人間牧場

〇私は不器用?

 家の細々を一手に引き受けて、あれやこれやも頼めば、必ず見事にこなしてくれていた親父が無くなって2年半が経ちました。畑で鍬を使えば柄を折り、鋸を使えば刃を折るといった風に、何かにつけて小さなトラブルを作っていた私を見て、「お前は不器用だ」と何度烙印を押されたことでしょう。その都度自分自身の非力さを嘆き、「私は生まれつき不器用」だと、ある意味ネガティブに信じ込んでいました。ところが鍬の柄が折れれば自分で治し、石垣が崩れれば自分で積み替えなかればならなくなると、「親父が生きていたらなあ」と思いつつ頼る人もいないので、見よう見真似でやってみると、親父ほどは上手くいかなくても、それなりにできるようになり始めました。

昨年の台風で崩れた石垣などは、まったく未経験ながら、自分の積み替えた石垣がその後立派に復元し、「私は不器用?」と思っていたのに、最も近い存在の妻に褒められたりするとまんざらでもなくなり、「私は器用かも?」と思うようになり始めました。誰と比較して器用なのかは分かりませんが、少なくとも同年代の人に比べるとダントツだと過信の域を広げつつあります。年末に作った正月用のしめ縄も、このところ孫と造り始めたミニハウスも、まあそれなりの出来栄えに満足していて、親父が倉庫に残してくれた沢山の道具類を、少しずつ手入れをしながら使い始めています。

このところ、孫のリクエストに応えてミニハウスを造るため、親父が使っていた2本のノミを砥石で研いで使っていますが、道具類は手入れが一番で、研いだノミは見違えるような働きをしてくれています。不器用さが復活したように、ノミを叩かずカナヅチで手の甲を2度も3度も叩いて、赤く腫れあがっていましたが、そのうち慣れて無駄な動きもなくなり、作業効率が良くなって日常の作業が見違えるように改善され始めています。もう勤めていないので、「日曜大工」ではなく「毎日サンデー大工」として、時折ホームセンターへ立ち寄って、日曜大工の道具類を品定めするなど、ご隠居さんてな感じも出始めた今日この頃です。

「不器用の レッテル貼られ 自分でも 疑いもなく そうだと長年」

 「親父死に 親父の役目 する人も なくってシブシブ 器用開眼」

 「まあ器用 妻の一言 目が覚めた やればできると 思い始める」

 「ノミで穴 ノミを叩かず 手の甲を カナヅチ叩く 目から火花が」

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