いに役立ったことは言うまでもありません。本当は今もそんな議論をしたいのですが、教育長という職を辞した只の男に議論をふっかけても一文の得にもならんと言わんばかりにみんな私を避けているようです。今日もある校長先生が「早く若松さんに近づきたい」と言いましたが「私はあなたが近づく頃には進化してもっと先へ行っている」と啖呵を切ってしまいました。

 学校は校長先生の良し悪しで大きく変わります。いや大きく変わって欲しいのです。校長いや「長」の付く人は「金出す」「口出さない」「責任とる」の三つが必要です。その気持ちがあれば部下は一生懸命働くのですから・・・・・・・。

 

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shin-1さんの日記

○煙会所界隈

 我が家の敷地は田舎なのでしょうか、とても広く都会では考えられない660坪もあります。日本家屋の母屋、隠居に加え、庭付き、畑付き、セカンドハウス(煙会所と名前の付いた茶室風の一戸建て)付き、資料館付き、東屋付きと一応は何でも揃っています。しかし広いのも良し悪しで、草萌える春から夏になると雑草が一面に生えて、親父はその対応に追われています。季節が巡ってやっと草の勢いが止まったので今はホッと一息ついたところです。

 親父はいじりが好きで、石や植木をあちらこちらに配置して楽しんでいますが、庭の手入れも全部自分がするほどので、近所の庭木屋さんが驚くような腕前の持ち主です。

 煙会所の前には立派な鯉を数匹飼っていますが、ヤマモモの庭木が少し弱ったので、取り除き池を広げることになりました。数日前から池の水を抜き、大きな水槽に鯉を移転させ、土木業者がはつって池を広げる作業をしていましたが、この程完成しました。池は今までの倍に広がり、立派な池専用に浄化槽ポンプが取り付けられましたが、88歳になるというのに衰えない親父の発想と行動力にはただただ驚かされます。妻は歳を重ねている父を気遣って池に落ちては大変と、今度の工事には大反対しましたが、ガンとして聞く耳を持ちませんでした。

 言ってはいけない話かもしれませんが、親父がかりに100歳まで生きるとして後12年です。時折「疲れた」とか「わしゃあ来年はもう庭木の手入れや刀の手入れ、草取りはようせん」と弱音を吐くようになり、体力・気力の衰えを感じるようになっていますが、果たして親父のやっている日常の作業を自分が全て受け継ぐことにはまったく自信がないのです。そのことが不安のひとつでもあります。しかし親父の好きなようにさせてやりたいと思う心根の優しさも私は持ち合わせているものですから、無理には反対しません。が、私から息子の代になるとこれまた大変です。

 煙会所界隈は進化しました。緑が消えた分少し殺風景になりましたが、それでもすっきりして見違えるようになりました。この煙会所も私が青年の船で建国200年のアメリカへ行ったあくる年の昭和51年に建てたものですから、もう30年の時を刻んでいます。全国から沢山の人を迎え入れて着ましたし、私の人生にとって様々な深い縁を結ばせてくれました。私の発想の原点は色々ありますが、人間牧場の構想も多分この煙会所から生まれたものと思われます。

 小さな囲炉裏を切った4畳半のちいさな庵の煙は「来る人拒まず去る人追わず」を庵是年、この煙会所の煙は、青森県から鹿児島まで分家の数何と17にまで広がっています。

 煙会所を造ったころ、窓辺の向こうに長い鉄橋が見えていました。その後周辺には家が立ち並びその風景は一変しましたが、銀河鉄道と命名した特急が鉄橋を走る姿は姿を消し、少し寂しくなりました。また窓からは港の赤い灯台や夕日も見えていたのですが、これも外へ出ないと見えません。でもそのロケーションは人間牧場に座を譲ったと思えばいいのですから・・・・・・・。

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shin-1さんの日記

○子育て講演会

 来年一年生になる子どもを持つ親を対象にした子育て講演会に招かれました。最近は修学前の説明会や身体検査をする日に、講演会をする学校が多くなりました。子どもが学校へ上がる前にどういう子どもの育てたいか夢を描くための予備知識なので余り難しいことは語らないつもりでしたが、熱心で素敵なお母さんの集まりとあって、余り関係はないと思うのですが理髪店で散髪までする熱の入れようで、たっぷり1時間30分しゃべりました。

