人間牧場

〇リバイバルブームの固形石鹸

わが家は息子家族4人と私たち夫婦2人が同居する6人家族です。台所は別々ですがお風呂は一緒です。風呂はステンレスバスで、田舎らしくかなり広いので、息子家族と私たち夫婦別々のバス道具が置かれていますが、息子たち家族はボディシャンプー派、昭和生まれの古臭い私たち夫婦は固形石鹸を使っていて、微妙ですが時代の差を感じています。

リバイバルブームの赤箱固形石鹸

いつ頃から固形石鹸に変わってボディシャンプーが使われるようになったのか、そんなに遠いことでもないのに記憶は定かではありません。最近の若い人は固形石鹸を余り使わないらしく、わが家へは何かにつけて使わなくなった石鹸を沢山貰うので、重宝しながら贅沢にもふんだんに固形石鹸を使っています。

固形石鹸は香りも良いので、押し入れなどに入れておくと、防臭の効果もあっていい香りが漂います。何故牛乳石鹸と言うのか分からぬまま、赤い箱・青い箱の牛のマークの石鹸を使っていますが、聞くところによると最近赤箱の固形牛乳石鹸がリバイバルブームで、よく使われているそうです。ブーム=流行ですから移り気な現代人ゆえ、そんなに長続きはしないかも・・・です。

私が水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海に出た時、船のお風呂はエンジン冷却水を引き込んだだけの海水風呂でした。故に海水で泡立つ洗濯用の固形石鹸しか使えず、勿論シャンプーなど世の中に出回っていなかったので、頭も身体も洗濯も全て洗濯用固形石鹸でしたが、お洒落など気にしても仕方のない男だけの船内生活なので、使っている内いつしか洗濯石鹸に慣れた強い体になっていました。固形石鹸を見る度に懐かしい青春時代を思い出しています。

「リバイバル ブームで固形 石鹸が 使われ始め 移り気感じる」

「わが家では 私と妻は 固形です 息子家族は ボディシャンプー」

「若い頃 実習船に 乗った時 塩風呂ゆえに 洗濯石鹸」

「何故牛乳 石鹸と言う 意味不明 分からず無意識 長年使う」

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人間牧場

〇4Kテレビを買いました

 この1ヶ月ほど、自宅居間に置いているテレビの内臓ビデオの調子が悪く、毎晩のように見ている妻の不満を囲っていました。妻はそのことを松山に住む娘に相談したようでしたが、娘は母親である妻に、4人の子どもたちからテレビのプレゼンする旨の申し出があったと喜んでいました。早速私私が埼玉へ講演に出かけて留守中の先週日曜日、息子と一緒に松山の大型量販電器店へ出かけ、お目当てのテレビを購入する手続きを終えたようでした。

(10年間見続けたお世話になったテレビ)

 購入予定のテレビはこれまでと同じ50インチの大型画面ですが、在庫がなく取り寄せるため一週間後の昨日の夕方6時に、荷物を積んだトラックで店員さん2人がやって来て、慣れた手つきで荷を開き、取り付けたり調節したりして帰りました。居合わせた孫二人や息子夫婦も一緒に使い方の説明を受けたようですが、あいにく外出して私だけ留守だったので、得意顔の孫たちは、私にあれやこれやと使用方法を教えてくれました。

夕方7時からのNHKニュースしか殆どテレビを見ない私と違って、妻は毎日録画したテレビ番組を夕食の後片付けが終われば視聴するので、このテレビは妻専用と言っても過言ではありません。取り外した古いテレビも50インチなので、別の部屋に移し取り付ければ見れるので、私専用として使おうと思っていますが、今回買ったテレビは間もなく放映が始まる今流行りの4kだそうです。それにしても枠のない50インチの薄型テレビは迫力があります。

「10年が 寿命と聞いて いたけれど やっぱり納得 買い換えました」

「わが妻の 唯一趣味は テレビです 昨日の夜は あれこれテスト」

「古テレビ 私専用 別の部屋 心置きなく どうぞと移動」

「4kと 言われてピンと こないけど 最新テレビ 言われてみれば」

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人間牧場

〇オンブバッタ

 間近に迫った子ども体験塾の準備をするため、一昨日人間牧場へ出かけ、とりあえずサツマイモ畑周辺の草を刈りました。気温も下がり草刈りをしてもそれほど汗をかきませんでしたが、草むらに潜む縞模様の藪蚊が沢山体にまとわりつきました。また大臣クモがやたらとクモの巣を張り巡らせていて、目に見えにくいこともあり草刈りに夢中になっていると、クモの巣に顔を突っ込んでしまい草刈りを中断する一幕もありました。

