shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月21日

○第4の波と第5の波が押し寄せる

 昨晩は何度か行ったことのある島根県益田市真砂地区の公民館にお邪魔しました。昨晩の講演会のテーマは学校統廃合の問題です。私にも地域の人にも少し難解なテーマでしたが、まず私が1時間ばかりこの問題についてお話をしました。

 私の講演の内容は・第4の波が押し寄せる、・捩れた時代の下降線シナリオ、・子どもを取り巻く社会、・私の考える寺子屋構想などでした。

 ・第4の波が押し寄せるでは①始めの波は国鉄の民営化(公共交通の時代から車社会への変化)、②第1の波は農協のの合併(第一次産業から第二次産業へ産業構造の変化)、③第2の波は市町村の合併(人口減少や高齢化による行政サービスの変化)、④第3の波は郵便局の民営化(物流や情報の変化による公共サービスの変化)、⑤第4の波は学校の統廃合(少子化による社会構造の変化)、⑥第5の波は集落の統廃合(限界集落の増加によるコミュニテイの変化)についてまず経緯を話しました。


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 ・捩れた時代の下降線シナリオ

 ①公共の足が奪われる

 ②農業で飯が食えなくなる

 ③行政サービスが遠のく

 ④金融の撤退でお金が引き出せない

 ⑤学校がなくなる

 ⑥お寺が無住化する、買い物が出来なくなる

 ⑦限界集落が増加し自治活動が出来なくなる

 ・子どもを取り巻く社会

 ①文部科学省と教育委員会の存在(無策すぎる国や市町村の教育方針・場渡り的施策・教育委員会の独自  

  性)

 ②地域社会の変化(危険な社会。乱れた社会・モラル低下の社会)

 ③学習塾依存の教育8成績至上主義・競争相手)

 ④学校の変化(生きる力のない教師・門を閉ざした学校・子ども管理)

 ⑤PTAの変化(学校との対立構図・役員になり手がない・集団でない個の集まり)

 ⑥習い事(スターを夢見る親子・塾・金をかける)

 ⑦子ども会(少子化で皆無・地域での上下関係・遊びの想像がない)

 ⑧家庭の変化(感動がなくなった・テレビの征服・茶の間と仏壇)

 さてここでは私の考える地域の寺子屋構想については、少しの間伏せておきたいと思いますが、私の講演の後参加した皆さんとかなり突っ込んだ討論を行いました。参加した人の中には熱心だったり持論を持ったしっかりした人たちがかなりいて、嬉しい議論が出来たように思いました。

  「統廃合 しないと子ども 駄目になる 何で?と聞けど 答え返らず」

  「納得を してないけれど 仕方ない 諦め空気 何処か漂う」

  「一方で 子育て大事 言うけれど トカゲの尻尾 切られて悲し」

  「合併の 次に学校 その次は 津波押し寄せ 捩れて消える」

 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月21日

○お早うございます

 今朝は島根県益田駅前のホテルで目を覚ましました。旅先とは言いながらやはり早起きの癖は直らず、朝4時に目が覚めました。そこでホテルの3階にある大浴場へ行き朝風呂を楽しみました。自宅にいるときも殆ど毎日朝風呂を欠かさない私にとってホテルの大浴場は、まるで貸切風呂のようなもので、大浴槽の中をゆったりと歩き、また腰痛体操をやりました。一番風呂を楽しみにやってきた別の客さんと会話しながら髭をそったりしました。

 この日輝の脱衣場にはマッサージ器があって、無料で使えるのです。このところ夜の会合が遅く少々肩こり気味だったのでゆっくりとマッサージをしました。湯上りに冷水を飲むと「さあ今日も頑張ろう」という何か不思議なパワーを感じました。

 10階の自室に上がり、部屋の前に配られた山陰新聞をくまなく読み、テレビをつけました。バンクーバーオリンピックの模様やニュース番組を見て過ごしていると外が明るくなってきました。やがて東の空が明るくなり、ホテルの窓から神々しい朝日を拝む事が出来ました。

 2階で食事を取りました。最近のホテルはバイキング形式で、私は体調を整えるため日ごろ食べているキャベツと朝粥をメインにして味噌汁や納豆、それに牛乳を一杯用意して止まり木のようなカウンター席に陣取り、ロビーで借りた朝日新聞を読みながら朝食を食べました。また野菜ジュースとヨーグルトを追加して健康食の朝食を終えたのです。


