人間牧場

〇同じ歳でも若く見えるのは何故?

 昨日は定期健診日で朝から県立中央病院に出かけ、病院内をウロチョロしていました。田舎者の私でも病院内を歩いていると結構顔見知りの人もいて、声を掛けたり掛けられたりしました。掛け合うことばは「元気ですか」「お久しぶりです」「何処が悪いの」くらいですが、体が悪くて病院に来ているのですから、「何処が悪いの?」はないもんだと苦笑いしながら、同じような会話を繰り返すのです。

美しい女優吉永小百合さん
美しい女優吉永小百合さん

 昨日突然、病院内の待合ロビーで同級生を見つけました。丁度一年前古希の祝いの同級会で元気な姿を見せていただけに、その変貌ぶりは「別人では?」と思うほどでした。付き添いの奥さんの話によるとガンらしく、手術をして一命は取りとめたようですが、今もその後遺症処置のために1週間に一度病院へ通っているようでした。ここだけの話ですが、同級生の容姿を見て、手前味噌ながら私と同級生とは思えないほど年寄りに見えました。かくいう私も自分では若いつもりでいても、他人から見ればいいおじいちゃんなのですから、人のことなど言える柄ではありません。

 昨日テレビを見ていると、女優吉永小百合さんの朗読活動ぶりを紹介していました。吉永小百合さんはデビュー以来今日まで、私の大好きな清純スターですが、吉永小百合さんの年齢は多分69歳で、誕生日は3月13日だと記憶しています。つまり私とは遅生まれれの同級なのです。人は何故老いて見えたり若く見えたりするのでしょう。私を基準にすれば、吉永小百合さんの見た目の若さはダントツです。顔を売る商売なので手入れにお金をかけ、体形を保つ努力を一生懸命しているのでしょうが、そこへ行くと私などは健康保持のために毎日そこそこトレーニングはしているものの、顔や頭に化粧品等塗って手入れをしたことも殆どない無頓着さです。

 一方私と同じ同級生でもガンになって手術をしたりすると、昔の姿が一変するほど歳を取って見えるのです。少なくとも昨日病院で出会った同級生が、吉永小百合さんと同年齢だとは誰も思わないはずです。同級生も吉永小百合さんも、勿論私も1年365日は等しく与えられた時間です。いつまでも若くありたいともう心も大小の差こそあれ一緒です。吉永小百合さんほどは望むべきもありませんが、せめて歳相応の若さを保ちたいものです。そのためには今やっている健康保持のためのトレーニングをしっかりやることでしょうか。さあ今朝もこれからジョギングやウォーキングに出かけてきます。外はまだ暗いようですがいつものことなので・・・・・。今日も一万歩を目指します。

  「病院で 一年ぶりに 出会ったが 変貌ぶりに 驚くばかり」

  「明日命 さえも分らぬ わが身にて 今を楽しく 生きて行かねば」

  「名女優 聞けば生まれは 同級と いやはや驚き 俺は一体」

  「それなりに 可もなく不可も ないように 歳相応と 思っていたい」

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人間牧場

〇孫の始業式発表

 年も押し迫った昨年末、小学一年生の孫希心が、3学期早々の始業式で「、冬休みの思い出」を作文発表することが決っていることを知りました。孫希心は冬休みを迎えるに当って、「毎日マラソンをする」「縄跳びを30回できるようにする」の2つを目標に掲げていました。毎日マラソンは年末年始13日間の冬休み中突風大風が吹いて危険で、仕方なく休ませた6日を除けばパーフェクトだし、苦手な縄跳びも何とか30回まで飛べるようになったのですから、これはもう誉めてやらなければなりません。

 さて冬休みの思い出を400字詰め原稿用紙3枚に書くため、孫は母親と楽しかったことをメモしていたようで、始業式の前々日に書き上げ、家で何度か練習していました。練習が終わり少し自信のようなものがついたのでしょうか、私と妻に「聞いて欲しい」と風呂に入る前、暖房の効いたダイニングに座らされました。「声が小さいのでもっと大きく」とか、「もっとゆっくり」とか、駄目出しをするので、孫は少し不機嫌になったものの、何とか作文は仕上がり、何とか発表に間に合ったようでした。

