人間牧場

〇小さなお客さんたちが海舟館へ見学に来ました

 一昨日の夕方、内孫で小学3年生の奏心から、「おじいちゃん、僕たちは今、社会科の授業で古い道具のことを勉強しているので、家の海の資料館海舟館を友だちと一緒に見学させて欲しい」と頼まれました。「明日学校が終わると友だち2人を連れて来るので・・・」とのことでした。

海舟館を見学する子どもたち

 昨日はあいにく大学の最終講義日だったので、「帰りが午後4時ころになるかも知れない。それからだったら・・・」と約束をしました。午後4時ころに帰宅すると孫を含めた5人の子どもが、子どもの居場所ミニハウスで遊びながら、私の帰りを待っていました。

 早速普段着に着替えて海舟館のカギを開け、子どもたちを案内してやりました。子どもたちは初めて見る展示物に目を丸くしながら見入り、「あれは何?」、「これは何をするものなの?」と興味を示しながら、矢継ぎ早に私に沢山の質問をしてくれました。

今は亡き親父が作った和船の模型を展示している第2展示場では、船が海上で霧に出会った時、自分の船の位置を知らせて衝突を防ぐフォグホーンに興味を示し、「音を鳴らして欲しい」と懇願されました。早速展示場から取り出し鳴らしてやると、その思わぬ大きい音色に大騒ぎをしていました。

 大分県姫島産の黒曜石で造った矢じりや石包丁などのレプリカにも興味を示し、本町から出土した3万年前の東峰遺跡やシーサイド公園に展示している丸木舟の話もしてやりました。小さな子どもたちにとって海舟館の展示物はどれも興味深いもののようで、「今度は友だちを沢山連れて来るので、また見せてください」と頼まれました。

「孫友人 海舟館へ ご案内 興味津々 あれこれ聞かれ」

「展示品 直接触らせ 説明し フォグフォーンなど 音まで出して」

「東峰 遺跡出土の 矢じりには 姫島産の 黒曜石だと 説明してやる」

 「また来たい 次もおいでと 約束し ちびっ子たちを 笑顔で見送り」

 

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人間牧場

〇ロケーション風呂の屋根の葺き替え

 人間牧場のロケーション風呂の屋根は、今時珍しい真竹を使って葺いていました。14年前に五右衛門風呂を造ってから9年ほど経って、これまで一度葺き替えましたが、竹の切り時が悪かったのか、今回は半分ほどの5年で老朽化が目立ち始めたので息子と相談し、後ろ髪惹かれる思いで、思い切ってトタン屋根にすることにしました。

竹屋根だったかつてのロケ風呂
波型トタンに葺き替えたロケ風呂
不用になった大量の竹の残材
駐車場の隅にて焼却処分

人間牧場の施設全般を建築してもらった藤建設に頼んで葺き替え工事をしてもらいました。今までの竹屋根と趣きが少し違い、人間牧場の原風景に合うかどうか心配しましたが、トタン銀屋根もそれほど違和感なく、写真や親友河野さんに画いてもらった絵には竹屋根が記録として残しているので、ひとまず安心といったところです。

さて地上に下ろした大量の要らなくなった古い竹をどうするか?、考えた挙句腐りも出ているので焼却処分することにしました。天気の良い無風だった一昨日、いつも枝打ちなどで出た残材を焼く駐車場の隅で、火を点け順次焼却しましたが、乾燥していたのでむしろ燃え過ぎて付近へ類焼しないか気を配る程でした。

赤々と燃える火を見ながら、誰もが誉めて感心してくれ風流だった竹葺き屋根の思い出に浸りました。わが家の横に建てている煙会所の屋根も造った頃は杉皮の木肌葺きでしたが、老朽や背に腹には替えられずセメント瓦に葺き替え現在に至っています。普通の人の持たないこれらの贅沢と思える施設を、今後どう活用し維持して行くか、受け継ぐであろう長男息子の技量が心配な今日この頃です。

「ロケ風呂の 趣きあった 竹屋根も 背に腹替えれず トタンに葺き替え」

「写真・絵に 記録残るが 少しだけ 味気がないと 後悔しきり」

「不要なる 竹類焼却 処分する 跡形もなく 消えてなくなる」

「煙会所 人間牧場 わが息子 引き継ぐ度量 少し心配」

 

