人間牧場

〇迎え火を焚く

 昨日の朝わが家では家族が集まって玄関先で迎え火を焚きました。前日少し体調を崩し元気のない親父は参加しませんでしたが、息子夫婦と孫4人も参加して、ほんの束の間ながら久しぶりに賑やかな迎え火となりました。孫たちは麻柄を10センチくらいに手で折り、火をつけて燃やす姿が奇異に見えたのか、「何で火を燃やすの?」とあれやこれや「何故、どうして」と私に聞くものですから、お盆に死者の霊が里帰りすることを話してやりました。妻は朝少し早く起きてお料具膳を作り、お盆と春秋の彼岸に出す前夜飾った祭壇に、供えていましたが、目をパチクリさせながら傍で見ていた若嫁にも、そろそろこうした仏事を教えてやらねばと思った次第です。

家族で迎え火を焚く
家族で迎え火を焚く

 私は若松家の4代目長男です。親父進とトメ子が3代目ですが、2代目の六太郎とシヲノ、初代の儀平とマスのことは知っていますが、それ以前のことは殆ど知らないのです。特に私は1歳の時に亡くなった六太郎のことはまったく記憶にないし、わが家の先祖代々の歴盤に刻まれた品子と夏子という徴用先の大阪で空襲で亡くなった叔母のことも知らないのです。昨日迎え火で迎えた先祖はこの七人ですが、繰り出し位牌の一番前には今年13回忌を向かえる母トメ子の戒名を出しているのです。
 私の一番印象に残っているのは母と祖母で、二人は漁師の貧乏なわが家に嫁ぎ、大いに働き大いにこの家の礎になった人で、若松家の大恩人と言わなければなりません。

 母は昔の人ながら小型船舶操縦士の資格を取得して、親父とともに漁船に乗って漁師をしましたが、祖母はその留守を守って私たち子どもを育ててくれました。母も祖母も何かにつけて諺を引用し、うるさいほど人間の生きる道を説いてくれました。私もその歳になり、子どもや孫がいる身になっていますが、母や祖母のように子どもや孫にどれほどの説教ができるかと思うと、心もとない感じがします。
 今日は孫たちを連れてお墓参りをしようと思っていますが、墓前に手を合わせ孫たちに先祖のことについて話をしてやろうと思っています。六十八年生きて来て、どれほどの親類や縁者を見送って来たことでしょう。その都度涙を流し人の死とわが人生の生き方について考えましたが、先祖の供養は自分がいかに生きるか反省することでもあると思うのです。

  「迎え火を 焚いて先祖の 里帰り 妻はせっせと お料具供え」

  「迎え火は どうして焚くの? 孫たちは 奇異に感じて 私問いかけ」

  「どれほどの 親類縁者 送ったか その都度いのち はかなさを知る」

  「説教の 一つも孫に 伝えれぬ 先祖さぞかし 怒っているだろう」

[ この記事をシェアする ]