 始業式の前日学校へ母親が練習のために連れて行き、昨日の本番となりました。担任の先生の指導もあって、昨日は思ったよりいい出来だったと、ビデオカメラを持って聞きに出かけた若嫁が嬉しそうに帰り、私も早速若嫁の撮影したビデオカメラで、孫希心の勇姿を見せてもらいましたが、「中々の出来栄え」のようで、昨日は帰宅した孫を目いっぱい誉めてやりました。妻はご褒美に孫の大好きなイチゴをプレゼントしたようで、目出度し目出度しでした。

 孫の作文の中に、年末人間牧場で開催した餅つき大会の模様がリアルに描かれていました。おじいちゃん(私)に教わって杵で餅をついたこと、ふわふわの餅を丸めたことなどが書かれていましたが、子どもはこうして色々なことを体験し大きくなるのです。育爺たる私の役目も、口うるさい爺ちゃんだけでは嫌われます。でも嫌われても「ならぬことはなりませぬ」を貫くのも育爺の仕事です。わが家にはもう一人保育園年中の孫奏心がいます。これからもしっかり育ててやりたいものです。

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〇「これでいいのだ」バカボン思想

 正月用についた餅をポリバケツに入れて4~5日蓋をして、廊下の隅に置いていましたが、昨日妻は水を注いで水餅にしていました。これも餅を長く保存して食べる生活の知恵でしょうが、私は床の間にお三方で飾っていた大きめの鏡餅を、包丁で8等分に切りましたが、既に硬くなっていてかなり難儀をしました。鏡餅は普通鏡開きやどんど焼きを終えてから処理するのが通例ですが、そこまで置くと硬くなってひび割れがしたりカビが生えたりするので、わが家では勿体ないの思想で毎年こうして食べています。

 わが家では正月以来毎日毎朝、パンに変わって主食はお餅の日々です。私も妻も餅が大好きなので、何の違和感もなく焼いてしょうゆ味やきな粉をまぶしたり、時には雑煮にしたりして食べていますが、パンに比べて腹持ちがよく、妻は「お餅のせいで少し太ったよう」だと、不摂生を餅のせいにしています。今日は小豆を使ってぜんざいを作るようで、すでに小豆は購入していて、焼いたお餅を入れたぜんざいができるのを楽しみにしています。私は甘党ではありませんが、お酒を止めたこともあって、少し甘党寄りになったようです。

 過去は大酒を飲みだった私も、体調を崩してから摂生し、「酒も呑まず煙草も吸わず、コーヒーも飲まず賭け事もせず、100まで生きた馬鹿がいる」と揶揄されるほど今は品行方正で、働くことが趣味という超真面目な人間になっていますが、よくよく考えてみれば、無芸大食で何の楽しみもなく生きている私を、周りの人はどう見ているのでしょうか、少しだけ気になるところです。妻は大酒を飲みで世話の焼けた昔の私を知っているだけに、真面目な今の生き方を大歓迎しているようですが、果たして人生これでいいのでしょうか?。

 先日年輪塾の講師で招いた大洲藤樹会の辻会長さんが、かつて流行った漫画「天才バカボン」の主題曲を披露され、歌詞に出てくる「これでいいのだ」を力説され、その後塾生たちは何かにつけ、「これでいいのだ」をまるで呪文のように連発しているようです。「これじゃあ駄目だ」と思うのか、「これでいいのだ」と思うのかは人様々です。向学は「これじゃあ駄目だ」の思想だし、暮らしはある意味「これでいいのだ」と妥協しないと生きて行けないのも事実です。さすがに70歳を迎えると、「これでいいのだ」と思う程々な生き方も、悪くはないと思う今日この頃です。

  「太り気味 餅のせいだと 妻は言う 不摂生なる 日ごろ棚上げ」

  「毎日の ように餅食べ パン食べず これでいいのだ 言い聞かせつつ」

  「そういえば 天才バカボン その昔 流行ったことを 思い出しつつ」

  「当分は 餅が夫婦の エネル源 今朝も早速 きな粉まぶして」

 

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人間牧場

〇耳は鍛えられるのだろうか?

