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○美味しいビワが沢山届きました

 梅雨とはいいながら初夏が来て、果物屋の店頭にはスイカやメロン、スモモといった夏の果物が次第に多くなってきました。愛媛県はみかん王国なので果物といえばみかんといわれるくらい店先は、年中みかんの売り場がダントツですが、ここにきて晩柑類も姿を消しハウスみかんもまだ走りなので、当分の間は夏の果物に売り場を譲るのです。

 私の住んでいる双海町ではみかんの低価格低迷の影響で、最近ビワの栽培が盛んに行われるようになってきました。ビワは今が最盛期を少し過ぎ終わりに近づいていますが、この時期には近所の人がハネ物を沢山くれるのです。ハネ物といっても味は殆ど変わらず、むしろ美味しいくらいなので毎年この時期を楽しみにしています。

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 数日前からハネ物が沢山届くようになりました。真っ白い発泡スチロールのトロ箱に、産毛をまとったような綺麗なビワが山のように並べられ、「ああ美味しそう、食べてみたい」と思わず思うのです。食べるほどの個数を水洗いして食べ始めると食が進み、もう2~3個とついつい手が出て食べ過ぎてしまうのです。

 「ビワは種を買うようなもの」と形容されるように、重量の半分は種と薄皮です。食べる時ティシュペーパーを用意しないと手がびしょびしょになります。また爪の先も灰汁で黒くなったりするため、面倒くさがったり手が汚れることを嫌う若者には不向きな果物ですが、初夏を感じさせてくれる季節の果物なのです。


 「この美味しいビワを作るのにどれ程の労力をかけたのだろう」と思うと、手に取ったビワの実がついつい愛おしくなります。冬の寒い頃木に登り摘果しながら一つ一つ紙袋をかけ、カラスや害虫の食害を気にしつつ育てて収穫するのです。袋をはいで選果して出荷するのですが、全てが金になる訳ではなく、ハネ物も沢山出るようです。おすそ分けして貰う方は有難いのですが、農家の苦労は並大抵ではないようです。

 琵琶が終割って梅雨が明ければいよいよ暑さも加わります。季節の美味しい果物ビワを沢山食べて今年も暑い夏を乗り切りたいものです。


  「ハネ物の ビワが沢山 届けられ 美味い美味いと 言いつつ食べる」

  「ビワの実を 口に頬張り 今年また 夏が来たなと 思い返しつ」

  「外に出て 口に頬張る ビワの種 遊び半分 遠くへフッーと」

  「ビワ食って 種を飛ばして 遊んだな 子どもの頃を 懐かし思う」

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○歯車の狂ったスケジュール

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(コープえひめ総代会大試食会)

 木曜日はコープえひめの総代会と理事会、金曜日はえひめ地域政策研究センター主催のアシスト事業発表会と、普通であれば順当に会議をこなすはずでしたが、親父の入院それに手術と重なり、全ての会議をキャンセルすることも出来ず、そうはいっても親父の病気のことゆえ私事ながらそれを第一義に考えて行動したため、理事長さんの許しを得て総代会は欠席をして試食立食パーティと理事会を半分、所長さんに無理を言ってアシスト事業発表会はコメンテーターを務めたものの、地域づくり人養成講座とオフライン交流会は欠席と、まあこんな具合につまみ食いをして自家用車で病院~県民文化会館~病院、病院~えひめ女性総合センター~病院と忙しく自家用車で行ったり来たりしました。多少心労を煩いましたが、まあ何とか全てを片付け昨日はホッとしたのか、夏至近くの夜短かを久しぶりにぐっすり寝込んで、普通の朝より1時間も長寝をしてしまいました。

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(アシスト事業発表会)

 リタイアしてサンデー毎日の私ですが、毎日予定表に書き込まれたスケジュールに沿いリズミカルに動いていて、その歯車が突如このように狂うと、相手に迷惑がかかるばかりでなく、自分を取り戻すのに大変なことがよく分かりました。それでもこの二日間は松山市内のある意味それぞれの会場や病院が近かったため、その狂いも忙しさでカバーできましたが、もう少し余裕のあるスケジュールを立てないと、これまでのような調子にはいかないと、自戒の意味を込めてそう思いました。