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人間牧場

◯佐伯眞登さんの葬儀に参列しています

 私の前の愛媛県公友会々長の佐伯さんが亡くなりました。佐伯さんは元魚島村の教育長であり村長さんでした。今朝はJR松山駅で親友の豊田さんを乗せ、今治市近見山のセレモニー会館で行われる葬儀告別式に参列しました。

佐伯さんの告別式(豊田さん撮影)

私のような年齢になると、日ごろ顔を合わせる機会の少ない人が沢山いて、まるでセレモニー外交のように、沢山の親友、旧友、知人、それに顔見知りの人に出会いました。多分これからもお互いそんなに出会うこともないであろう人もいて、この機会を作ってくれた佐伯さんに感謝しました。

佐伯さんは58年旧魚島村役場に入庁し、93~04年村長、県離島振興協議会会長を歴任し、69年に離島振興への功績で愛媛新聞賞を受賞しています。「自分が元気な間に一度みんなで魚島村へ来てください」と誘われていて、昨年の8月21日に私が会長を務める公友会の皆さん10人程と約束通り魚島を訪ね、大層喜んでいただきました。

葬儀の会場で偶然県公連の元会長岡島さんの娘婿さんと息子さんに出会いました。立ち話で積もる話をしましたが、たくま饅頭の思い出を話したところ、近くの饅頭屋へ立ち寄りお土産までいただきました。7~8年前に逝った岡島さんの思い出が懐かしく蘇りました。岡島さんも佐伯さんも偶然同じセレモニーホールでのお別れでした。

「県公連 事務局長さん 第一報 入れていただき 参列準備」

「親友を 誘い一緒に 今治の セレモニーホール 葬儀参列」

「上島や 今治首長 弔辞延べ 88歳 足跡辿る」

「今年に なって葬儀が 早4人 心冷え冷え 寒さ一段」

 

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人間牧場

〇自給率の高まり

 裏山の杉や桧、それに自生している雑木を陰切りして1週間ほどが経ちました。気になりながらも空気が乾燥して乾燥注意報が出ているので、焼却処分することもできず、枝や葉は野積みしたままになっていますが、昨日は昼過ぎからチェンソーで枝を切り薪の長さに小切りすることを思いつき作業をしました。

陰切りした枝の残材
このところ大活躍のチェンソー
倉庫軒先に積み上げた薪

 わが家は近所の家と少し離れているので、チェンソーの甲高い音を出しても迷惑になる程ではないので大助かりです。怪我をしないよう注意をしながら、1時間ほどですべての枝木を薪の長さに切り、ブルーベリー畑横の軒先薪置き場に運んで行儀よく積みました。まだ生木のままですが太いものはマサカリで割り、要領よく積み上げました。

 薪はこの時期、餅やかき餅を作るためもち米蒸しに、また海から取って来たヒジキを茹でるのにかなり大量に使います。ゆえにこの時期しっかりと確保しておく必要があるのです。多分昨日の作業で確保した薪で、今年のシーズンは賄えるものと思われます。退職してから14年、自分が夢に描いていた自給自足の生活に、無農薬有機野菜作りも含めて、少しずつ近づきつつあります。自給も案外楽しいものです。

「陰切りの 枝木チェンソー 小切りする 甲高い音 冬気を揺らす」

「自給率 次第に高まり あれやこれ 頭と体 上手く回転」

「この薪で 餅をついたり ヒジキ茹で 苦労あるけど ほくそ笑みつつ」

「考えりゃ 田舎暮らしは 楽しいね 体動かし 一石二鳥」

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人間牧場

〇月火酔木堂と段々畑と無茶々園

 昨日西予市明浜町へ講演に出かけた折、廃校になった学校を利用して様々な取り組みをしている元小学校施設を講演終了後、原田公民館長さんの案内で見学させてもらいました。元音楽室だった一室に、酒井建設夜間部木工製作販売の月火酔木堂という一風変わった展示場がありました。中に入ると酒井建設の社長さんが造ったという様々な木彫りの作品が、まるでおもちゃ箱のように所狭しと展示され、桶の中に時計がある「おけどけい」とか、本物と見まがうほど精巧な革靴「はじめの一歩」、フォークにつけた丸い取っ手「フォークボール」、卓球ラケットに置いたピン球を押すと玄関チャイムが鳴る「ピンポン」などなど、なるほどと納得感心する作品ばかりでした。しかもそれらは全て社長さんの遊び心から生まれた木工手作り品でした。