 昨日は午後2時から講演と午後3時過ぎから対話集会、そして夜は真砂という地区で学校統廃合についての講演と討論を行い、ホテルへ帰ったのは午後9時過ぎでした。今日は午前10時30分からもう一つの講演が予定されています。まもなく迎えの車がホテルに到着する予定です。このブログの記事は宿泊名所のグリーンモーリスというホテルのロビーにおいているインターネットを使って書いています。

 たった一泊二日の講演旅行ながら3会場での話とは、かなり人使いが荒いようですが(笑い)これも仲間が仕組んでくれた綿密なスケジュールなので、どの会場もしっかりと性根をすえて話したし今日もいい仕事をしたいと思っています。

 幸せなことにこの二日間、迎えに来てもらった車での広島県と島根県の県境は残雪をかき分けるような難儀でしたが、山陰地方独特の荒れた天気に出くわす事も無く、いい天気のままで帰れそうです。

 さあ今日も頑張りましょう。


  「久方の 島根の西の 益田街 駅前どこか お洒落変身」

  「人使い 荒い仲間の スケジュール 講演三つ 何とかこなす」

  「ダブルだと いうのにベッド 一人寝で 妻の温もり 恋しく眠る」

  「ホテル窓 差し込む朝日 拝みつつ 沈む頃には 我が家に着くか?」

  


shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月19日

○見せかけの金持ち

 わが家は660坪の敷地に本宅と隠居を合わせると、田舎ゆえ大きな家に住んでいます。そしてその家を囲むように濃紺の土塀が長く続いて、外から見れば「お屋敷」って感じがするのです。したがって誰もが「お金持ち」だと思っているのです。

 子どもが小さい頃長男が学校から帰ってきて、「お父さん、僕とこお金持ちなん?、それとも貧乏人なん?」とやぶから棒に聞くのです。聞けば友達が「お前とこは大きなお屋敷に住んでいるから金持ちだろう」と言うのだそうです。ところが自分の暮らしの実感としては質素な暮らしをしていて、貧乏だと思っていたのです。当然と思えば当然のこの質問に私は戸惑いましたが、すかさず息子が「お父さん、うちは貧乏人よなあ、だって友達の家のチャイムはピンポンピンポンと鳴るのに、うちのチャイムはビンボービンボーと鳴る」と駄洒落を言って家中が大笑いをした経験があるのです。

 確かにわが家は傍目から見ればお金持ちに見えるのです。しかし内情は火の車で、当時は家を建てる銀行ローンを組んだため、私の安月給に翻弄され妻は相当家計のやりくりに苦労をしたようです。したがって子どもの目には食べるものも自家製のものが多く、当然欲しいものも買ってもらえず、家族みんなが貧乏共有の時代だったのです。

 その中で忘れれられないのは薪で沸かす風呂です。私は当時公民館に勤めていて、土日も自由時間も殆どない仕事をしていました。したがって子どもたちと遊ぶ暇などなかったのです。その中で風呂を沸かすための薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは子どもの仕事と位置づけていました。最初は面白がってやっていた巻き割りも子どもたちのとっては「何でこんなしんどい仕事を子どもが」となるのです。それでもこの薪割りや薪運び、それに風呂沸かしは大きくなった子どもたちには思い出となって残っており、今でもみんなが集まるとその話に花が咲くのです。今で言うエコライフな薪での暮らしは相当安価で、エネルギー代の節約をし、家計は大助かりでした。今は懐かしい薪ボイラーも薪の調達が難しくなり、2年前に灯油ボイラーに替えました。

 家は築後30年以上が経って古くなりましたが、見せかけは今でもお金持ちのような家に住んでいます。しかし5年前にリタイアして家は再び質素な暮らしに逆戻りしました。でも3年前から年金も支給され、それなりに暮らしていますが、妻のやりくりは相変わらず続いているようです。

 でも私にはお金や資産こそないものの、心は大いに豊かです。気心知れた仲間が沢山いて、いつも賑やかに活動しています。また家族揃って健康にも恵まれ、今年92歳になる親父もまだ自転車に乗るほど元気です。銀行ローンはとっくに繰り上げ償還して借金は多分ゼロです。間もなく長男家族と同居するため家の増改築リフォームをしなければなりませんが、その程度の臨時出費は私の時代の最後の大仕事として、何とかなりそうです。