 私のスケジュールは定職に着いている訳でもないので、インターネットや電話で入る講演依頼と地域づくりやボランティア活動に関する会議を中心にして、スケジュール表に書き込まれます。その穴を埋めるようにある意味公的、ある意味私的な所要に加え、人間牧場関係の仕事が殆ど毎日のように入っています。秘書や側近もいない一匹狼の私なので、リタイア後のこの5年間それなりにスケジュールをこなし、それなりに楽しんできました。

 もうこれ以上忙しくなることはないと自分で思っているものの、相変わらず多方面からの講演依頼があって、既に気の早い人からは来年1月・2月・3月の予約まで入れていただく始末です。妻からは時々痛めるぎっくり腰の度に、「無理をしないで適当に」と注意をされるのですが、忙しさは一向に治まる気配はないようです。

 さて今朝は午前6時に教育委員会の赤石さんから電話がかかってきて、今日予定されていた子ども体験塾の「底引き網」が雨のため来週に延期する旨の連絡がありました。梅雨前線が北上して大雨の心配があり、加えて各種の注意報が出ているため、安全第一を考え無理からぬ決断だと了解しました。

 昔の私だったら無謀にも、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がる」なんて突っ張ったものです。現代はそうも行かず今日は歯車の狂ったスケジュールを親父の入院している病院で過ごす予定です。


  「歯車が 狂うとどこか おかしくて 消化不良の 悶々消えず」

  「自分では どうにもならぬ こともある 生かされ生きる 実感しつつ」

  「毎日が サンデーですと 自慢する いつの間にやら 予定が入りて」

  「ああ今日も 予定変更 歯車が 少し狂いて 雨室内で」 

 

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○親父の手術

 昨日入院した親父の手術が午前9時からというので、私は午前7時に家を出て県立中央病院へ向かいました。今朝は梅雨空で朝から雨が降り始めていましたが、少し早く家を出たため比較的空いていて7時30分には病院に到着しました。県病院はただ今老朽化のための建て替え中で、駐車場が少ないため早く行かないと駐車ができないのです。

 親父の病棟は本館5階東病棟211号室です。既に気の早い患者さんが受け付け付近には沢山来られていて、エレベーターも混雑していたので、体力づくりのつもりで階段を一気に駆け上がりました。

 気の早い親父はもう手術モードで、手術着に着替えて待っていました。腕にはコードナンバーの腕輪や点滴の管が差し込まれ、比較的元気な朝を無勝てていて少しホッとしました。

 半身麻酔の同意書が見つからず作り直したどたばたもありましたが、車椅子に乗ることもなく親父は二人の看護婦さんに連れられ、姉夫婦、妹、弟、それに私を引き連れて2階の手術室へ歩いて行き、手術室の中へ消えて行きました。半身麻酔で手術すること、時間は約2時間かかること、病気の様子などを前日親父と二人で、石から図を描いて聞いていたこともあって、手術中の2時間は病室のロビーで兄弟5人が雑談しながら待ちました。ロビーには親父のベッドが運び出され、看護師二人が慌しくベッドメーキングしたり酸素を取り付けたりしていました。

 「もうそろそろ手術が終わる時間かな?」と時間を気にしていると、看護師さん二人がベッドをエレベーターに乗せて手術室へ迎えに行き、親父を寝かせて帰ってきました。

 半身麻酔のせいか親父の意識もしっかりしていて、手術は無事終わったようでした。おっつけ後を追うように上がってきた医師の先生から、「手術は無事終わりました。経過も順調です」と立ち話で概略を聞きました。親父も私も、勿論心配して駆けつけてくれた兄弟たちも安堵の胸を撫で下ろしました。

 親父は若い頃顔面にできたガンで大手術をし死の淵をさまよいながら九死に一生を得ました。大陸に戦争で従軍した折傷痍軍人になったことを含めるとよくぞ命がと思うのです。その後も脱腸手術、動脈りゅう手術、白内障の手術など、まあ病院とは縁の切れない人生のようですが、それでも91歳の今日まで元気で長生きし、ボケることもなく今も元気ですから、有難いことなのです。その後先生から諸々の説明を受けましたが、この上は一日も早く良くなって、また元のように元気で暮らして欲しいと願っています。

 手術の疲れでウトウトしていた親父も兄弟が帰って私と二人だけになると、目を覚まして色々な話をしました。今晩は傷がうずくかも知れないと、泊まることを覚悟でいましたが、麻酔が元に戻ってもそれほど痛みがないのか、昨日今日と私に随分迷惑をかけたことを感謝しながら、疲れているので家に帰ってぐっすり休むよう勧めてくれました。看護師さんにその旨を話し、親父の洗濯物を持って夜我が家に帰ってきました。和歌山に住んでいる私の弟も親父のことを心配しているようだったので電話で手術の様子を知らせてやりました。