まるで本物の靴のような木彫りの作品始めの一歩
押せば玄関チャイムが鳴るピンポン

その後原田さんと佐藤さんの案内で、白い石灰岩を石垣に積んだ耕して天に至ると形容される段々畑を見学させてもらいました。間もなく文化庁の景観に選定されるという段々畑は、宇和島市遊子水ヶ浦の段々畑とはまた一味違った景観で、中腹の農道から見えるリアス式海岸の風景や、雪の積もった鬼ヶ城辺りの遠望もまた見応えがありました。説明によると石灰岩の石垣も古くは明治時代や大正時代に、この地域に生きた先人が汗水たらして積み上げたものらしく、日本人の勤勉さにあらためて感心しました。昨年7月南予地方を襲った大雨は、未曽有の土砂崩れ災害を起こしましたが、この石垣は大雨にもびくともしなかった話を聞く度に、先人の知恵の凄さにただただ驚くばかりでした。

中腹から見える狩江の町並みや湾内
石灰岩の石積み石垣

 夕方、元小学校施設に戻り、無茶々園と交流をしている東京の生活協同組合パルシステム東京の皆さんの交流会に参加させてもらいました。海の幸や山の幸が沢山並び、シシ鍋まで美味しくいただき、同席した何人かの人と名刺交換しながらお話をさせてもらいました。私も何年か前までコープえひめの学識理事を6年間やった経験があるので、皆さんの活動の話を興味深く聞かせてもらいました。昨日は思わぬ雪を伴った悪天候に翻弄され、帰路の道が凍結の恐れがあるので、午後8時に雪がぱらつく夜道を一人、スリップ事故を起こさないよう注意をして帰路に着きました。今回もちりめん漁師祇園丸の佐藤さんと、原田さんの3人で、深くて広いこれからの人生について大いに語り合いました。意味のあるいい一日でした。

交流会の皿鉢料理

「学校の 廃校施設 利用して 素敵な取り組み 感心しつつ」

「一室に 社長の作品 あれやこれ 一つひねった アイディア感心」

「裏山の 段々畑 先人が 石積み開墾 風雪耐える」

「天皇賞 貰った凄い 無茶々園 都会の生協 招いて交流」

 

 

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人間牧場

〇クヌギの苗木植え(その2)

 近所に住む大野さんから頂いたクヌギの苗木を、どのように植えようか色々と私と息子で考えました。息子は今年の夏もカブト虫を松山空港やその他で無償配布する予定だそうですが、そのディスプレイ用に、クヌギの苗木を植えた植木鉢で小さな森をイメージしようと思いつきました。

東屋の横に置いた大きな植木鉢
大野さんから貰ったクヌギの苗木
植木鉢に植え終わったクヌギの苗木

 木は漢字で書くと1本だと木ですが、2本だと林、3本だと森になります。今回は一鉢に2本の苗木を植えて林とし、小さいながら5鉢10本で森を作る計画です。20㎝程の苗木がどこまで育つかは疑問で、今年の夏には間に合わないかも知れませんが、大事に育てようとの願いを込めて植えました。

植え終わった苗木の根元に綺麗な市販の腐葉土を振り撒いて化粧し、ジョロで水をたっぷりやって、とりあえずの作業を終えました。昨晩10時ころ仕事から帰って来た息子に、作業の一部始終を話してやりましたが、息子は早速まだ薄暗いのに早起きして、クヌギの植え終わった様子を見に行き、満足の手合いでした。

 今年は暖かくなったら、人間牧場の近くのわが家の荒れた畑の下刈りをして、とりあえず100本ほどクヌギの苗木を購入し、植林しようと考えています。クヌギは植えて15年もすれば成木になります。私の目の黒いうちに何とかクヌギ林が見えるかも知れないと淡い期待を持っています。

「友人に 貰ったクヌギの 苗木植え たっぷり水を やって一息」

「一本じゃ 木だが二本で 林なる 三本森に 漢字妙なる」

「過疎の地は 里山荒れて 目を覆う 心動けど どうにもならず」

「ワラ一本 革命願う 人あらば クヌギ一本 俺にもできる」 

 

