shin-1さんの日記

○五行歌の歌会に参加

 私は生来の無骨者にて、音楽や絵画などを楽しむ趣味の世界は知りません。ましてやゴルフをするような暇と金もなく、もっぱら地域づくりやボランティア活動の分野で生きてきました。そんな私の周りには絵や音楽、焼き物などに堪能な人が沢山いて、いつも羨ましく思っていました。最近になってその友人知人の中でも、羨ましいほど多芸に秀でた水産高校の先輩玉井恭介さんから、「五行歌の会に参加しないか」とお誘いがありました。私は無趣味が趣味でそんな風流なことをする暇も金もないと一度は断わりましたが、「私が年会費は立替払いしとくから、月に一度作品を送るよう」にとむしろ半強制的に入会させられました。私は立替払いの年会費のことが気になって3度も玉井さんの家に出かけましたが、3度目の正直も実らず未だに借金していて、昨日もあいにく貧乏人なのに1万円札しか持ち合わせがなく、お釣りがない玉井貧乏人に支払うことも出来ずまたまた借金して帰ってしまいました。

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(玉井さんの料理した品々と久我先生が持参した太巻き寿司)

 そんな玉井さんから、「あなたの日程に合わすから是非臨時の歌会に参加を」と電話があり、玉井さん宅へ出かけて行きました。昨日は新玉小学校で金銭教育の会議があっての帰りでしたが、少し時間が早かったので地域政策センターへ立ち寄ったり、息子の家で孫と遊んだりして少し早めに玉井さん宅へ到着しました。

 玉井さんは昔人間にしては器用な方で、私たちを振舞うためにうどんや野菜サラダ、ナスやオクラの南蛮漬け風などなど、自分で美味しい料理を作っていました。料理は作るにあらず食べるものと決め込んでいる私に玉井さんのかいがいしく料理する姿は羨ましくも思えました。

 やがて歌会主宰者の見山あつこさんと北条で耳鼻咽喉科の医院を営むお医者さんの二人が見えられ、四人で楽しいおしゃべり食事が始まりました。玉井さんの作ったぶっかけうどんも絶品で、お医者さんが持ってきた太巻き寿司も大いに胃袋を楽しませてくれました。

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(五行歌の句会を楽しむくが耳鼻咽喉科の久我先生と玉井さん)

 見山さんの進行で歌会は始まりました。前もってメールで送っておいた提出九句が打ち直してコピーされていて、審査表と一緒に配られました。5点の持ち点を自分の投句以外の優秀句と思われる3首を選んで加点しました。採点票が集められ一句一句門名が批評し合うのです。

 私の句も未熟な句のため一刀両断鋭い指摘を受けました。なるほどとみんなの批評を聞きながら、良い勉強をさせてもらいました。

 昨日の句会で楽しみにしていたのは、見山さんとの出会いでした。月に一度駄作な欠席句にもきちんと批評文を添えて送ってくださっているのです。私は始めての出会いだと思っていましたが、何年か前ラジオの番組で出会ったことがあるそうですが、想像以上に素敵な方でした。また同席したお医者さんともライオンズクラブでお話をした私の話を聞いたことがあるそうで、すっかり親しみやすく先生と意気投合してしまいました。

 いい句会に参加させてもらったことを玉井さんに感謝しながら、蒸し暑い我が家へ帰ってきました。

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(句会を指導される松山五行歌会の見山あつこさん)