 今日は一日中雨でした。親父のいない隠居はガランとしていました。4~5日の入院と聞いていたので、来週後半には親父が帰ってきて、また隠居に暖かい灯が灯ることでしょう。


  「手術終え ベッド寝かされ 戻り来る 親父も安堵 兄弟安堵」

  「半身に 麻酔効いてる 親父だが 早く帰れと 私を案じ」

  「横たわる 親父の手握り 話し込む いつの間にやら か細くなりて」

  「山坂を どれだけ越えた 数知れず 今日も大きな 峠を越えて」      


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○91歳親父の入院

 風邪をひいたりくらいはするものの、いつも元気で暮らしている91歳の親父が、このところ下腹部に違和感を感じるようになり、病院で看てもらったところ、大腸が股間近くで飛び出る脱腸、つまりヘルニアだと分かりました。本人は腸が出ると痛いので何とかその痛みを和らげようと、平ゴムとタオルで特性の小道具を作って当てていましたが、手術以外に方法がないと医師から言われ、高齢もあって躊躇していたようですが、ついに我慢が出来ず入院手術をすることになりました。

 日ごろ静かなわが家は一昨日から大騒動で、兄弟への連絡や病院とのやり取りに終始しほとほと疲れました。昨日は理事をしているコープえひめの年に一度の総代会と、第一回の理事会がある日でしたが、理事長さんに無理を言って総代会を欠席し、入院作業の合間を縫って理事会に出席したものの医師や看護師との手術打ち合わせもあって、病院であっちへ行ったりこっちへ行ったりでした。

 当の親父は6人部屋しか部屋が空いていないため、耳が遠く大きな声で喋らないといけないので、部屋の人に迷惑をかけるかも知れないと思いつつ、時間を割いてできるだけ私が付き添ってやりました。

 付き添うはずの妻も小さな田舎の歯科医院に勤めていて、妻が急に休むと病院が動かなくなるので休むことができず、電話連絡を取りながら入院の準備物を買い加えました。T字帯や平オムツなど私には何のことだかさっぱり分からないのです。また親父の身の回りの小道具も、同じ敷地内に住んでいるというだけで、何処にあるかも分からず、日ごろの親父に対する不義理を悔やみました。

 県立中央病院は完全看護なので、親父を病院に残し看護師さんにお願いして夜遅く帰ってきましたが、今日は朝から私の兄弟も駆けつけてくれる予定なので、これから私も出発し9時からの手術に立ち会いたいと思っています。


  「年老いた 親父入院 あれこれと 準備分からず 右往左往す」

  「歳だから 言いつつ親父 生きるため 手術決断 してくれホッと」

  「三十年 すれば私も あのような 老になるのか ちょっと心配」

  「歳のわり 元気ですねと 褒めてくれ 喜ぶべきか 親父にんまり」   


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○今日の論語

 日めぐり論語カレンダーの今日の論語は「疑思問(李氏第十六)」です。「疑わしきには問を思う」で、「分からないときは質問をしよう」という意味です。はてさて私たちの身の回りは分からないことが余りにも多くて、質問しようにも質問する相手や質問すら分からないことが多いのです。

 毎日使っているパソコンはその最たるもので、何かの拍子に故障して動かなくなると、自分で原因を確かめようともせず、パソコン操作に堪能な身近な人に助け舟を出してその場を繕うのですが、仕事上の必要に駈られパソコンに触り始めて10年が経とうというのに、パソコンを使って巣ごとをする操作は格段に上達したものの、悩みは深くなるばかりで、相変わらず不安というくらいトンネルから抜け出せないでいるのです。

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 先日パソコンが動かなくなって赤石さんに助け舟を出しました。赤石さんは昼休みを利用してわが家書斎にやってきて、論語よろしく「分からない時は質問をしよう」という私の質問に答えて、原因を探り始めました。何分かしてその原因がプロバイダー契約しているNTT・OCNにたどり着きました。赤石ならぬ赤恥をかいてしまったのですが、実は毎月届くOCNの利用料を振り込むのをうっかり忘れ、不払い原因で元を断たれていたのです。赤石さんは私が保管していた契約書を見てOCNに電話連絡し、振込みをするからと約束をして見事復旧したのです。私は直ぐにOCNに自動振込みの手続きをとって、今は私に相談もなく毎月私の銀行口座から勝手に利用料が引き落とされているのです。故障と思っていたパソコンが実は故障ではありませんでした。昨日復旧した電光掲示板だって故障ではなく、私の操作誤りだったのかも知れません。でも疑わしきことを問う道筋を知っていたり、反応してくれる人が要りことは有難いことなのです。