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人間牧場

〇薪割作業

 クヌギの木の原木確保のための山仕事は、足腰の弱りつつある私には多少骨身に堪えます。特に大きな太ももほどもある切り株附近の根元は、一人で動かすことさえできない重さです。親友の井上さんに頼んでシイタケの原木を確保したついでに、その大きな部分を薪の長さに切ってもらい、シイタケにの原木と一緒に人間牧場まで運びました。

薪割用に小切りしたクヌギの木
割った薪をかまどに積みました

 昼食のため一旦帰宅した後再び人間牧場へ出かけ、大きなマサカリを使って薪を作りました。クヌギの木は切り出した直後だと面白いように割れますが、少し間を置くと割れなくなるので、急がねばならず、これから忙しいスケジュールが待っているので、しっかり対応しました。割ったばかりの真新しい薪をテミに入れてかまど小屋まで運び、かまどの下に収めました。

新しい薪はかまど付近に積むと、まるでインテリアのように見え風景が変わったように見えました。軒先に吊るす玉ネギやトウモロコシもまさに田舎の風情を醸すインテリアです。毎年かまど付近に薪を補充していますが、燃やさないよう何度も注意をしますが、私が目を離したすきに誰かがこの薪をかまどに入れて燃やしてしまうのです。

 昨日はクヌギ委の木の伐採や移動、それに薪割や薪運びという日ごろやらない重たい山仕事をしたため、腰痛を心配しお風呂に使ったり、妻専用のマッサージ機にかかってケアーをしたお陰で、すっかり回復したようですが、前日裏山の枝打ち作業をした木々の処分もしなければならず、くれぐれも腰を痛めないよう注意をしたいものです。

「シイタケの 原木ならぬ 大きな木 薪にするため 小切り運んで」

「マサカリで クヌギの生木 薪に割る かまど小屋まで 運んで積み上げ」

「新しい 割った薪積む インテリア 小屋が一片 見違えるよう」

「腰痛に ならないように ケアーする 風呂に使って マッサージ機にて」

 

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人間牧場

〇家族はつらいよ!!

 一週間前、同居している若嫁がインフルエンザA型にかかりダウンしました。さすがに若いので直りが早く、2~3日で快方に向かいました。若嫁は二階の息子家族が住んでいる部屋から隔離病室のようにして出なかったため、他の家族への伝染は免れましたが、家族に一人病人が出ると家中が何か重苦しい雰囲気になり、息子も孫たちも右往左往していました。

やっと若嫁の元気が回復したのもつかの間、今度は孫奏心が嘔吐下痢症を患いダウンして、この2~3日学校を休んでいます。当然若嫁も、勤めている実家の経営する喫茶店を急遽休み、子どもの看病をしています。ところがところがです。こともあろうか今度はわが妻が嘔吐下痢症にかかってしまいました。下痢は頻繁にトイレに行く姿でしか見えませんが、嘔吐はかなりの頻度で目の前で苦しんでいました。

それでも人数の少ない歯科医院に勤務しているので休むこともできず、近くの病院に通いながらマスクをして何とか最小限の休みにとどめ、しのいだようですが、洗濯も料理や後片付けもしない・できない私のため、日常的な家事をしながらの養生となってしまい、自分のふがいなさを垣間見ました。

はてさてこれから歳をとって、何もしない・できない生活力のない私は一体どうなるのでしょう?。今の私と同じだった何もできなかった親父が、母が先に亡くなってから人が変わったように自立して暮らせたのだから、何かあったら自分にもできるだろうと安易な考えを持っていますが、妻からは毎日のように、「洗濯も掃除も料理も後片付けも、今から練習しておかないと遅くなる」と叱咤激励されています。それでも私は思い腰を上げていません。病気の連鎖といい、若嫁・妻の病気といい家族はつらいよ!!です。

「次々と 家族みんなに 移り来る インフルエンザ そして嘔吐下痢」

「大家族 ゆえの悩みも ちらほらと いいことばかり 続く訳ない」

「今回は 私と息子 難逃れ 少しだけだが みんなのお役」

「正月に 今年は健康 第一と 祈ったはずに てんやわんやで」

 