 今も私の頭の中に息子が私に質問した、「お父さん、うちは金持ちなの?、それとも貧乏人なの?」という問いかけがこびりついているようです。


  「お父さん うちは金持ち 貧乏人? 言われた言葉 今も頭に」

  「見せかけは 金持ちのよう 見えるけど いたって貧乏 だけれど豊か」

  「薪割りや お風呂を沸かす 苦労して 育った子ども 今は懐かし」

  「ピンポンが ビンボー聞こえる わがチャイム 息子よ偉い 座布団二枚」

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月19日

○税の確定申告

 退職してから5年が経過しましたが、毎年2月の中旬になると頭を悩ませることがあります。それは税の確定申告です。勤めていた時は申請書を期限内に会計へ提出すれば、年末調整をしてくれていたため、何の苦労もなく終わっていたのですが、今は自分で申告をしなければならないのです。

 私の場合は自由業なので決まった給料はなく、大学などで講義をしたり講演などでいただいた講師謝金をまず一覧表にする作業を行います。講演に招かれる主催者は殆どが市町村や団体、それに会社などなので、そこから年末から年始にかけて、源泉徴収票が送られてきたものを大切に保管しておき、一覧表に書き込んでゆくのです。呼ばれないと仕事がない相手任せの自由業ながらこの一年、北は北海道から南は九州までほぼ満遍なく招かれ、驚くほど皆さんの前で話をしているのです。

 私の場合は講演先で講師料をいただく場合は、例外なく1割の源泉徴収が行われていてるため、既に税金を支払っているため、むしろ毎年申告すれば国税が還付される仕組みになっているので、そのことも楽しみの一つです。

 いつも気になっているのですが、講演料をいただく場合講師料に交通費を加えた額に税金がかかっています。例えば2万円の講師料+2千円の交通費=2万2千円ー2千2百円(所得税10%)=1万9千8百円が手取りとなるのです。講演料の所得税10%は当然でしょうが、実費2千円の交通費は当然いる必要経費なのに何故10%差し引かなければならないのか合点がいかないのです。


 そのため確定申告では交通費として支払った金額をインターネットなどで丹念に調べて必要経費として計上するのです。税のことはまったくの素人なので昔役場に勤めていた頃の友人の助言を借りて計算していますが、自分の心の中に「申告は難しい」とか、「申告は嫌だなあ」という後ろ向きな気持ちがあるため、2月の中旬を迎える度に何処か憂鬱になるのです。

 それでも昨日は一覧表を作成し終わり、証拠書類となる源泉徴収票を順番に並べてやっと基礎資料の作成を終えました。後は友人の助言を得て書き込み申告するだけなのです。

 10%の納税をしていますが、税金はこればかりではありません。所得に応じて市民税や国保税、介護保険税などなど、二重三重と重い税金がかけられます。「税金を払えることはそれだけ所得があった証拠だ」と半分開き直って諦めていますが、それにしても私たち庶民にとって税金はきついお仕置きのような気がしてなりません。

総理大臣は毎月1千5百万円ママからいただいていても、知らなかったで通るのに、私たち庶民は何故?と思う人も多いのではないでしょうか。


  「納税は 国民義務と 言いながら 何処か変だと 今年も思う」

  「ママ貰う 毎月小遣い 脱税し 庶民の私 何で税金?」

  「申告を しながら思う 楽しみは 還付幾らか 去年参考」

  「年金で 暮らす私と 妻二人 家計はやはり 気になるところ」

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月18日

○生きていたミツバチ

 寒い冬もそろそろ終わりに近づいてきました。雑草は偉いものでそのことを知ってか知らずでか、ぐんぐん地下茎と新芽を伸ばし始めていて、日当たりのよい場所ではもう足にまとわりつくように伸び始めているのです。冬の間すっかり音沙汰もなく、私のミツバチの師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんに、先日佐賀県で開かれた全国大会同行の折、ミツバチの動向について相談しました。井上師匠は私の心配を他所にあっけらかんとして、「冬は休むものだから多分大丈夫」と太鼓判を押してくれました。

 それでも心配をしていましたが、昨日人間牧場へ出かけた折目を凝らして見てみると、どうもミツバチが出入りしているようなのです。嬉しくなってその様子をデジカメに収めてきました。この写真を見た方は「えっ?、何処にミツバチがいるの?」と不思議がるでしょうが、巣箱の左隅に出入りするミツバチが5~6匹見えるのです。察するにこのところの陽気に誘われて、人間牧場に咲いている梅林で蜜を集めているようなのです。

