人間牧場

〇隣のおじさんの断捨離

 隣のおじさんの年齢が90歳を越えました。最近は足腰が弱り記憶も途切れがちながら、1週間に4日程度近くの特老夕なぎ荘へデイサービスに通っています。故に普通は殆ど顔を合わせなくなりましたが、毎月21日のわが家の入り口付近に安置されているお地蔵さんの縁日に、妻の作った赤飯を持参して会話を交わしています。

いただいた小型の耕運機
いただいたマキタ電動鋸

この最近、おじさんの家のブロック造りの倉庫が老朽化し、天井からコンクリート片が落ちるようになったらしく、息子さんが暇を見つけて中の道具類を処分したり、木材端材は高野川の清掃センターへ運んだりして掃除をしているようです。おじさんは若い頃から日曜大工が趣味で、この倉庫も自分で造り、中には沢山の道具類が整理整頓して置かれていますが、これらを処分するとなると厄介で、「欲しいものは何でも差し上げるから持ち帰って」というので、とりあえず農作業に使える道具類を幾つかいただきました。

 昨日はおじさんがディサービスに出かけたので、息子さんは仕事の休みを取って片付け作業をしていましたが、朝のウォーキングで出くわし、半日ほど片づけを手伝ってあげました。ミカンのキャリーは友人に電話連絡して取りに来てもらい、倉庫の奥に置いていた小型耕運機も処分するというので、ガソリンを入れ動かすと始動するようなので、人間牧場用にいただき持ち帰って拭き掃除をしました。この他にもマキタの電動鋸や、工具類もどっさり貰い、今日にでも後片付けをしようと思っています。

ふとおじさんと自分の行く末をダブらせながら、「もう20年もすると自分もこのようになるのか?」と思いながら、せっせと集めた道具類も代が変われば、猫に小判となってしまう姿に心が痛みました。やがて来るであろうわが老いを先取りして、「そろそろ断捨離をしないと」と、少し焦りのようなものを感じた1日でした。

「お隣の おじさん高齢 なったゆえ 息子が倉庫 断捨離決行」

「あれもこれ 欲しけりゃどうぞ 言うゆえに あれこれ貰い 道具倍増」

「耕運機 ガソリン入れて 始動した 人間牧場 これは使える」

「20年 すればわが身も このように なると予測し 今から準備」

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人間牧場

〇妻を大事にと言われるけれど・・・

 私のブログに度々登場するのは孫と妻です。わが家には小学校3年と小学校5年の内孫がいて、毎日楽しい会話をしながら一緒に暮らしています。3年生から5年生にもなると大人の会話にも絡んで、様々なやり取りをしていますが、周りの人からは長男家族と同居して暮らせる幸せを羨ましがられています。

妻も73歳になりました

私はこれまで、自分の夢の実現を第一に考えた人生を歩んできました。23歳の時に考えた生活設計に沿って、失敗や紆余曲折はありましたが、「夢はドリームでなくターゲットである」と初心を貫いて、ほぼ立てた目標通りの成果を上げ、まあ点数をつければ80点といったところです。

さてブログに度々登場する妻ですが、古い時代に育った殻から抜け出せない古い考えの私ゆえ、滅多に妻を褒めたことはなく、親の介護や家計のやりくり、子育て、親戚づきあいの一切を妻に任せ、家事全般に関わることもなく外面よろしき生き方をして、それなりに手前味噌な満足をしてきました。

金婚50年を2年後に控えた最近、友人知人が「奥さんを大事に」とか、「奥さんに感謝しなさい」というブログの書き込みが急に増えてきました。勿論感謝はしていますが、態度で示すことのない私に対して、追い打ちをかけられ続けています。昨年の妻の誕生日をきっかけに、これからは極力妻ファーストの考えにしようと心に決めました。

今年私は誕生日が来れば75歳の後期高齢者になります。結婚して48年私ファーストで過ごしてきたことを思えば、多少遅きに失した感はありますが、これから始まる老後の人生を妻ファーストで生きて行きたいものだと、思った次第です。私のブログ愛読者の皆さんすみませんが、この話は妻にはくれぐれも内緒にしてくださるようお願いします。

「最近に なって仲間が 妻のこと 大事にしろと 教育指導」

「感謝して 生きてるつもり だけれども 態度で示す ことを忘れて」

「今年は 後期高齢 なりまする 心入れ替え 妻ファーストで」

「大事だと いう口の下 あれやこれ 命令口調 いかんいかんと」

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人間牧場

〇お裾分けとわらしべ長者

 ヒジキを茹でて、ほんの少しずつ近所や親類知人にお裾分けしたところ大層喜ばれました。別に自分がヒジキを元から作った訳ではないのですが、海からヒジキを採って来て、大釜で4時間火を焚いて茹でる手間を知っている人は、殊の外「大変だったでしょう」と労をねぎらってくれました。