 先日金融広報委員会から子どもたちにお金の話をして欲しいと頼まれました。私は何の疑いもなく殆ど毎日お金を使っていますが、キャッシュレスカードなどのシステムはこれまた知っているようで知らないことが多いと、資料を調べながらしみじみ思いました。

 硬貨は1円・5円・10円・50円・100円・500円の六種類があり、お札は100円・500円・1000円・2000円・5000円・10000円の6種類がありますが、100円や500円札はいつの間にかもう市中に出回ってなく、5000円も10000円も聖徳太子は別の肖像に変わっているのです。ちなみに2000円だけは肖像ではないことをあらためて知りました。聖徳太子の10000円も市中に出回っていないため、苦労して借用し子どもたちに見せましたが、子どもたちからは「このお札は外国のお札」「偽札かも知れない」などと、聖徳太子の存在が消えていることに驚かされました。今日の論語も学ぶことが多いようです。


  「今の世は 分からないこと 多過ぎる 質問したくも 質問分からず」

  「どうしてと 訪ねる孫に 答えれず お茶を濁して 逃げてばっかり」

  「知らぬまま 死んで行くだろ 俺などは それもまた良し 思えば気楽」

  「知ったこと 直ぐに忘れて 木阿弥に だから人生 面白いかも」

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○電光掲示板が復旧しました

 何が原因で記憶させておいた文字が消えたのか、アナログ人間の私にとってはデジタルのメカニズムや原因がが分からぬまま、悶々の時間や日々を過ごすことが多いのです。多分それはデジタルの基本から勉強せぬまま、必要に駈られていい床鳥で見切り発車したからに他ならないのです。さりとてゼロの基本に立ち返って学びなおす余裕もないため、結局は今回も対処法でお茶を濁すことになってしまいました。

 それでも私には娘婿や長男、それに清水塾頭や松本小番頭、赤石さんなどのある意味駆け込み寺のような人が何人もいて、その都度助け舟がやって来るのですから有難いことです。

 数年前に手に入れたまるでミニチュアのような電光掲示板は、北海道から沖縄まで広範囲に動く私にとって、かなり強力な武器となりました。ポケットサイズでネクタイやスーツにも裏に仕組んだマグネットで簡単に取り付けられるし、パソコンで充電さえしておけば5漢時間は夕に持つ省エネタイプの優れものなのです。

 「NONE」の文字が表示されてから新居浜の加藤さんや十亀さんに電話・メールで問い合わせたものの、それは故障ではなく、何かの原因で文字が消えたので、再度ソフトで入力するよう指示があり、清水塾頭の出番となったのです。

 中島からの帰りに清水さんと待ち合わせ、清水さんのマンションへお邪魔して入力を試みました。あらかじめ入力文章を書いておくよう清水さんから指示があったので、狭い船内で木になるカバンを机代わりして以下の文章を作りました。

 私は5つの顔を持って活動しています。

 ①しずむ夕日が立ちどまる町双海町での夕日をテーマにしたまちづくり活動

 ②私設公民館「煙会所」・海の資料館「海舟館」での地域文化活動

 ③21世紀えひめニューフロンティアGでのボランティア活動

 ④水平線の家・ロケ風呂・ツリーハウス・かまど小屋などでの人間牧場活動

 ⑤前虚空各地への講演活動や地元大学での学習活動  などです。

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(復旧した電光掲示板を胸につけてご満悦な私の自画像)

 以上の文章を絵文字や一部雪が積もるような技法を取り入れパソコンで入力しました。いやあ実に素晴らしい出来栄えで、満足のいく結果となりました。パソコンに疎い私から見れば、清水塾頭はまるで魔法使いのような神々しさでした。自宅に帰ってから電源を入れたり充電したりしてテストしてみましたが、「NONE」が出る前よりもグレードアップしてOKを出しました。