 今年の正月2日の初売りで、息子が家電店で買ってプレゼントしてくれたコンパクトなCDラジカセが、まだ聴き始めて5日間ながら、私の日々の暮らしに彩りを添えてくれています。私は古い人間ゆえ今時の若い人のように、音楽を聞きながら本を読んだり原稿を書いたりすることは、音楽が気になって集中出来ないと思っていました。ところがどうでしょう。この5日間だけなので何ともいえませんが、音楽を聴きながら原稿を書くとイメージが膨らんで、書くスピードもそんなに変わらないのです。私もやっと「音楽を聴きながら文字を書く・本を読む」ことができる「ながら族」の仲間入りをしたようで少し嬉しくなりました。

 今聞いているのは、若い人の好きな音楽ではなく、「ハーモニカで綴る安らぎの世界(日本の叙情歌)(日本の童謡)」というCDですが、これがまた心の扉を開けてくれるようで気に入って聴いています。昨日は原稿書きの途中で木になるカバンの中に入れているハーモニカを取り出して、音楽に合わせて吹いてみました。まだまだ下手糞ですが、今年はすっかりご無沙汰しているハーモニカも、少し練習してみようと思っています。
 音楽の世界は私の耳の存在を意識させ始めています。昨年70歳になった私の耳は確実に退化の一途を辿っていて、どうすれば退化のスピードを遅くすることができるか考えていますが、妙案もないまま歳のせいにしてこれから生きるのは、余にも無策過ぎるような気もするのです。

 「耳は鍛えられるのだろうか?」、これが私の新たな疑問です。息子がプレゼントしてくれたCDラジカセが、急に私の耳の存在を意識させ始めました。パソコンを打つ手を休め、両手で耳にさわりました。私の人生において大きな役割を果たしてきたであろう自分の両耳は、鏡を見ない限り見ることができませんが、この突起物の存在に今頃になって気付く愚かさをしみじみと思いました。中学生のころ仮性近視になって、遠くを見るなど訓練した結果治り、この歳になっても眼鏡のご厄介にもならず裸眼で新聞や本が読めるのですから、ひょっとしたら耳も鍛えられるかも知れないのです。

  「読み書きと 聴くを一緒に できないと 思っていたが できるじゃないか」

  「ラジカセの 音に合わせて ハーモニカ 吹いて練習 新たな挑戦」

  「歳のせい 思っていたが 訓練で 多少改善 目と耳までも」

  「音楽が 日々の暮らしに 彩りを 添えて楽しい 今頃気付く」

 

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人間牧場

〇実のなる木

 わが家には柑橘類といった果樹以外に、南天や千両、万両、クロガネモチ、クチナシ等実のなる木が沢山あり、寒くて餌の少なくなったこの時期には、小鳥たちが沢山集まって、実を啄ばんでいる姿をよく見かけるようになりました。特に私たち夫婦が毎日食事を取るダイニングの、大きな掃き出窓から見える裏庭のクロガネモチの木には、今年沢山の赤い実がついて、殺風景な冬の景色を彩ってくれています。

窓から見える赤い実のなったクロガネモチの木
窓から見える赤い実のなったクロガネモチの木

 このクロガネモチの木は三男が中学2年生の時、少年式の記念樹として学校から貰ったもので、記念樹ゆえ何処に植えるか迷いましたが、植える空き地が見つからず、現在の所へ借り植えしたのです。その後2~3年は余り成長もせず気にも留めていませんでしたが、最近になって急に太り始め、今年初めて大量の真っ赤な実をつけたのです。これ以上この場所で大きくなると、石垣に悪戯する恐れがあるので、そろそろ植え替えなければならないようです。

 植え替える場所は玄関右側に植えている、ヤマモモの木が枯れかけているので、交代させようと思っていますが、妻は毎日赤い実に集まって来る小鳥の姿が見れなくなることを理由に反対しているようで、はてさてどうしたものか思案中です。
 小鳥は平和の使者とでもいうのでしょうか、食べた木の実を腹の中で消化し、消化し切れなかった実を飛んで行った場所に、糞とともに落とし、新しい命を芽生えさせてくれるのです。多分わが家の真っ赤なクロガネモチの実も、小鳥たちによって野山に運ばれ、人知れず芽生えるものと思われます。まさに命のリレーなのです。

 

 

 

  「わが息子 少年式の 記念にと 貰って植えた 今では立派」

  「赤い実を 求めて小鳥 やって来て 啄ばむ姿 ほほえましくて」

  「食べた実は どこか運ばれ 人知れず 芽生えて大樹 なるかも知れぬ」

  「動物が 植物命 リレーする 自然こうして 巡るものです」

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〇今日から始動

 今年は曜日配列の妙で、年末は27日から土・日・月・火・水と5日間、年始は4日まで木・金・土・日と4日間、日曜日がサンドウィッチのように挟んで、合計9日間もお休みが続きましたが、年末年始休みも昨日で終わり、今日から日本列島が永い眠りから覚め、いよいよ完全始動です。息子も妻も、孫も若嫁も、そして今年数え年で97歳を迎えた親父までも、今日からデイサービスが始まるので、朝から何かと慌しそうに振る舞っていました。今朝はいつもの日より少し早く孫たちが2階から降りてきて、午前6時20分にジョギングがスタートしました。今朝は穏やかな日和に恵まれ、西の空に夕日と見紛うほどの黄色に輝くお月様を見ながら走りました。