いただいた魚

 昨日ヒジキを差し上げた親類の叔父さんから、「建て網にかかった魚をやるから取りに来い」と夕方連絡がありました。この叔父さんは90歳になったので、かかりつけ医者の勧めもあって、今年の春から70年以上もやっていた底引き網を廃業しました。廃業漁師ゆえ何もすることがないので、小伝馬船で建て網を思いついたそうで、昨日はその建て網に沢山のメバルやホゴ、メジナなどがかかったらしく、そのお裾分けでした。

まるでお化けのような大大根

 沢山貰ったので、近所に住む西岡さんや宮栄さんにもお裾分けをしてあげました。西岡さんは隣町の直売所へ出荷する大根の準備をしていましたが、わが家も大根を作っているのでと遠慮しましたが、大きな大根を2本いただいて持ち帰りました。西岡さんの話によると今年の冬は温かかったせいか大根が大きくなり過ぎて、直売所では大きな大根は核家族の時代なので売れないそうでした。

持ち帰って家族に見せると、若嫁も孫も大喜びで、特に孫はいただいた抱えきれないほど大きな2本の大根を持って、写真に納まりました。若嫁は早速この大根と、私が粗調理した魚を料理して食卓を囲んでいました。ヒジキが魚になり、魚が大根になる。長者にこそなりませんがまさにわらしべ長者のようでした。田舎の日々の暮らしは決して便利ではありませんが、差し上げたり貰ったりと、人と人との温かい交流で身も心もほっこりです。わが家も今晩は、勿論叔父から貰った魚と西岡さんから貰った大根が食卓を賑わかせてくれることでしょう。

「茹でヒジキ 縁者に配り 喜ばれ 骨は折ったが 嬉しい反応」

「お礼にと 魚を貰い 喜んで 粗調理する 私の仕事」

「少しずつ 貰った魚 お裾分け お礼に大根 いただき帰る」

「長者には なれないけれど 差し上げ貰い 心ほっこり」

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人間牧場

〇高知県中土佐町へ出かけました

 昨日は高知県中土佐町へ講演に出かけるため朝4時30分に起き、身支度を整え4時50分に自宅を出発しました。この一週間大分県別府市、愛媛県伊方町、福岡県上毛町と県外や遠出の旅が続いていて、前夜は福岡県から夜遅く帰ったこともあり、居眠り運転防止のために仕事が休みだった妻が、カーナビのつもりでついて行くという有難い申し出を快く受け入れ、同行二人の旅となりました。

丘の上に立つ黒潮本陣
太平洋に面した中土佐町

高速道路運転が苦手という妻の言い分を聞き、双海町から内子を通り肱川、梼原に出て国道197号線を走りました。途中何ヵ所かの道の駅でトイレ休憩をして時間調整をしましたが、予定通り午前8時に中土佐町役場に到着し、近くの喫茶店で軽いモーニングを食べながらお茶をしていると、到着を心配していた担当の岩本さんから確認の電話が入り、早速会場入りしました。

 2階の控室で副町長さんや教育長さんと談笑しながら軽い打ち合わせを行い、9時からの開会式に臨んだ後、「地(知)育・食育・体育の時代」という演題で90分お話をさせてもらいました。会場には中土佐町と合併した、旧大野見村の顔見知りの人も何人かいて、懐かしく声を掛け合いましたが、和やかな雰囲気で講演会を終えました。

 私が講演をしている間、妻は私が推薦していた道の駅や丘の上の太平洋を望む黒潮本陣、大火の折大正天皇から下賜された資金で復興したという大正市場、近所の神社などを散策したようで、車で落ち合うなりその様子を楽しく話してくれました。昼食をご一緒にとお誘いを受けましたが、固辞して帰路に着きました。帰路の途中タイヤパンクという思わぬハプニングにも遭い、ほろ苦い小さな旅となりました。

「一週間 県内県外 あれやこれ 過密の日程 最後は二人で」

「瀬戸内の わが町発って 太平洋 山道縫って 無事に到着」

「中土佐は 人口7千 海沿いに 津波避難の タワーもあって」

「顔見知り 大野見村の 顔見知り 何人かいて 声を掛け合い」 

 

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人間牧場

◯車のタイヤがパンクしました

高知県中土佐町から帰る途中クルマのタイヤがパンクしてしまいました。JAFに加入しているので、電話連絡して、支援車が来るのを待っています。

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人間牧場

〇超過密スケジュール

昨日の夕方、妻に松山観光港まで送ってもらい、高速船で広島宇品港に到着後、市電で広島駅まで出て、新幹線で小倉まで行き、駅前のホテルで一泊しました。今朝は早く起きて雨上がりの小倉市内をウォーキングした後、日豊本線普通列車に乗って大分県中津駅へ向かいました。

