人間牧場

〇いのちつなぐ・のこす 

 この4~5年、親父や身近な人があの世に旅立ち、元気だと思っていた体力も少し落ち始め、あちらこちらで漏れ聞く「終活」という言葉が少し気になり始めました。昨日地域事務所へ立ち寄った折、玄関ロビーの片隅に、市民が自由に持ち帰ることができるパンフレットや雑誌類が置いてあるコーナーで、「終活ノススメ」という、終活サポート協会が発行している薄っぺらい20ページほどの雑誌を見つけいただいて持ち帰りました。表紙には「50代から始める終活」とか「終活は家族とのコミュニケーション」の見出しがあって、73歳の私には少々遅過ぎる感じもしました。

表紙を開けると、墨字で「いのちつなぐ」(次の世代にいのちのバトンを手渡していく)、「のこす」(人は死を迎えた瞬間に肺になって消え失せることはありません。必ず何かを残していくのです)と意味のある言葉が並んでいました。「命のバトン」「必ず何かを残す」を父母と息子の私とのつながりで考えながら、河合酔茗という人が書いた「ゆづり葉」という文章を読みました。「ゆづり葉」という木はわが家の庭にもあるため、おおよそのことは知っていましたが、あらためてその深い意味を考えました。

ゆづり葉
 子供たちよ。 これはゆづり葉の木です。このゆづりはは 新しい芽が出来ると 入れかわってふるい葉が落ちてしまうのです。
 こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも 新しい葉が出来ると無造作に落ちる 新しい葉にいのちを譲ってー。
 子供たちよ。 お前たちは何を欲しがらないでも 凡てのものがお前たちに譲られるのです。 太陽の廻るかぎり 譲られるものは絶えません。 
 輝ける都会も そっくり譲り受けるのです。 読みきれないほどの書物も みんなお前たちの手に受け取るのです。 幸福な子どもたちよ お前たちの手はまだ小さいけれどー。
 世のお父さん、お母さんたちは 何一つ持って行かない。 みんなおまえたちに譲ってゆくために いのちあるもの、よいもの、美しいものを 一生懸命に造っています。 
 今、お前たちは気がつかないけれど ひとりでにいのちは延びる。 鳥のようにうたい、花のように笑っている間に 気がついてきます。
 そしたら子供たちよ もう一度譲り葉の木の下に立って 譲り葉を見る時が来るでしょう。

 味わい深い言葉に心が洗われました。

 「わが家の 庭に植えたる 譲り葉の 深い意味さえ 知らずに植える」

 「譲り葉は 古葉落として 次の葉に あれこれ譲り 一生終える」

 「譲り葉の ような人生 送るため そろそろ準備 始める終活」

 「遺すもの 何もないまま 死んでゆく それもまたよし 譲り葉気分」

 

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