 講演会が終わって子どもの手を引いて帰る何人かのお母さんたちに立ち話インタビューを試みましたところ、午後1時30分からの講演会にもかかわらず、面白かった。ためになった。眠くなかったそうです。私としては嬉しい回答でした。

 今日の学校は私たちの町の小学校から比べたら月とスッポンくらい違う千人弱の大規模校で、顔見知りの校長先生は子どもの名前を覚えられないと嘆いていました。私自身も学校の何処が正面玄関なのか裏口なのか校内で迷いましたので、子どもに職員室は何処か聞いたところ、わざわざ連れて行ってくれました。子どもは小さい頃こんなに優しいのに、教育を受けて大きくなったら何で悪くなるのか不思議でなりません。

校長室での雑談話題を二つ、ひとつは学校で何を学ぶかという話です。勉強といえば簡単な答えでしょうが、現代の子どもは知識だけを吸収し人間的感性は二の次のようです。子どもを茶碗に置き換えて考えてみましょう。もともと人間が人間たるゆえんは知識と感性が半々の双魚図で茶碗の半分は知識、もう半分は感性であるべきです。しかし学力テストによって外国と日本、県と県などの成績が公表されるとやれ学力が低いと騒ぎ立て、結果てきにはやっと定着し始めたゆとり教育など、忘れていたかのように消されてゆきます。教育は国家百年の体系で右往左往すると混乱するだけで終わってしまいます。要はだれも子どもの結果に責任を持とうとしないということです。

 もうひとつの話題は校長室にかかった掲額についてでした。何処の学校の校長室にも偉い人物の書いた掲額がありますが、広瀬淡窓の「鋭きも 鈍きもともに捨てがたし きりと槌とに使いわければ」は味わい深く、ついつい紙の端にメモして帰りました。教育の現場では使えそうです。

 

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○対立軸

 世の中には鏡に写る自分の姿のように、虚像と実像、左と右、上と下、天と地、好きと嫌い、損と得、善と悪、夢と現実などなど様々な対立する言葉があります。人間はいつも頭の中でそのことを判断し、選んだ方向に向かって進みます。自分の選んだものが正しかった場合は嬉しくなりますが、間違った判断だと時には失敗や大損をこうむることがありますから、判断力は人間がこの世に生きてゆくための大切な道具です。特に自分の判断が多くの人の生き方を左右する場合は、しっかりと熟慮しできるだけ正しく早い判断が求められます。

 しかし時には自分の判断のほうが正しいのに、その判断する人の判断が間違っているとえらい目にあっありします。例えば自分が無人と生活をしていた時、台風が来るから非難したほうがよいと上の人に言っても、その人が逆の判断をすると参加者は危険にさらされるのです。また国語のテストで「この絵を見てあなたはどう思うでしょう」と答えを求められても、答えは幾つもあるのですから、試験官の判断が正しいとは限らないのです。人生はそんな場面によく出くわします。自分流の判断や答えが受け入れられなかったら、運が悪いと思えばいいのですが、「私の判断が正しかった」とか「私の考えも正しい」などと人間は得てしてそんな時後で文句のひとつも言いたくなるのです。「俺は何て不幸に生まれたんだ。また貧乏くじを引いてしまった」と・・・・・・。

 人間は思い込みの動物ですから、思い込みを正さなければ一生貧乏くじをする引くことだってあります。しかし自分の判断ミスを人のせいにするような人間にはなりたくありません。その判断をしたのは自分だし、その判断によって人が判断したのも元はといえば自分なのです。

 昨日もささいなことから判断ミスを犯してしまいました。その時は相手の出過ぎたまねに憤慨しましたが、考えてみればそれは私のためを思ってしてくれた親切なのだと思うと随分楽になりました。

 夏目漱石の草枕の一節の如く「情に竿さしゃ流される。とかくこの世は住みにくい」ものなのです。言葉や行動の裏と表を読み取る技量が見に付くのはまだまだ先のようですね。

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