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 巣箱に入れられてはるばる遠いこの人間牧場へ、野村町からミツバチがやって来たのはちょうど一年前の2月11日でした。ど素人の私がミツバチを飼うという話をした時、快く相談に乗ってくれた井上さんは用意した2つの巣箱に蜜蝋を塗り、巣ミツバチの入った巣箱を置いて帰りました。その後別の箱に分封してその数を増したものの、スムシなどの被害で結局は巣箱2個だけの採密でしたが4升も蜂蜜が採れ、おもしろ教室の子どもたちも様々な経験を学んだのです。勿論初めての経験だった私もミツバチのことについて多くのことを学んだ一年でした。


 私が日本ミツバチを飼おうと思いついたのは、人間牧場にやって来る子どもたちとわが長男が、ミツバチを飼いたいという一言からでした。その言葉につられ木下さんの紹介で高知県馬路村の農家で巣箱を貰い、井上さんと出会って実現したのです。紆余曲折はありましたが、日本の各地からミツバチが消えつつあるという話にはショックを受けました。その原因は酸性雨、電磁波、異常気象、外敵、病気の蔓延などがあるようですが、いずれもまだ解明されていないようです。でも日本の山々が杉やヒノキなどの人工林に覆われて、日本ミツバチが山を下りなければならなくなった自然環境の変化は、サルや鹿や猪などが山里に出没するようになった原因と何処か共通しているようにも思われるのです。野生動物が住みづらくなったなった日本の自然環境を、これからもミツバチ飼育を通してもっと学んでゆきたいと思っています。


  「ミツバチが 巣箱出入り する姿 冬を越したか お前は偉い」

  「この箱の 中でミツバチ 何をして いるのだろうか 想像広がる」

  「ミツバチは 正直者だ 暖かく なれば戸外に 働き出かけ」

  「人間の エゴが作った ツケ多い 元に戻すは 容易じゃないな」

 

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投稿者: | 2010年2月18日

○人間牧場は梅や椿が満開です

 友人清水和繁さんから旧正月の年賀状が届いて、何処か春めいたような錯覚を持ち始めました。そういえば寒さ一辺倒だった外気温も、さすがに朝夕は寒いものの昼間の日向は暖かく、田んぼのあちこちには黄色い野生の菜の花が咲いて春間近を思わせているのです。わが家の家庭菜園も豊作だったチンゲンサイやブロッコリーに花が咲き始め、いよいよ食べごろも終わりに近づいてきました。わが家では昨日の夕食にチンゲンサイを使った八宝菜が並び、妻は「来年もチンゲンサイを植えてね」とせがまれました。

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(見事に開花した人間牧場の梅林)

 昨日は人間牧場へ中学校の同級生たちが9人も訪れ、楽しいひと時を過ごしました。その後片付けをして梅林へ下りて行きましたが、日当たりのよい所は満開で春の穏やかな日差しを浴びて輝いたように見え、「綺麗だなあ」と思わず見とれてしまいました。多分この花を愛でるのは私と、遊びにやってくるメジロやウグイスだけでしょうが、それゆえに愛おしく、しばらく道淵に腰を下ろして見とれてしまいました。

 毎年のことながら花を見て春を思い、花を見て梅の実の熟す初夏のころを思い出すのです。「この分だと今年も梅の実は豊作だろうなあ」と、花より団子を考える打算的な考えはさておいて、今月いっぱいが見ごろの人間牧場の梅の花をしっかりとこの目に焼き付けたいと思いました。

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(真っ赤なやぶ椿の花も今が見ごろです)

 植えて3年目になるというのに中々太らないブルーベリーの畑の隅には椿の木が沢山あって、椿の花も梅の花と同じように見ごろを迎えているのです。椿は花びらを散らす山茶花と違い、花が首から落ちるので演技が悪いとよく言われますが、寒さの中で凛と咲く椿も捨てがたく私は大好きです。咲いてよし、また散って花を散らすように落ちている姿も風情があるのです。

 中々太らないと文句を言っているブルーベリーは他の樹種に比べ芽吹きが早く、木の芽はもう芽吹きの準備が整って、今にも開きそうな勢いです。昨秋ペレット肥料を思い切り施肥したので、今年は大きく成長してくれることでしょう。