  「柄になく 句会参加の 自分見て どこかお澄まし 思わずニヤリ」

  「逢いたいと 思った人に 会えました 描いたとおり いやそれ以上」

  「テキパキと 寸評グサリ まな板の 上に乗せたる 駄作調理す」

  「一芸に 秀でる人は 多芸にて 料理絶品 胃袋たまげ」

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shin-1さんの日記

○エネルギーと瓦の町旧菊間町へ出かけました

 一昨日現今治市、旧菊間町へ出かけました。菊間町といえば瓦とエネルギーの町として有名でしたが、今治と合併してからは、菊間町としての名前が今治市に少し埋没したのか、合併前ほど情報が伝わってこないようです。それでも町の中を走ると沿道には瓦の製造工場の看板が立ち並び、太陽石油がSORATOとガソリンスタンドの名称を変えたものの、太陽石油の石油プラントが海岸沿いに立ち並び、どこか活況を呈しているのは、企業城下町の恩恵かも知れないのです。菊間駅の背後には瓦をイメージした立派な講演がありますが、少しアカデミックすぎて人を集め切れていないのも昔のままで、ある部分変わらないことにホッとするのです。

 私は菊間町へは何度も足を運んだ頃がありました。松尾という地区に渡部さんや石川さんという役場関係に勤める友人がいたため、年に一度か二度講演と呑み会をセットにしてよく招かれたものです。そんなご縁もあって元町長の白石さんとも入魂にさせてもらっていましたし、菊間の伝統行事お供馬の走り込みにに使う馬をわざわざシーサイド公園の海開きに招待し、日本の弓フェスティバルなどをして大いに独自性を出したことも懐かしく思い出されるのです。

 そんなこんなで知人友人も多いのですが、今回はJA今治菊間支所のかんきつ生産者大会の記念講演に招かれたのです。菊間町松尾出身の農協マン渡部部長さんとは25年来の友人ですが、これまでの大会は柑橘の専門家や市場関係者の話を聞くことが殆どだったようですが、渡部部長さんの肝いりで、元気の出る話をして欲しいとのご依頼でした。

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 この日は「午後1時30分から総会が始まり、1時間位したら終わるので2時半から」とう約束でしたが、総会が30分も延びてしまい、講演が始まったのは3時からでした。その分30分時間延長をしてもいいとお許しをいただき、お話をしっかりとさせてもらいました。

 講演はハプニング続きで、講師紹介で「役場のあがり」と紹介されてのっけから大爆笑、持参した電光掲示板はノーサイン、途中ワイヤレスマイクが電池切れでオーバーヒートと、綱渡りのような講演でしたが、さすがみかん所の参加者は熱心でした。

 会場には顔見知りの人も沢山いて講演終了後お声を掛けさせてもらいました。お土産にせとひめのオレンジジュースを一箱いただいて帰りましたが、渡部部長さんが自慢するだけあって、糖度13以上の果実を絞ったという美味しさは格別でした。

  「合併で 随分変わった 町へ行く 人の人情 だけは変わらず」

  「俺元気 馬も元気と 若者が 昔話に 花を咲かせる」

  「このジュース 持って帰れと 手土産に 自慢するだけ あるな美味しい」

  「講演の 途中マイクが ヒートする 俺の熱話に 当てられたのか」 

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shin-1さんの日記

○百歳以上のお年寄り

 百歳を越えたお年寄りが東京のある家庭でミイラ化して発見され、そのことが引き金になって地方自治体が調べ始めたところ、あちこちで所在不明の高齢者が相次いで、ちょっとした社会問題に発展しているようです。対処法とでもいうべきでしょうか地方自治体は何かなければ動かない実態も見えてきました。人間が生まれれば出生届、死ねば死亡届で人生は終わるのですが、その間未開地に住む人ならいざ知らず、税金や年金など生存すれば日本人には必ず義務と権利を行使するようなシステムになっていて、百歳を越えてもチェック機能が働くはずなのにこの失態は、行政の怠慢だとしか考えられないのです。

 百歳を越えた人の所在が分からない自治体が責任回避とでもとれるように、相次いで記者会見をして責任者のような人が薄い頭をより低くして、詫びている姿をニュースでよく見かけるようになりました。多分記者会見の前の隣の部屋では、「私の責任ではないが一応頭を下げて、断わるそぶりをしないとマスコミに叩かれ、市民に叩かれるからこの場は平身低頭に・・・」なんて打ち合わせをして会見に臨んでいるような、そぶりも見え隠れするのです。