 草むらには蚊の他にバッタ類も沢山いて、草刈り機の前を右往左往して逃げ惑っていました。その中には私たちが子どものころ「親子バッタ」と呼んでいた「オンブバッタ」もいました。草の色と見まがうほど緑色の保護色なので、よ~く見ないとその姿を見失ってしまいます。バッタの背中に小さなバッタが乗っている愛くるしい姿に、てっきり「親子」だと思っていましたが、実は親子ではなく雄と雌らしく「オンブバッタ」と言うのだそうです。

私はこれまで何度も畑や空き地で、子どもの頃からこのバッタを見てきましたが、「親亀の背中に子亀を乗せて」のイメージで、親子とばかり思っていました。ところがこのバッタは「オンブバッタ」と呼んで、下にいるのがメス、上に乗っているのがオスだというのです。言わばバッタは子孫繁栄のため交尾をするための姿でした。勿論交尾をしなくてもその行動が身について、仲良く暮らしているようです。

私たちの身の回りには知らないことが余りにも多く、このままだと知らず知らずに一生を終わります。知っていなくても別に困る訳ではありませんが、少年の頃のように、「何故?」「どうして?」と疑問を持って知る努力をすれば、もっともっと日々の暮らしが楽しくなるものと思われます。今は疑問に思えば、居ながらにしてインターネットで調べることもできるのですから、便利な世の中になったものです。

「子ども頃 二匹のバッタ 重なるを 見て親子だと 思ってました」

「背に乗せて 飛び交う姿 微笑まし オンブバッタと 言う名相応し」

「七十四年 生きているのに まだ知らぬ ことが多いと 浅学恥じる」

「便利だね 疑問の館 すぐネット 随分色々 学ぶことあり」 

 

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人間牧場

〇下灘保育園へ出かけました

 下灘の町はずれの谷筋に、下灘保育園があります。傍の下灘中学校が統合で廃校となったため、最近は人通りも少ないようですが、人間牧場へ来客を案内する時はこの県道を通るものの、保育園の存在には余り気づかないほど小さな、園児数25人の保育園なのです。わが長女はこの保育園でお世話になりましたが、わが家が上灘にへ引っ越したため、後の3人の子どもは上灘保育園でした。

久しぶりに下灘保育園を訪ねました。

 下灘保育園の園長は成本先生ですが、お父さんが小学校時代の恩師だし、前々任が上灘保育園の園長だったこともあって、何かと懇意にしていて、11月には園児のおじいちゃんやおばあちゃんを集めた遊びの講座が開かれるので、その手助けを頼まれていて、昨日は人間牧場へ草刈りに行くついでに打ち合わせに伺いました。園長さんはこの日は遅出出勤らしく、私の携帯を知らせてひとまずお暇しました。

 人間牧場で作業をしていると電話がかかり、昼前に再び出会うことでアポイントが取れました。再び保育園を訪ねるとお昼ご飯の準備中で、3歳児は早くも戸外にしつらえた食卓を囲んで、賑やかに食べ始めていました。職員室に入り園長さんとあれやこれや思いを巡らせ相談した結果、ドングリ駒、竹を使ったポックリ下駄、焼き芋をすることに決まりました。私は早速自宅近くのクヌギの木の近くまで出かけ、ドングリを拾い集め、袋に入れて持ち帰りました。

 暇を見つけて竹藪でから竹を切り出し、人数分の竹を用意しなければなりません。来週はスケジュールが滅茶苦茶立て込んでいて忙しく、竹を準備する時間は殆どありませんが、それでも朝晩の散歩時間を削ってでも用意したいと思っています。ドングリを拾いながら、いつしか少年の頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