 この優れものの道具を最大限に使い、またまた話題を振りまくことでしょう。復旧にご尽力いただいた清水さん、加藤さん、十亀さんありがとうございました。


  「原因は 直った今も 闇の中 分からぬままに 人の助けで」

  「さあこれで 全国行脚 始めるぞ 決意も新た 悦に入り過ぎ」

  「顔紹介 電光掲示の 五項目 文字が流れて あっけにとられ」

  「デジカメで 自画像撮って アップする どこかニヤニヤ にやけて見える」




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○久しぶりの中島

 瀬戸内海に面した町に住んでいる私は、朝な夕な沖合いの水平線上に浮かぶ島々を眺めながら暮らしています。ゆえに、あれが青島、あれが周防大島と県境を挟んだ島々までも良く知っていて、その「島に雲がかかるとやまぜの風が吹く」などと、古老から教えられた昔の言い伝えを思い出しながら見ているのです。

 北東の一角に見える旧温泉郡中島町(現松山市)の島々は、特に無人島に挑む少年のつどいなどで度々訪れている由利島や、旧友豊田渉さんのふるさとである二神島、それに古野セキエさんの住む中島本島も見えて、何処か親しみのある場所なのです。

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 それでも島は陸続きでないため、ついでに行くことは殆どなく、ただ今開催中のしまはくもアプローチ情報が少なく、ついつい疎遠になっていたようです。

 先日中島小学校の稲田教頭先生からPTA研修会に話をして欲しいと電話やメールがあり、お言葉に甘えて昨日出かけました。高浜発13時15分のフェリーに乗りました。運よく直行便だったので意外と早く着きました。昨日は朝ぎっくり腰になったこともあって、船内では客室に上がらず、車スペースの横のベンチに座り、病院へ行って帰る途中の見知らぬおばさんと世間話に花を咲かせました。みかんが安い、魚が取れないと、高齢化して将来の島暮らしが不安だと、出る言葉はどれもいい話ではありませんでしたが、それでも穏やかな島暮らしはいいと笑っていました。

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 私の訪ねた中島小学校は児童数が100人足らずの学校でしたが、新築の学校は環境にも配慮してすこぶる明るく、丁度下校時だったので元気な挨拶が返ってきました。

 講演は「たくましい子どもを育てるために」という演題で90分間話しました。田舎の学校らしく出席率も聞く態度もよく、笑いを交えながらの私の話にみんな熱心に耳を傾けていただきました。

 金本校長先生は金本教育委員長先生の縁戚、稲田教頭先生はわが双海町出身と、縁の不思議を感じながら校長先生自らが船着場まで送っていただき、久しぶりの中島を後にしました。帰りの高速船は携帯電話で連絡を取り合って二神島出身の豊田さんとご一緒することになりました。豊田さんは宮本常一を考える会の会長だし、わが21世紀愛媛ニューフロンティアグループのメンバーでもあるので、高浜経由で松山市駅付近まで積もる話を沢山しました。

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 豊田さんは合併前の役場時代を加えるともう40数年も船通いをしてるそうで、朝晩の乗船は一見無駄な時間のようにも思えますが、この時間こそが島人としての豊田さんを育んだのではないかと、私にはない船通勤途中の思い出を沢山聞くことが出来ました。

 島人はどこか暖かい、そんな印象を持ちながら中島への小さな旅を終えました。

  「沖合いに 見える島々 人ありて 思い出しつつ 小さな旅を」

  「何処へ行く 知らぬおばさん 声掛ける 田舎はいいな 思わず笑顔」

  「少子化や 産業不振が 気がかりと 自分の体 老いも忘れて」

  「どうしたら 子ども増えるか 教えてと 私に聞かれ 子ども作れと」

 

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○県庁職員ブログみかんの国から

 私が下手ながらブ毎日ログを書き発進しているので、色々な人からメッセージが届きます。「読んだ」「同感」「面白い」「知らなかった」など様々ですが、「それは考え過ぎ」「違う」など少し批判めいた意見もあって、その都度出来る限り丁寧に変身メッセージを送っています。中には私のブログの記事を本人のブログの記事で、「読んで欲しいと紹介してくれる念の入れようも時々あって、その時は読者数がいつもより多くなることもあるようです。私にとって今やブログ生活の一部になっているだけに、双方向のやり取りは生きていることを実感できる出来事なのです。