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人間牧場

〇裏山の杉・桧の枝打ち作業

 私たちの町双海町は瀬戸内の伊予灘に海に面して、冬は海が荒れますが雪も降らず比較的温暖です。しかしすぐ海すぐ山と形容されるように、南側は急峻な山が迫っていて、陽当たりが欲しい冬のこの時期は一日中陽が当たらないのです。何とかこぼれ陽でもと思い、裏山の持ち主の了解を得て、木々の枝打ちなどをしていますが、中々思うに任せません。

家の裏山の枝打ち作業
枝打ちした小枝や葉っぱ
枝打ちした枝木はそのうち薪にする予定です

 昨日は裏山の杉や桧の木に長い梯子をかけてよじ登り、下枝を切り落としました。木から落ちれば年寄りの冷や水と笑われるばかりか命取りになるので、足を踏み外して落ちないよう慎重に作業を進めました。鋸で手首ほどもある大きな枝を空中で切るのは容易ではありませんでしたが、1時間ほどの作業で陰になっていた枝を切り落とすことができました。

さあそれからが大変です。地上に落ちた枝の枝葉を取り除き、畑の隅まで運ぶのですが、これが中々厄介でかなり時間を費やしました。枝葉は畑の隅に山積みして枯れるのを待ち焼却処分する予定です。また大枝はチェンソーで適当な長さに切って薪を作り、倉庫の隅の薪置き場に積んで、餅つきやヒジキを茹でる燃料にする予定ですが、この作業は息子の手助けが必要です。

 陰切りをしたお陰で、幾分裏山がすっきりし、昼間はこぼれ陽が差すようになりました。もう2週間もすれば立春です。待ち遠しかった太陽の光が庭や畑に半年ぶりに戻って来ます。陽の当たらない冬があるからこそ、太陽の恵みの有難さを感じると思えばものは考えようで、この地に住んでいることの有難さもあるようです。

「裏山の 杉や桧の 木に登り 枝打ち作業 落ちないように」

「枝打って 地上に落ちた あれやこれ 片付け作業 一苦労あり」

「少しでも こぼれ陽欲しい 冬わが家 枝打ち作業 少し明るく」

「一年分 薪も一緒に ゲットした 一石二鳥 疲れ吹っ飛ぶ」

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人間牧場

〇講演会の打ち合わせ

 年が明け、今年も年度末を控え何かと忙しい日々が続いています。年度末は一年の締めくくりとして各地で行われる総会や大会に加え、県外への出張も多いので体調管理には特に気をつけなければなりません。昨日は2月24日に行われる予定の、高知県中土佐町の生涯学習フォーラム記念講演の打ち合わせのために、教育委員会の担当者3人がわが家にやって来ました。

 

講演の打ち合わせにやって来た中土佐町の皆さん
下灘駅の眺望
JR下灘駅前の卵型コーヒーショップ
JR下灘駅の待合室

最近は、「11時に自宅で」と打ち合わせ場所を指定すると、「今、道の駅ふたみまで来ているのですが、そこから先は・・・」と携帯電話で尋ねられることも殆どなく、カーナビの優れた機能のお陰で、わが家へ一発でやって来るのですから便利な世の中になったものです。

ところが昨日は、どういう理由か「待ち合わせ時間を1時間ほど遅れる」と携帯電話が入りました。寒い今の時期ゆえ客間室内を温めるエアコンを入れるタイミングが外れてしまい、少し緊張の糸が切れかかりましたが、1時間遅れの12時にわが家へ到着しました。早速隠居客間で1時間ばかり打ち合わせを行い、その後煙会所や海舟館を見学した後、人間牧場へ向かいました。

大寒の風は少し強く肌寒く感じましたが、好天に恵まれ眺望もよく、JR下灘駅周辺を見学した後自宅まで送ってもらい、一行は高速道路を使って帰途に就きました。中土佐町へのルートは、高速道路を使うルートと、国道197号を走るルートが考えられますが、雪のある時期ゆえどうなるか分かりませんが、私は双海~大洲~日吉~中土佐の地道ルートを走ろうと思っています。24日の講演は「まちづくりとスポーツ」がテーマのようです。

「来月に 迫った中土佐 講演会 打ち合わせのため 担当来宅」

「1時間 遅れて来客 客間にて あれこれ話し 人間牧場」

「帰り際 JR下灘 駅に寄る 若者沢山 外人さんまで」

「あれこれと 体調管理 抜かりなく 忙しい日々 心身ともに」

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