 百歳を越えれば人間は先祖返りするように幼稚化すると言われています。つまり自分の意思で生きて行くことが困難になって介護が必要となるのです。そのため若い頃から介護保険に加入し、介護保険料を納めてその時期に備えるのです。ところが介護の現場は必ず身の近い子どもや親族がかかわるため、周りの人たちの意思の相違によって、高齢者の人生は翻弄されてしまうのです。


 介護能力のある家庭の高齢者が特老に入り、介護が本当に必要な人が特老に入れないといった矛盾や不満の声を、かつて役所に勤めていただけに、不平や不満の矛先としてぶつけられることがよくあります。その都度問い合わせたり相談に乗ってあげるのですが、自分の非力を嘆くこともしばしばです。

 東京都知事は消えたお年寄りのことを聞いて、まるで幽霊現象だと言っていますが、強権で知られる東京都知事なら、もう少し行政の怠慢責任を明らかにするような言葉が欲しいとテレビを見て感じました。

 行政の怠慢は芋づる現象です。多分他の自治体に遅れまいと百歳以上の高齢者の安否確認が始まっていますが、芋づるの先にはとんでもない事実がどんどん出てくるようです。結局は芋づるの先にある親芋にたどり着かなければ、その原因も対処法も分からないのでしょう。


 長寿を喜ぶ時代は終わったようですが、せめて人生の仕上げをもっと大事にしてあげるような、心の豊かな国日本になって欲しいと願っています。やがて自分も行く道だからだけではないのです。

 今朝親父の隠居へいつものようにご機嫌伺いに出かけました。お年寄りの所在が分からなくなっているニュースを話題にして色々なことを話しました。このところ私が努めて親父に接近していることを嬉しく思うのか、私の息子たちにも早くこの家で一緒に住むように勧めてくれました。

 昨日は扇風機と電子レンジが傷んだと、伊予市の電気屋さんに出かけて扇風機を買い、電子レンジは解凍と温めのスイッチミスで事なきを得たり、親父と付き合っていると色々なことがあるようです。まあこれも息子の仕事、親孝行だと思って身の回りの世話をしたいと思っています。


  「百歳を 越えた老人 幽霊に 日本列島 慌てふためく」

  「芋づるの ように次々 明るみに 行政怠慢 頭を下げる」

  「老人を 大事に出来ぬ この国は 今に沈没 するかも知れぬ」

  「エジプトの 話しと思う ミイラ人 豊かになりて 人もかまわず」


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○熱中症は流行り病か?

 「今年の夏はやけに暑いですね!」と、会う人会う人挨拶してくれます。それもそのはずこのところは連日のように、35度を越える猛暑日がここ四国愛媛でも続いて、岐阜県多治見市ではこの夏一番の40度近くまで温度が上がり、記録を塗り替えたようです。お陰様で夏物が飛ぶように売れ、不景気な世の中にあって幾分救われた人も多いようです。

 真夏になると熱中症が増えますが、今年は熱中症で救急車の出動回数が全国的に見ても異常事態で、かなりの人が熱中症で亡くなっているのですから驚きです。しかも新聞やテレビの報道によると、熱中症は屋外と思いきや室内が多く、しかも高齢者の数がダントツに多いのには驚きました。

 日本列島全体がヒートアイランド現象なので、熱中症は限られた一部分の地域でなく、日本全国に及んでいるため、熱中症がまるで流行り病のような感じもするのですが、日陰の室内で熱中症にかかるのですから、やはり流行り病と思うのは当然かも知れません。

 浅はかな知識でも私流にその原因を探れば、やはり一番は何といっても日本列島の気圧配置が原因のようです。今年は台風の発生がまだ3個と以上に少なく、太平洋高気圧の淵を湿った温かい空気が日本列島に流れ込ませているのです。台風の発生や上陸がないことは喜ばしいことでしょうが、やはり気象バランスが崩れていることは間違いないようです。