「久方に 小さい保育園 伺うと ちびっ子たちが 駆け寄ってくれ」

「来月に 祖母と祖父母が 集まって 遊びの講座 開く予定だ」

「早速に ドングリ拾い 出かけたが 少年のころ 思い出しつつ」

「竹切って ポックリ下駄を 作ります 竹の準備を 引き受け難儀」 

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人間牧場

〇海は広いな大きいな

 私は子どもの頃から今に続いて、海が大好きな人間です。ゆえに海と深い繋がりのある人生を送ってきました。生まれた場所が下灘という漁村で、少年時代は海が遊び場でした。高校は宇和島水産高校に遊学し、実習船愛媛丸で赤道を越えてオーストラリア近くの珊瑚海まで、遠洋航海に出かけました。親父がガンを患ったこともあって家業である漁業を継ぎ、7年間漁師をしました。30歳の時ジョン万次郎の影響を受けて、総理府派遣の青年の船の班長として太平洋を渡り、建国200年のアメリカやメキシコ、ハワイを訪ねました。双海町役場に入庁後4年間産業課で水産という仕事に関わり沿岸漁業振興を担当、水産物荷捌き所や漁村センターをつくりました。

伊予灘ブルーの海原
岩場のさざ波も冬になると・・・

その後企画調整室でまちづくりを担当し、「通過する町から立ち止まる町へ」を合言葉に、道の駅シーサイド公園整備や、下灘漁港の埋め立て事業にも深く関わり、海の拠点を造りました。JR下灘駅での夕焼けプラットホームコンサートもある意味、海にしずむ夕日がテーマでした。また30歳ころから21世紀えひめニューフロンティアグループを主宰し、仲間たちとともに続けた、無人島に挑む少年のつどいや丸木舟瀬戸内海航海など、こうして述べてみると私の人生は、海なしでは語れないようです。ゆえに海の恐ろしさと同時に海の魅力も存分に知り尽くしていて、これからも海とともに生きることでしょう。

 先日飛行機に乗って東京や埼玉へ出かけました。講演を終えて再び飛行機に乗り、由利島やふたみシーサイド公園周辺に広がる穏やかな海を上空から見ました。帰路つづら折りの三秋峠を下って、高野川に差し掛かると急に視界が開け、伊予灘の海と夕日夕焼けが私を出迎えてくれました。これぞ私が愛してやまないふるさとの海だと、顔に似合わず多少センチメンタルな気持ちになりました。そろそろ終活をしなければならない人生の最終章に入りつつある私ですが、これからも海を愛し海とともに生きて行きたいと思いました。

「この海は 産まれる前から ありました 産まれてからも 何かにつけて」

「海なしで 私の人生 語れない 海は私の 大恩人です」

「どの海も つながっていた 世界中 怖い思い出 楽し思い出」

「旅帰る 度に私に 気づかせる 母なる海と 父なる海を」 

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人間牧場

〇介護サービス事業者及び介護支援専門員連絡会

 私の得意分野は地域づくりや社会教育ですが、私が歳をとったせいでしょうか、それとも超高齢化社会を迎えた社会のせいでしょうか、最近は福祉関係のお声がかりが多く、多少戸惑いながらも快く引き受けて出かけています。昨日は松山市上野にある愛媛県生涯教育センターで、介護サービス事業者及び会議支援専門員の連絡研修会があり出かけました。

介護サービス事業者及び介護支援専門員連絡会
グループ討議
意見発表の集約板書

 福祉関係の人は人なつっこく、センター4階の大会議室に入ると、知人友人や顔見知りもいて、立ち話に花が咲きました。私の話を約1時間、皆さんのグループディスカッションを約1時間というプログラムでしたが、日ごろの悩みやこれからやりたいことを各班毎に発表してもらい、その意見をホワイトボードに書き出して参加者で共有しました。

この人たちが超高齢化社会といわれる社会の第一線で働いているからこそ、世の中は上手く回っていることを実感しました。昨日は協働と参画の地域づくりがテーマでしたが、地域づくりは福祉も教育も目指すところは住民の幸せ実現が目標ですから、これからはもっと連携し、いい社会の実現に向けて努力したいものです。昨日は沢山のヒントをいただきました。

「いつの間に 福祉スタイル 人となる あちらこちらへ 頼まれ出かけ」

「第一線 みんな悩みを 持っている ねえ聞いて 言わんばかりに」

「集まって 六六討議 するうちに あれやこれやと アイディアが出る」

「嬉しいね 自宅帰ると 早速に お礼や意見の メール早々」

 

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人間牧場

〇この3日間家を留守にしていました

 この3日ほど東京経由で埼玉へ行っていたこともあって、毎朝読んでいる地元紙を読む機会を逸していたため、今朝は3日分の新聞をまとめて読みました。新聞には様々な記事が載っていますが、知人の漁船が松前沖で他の町の漁船と衝突したという事故や、これまた知人のお父さんの訃報など、タブレットのニュースでは見ることのできない話題が載っていました。