夕日と見紛うほどの今朝の月
夕日と見紛うほどの今朝の月

 孫たちと私の歩幅も冬休みの早朝ジョギングですっかり息が合うようになり、黄色いお月様や空を飛び交う飛行機の点滅明かりの話をしながら走りました。帰宅すると直ぐに、今日はゴミ出しの日なので、正月期間中に出た家中のゴミを集め、一輪車に積んで20m先のゴミ集積場まで2回も運びました。私の家がそうであるように近所の家庭から出たゴミも相当な量で、集積場には沢山の生ゴミが山のように出ていて、目敏く見つけたカラスが人の気配がなくなると、どこからともなく飛んで来て、啄ばみ始めました。カラス除けに用意している網を被せると、カラスは何処かへ飛んで行きましたが、このゴミを金額に換算するとどれほどになるのだろうと、入らぬ詮索をしてしまいました。

 サンデー毎日の私にとって完全始動はまだ少し先になりますが、私も気持ち的には今日から仕事始めをしようと思っています。今年は退職後造った人間牧場も、早いもので10周年を迎えます。正月前に立てた目標の一つに、「人間牧場物語」の執筆があります。まだ構想段階ですが、起こした36項目目次に沿って、一項目A41枚程度を毎日書いたとしても、36日かかる計算だし、凄い量の原稿になるので、はてさてどんな雲行きになるか、まだまだ未知の部分が多いようです。
 一週間前から私の携帯電話のメールに、迷惑メールが頻繁に入り始めました。息子に相談すると、Gメールやfacebookはパソコンやタブレットでも入ってくるので、この際携帯電話のメールアドレスを当分の間中止しようと思い、若嫁にNTTへ持って行ってもらうよう頼みました。アナログ人間の私には分らない情報化時代の混乱です。

  「西の空 満月入り月 茜色 綺麗綺麗と 言いつつ走る」

  「飛行機を あれはUF 言う孫と 話しながら 早朝ジョギング」

  「今日5日 日本列島 始動する わが家も今朝は それぞれ始動」

  「今日からは 私も性根 据えようと 机に向かい 原稿を書く」 

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人間牧場

〇思わぬわが家のハプニング

 わが家では大晦日から正月三ヶ日の昨日まで、おご馳走の毎日でした。うどんやソバに加えお餅を主食に、おせち料理やお魚料理がふんだんに並び、少し食べ過ぎた感じがするほどでしたが、正月こそ体力づくりをと思っていたので、朝・昼・夕方とジョギングや散歩に出たお陰で、1日一万歩の目標を大幅に超え、大晦日を含めたこの4日間は毎日1万5千歩を記録することができました。1歩60cmと見積もっても36キロ歩いた計算になるのですから、まあそれなりに体力維持は出来たものと満足の手合いです。

 昨日わが家では思わぬハプニングが起こりました。2日に妻が作ったカキフライが原因と思われる軽い食中毒に私、息子、若嫁、孫希心がなってしまったのです。カキはあたった経験があるからと食べなかった者は難を逃れましたが、4人は水のような便に悩まされたものの比較的症状が軽く、私は正露丸を飲んだお陰で直ぐに症状が回復し、夕方には食欲も出てホッとしました。自分の調理したカキフライが原因らしいと思った妻は少し落ち込んでいましたが、妻を責める訳には行きません。

 一年中休むことなく家族のために働いている妻には、本来ならせめて正月くらい休ませてやりたい心境ですが、わが家は本家ゆえ大晦日から正月にかけて親類縁者が沢山訪れます。台所に4日間立ち続けて料理方を一手に引き受け、飽きないようなメニューを考え、私たち家族に食べさせ、お客のもてなしもしてくれ、「いつ休むのだろう」と思うほどの活躍ぶりです。先日近所の60歳くらいの女性が脳梗塞で倒れたと、そのご主人から立ち話で直接話を聞きました。この人も私と同じで厨房へ等入ったこともない、亭主関白だそうで、入院した奥さんに替わって炊事洗濯や年老いたお母さんの世話等しなければならず、パニックになっているようでした。