 それにしても、暑いといいながら何故このように沢山の人が熱中症になるのか、それは冷房が原因だとも言われています。不景気といいながら世の中の暮らしは豊かになって、どのオフィスも家も車までもエアコンや冷房が完備され、電器消費量がうなぎ登りになるほど人工的な快適空間で暮らしているのです。当然汗をかく機会も少なく、夏の暑さをコントロールできないような体に変化しているのです。

 冷房もエアコンもなかった昔は熱中症で救急車に乗ったり死んだりする人はまれだったのですから、人間がいかに抵抗力がなくなっているか、よく分かるのです。

 私のような古い人間は冷房大嫌い人間として冷房世界の外にいて、相変わらずあせもが出るほど汗をかきながら夏を過ごしていますが、勤めに出ている妻は冷房の中で昼間を過ごしているため、夫婦でありながら夜の過ごし方に不一致が生まれているようなのです。

 問題は子どもたちです。外で活動することの多い子どもたちも、夏休みですからエアコンの恩恵になれて、採り過ぎと思えるほど水分を補給しているようです。水ぶくれした暑さに弱い人間、しかもいつも滅菌消毒をして雑菌に弱くなった人間の行き着くところは、やはりあの世かも知れないのです。

 熱中症に強い体力は一朝一夕きるものではありません。冬は寒さに耐え夏の暑さに備える暮らしで常日頃から鍛えておかねばならないのです。ハウスの中で育てた苗ものを外に出すと、水をしょっちゅうかけないと直ぐに枯れてしまいます。多分人間も水分や養分を吸い取るべき根の部分が育っていないから熱中症になるのです。粘り=根張り、今から来年の夏に備えてしっかりと根張りを広げたいと思っています。


  「熱中症 流行り病と 見まがって しまうくらいに 連日騒ぐ」

  「ハウス内 育った人間 根張りなく 水をやらねば 萎れてしまう」

  「熱中症 交通事故より 恐ろしい 家の中でも 突然あの世」

  「夏休み 冷房部屋で 昼寝する モヤシみたいな ひ弱な子ども」


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shin-1さんの日記

○平凡な道でも続ければ非凡になる

 昨日中村剛志砥部町長さんからお便りが届きました。発信先は人生楽々工房で、封筒の私の名前の下に、

「明るい顔がまわりを明るくし 暗い顔がまわりを暗くする いつもほほえみを失わない そんな明るい顔を持ち続けたい」と書かれていました。意味不明の30853という番号もありました。察するにこの番号はこれまで差し出したお便りの数でしょうが、だとしたら気の遠くなるような実践で、町長さんのもう一つの顔を見る思いがしました。偶然でしょうが松山市長を中村さん、伊予市長も中村さん、砥部町長さんも中村さんなのですが、こうしてお便りが届くのは隣の町の中村さんだけなのです。

 封を切るといつものように3枚の紙が出てきました。一枚は砥部町広報誌のコピー、一枚は倫理法人会発酵雑誌のコピー、もう一枚は人生楽々工房の会報第182号です。時には砥部町出身で亡くなった宗教詩人坂村真民さんの言葉などが紹介されていますが、この号にはりんりの言葉「やればできる」を引用した「中断は百歩後退」という次の言葉でした。

    中断は百歩後退

  成就の秘訣は、一歩も退かない、ということ

  退くまいとすれば、いきおい進まねばならない。

  進みには一分だって、止まってはならない。

  自分ではちょっと休んだつもりが、

  大きな後退となってしまう。

  上手下手は関係ない。日々続けることで、やがて物事は

  成就するのである。

 なるほどと思いながらこの言葉を自分流にかみしめました。毎朝四時に起きる。毎日公園の掃除をする。毎日二本のブログを書く。毎日はがきを三枚書く。ほんの小さな自分で決めた目標ですが、何度も何度ももう辞めようと思いつつ、とにかく続けてきました。私の場合始める時辞める目標を設定しているので、シーサイド公園の掃除は毎朝五時から三時間、退職するまでの十二年間と決めていたのできっぱりと辞めました。でも早起きもはがき三枚も、ブログ二本も未だに続いているのです。