 県庁に勤める私の古い友人から、「愛媛県庁職員ブログ・みかんの国から」に、「ふたみシーサイド公園」のことが書かれていることをメールで聞きました。早速アクセスしてみました。県庁のトップページから広報広聴課へアクセスし、私のような素人でも難なく6月21日付けの記事を見つけることが出来ました。愛媛をイメージする段々畑と青い海、青い空の写真の下に、「愛媛県職員が、実際に体験した愛媛の魅力や県政情報をタイムリーに発信します」と書かれています。「みかんの国から」というタイトルも爽やかだし、お役所臭くないのでとても好感が持てたので、早速私の「お気に入り」に登録しました。これで気が向けば毎日でも読むことが出来るのです。

 記事を少し紹介しようと思いましたが、メモ帳を読んでいると「~前略~なお画像、文章の著作権は県または提供者にありますので、著作権法上認められた場合を除き、無断で引用、転用はできません」と、お役所臭さがぷんぷん匂ってきました。問い合わせをして引用・転用すればいいのでしょうが、そんな暇も勇気もなく、結局は「なるほど」程度で終わってしまいました。仕事のことならいざ知らず、折角県庁の広報広聴課が県民向けに作っているブログであれば、「ブログの写真・記事などはご自由にお使いください」と書けばいいのにと、思った次第です。

 私のようによく出歩く人間なら、またデジカメを持っている人間なら、紹介されたような写真は撮れるのですが、一般県民には特に夕暮れ時の夕日の写真など撮りたくても自宅からの距離や天候のこともあってそれも叶わない人が多いのです。今回のふたみシーサイド公園の紹介記事は写真のタッチも素晴らしく、一枚拝借したいような気持ちになりました。

 私もかつて役場に勤め、広報広聴の仕事に10年間も携わってきましたが、ペーパーだけのアナログ主流時代でした。今はこうしてデジタル主流の時代になり、しかも県庁の公式ページに、職員が体験した出来事や県内の風景を書くことが許されること自体画期的な変化だと驚き、「県民目線」のその勇気ある行動に大きな拍手を送りたいと思うのです。

 「県庁が変われば県民も変わる」、これは当たり前の理論です。デジタルながら県庁のホームページにアクセスすると県知事さんにだって毎日会えるし、県民たる私がその気になれば県知事さんに意見を述べることだって出来るのですから、これほど開かれた時代はありません。でも県庁という敷居は思った以上に高く感じられるのは私だけではないと思います。このブログのように職員が県民目線を持てば、県民も県庁に親しみと信頼を覚えることでしょう。今朝から職員ブログを見たり読んだりすることを、私の日課に加えました。

  「県庁も 変わったものと ブログ読み 納得しつつ 少し批判も」

  「この写真 使いたいけど 使えない 著作権とは 仕方がないか」

  「県庁が 変われば県民 変わるはず 勇気のブログ 拍手を送る」

  「この写真 若者見れば 彼女連れ 愛の告白 するかも知れぬ」

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○地下室が水浸し

 わが家には3年前まで親父が自慢にして育てていた鯉のための少々深めの池がありました。しかしその鯉が突然死んでしまったため、池を埋め立てることにしたのです。ところが埋め立てる寸前になって親父がこの池を何かに生かせないかと発案し、池の上に鉄筋を組んでコンクリートを流して地下室にしてはどうかという私の提案が受け入れられ、近所の土木業者に頼んで工事にとりかかり、畳4畳半程度の立派な地下室が出来上がりました。

 しかし出来上がったもののコンクリートは夏の暑さで照り返しが酷いため、私と親父が相談し日曜大工でコンクリートの上にウッドデッキを張り、その上へさらに一部屋作ってしまったのです。地下室は冬は比較的暖かく夏はかなり涼しいため、梅干やラッキョウ、それに梅酒の漬け込んだものをしまい込む専用の地下室になってしまいました。毎年梅の実る頃になると地下室の蓋を開けて見るのですが、上手い具合に保存ができているようなのです。数日前今年の梅所の漬け込みを終えて収納した時は何ともなかったのですが、昨日の夕方梅干用の樽を取り出そうと地下室の蓋を開けてびっくりしてしまいました。

 地下室の底に水がいっぱい溜まって、まるで床上浸水と呼ぶように水が座の上まで来ていて、幸いビンや壷に水は入らなかったものの、水浸しになってしまっていました。さあそれからが大変です、地下室に電気を引き込んでその水を汲み取る作業を親父と二人で、外が薄暗くなるまでしました。そして水が入ったであろう場所にコンクリートを練って詰め込みました。思い当たる原因がここだとすると、水は止まるのでしょうが、別の場所だと元の目阿弥になってしまうのです。