 私はこの話を聞いて他人事ではないと大いに反省をしました。もしわが家で同じようなことが起こったら、私は一体何が出来るのでしょう。親父が15年前母に先立たれた時も同じようなことが起こりましたが、気丈にも親父はその後何でもできる男に変身し、今は妻の支援を受けながら何とか一人暮らしをしています。亭主関白が格好いいと思う私のような時代は完全に終りました。むしろともに支えあうパートナーシップ夫婦にならねばと思った正月のカキ騒動でした。

  「正月も 休まず営業 台所 妻はせっせと 家族のために」

  「カキフライ 食べた4人が 食あたり 意気消沈な 妻を慰め」

  「私など 下痢になっても 正露丸 三粒を飲めば 元気回復」

  「もし妻が 病気になると どうなるの? ならぬようにと 祈るばかりで」

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人間牧場

〇一枚の年賀状で初笑い

 数えてはいませんが、私の所へ届いた年賀状の枚数は積み上げたその高さからして、おおよそ700枚ほどのようです。毎年の事ながらその年賀状の一つ一つを、コタツに入って読み返し、差出人の顔や出会った場所などを思い出しています。
 届いた年賀状の中に玉井千恵さんからの素敵な顔写真入りの一枚があり、失礼ながら思わず家族全員で笑ってしまいました。玉井千恵さんは私が双海町教育委員会で教育長をしていた頃の、下灘小学校の校長先生です。私と同じように根っからの明るいポジティブ人間で、好感の持てる人でした。下灘小学校のシンボルであるイチョウの木が老衰して枯れそうになったのを見て、子どもたちと「イチョウの木プロジェクト」という事業を立ち上げ、樹木医や林業農家の協力を得て見事に再生させたのです。

玉井千恵さんから届いた年賀状で家族全員で初笑い
玉井千恵さんから届いた年賀状で家族全員で初笑い

 その後松山の小学校の校長として転任し退職されましたが、退職後も度々双海町のシーサイド公園に出没したり、講演先で出会ったり、また昨年の10月には高松全日空ホテル総支配人をされていた、一色さんたちと人間牧場にも来られ旧交を温めましたが、笑いのヨガを推進したり能をやったりと、まあ楽しい人です。今回届いた年賀状には、昨年訪れたというモロッコのサハラ砂漠の日の出を、まるでアラビアンナイトのような衣装を身にまとって表現していて、いやはやそのスケールの大きさや発想の豊かさに驚かされました。

 肩書きに元校長、元教育長などとつけて、過去の肩書きにすがり付いている人をよく見かけますが、退職して役職がなくなればただの人であり、その点玉井さんも私も過去等に何の未練もなく、ただただ人間らしく生きている点では尊敬できる人なのです。
 私の元へは沢山の人が集まって来ます。殆どの人は在職中に受けた社会からの恩に感謝し、恩に報いるべく骨身を惜しまずボランティア活動をしています。私も初心に帰ってしっかりとそういう生き方をしたいと思っています。玉井千恵さんの年賀状はわが家に初笑いを届けてくれました。

  「沢山の 届いた中の 一枚で 家族全員 初笑いする」

  「辞めてなお しっかり生きる 凄い人 見習い生きる これから先も」

  「モロッコの サハラ砂漠の 朝日です 映画出てくる アラビアンナイト」

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人間牧場

〇出した数以上に届いた年賀状の山

 新年元旦の楽しみといえば何といっても届く年賀状を見ることです。今年も吹き荒れた北西の季節風をものともせず、郵便局の配達員さんが寒い中届けてくれました。わが家に届いたハガキは郵便受けの窓からは入らないほど多いので、太いゴムバンドで5束にして入っていました。早速居間のコタツの上に置いて、時折年賀にやって来るお客さんの対応をしながら一枚一枚めくって読みました。今年の年賀状で圧倒的に多かったのは、今年の干支である未の絵をあしらったもので、それぞれ工夫が凝らされていました。中には自分の名前を書くのを忘れているもの、裏書が表書きと天地反対のもの、同じ人から同じはがきが2枚来たものなどなど、パソコン入力印刷の妙が随所に出ていました。