 人間は楽な道を進みたいという誘惑から、思いや目標を習慣化するのはかなり難しいものです。でも凡人の私には高くて大きな目標を立てたところで、成就できるはずもないと思っているので、自分サイズで出来ることをコツコツやることなら何とかなるのです。小さなことの積み重ねは年月を経ると凄いことに変身します。まさに平凡が非凡になるのです。掃除もブログも今では私の宝物となっているのです。

  

  「平凡な ことしか出来ない 凡人も 続けてやれば 非凡人なる」

  「中断は 百歩後退 だとしたら 続ける以外 進む道なし」

  「俺にでも 出来ることあり そう思や できることあり アリの歩みを」

  「おいお前 今日もやれよと 命令す 心の中の 強い自分が」

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shin-1さんの日記

○インターネットで公開されている娘婿の2枚の写真

 インターネットで調べ物をする場合、お気に入りをクリックしてヤフーやグーグルに調べたいことを入力しますが、昨日何気なく大学に勤める娘婿の名前を入力していじっていると、2枚の素敵な写真に出会いました。地元大学教職員作品展の出品作品が紹介されているその中に、この大学に勤める娘婿の写真が第10回と第14回に絵画や書に混じっていました。

 私も昨年度までは彼の勤める学部の非常勤講師をしていたため、何かにつけて連絡を取り合っていましたが、私が農学部に移ってからはお互い忙しいためそれほどの出会いもなく、先日家族で夏祭りの花火を見にわが家にやって来たくらいなので、懐かしくなってその公開写真を自分のファイルに取り込みました。

若松進一ブログ

(第10回作品「伊予灘夕景」
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(第14回作品「龍を連れての着陸」

 娘婿が飛行機が大好きなことは、孫朋樹のこれまでの言動で容易に想像できました。孫が小さいころは休みの日など孫を伴って飛行場へ行ったり、飛行場傍の公園に遊びに連れて行っていっていました。そのため孫朋樹は一時期飛行機のおもちゃに凝っていて、飛行機用語なども喋っていたようです。その孫朋樹も早小学二年生になり、飛行機遊びは卒業したのか今はカブトムシなど小動物に凝っているのです。

 娘婿はカメラもいいのを持っているようで、何度か娘婿の自宅でカメラを見たことがありますが、飛行機と写真はこれまで結びついていませんでした。この2枚の写真を見て納得したのです。


 夕日夕やけにはかなり詳しく、夕日夕やけにまつわる写真も沢山見てきた私ですが、飛行場から飛び立つ飛行機を入れた伊予灘の夕景写真は始めて見ました。またもう一枚の「龍を連れての着陸」というのも見たことのない写真でした。夕景はどちらかというと静です。飛行機は動です。静と動の組み合わせは余程目や耳を働かせていないと、シャッターチャンスをものにすることはできません。ましてや飛行機が気流を巻いて降りる姿など見ようと思っても見れないのです。

 この2枚の写真を見て娘婿のもう一つの顔を見たような気がしましたが、今度わが家に来た時ゆっくりと写真の話をしようと思いました。


  「何気なく パソコン触って 見ていると 二枚の素敵 写真に出会う」

  「飛行機が 写真が好きと 聞いてたが これで納得 謎解き出来た」

  「この二枚 作品作る 手間隙は どれ程かけた 本人のみ知る」

  「娘婿 労作二枚 ファイル入り 次の機会の 話題が出来る」


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shin-1さんの日記

○ウィキペディアで私の紹介が・・・・

 何年か前までは、分からないことの調べ物は広辞苑やイミダスといった分厚い辞書を捲っていました。特に英語の苦手な私にとって、まちづくりの研修会などで度々出てくる横文字言葉は難解で、メモ帳と首っ丈で勉強したものです。ところが数年前からその暮らしは一変しました。パソコンのインターネットで調べることを覚えたのです。これはこれまでのどの書物よりも優れもので、調べてい琴が瞬時に詳しく出てくるのです。しかもそれはプリンターで印刷も出来るのですから、これほど便利なものはないのです。私はこの一年かつて世話になった広辞苑もイミダスも殆ど開いていないのですから、凄い変化なのです。