 今朝起きて直ぐに地下室に懐中電灯を持って入り込み調べてみましたが、今のところはどうやら止まっているようなのでホッとしました。

 しかし水に濡れたものは乾かさないとカビが生えるため、中のものを親父と二人で外へ取り出しました。その重いこと重いこと、中腰での作業なので結局はぎっくり腰気味で腰を痛めてしまいました。今日は中島に船で渡り、PTAにお話しするようになっていたので、ぎっくり腰のまま出かけましたが、船の窓に写る自分の姿はまるで「おじいいさん」といった風で、背中をまるめ腰をかがめ、いつもの元気の良い姿は何処にも見当たらないのです。

 最近は腰痛体操のお陰で腰の調子も満点と自慢していましたが、これで帳消しのようです。でもいつもだと起き上がれないくらい痛むのに、今日は多少つらくても歩けないことはなく、やはり体操の恩恵を喜んでいるところです。

  「こりゃどうだ 自慢の地下室 水浸し これもやっぱり 床上浸水?」

  「地下室で 中腰作業 した結果 ぎっくり腰で まるで年寄り」

  「窓越しに 写る自分の 姿見て 思わず空を 見上げため息」

  「体力と 気力バランス 崩れてる 若松ゆえに 体力復元」

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○コンニャク畑の草取り

 人間牧場の畑に苗屋さんでコンニャクイモの種芋を、10個買って植えたのは今から4年前でした。人間牧場の体験メニューにコンニャク作りを入れたら面白いかも知れない、という単純な発想でした。土の中のことなのでよく分かりませんが、聞くところによるとコンニャクイモの種芋は4~5年畑に植えたままにしておくと、親芋が大きく育ってその芋で、コンニャクが沢山作れるそうなのです。私もそのことを頭に入れて、毎年春先になると芽が出て大きくなるであろう芋の成長を楽しみにしていました。

 今年の春も少し早い芽吹きで順調に芽は伸びたように思っていました。ところがその芽が日が経つにつれて見たこともないような姿になってしまったのです。子ども体験塾で人間牧場にやって来たコンニャク作りの名人である西岡栄一さんに見てもらったところ、それはコンニャクの花であることが分かりました。しかもコンニャクイモが花を咲かせるとその寿命を終えるというのです。せっかく育てて楽しみにしていたのに、お先真っ暗ほどではないものの、かなり落胆してしまいました。

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(今年の春花を咲かせて短い一生を終わった親芋から小芋が芽を出し始めました。

 西岡さんの話によると、花を咲かせた親芋の回りに小芋がついているので、それを育てたらいいと助言を受け少々救われましたが、せっかちな私は4~5年も待てないので、再び同じ苗屋さんに行ってコンニャクイモの種芋を50個ばかり買ってきました。そして春先の先月人間牧場の段々畑の一つを開墾して種芋を植えたのです。

 この季節の畑は雑草が伸び放題で、折角植えた種芋がこの草むらでは芽吹かないだろうと思い、昨日は梅雨の晴れ間を選んで半日、一人で草を引きました。この時期はやぶ蚊やブトが沢山出て、顔や首筋にまとわりつくので、妻が先日買ってくれた蚊取り線香を腰に吊るして作業をしました。

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(草を取ると畑には無数のコンニニャクの芽が伸びていました)

 1時間ほどの作業でしたが、何とか親芋の枯れた畑と、今年新たに作ったコンニャク畑の雑草を取り除き、畑らしくなってきました。これでコンニャクの芽が成長すると少し雑草を抑えて成長してくれるものと期待しています。一事が万事このように、サツマイモ作りはサツマイモをイノシシに全部食べられたり、蜜蜂飼育では蜂に何度も刺されたりしながら、人間牧場での失敗経験が大きな力になりつつあるのです。

 コンニャクもサツマイモも、また蜜蜂も私にとってはまだまだ奥の深い動植物ですが、これからも命あるものゆえ大事に育てて行きたいと思っています。


  「失敗で また一つだけ 先進む 三年後には コンニャク作り 鱈腹食べる」

  「草を引く ただひたすらに 手に力 雑草何故に これほど丈夫」

  「コンニャクは まるでキリンの 足のよう 土下芋は どんな営み」

  「今度こそ 芋を育てて コンニャクを 作り食べると 誓いも新た」

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