  「梅椿 見る人もなく 春に咲く せめて私が 愛でてやらねば」

  「花よりも 団子気にする 私には 花を表現 するに値わず」

  「やぶ椿 一輪折りて 花器に挿す われの風流 褒める人なく」

  「田舎住み 田舎に暮らす 特権は 一人花見を 楽しむできる」

 

shin-1さんの日記

投稿者: | 2010年2月17日

○人間牧場へ同級生の女性がやって来て心ときめきました

 今日は朝から、いやひょっとしたら昨晩から、今日を楽しみにしていました。というのも中学校の同級生の女性たちが9人も、人間牧場へやって来るというのです。双海町やその周辺に嫁いだり住んでいる仲間が集まって、人間牧場を覗いて見ようという話がまとまったのです。

 妻に話すとその殆どの人は顔見知りなので、何かご馳走を作ろうか相談されましたが、余り気を使わない方がいいと軽くあしらっていました。ところが昨晩台所で何やら妻がごそごそやっていました。デザートに天草を炊いてゼリーを作るらしいのです。今朝起きてみると台所の台の上にゼリーは出来上がっていました。

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 私は気にも留めず朝早く危険物回収場所へ危険物を出しに行き、その足で人間牧場まで行って風呂を溜め、薪ストーブを焚き、そして囲炉裏の板を開けて五徳を並べ、ストーブの中で起った火を入れました。そして炭をつぎ足し火が起ったのを確認して家まで帰りました。

 妻は既に仕事に出かけた後でしたが、味噌汁やデザート、タコ刺しや南蛮漬けなどが既に出来上がっていて、それらを積んで待ち合わせ場所のシーサイド公園へ出かけました。何人かはもう既に到着していました。やがて後発隊も到着し適当なスピードで山道を登りました。

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 今日の震源牧場界隈は、今時珍しい北東の風が吹いて少し寒く感じられるもののまずまずの好天に恵まれ、ほっと胸をなでおろしました。皆さんとは60歳の還暦の時同級会をして以来の出会いなので、あれから早くも5年余りが過ぎているのです。この歳になると話の内容は家族のことや年金のこと、健康のこと、同級生の音信など、堰を切った滝のように楽しい話が沢山出てきました。幸せなことに今日は男が私一人なのでもてることもてること、こんな会だったら再々して欲しいと思いました。

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 この日は皆さんから落伍のリクエストがあって、ネタ本である「夕日徒然草」も飛ぶように売れて、たった9人なのに29冊も売れました。有難いことだと感謝しながら今日は大番頭も小番頭も塾頭もいないので、たった一人で捲りや拍子木叩きをしながら思いつくまま適当にお話しをさせてもらいました。落伍ライブも大受けで、大笑いをしてもらいました。

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 昼食はそれぞれが色々なもを持ち寄っていたため食べ切れないほど豪華で、私も勧められるままに色々な物を食べて時を過ごしました。幾つになっても同級生はいいものです。今のことは忘れる年代になりましたが、昔のことはそれぞれ懐かしく思い出話に花が咲きました。

 やがて3時前になったのでそこら辺を片付け、再会を約束して2台の車に分乗して人間牧場を去って行きました。私は火の始末や使った道具類を片付け、風呂のお湯を抜いてあらかた掃除をして皆さんの後を追うように下山しました。

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 中学校を卒業してから半世紀50年が過ぎました。私たちの母校であった下灘中学校も今年度限りで上灘中学校と統合し、長い歴史に幕を閉じて廃校になる予定です。寂しい気もしますがこれも時の流れだと諦めなければなりません。しかし学校がなくなっても下灘中学校の同級生であることは変わりないのですから、これからも折に触れ出会って旧交を温めたいと思いました。その場所として人間牧場を使っていただくことはこの上ない喜びです。お互い元気でこれから始まる人生を、元気でもっと楽しく生きて行きたいと思いました。

 あの頃可愛らしかった皆さんもそれなりのおばさんになっていました。勿論わたしもそれなりのおじさんになっているのですから五十歩百歩でしょうか。(大笑い)

  「あの頃は 可愛いかったが 久しぶり 会えばおばさん 俺もおじさん」

  「あの頃の 夢は何だと 尋ねれば 花嫁なりたい みんななってる」

  「いつまでも 話していたい 同級生 後姿に 手を振りながら」

  「あの頃に 帰りたいけど 帰れない 人は誰でも 老いて行くもの」