 インターネットという優れものの道具は、私が毎日書く文章もブログサイトを使って広く外に配信されるばかりでなく、それらの文章を一字一句間違わずに記憶収納しているし、予備だ外思えば瞬時に5年前のものでも検索が可能なのですから、驚きという他ないのです。

 もっと凄いことは、たとえば「若松進一」で検索すると、私に関する情報がこれまた瞬時に呼び出されるのです。個人情報などとかたくなに拒んだところで、それはどうすることも出来ず、勝手に回線を通じて世界に発信され続けているのです。言論統制の厳しい中国ならいざ知らず、少なくとも情報に関して殆ど自由な日本に生きていると、むしろ守りより攻めに徹して情報発信した方が得策かも知れないのです。しかし一歩間違うと大変な事件に巻き込まれる可能性も多分にあるので、世の中のルールは守らねばと思うこのごろです。

 誰がどう情報を入力するのか分かりませんが、ヤフーやグーグルで検索すると、若松進一はウィキペディア(オープンコンテントの百科事典)で紹介されているようです。先日友人からのメールでそのことを知ったのですが、私のような田舎に住む無官な名もなき男が何故ウィキペディアに載るのかも分からないのです。

 私は頼まれて全国各地へ講演に出かけますが、その都度私のプロフィールを送らなければなりません。一昔前はFAXで送っていましたが、今はメールが殆どになりました。また講演資料に私の紹介を載せる場合はヤフーやグーグルで検索したものを適当に見繕い、プリントアウトして参加者に配っているようです。

 本を買わなくても新刊本が画面で読めるような電子書籍の時代がやって来ました。これまで生き習ってきたことがどんどん否定されるような時代になりつつありますが、少しでも学習をして少しばかり進化して、世の中の流れに棹差して生きて行きたいと思う今日この頃です。


  「えっ俺の 名前が何と ウィキペディア 検索すると 出てき驚く」

  「広辞苑 イミダスなどは 過去書物 今じゃ流行 インターネットで」

  「俺さえも 活字離れが 酷くなる ましてペンなど 持たない日々が」

  「パソコンは 情報処理が 進化する 文字は退化の 一途を辿る」 

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shin-1さんの日記

○一字違いの大間違い

 地域づくりの現場では一字違いの大間違いが時々あります。まちづくりは人づくりとよくいわれますが、「人材」という言葉もよく使われるものの、パソコンで「じんざい」を入力すると、「人材」「人財」「人在」など様々な言葉が出てきます。中でも変換ミスともとれる「人罪」という言葉は、「人材」や「人財」と思っていても、手を引っ張りどころか人の足を引っ張る「人罪」だったりすることがよくあるのです。これはまさに一字違いの大間違いだと思うのです。これと同じような言葉に「若者」と「馬鹿者」があります。「わ」と「ば」だけの違いなのですが、今の若者はどちらかというと清新ではつらつとした活力に欠け、若年寄的な感じがする若者も多いようです。


 私の友人で広島三次市に住んで地域づくりをやっている和田芳治さんはこの一字違いを活用した言葉遊びをやっていて、面白い造語を次々と作り楽しんでいます。「市民」を「志民」と表現している言葉は、単なる言葉遊びではなく、参画と共同の社会では志ある市民こそ本当の市民だと思うのです。

 先日私の出版した「夕日徒然草・火の書」の表紙を見て、ある友人から電話がかかってきました。「表紙の落伍家『夕日亭大根心』高座本とある落伍家は落語家の間違いではありませんか?」というのです。私が落語と落伍の違いをお話して納得してもらいましたが、やはり一時違いは気になったようです。