早朝の3番列車は土曜日とあって散閑としていました。目的地は上毛町と書いて「こうげちょう」と読む福岡県東西端の上毛町ですが、福岡県なのに何故か最寄り駅が大分県なのです。駅まで迎えに来てもらった役場職員の車で、講演先の会場に到着し、副町長さんや担当課長さんと入り色な話をして講演時間が来るのを待ちました。

まちづくりフォーラムの模様は、明日にでも詳しく記録しようと思っていますが、今週月曜日に別府市へ講演に出かけた時は携帯電話を、昨日の上毛町へは記録用のタブレットをそれぞれ自宅へ忘れて、自分の記憶力のふがいなさに、少し悲しくなりました。実は明日は朝早く起きて高知県中土佐町へ講演に出かけなければなりません。故に今日は荒書き程度で終わります。

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人間牧場

〇伊方町役場を訪ねました

 かつて私は双海町役場に勤めていたので、県内の市町村の役場や市役所には沢山の知人友人がいましたが、退職して14年にもなるとさすがに近頃は代替わりも進んで、役場や市役所を訪ねても余り顔見知りもなく気楽なものです。このほど伊方町が景観計画を作成するというので、愛媛県景観アドバイザーをしていることもあって、愛媛県の依頼で協議会に出席して意見を述べて欲しいと依頼があり、昨日の午前中伊方町へ出かけ、親友で副町長をしている浜松さんを訪ね、しばらくの間談笑しました。

屋上にヘリポートまである立派な庁舎

伊方町は知る人ぞ知る原子力発電所のある町です。電源交付金の恩恵もあって、他市町が羨むほど財政的に豊かな町なので、景観計画の作成もコンサルトと委託契約が結ばれていて、事前に送られてきた素案に基づいて、役場と住民からなる策定委員会は副町長さんが座長に選ばれ、担当課職員が説明をしながら協議を行いました。私は部外者なので意見を述べる資格はありませんが、少しだけ気がついたことに意見を挟み、最後に講評という形で意見を述べました。

 言うまでもなく景観とは、単に物理的なものの眺めだけではなく、景観が成立するためには「人が見る」ということが必要です。つまり物質的なものの眺め(=景)を人間が感じること(=観)によって成立します。良好な景観は単に「綺麗な物質的な眺め」だけではなく、「景観見る人が良好と感じる眺め」であることが必要です。大自然の中にいかに優れたデザインの建築物が建っていても、見るものが大自然の眺望を望んでいれば、その建築物は良好な景観を阻害する要因となるのです。景観とは物理的な眺めと見る側の相互の関係で成り立っています。

 最近は建築物や工作物を造る行為において、配置・規模・形態・意匠・材質・色彩など、様々な景観上の配慮すべき項目がしばしば話題になり、その都度行政と住民、建築物や工作物を造る人たちの間で意見が対立する姿をよく見かけるようになりました。景観計画は景観をを守るためのルール作りなので、これから何度か行われるであろう景観計画策定委員会でさらに議論を深め、いい計画ができるよう願っています。ちなみに愛媛県内20市町のうち、2市5町がまだ景観計画を作成していないようです。

「伊方町 役場を訪ね 少しだけ お手伝いする 景観計画」

「伊方町 立派な役場 驚きぬ 副町長室 訪ねて談笑」

「景観は 景色に加え 見る人の 心のあり様 奥行深い」

「景観じゃ 飯は食えぬと 言うけれど 景観なくんば 人近寄らず」

 

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人間牧場

〇この一週間は忙しくてブログ書く暇さえ

 この一週間は目の回るような忙しさで、アメーバブログと、ワードプレスブログを合わせ、毎日2本のブログを書いていますが、その暇さえもなくなり、焦燥感に駆られています。それでも自分で決めていることだからと、寸暇を惜しんで書いていますが、時にはその日に起こったことが多過ぎて、少し旬を過ぎることもあって、「はてどうしたものか?」とパソコン画面を見ながら首をひねっています。

別府から帰るとこんなきれいな夕日がお出迎え
発表する稲葉さん

 