留守だった10月15日の新聞に載った楽農ゼミナールの新聞記事

月曜の新聞には、先日八幡浜日土のあらしやま山荘で開催された、楽農ゼミナールの模様が遅ればせながら載っていて、小さいながら私の名前も載っていたため、facebook繋がりの知人がそのことを教ええるメールが入っていました。何気なく過ぎる日々の暮らしですが、3日間も家を空けるとこのように、あれやこれやあるものだと、あらためて思い知らされました。

埼玉県北本に住む親友の工藤日出夫さんから留守中にサンマが届き、先日ほんのちょっとだけ立寄ってくれた北海道北見市の北川恵子さんからも、北海道ならではの小豆や金時豆、てん菜砂糖などが届いていて、いつものことながら私の留守中に荷が開けられ、早くも家族で大喜びしてその味を楽しんでいて、お礼は私の役目と言わんばかりでした。

昨日は自宅に帰ると直ぐに、福岡憲子さんから魚が届きました。甲イカはセンゴと墨袋を取り、皮を剥き、カマスは妻の要望で2枚に卸して軽く塩を振り干物に、また若松国夫さんから貰った鱧も2枚に卸して骨切りし、少しずつ近所や知人にお裾分けして喜ばれました。忙しさに輪をかけたように忙しい一日も終わり、やっと普通の暮らしに戻りました。

「この3日 家留守してた 新聞を まとめて読んで 遅れに追いつく」

「何気なく 日々は過ぎ去る ものなれど 留守すりゃ分かる あれこれ動き」

「留守中に 宅配届き 喜んで 家族が賞味 私礼役」

「東京の めまぐるしさに 慣れたのか こちらじゃまるで 立ち止まったよう」

 

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◯孫の運動会

昨日はまご2人が通う由並小学校の運動会でしたが、あいにく埼玉県深谷市へ講演に出かけて見ることができませんでした。それでも携帯電話で、見学に出得かけた妻から、まるで実況中継のように、何度も電話が入り、自分も運動会を見てるようでした。講演途中だったのでマナーモードに切り替えましたが、ズボンのポケットに入れた携帯電話はバイブレーターが何度もゆすりました。

 

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◯嬉しいサプライズ

深谷市はかの有名な歴史上の人物渋沢栄一の出身地です。渋沢栄一は旅する巨人と言われる山口県周防大島旧東和町の出身の宮本常一のパトロンなのです。駅まで迎えに来てもらった柏村さんや宮坂自治会長さんの案内で渋沢栄一記念館を訪ねました。

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〇自分の写真を切手にしたハガキが届きました

 私は長年地域づくりに関わり、講演会や集会で知り合った沢山の方々と交遊を続けています。長野県木曽町開田高原に住む大目さんもその一人です。もう何年も前のことなので記憶は定かではありませんが、多分高知県馬路村で開かれた全国地域づくり交流集会に記念講演で出かけた折免許証タイプの珍しい名刺を交換したのが始まりでした。

大目さんから届いた自写真ハガキ

以来交流が始まり、招かれて何度か講演に出かけたり、夏にはトウモロコシ、年末には開田高原で獲れた手打ちのソバまで送ってもらう親しい間柄になりました。大目さんは元木曽町の職員でしたが、私の木のカバンとよく似た木曽桧で作ったカバンを持ち歩いたりしていて、とにかく私と負けず劣らぬアイディアマンです。

 先日みかんを送ったところお礼のハガキが届きました。開田高原のソバの花をあしらった絵葉書でしたが、何とそのハガキに貼った切手が大目さん自身の写真で作られているのです。今はお金を出せばお堅い郵政省もこんな粋なことをしてくれることは知っていますが、「ここまでやるか大目さん」てな感じで、何人かの友人に見せてやりました。

1日に3枚もハガキを長年書いている私ですが、最近は忙しさの余りについついパソコンメールで、用を足してしまうことが多くなってきました。北海道オホーツク佐呂間町に住む船木さんも、東温の兵頭さんも、高知県馬路村の木下さんも筆まめで、今朝は早速3枚のハガキを書き、朝の散歩途中郵便ポストに投函しました。

 

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