 3日前講演で高知県に行きました。高知県は珊瑚の産地で、観光地と名の付くところには珊瑚のアクセサリーがショーケースに入れられて販売していました。買う気もなかったので何気なく陳列ケースの中を覗き込み、薄くなった目を細くして、いち、じゅう、ひゃく、せん、まんとゼロの数を数えてため息をついていました。

 都会から来たとおぼしき若い女の子が店員さんに、「これ下さい」と店員を呼んでいました。店員さんはショーケースから取り出した8万円の珊瑚のブローチを丁寧にラッピングして、「お代は8万円と消費税で8万4千円です」というと、若い女の子は急に青ざめて、「すみません。8千円とばかり思っていました。ゼロを一つ間違えたようです」と顔を真っ赤にして平謝りしていました。

 一字違い、一桁違いはよくある話です。総会などで予算書や決算書の数字を桁を違えて読み間違えたり、文字を言葉にする読み間違えも沢山あります。その度にその人の知識の度合いや値打ちのようなものを感じたりするのです。

 間違いは誰にでもあることだし、間違いは素直に認めて訂正することが肝要です。和田さんや私のようにあえて間違わせて考えさせる手法は、下手をすると見くびられることにもなりかねませんが、まあ言葉遊びのつもりでコンセンサスならぬ「混戦さす」ことも面白いと思うのですが・・・・。


  「人材と 人罪違う  足だけは 引っ張らぬよう したいものです」

  「ゼロ一つ 省略すれば 安いもの 売り手と買い手 微妙な差あり」

  「これからはただの市民じゃ もの足らぬ 志民になって 町を引っ張る」

  「若者も 暴走すれば 馬鹿者に なるのですから 気をつけましょう」

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○5、十有五にして学に志す

若松進一ブログ


 今朝の論語日めくりの言葉は、「十有五而志干学(為政第二)」です。この言葉も日本では随分馴染みなようで、浅学な私さえも知っているのです。意味は孔子が「私は十五歳の時に生涯にわたり学問することを決めた」で生涯学習の目覚めともとれる決意の言葉なのです。15歳といえば中学生くらいの年齢ですが、私もこの年齢頃に学を志し、宇和島へ三年間遊学の旅に出かけました。初めて親元を離れた城下町宇和島での暮らしは、双海町下灘しか知らなかった私には大きな異文化ギャップでした。そしてもっと驚いたのは宇和島水産高校の練習船えひめ丸での船旅でした。地球が丸いと実感した価値観の変化は私のその後の人生に大きな影響を与えたのです。十五歳前後の現代の日本の子どもはまだ親の比翼の中に生きています。しかしその時期だからこそ学ばさせなければならないこともあるのです。

 今朝、たまたま夏休みでわが家に泊まりに来ている小学2年生の孫朋樹に、論語日めくりを見せながら話をしてやりました。まだ孫には論語の意味がよく分からないようでしたが、「門前の小僧習わぬ経を読む」の例えのように、「十有五にして学に志す」を10回復唱させ、正座をさせて言わせると、孫はしっかりと中暗記をして言えるまでになりました。

 夏休みに2~3度わが家にやってkるものと思われますが、論語を2つでも3つでも覚えさせたいと思っています。果たして上手くいくかどうか・・・・・。

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(え~、「十有五にして学に志す」と暗唱できるようになった孫朋樹)


 この言葉は「三十にして惑わず」と後の言葉が続きます。孔子は30歳で自立したと伝えられていますが、現代の若者たちは24~25歳で大学を卒業して社会人になるものの自立にはほど遠く、孔子が自立した30歳を越えないと本当の自立はないのかも知れません。

 昔の人の寿命はたかだか50年でした。30歳で自立しても、20年の余命しかありませんでした。今は80歳から90歳まで生きる時代なので、30歳を超えて自立しても十分生きる時間はあるのです。でも実労の期間は今も昔もそんなに変わらないのですから、学に志してしっかりと生きて行かなければなりません。