市原実さんから届いた年賀状
市原実さんから届いた年賀状

 私に年賀状をくれる人には一風変わった人が多く、取っておいて永久保存したいようなはがきも何枚か見受けられました。その中に千葉県習志野市に住む市原実さんの年賀切手の遍歴がありました。市原さんの調べた説によると、毎年私製年賀状に使用するために「年賀切手」が発行されているようです。昭和11年から3年間発行されましたがその後中断、昭和25年に再開したようで、今回いただいた年賀状には昭和25年から64年まで、昭和の切手の絵柄と額面一覧表が載っていました。切手の絵柄は昭和29年から干支に関連した郷土玩具が選ばれているようで、納得して見入りました。

 もう一枚松前町神崎にある晴光院というお寺の住職曽根彰道さんから、立派な手書きの達磨大師絵年賀状が届きました。晴光院というお寺へは何年か前招かれて講演に行き、本堂で薀蓄を垂れましたが、以来境内に植えられた牡丹の花が咲く頃になると、牡丹回向の案内状が届き、妻を誘って出かけて立派なお茶室で、お茶をいただいています。晴光院の本堂の襖絵は住職さん手書きの水墨山水画らしく、行く度に感心して見せてもらっていますが、達磨大使の絵ハガキも見事な筆捌きで、大切に取っておきたい心境でした。達磨は七転び八起きで、縁起物とされています。七回転ぶ、つまり七回失敗しても八回再起すれば最後は大願成就するのです。今年は新年早々ジョギングの途中転んでしまいましたが、殆ど怪我もなく起き上がり、今日もこれから転ばないよう注意をしてジョギングに出かける予定です。達磨大使の庇護かも・・・。

  「山のよう 届いた年賀 状を読む 顔と名前を 思い出しつつ」

  「年賀状 切手の値段 細やかに 5円の頃を 知ってる私」

  「年賀状 達磨大使の 絵が画かれ 転んだことを 思い出しつつ」

  「同じ人 同じハガキを 二枚くれ パソコン入力 ゆえの手違い」

晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
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人間牧場

〇粋な人にはなりにくい

 「今年の冬はやたらと寒い」と感じるのは私だけでしょうか。そんな会話をすると決ったように相手から、「歳をとると寒さが一段と身に染みる」と反論されそうなので、余り口には出しませんが、最近まで下着も長袖でなくランニングで一年中通していた私も、ついに今では下着までユニクロで買ってもらったヒートテックを着ているのです。ところがわが家の今年42歳になる息子は、この寒い真冬だというのに、家にいる時は半袖シャツと半ズボンで通しているのです。そんな姿を見ているとこちらまで寒そうに、鳥肌が立つほどですが、当の本人はいたって平気で、毎朝戸外に出て木刀を振ったり自分流のエクササイズで体力増進に努めています。

 「粋」という言葉は私のような凡人には縁遠いと感じていますが、人並み外れた生き方をしている人のことを「粋な人」と呼ぶのであれば、芸者遊びや旅三昧、風流遊び等に現を抜かす人と同じように、寒さの中で寒さをどこ吹く風と思う生き方をしている息子も、ある意味はずれこしの「小粋な人」かも知れません。
 私も人様から見れば、少し変わった生き方をしていて、私は普通だと思っていますが知人から「粋な人」と呼ばれたことがあります。金持ちでもないのに貧乏どこ吹く風とばかりにボランティア活動に現を抜かして生きています。その最たるものは家の横に私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を造ったり、家から少しはなれた海の見える場所に、隠れ家とも思える人間牧場を造って、結構楽しんでいるのです。

 「粋な人」とはどうやら、人様の目を気にせず人様がやろうとしても真似のできない遊びを、自分流で貫いて生きている人のことだと分ったつもりでいますが、まだまだ自分は「粋な人」=「遊び心を持った人」=「自分流を貫く人」には残念ながらなり得ていないようです。人は周りの人の目が気になるし、周りの人に勝ちたいと思うものです。また時代の進展に乗り遅れまいと色々思いを巡らせ手を出すものです。「超自我」の世界はそう簡単なものではないことを、「粋な人」を見て思うのです。でもそろそろ自分の限界を悟れるような年齢になったのですから、少しだけ「小粋な人」になってみようと思っています。「大」を目指すのはしんどいが、「小」なら私でも・・・。そんな考えをしながら迎えた正月一日でした。

  「寒いのに 半袖姿で 平気とは 粋な息子の 姿に感心」

  「凡人の 私小粋に 生きようと 思ってみるが 煩悩多く」

  「元旦は これから先を 生きること 色々思う そんな一日」

  「粋だねえ そんな掛け声 掛けられる ような生き方 目指してみよう」

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