発表する上田さん
発表した小西さんの手作り看板

 月曜日に講演の前泊で別府で過ごし、明くる日午前中講演を終え、佐賀関まで縄田さんに送ってもらい、フェリーに乗って三崎港に着くと、潮風メロディーラインと夕焼けこやけラインを走り長浜まで帰り、3年前に亡くなった義理の妹の家に立寄り、仏壇に線香を手向け、その足で下灘の実弟宅でも亡くなっている義理の妹の仏壇に線香を手向け、午後6時30分から始まったまちづくり学校双海人にやっと間に合い、会場となったコミセンの窓から雨雲を押し上げて綺麗な夕日を見ることができました。

この日はライトアップグレイド代表の保坂行徳さんの講演と、「双海のいいとこ見つけてビジネスしよう」というテーマでワークショップが行われました。5分間トークしたのは上田さん(青山学院大学2回生)、小西千鶴子さん、稲葉真光さん、渡部正輝さんの4人でした。それぞれ持ち味のある楽しいお話でした。本当はそこからが面白かったのですが、自宅から電話が入り、どうしても会いたいと県外から自宅へ来客が訪ねて来ているので、帰って欲しいとのことでした。

仕方なく会場を後にしましたが、帰宅後自宅の煙会所や海舟館を案内した後、親父の使っていた隠居家で12時近くまで討論をしました。いやはや濃密な2日間でした。「お父さん、若いつもりでも自分の歳を考えて、もっとゆっくり日々を過ごさないと・・」と、教育的指導を受けました。ごもっともと思いつつ、また明日から超ハードな出張が待っています。

「一週間 目の回るような 忙しさ ブログの書き込み さえも暇なく」

「もう若く ないのだからと 妻が言う わしは若松 歳をとっても」

「明日からは 県外出張 連チャンで まるで私は マグロのようだ」

「教養(今日用)と 教育(今日行く)ありて ありがたや 楽しみながら 人生謳歌」

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人間牧場

〇別府市での記念講演

 昨日は別府市教育委員会の招きで、社会教育活動総合事業「合同修了式」の記念講演に出かけました。修了式の予定が午前10時からなので、前泊しないと間に合わないため、前日三崎から佐賀関をフェリーで渡り、佐賀関港からは親友縄田さんに送迎して貰いました。前日午後5時頃会場である別府市公会堂に到着し、下見や事前打ち合わせを行い、昨日の朝午前9時過ぎに宿まで迎えに来てもらいました。

修了式セレモニー


講演会

会場となった別府市公会堂

少し強く降り始めた雨の中を会場入りし、控室で副市長さんや課長さんたちと談笑しましたが、ホール隣の部屋には参加しているお母さんと一緒にやって来た、幼児たちのために臨時の託児所も設けられ、子どもたちが元気に遊んでいました。やがて修了式のセレモニーが行われ、いよいよ私の講演が始まりました。今回は事前にメール便で送っていたスライドを織り交ぜながらの話を組み立てたため、あっという間に90分の予定時間が終わって、多少舌足らずの感じがしましたが、後の祭りのようです。

 社会教育は第一次空間である家庭、第二次空間である職場や学校、第三次空間である仲間や同好会、第四次空間である地域社会における自分の存在と役割りを見つめ直し、仲間、主張、ふるさと、感動、夢、学ぶ心という6つの道具を手に入れたり磨く場所でもあります。また現代社会で生きて行く上で大切な、生活の知恵を学ぶ場所でもあり、より良い生き方をするため変えるべき物差し、と換えてはならない物差しを手に入れなければなりません。

はてさて、皆さんはこの1年間どんな学びをしてきたのでしょう。学ぶことによって何に気づいたのでしょう。そしてどんな夢を育くみ、どんな実践の一歩を踏み出そうとしているのでしょう。自分が変われば家庭が変わり、職場が変わり、仲間が変わり、地域も変わります。たかが自分ひとりですが、されど自分ひとりです。修了式は終わりではなく更なる学びの出発でもあります。参加した皆さんの爽やかな顔つきを見ながらそう思い、講演が終わった雨の中を、再び縄田さん運転の車に乗せてもらい、佐賀関港を目指しました。

「リニュアール 白亜のホール 輝いて 公会堂にて 式も厳か」

「持ち前の パワー全開 熱を込め 話したつもり みんな熱心」

「今回は パワーポイント 使いつつ 慣れぬ方法 多種ドギマギ」

「修了は 終わりでなくて 始まりと 思えば心 ポジティブになる」

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人間牧場

◯別府温泉で一夜

三崎港からフェリーに乗り、佐賀関に上陸し、迎えに来てもらった縄田女史の車で大分市を経由して別府に到着、その足で今日の講演会場である別府市公会堂で事前の打ち合わせを行い宿に入りました。ひと風呂浴びて鉄輪温泉に出かけ、名物地獄蒸しの夕食を楽しみました。

東洋一の高さを誇る佐賀関の煙突
名物地獄蒸し
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