 今朝もいい言葉に出会いました。孫を松山の家まで送って行く車の中で「十有五にして学に志す」という言葉を何回も何回も復唱したお陰で、孫朋樹は「十有五にして学に志す」という言葉を覚えたようです。


  「論語読み 論語知らずと 言われても 論語言えれる 子どもになれと」

  「十有五 同じ言葉を 何回も 言ったお陰で 孫が論語を」

  「平凡な 子でもいいから 心根の 優しい人に 育って欲しい」

  「論語から 学ぶことあり 俺たちは 学ばなかった 仁智低くて」


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○忘れられない懐かしい思い出の一こま写真

 昨日講演のため訪れた高知県大月町の講演会場に、珍しい人が訪ねて来られました。そのご夫妻の顔はしっかりと覚えているのですが、突然控え室へ来られたため最初は「えっ、誰だったかしら」と顔と名前が一致しませんでした。自分の頭脳のカンピューターをフル回転させて巻き戻し、その人が大月町道の駅の役場産業課担当者である山本さんだということまで記憶を戻すことが出来てホッとしました。

 山本さんの奥さんは今年9つの小学校が統合して出来た大月小学校に勤めている学校の先生です。講演前の短い時間だったので、立ち話のような形で矢継ぎ早な質問をお互いにかけあいました。聞けばこの日の講演会のニュースを学校に勤務している奥さんが知り、嬉しいことに二人で講演を聴きにくれたのです。


 講演会場にお二人の姿を確認しながら90分ばかりお話をさせてもらいましたが、講演が終わると直ぐに妻と孫が待っている駐車場に移動して会場を後にしましたが、山本さんからいただいたA42枚の写真を見ながら当時を懐かしみました。

 自宅に帰ってから書斎の引き出しにしまってある過去の予定表を取り出し捲って見ました。2007年6月23日・24日の欄に確かに大月町役場職員組合講演会と書いていました。そしてさらに自分のパソコンでこの日のブログを呼び出すと、その日の模様がかなり詳しくルポしていました。残念ながらデジカメは初期の段階だったのか、山本さん宅に泊めてもらった写真や柏島周辺を散策した写真は記録されていませんでした。おいおい保存している写真データーを読み出せばいいのですが、その時間的余裕もないので、山本さんからいただいた写真を紹介しておこうとスキャナーで取り込みました。

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(2007年6月24日の早朝、山本さん宅の前の庭で山本さん親子と私)

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(素敵な奥さんとも)

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(お母さんに手持ちのハーモニカを吹いて宿代にしました)

 写真の中に上の珍しい写真を見つけました。山本さんのお母さんの前で私が手持ちのハーモニカを恥かしいながら吹いているのです。山本さんのお母さんは私のハーモニカを聞きながら拍手をしてくれました。曲は夕焼けこやけと赤とんぼ、それにみかんの花咲く丘の3曲だったようでした。

 聞けばお母さんも何とか元気なご様子で、いつの日かまたお母さんの前で少しは上達したハーモニカを吹いてあげたいとも思いました。

 人の記憶はあいまいです。昨日のことさえ忘れるようなこの歳になると、3年も前の出来事など記憶の隅に追いやられるものなのでしょうが、山本さんご夫妻が記憶と記録していた写真、それに私の記憶と記録が幸運にも残っていたため記憶は蘇ったのです。民俗学者宮本常一が言っている「記録しないものは記憶されない」とはこのことかも知れません。2010年8月1日のこの記録も、早起きしてブログに書いただけですが記録することによって記憶されることでしょう。


  「久しぶり いきなり楽屋 訪ね来る ご夫妻の顔 思い出しつつ」

  「懐かしき 写真手土産 いただいて ありあり浮かぶ 三年も前」

  「ハーモニカ 吹いて聞かせる したたかさ どんな顔して 吹いたのだろう」

  「握手して 再会約し 分かれたり 手の温もりを 今も感じて」

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