shin-1さんの日記

○広島から視察研修にやって来ました

 昨日まで2日ほど大分県へ行っていて、妻が「今日ぐらいはゆっくり休んだらどうなの」と体を気遣ってくれましたが、今日も予定が入っていてそんな調子には行きません。今日は原稿の締め切りが過ぎているのが一本、それに締め切り間近の原稿が2本、それぞれあるものですから、気になりながらも広島県三和町から視察研修がやって来るのを待ちました。その団体の到着時間は10時30分なのですが、昨晩から三崎町大岩に泊まっていたらしく、10時前に携帯に第一報が入り10時には到着するというのです。急いで身支度を整え待ち合わせ場所のシーサイド公園へ出かけてゆきました。今日は昨日までの北風がまるで嘘のように多少冷たいものの晴れわたり、絶好の日和に恵まれ、視察に来た人の運の良さを感じました。しかしいざ出会ってみて、人数こそ少ないものの中型バスなので、お目当ての人間牧場へはかなりきついと判断し、参加者の体の都合も考慮して、急遽視察先を入れ替えなければならなくなりました。

 今日のお客様は昨年7月20日に広島県自治研修センターで開かれた「地域づくり支援研修会」で私の話しを聞いた方々の現地研修だそうで、人間牧場を第一研修目的地として希望していただけに残念な結果になりました。

 こんな場合のこの時期の4時間コースはまず閏住の菜の花、夕やけコンサートの下灘駅、下浜の水仙畑、人間牧場、木造校舎の翠小学校、わが家の海の資料化海舟館及び煙会所、シーサイド公園くらいを見繕ってご案内するのですが、今日は人間牧場を飛ばすため比較的楽なコース見学となりました。

(菜の花は今が見ごろです。何年か前私たちが作ったお立ち台も設置されていて、いい雰囲気で収まりました。

菜の花の黄色はまるで春待ち色とでもいうべき目の覚めるような色でした。ポケットから種を落とした菜の花を作るまでの経緯を、面白おかしく話しました。

(フーテンの寅さんもやって来た下灘駅も今日は人気もなく、独占して見学しました。ここから見ると人間牧場が少しだけ見えるのです。)

(急な坂道を登って水仙畑へ行きました。私は今年3回目ですが、今年は昨秋の雨不足の影響でこの頃まで花を楽しむことができましたが、さすがにもう終りのようでした。それでも名残の水仙が可愛いらしい花を空に向って咲かせ、風に揺れて芳しい香りを漂わせていました。


(翠小学校は急な見学申し込みにもかかわらず、不在の和田校長先生に替わって山田教頭先生に温かく迎えていただきました。)


 わが家でも海舟館、煙会所を見学し、予約していた夕浜館で青島御膳をいただきながら研修をさせてもらいました。午後2時というお約束の時間があったため、シーサイド公園の見学はできませんでしたが、皆さん熱心な研修態度に思わず頭が下がりました。

 一期一会の出会いですが、この出会いが又出会いを生み、またこの学習が新しい知恵を産み、さらにこの異文化ギャップが地域づくりの大きな輪になる事を期待したいものです。別れを惜しみながらお互い手を振って別れました。

 追伸

  今日視察に来たのはNPO法人善菊会で、平成16年に三和町が三次市に合併した折、町の奨学金残高が5千万円あるのをNPOを設立し、三和町内に限定使途を定め、奨学金給付事業、国内外の研修助成事業、子育て活動支援事業、環境保全事業「太陽の森」、独居老人の弁当給食事業などの活動をしている団体です。

  「今日もまた 視察の人が やって来た 楽しい話 鉄砲のように」

  「なるほどと 感心しきり 聞き惚れる 人の不安が ファンに変わる」

  「幸せと やる気を売れる いい商売 一期一会の 出会いも楽し」

  「握手して 始まる視察 握手して 全て終わりぬ ちりとてちんと」

 

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shin-1さんの日記

○佐伯市視察交流研修

 今回の交流研修会は旧友矢野大和さんに相談して実現しました。ご承知のように矢野さんは先の衆議院議員選挙で大分から今をときめく民主党から立候補して、善戦空しく県内の内紛で辛酸をなめた方です。旧宇目町の職員でありながら得意の落語を駆使し観光大使として活躍し、市町村合併で佐伯市に合併後もその職責で存分の活躍をし、佐伯市を広く宣伝していたのです。

 選挙に出馬するため市役所を退職しいますが、彼の笑いをベースにした仕事は講演という形で今も続いているのです。前年島根県益田市で同じステージに上がり元気な姿を見ましたが、この度の交流事業では私の願いを聞き入れてくれて宮明邦夫さんを窓口にするよう紹介してもらい、受け入れとなったのです。臼杵は岡崎事務局長の伝で斉藤さんに当りをつけてもらい事務局の松本さんが万端手配してくれたのです。

 今回私が注目し楽しみにしていたのは、日本の道百選に選ばれている佐伯武家屋敷や国木田独歩もさることながら、宮明邦夫さんはじめ泥谷さんたちが活動うしている県南落語組合の活動でした。大分県内の各市町村や施設などから要請を受け、笑いを振り撒きに自ら出向いていく彼らは全員がアマチュアです。それぞれ仕事の合間を縫って練習に励み、全員がローテーションを組んで出かけるそうです。出張寄席は15年の長きに渡って通産1300回も続いているというから驚きです。

(疋田さんの手品による余興)
(宮明さんの差し入れによる食談、佐伯の地産池消は凄いです)
(宮明さんの「笑いは心のビタミン剤」というお話は味がありました)
(宮明さんの話を聞く愛媛県のメンバー)

 最近落語ならぬ落伍を始めた私としては、彼らの話はとても興味がありました。前夜の交流会は疋田副会長のマジックショーを見、昨日は宿泊したホテルの一室を借りて宮明さんの講演を聞きましたが、アマチュアといいながらプロまがいの方ですから、話はとてもためになりました。でも本当は宮明さんの自慢の話芸落語を聴きたかったのです。私のようにド素人には百聞は一見にしかずですから、少しだけ期待を外された感じがしました。

(ボランティアガイドの高橋さん)
(三の丸城門)
(白壁塀の武家屋敷通り)
(城主毛利家の菩提寺養賢寺)
(国木田独歩記念館)
(汲心亭)

 前日の町中歩きや町屋訪ねと違って佐伯市の文化は城下町文化でした。高橋さんというボランティアガイドさんが城門の前からずっと付きっ切りで案内してくれました。白壁塀が続く道はさすが日本の道百選に選ばれているだけあってどっしりとした佇まいでしたし、毛利藩菩提寺養賢寺までの道沿いには茶屋汲心亭や国木田独歩記念館などもそんなに古くはないが歴史を感じさせてくれました。

 臼杵と佐伯は間に津久見市があるため、二つの歴史は、県外から来た私たちにとっては完全に分断されているように見えました。全く違った歴史や文化の切り口を持っているだけに、今後は県南地域として連携をして欲しいものです。

 帰路の途中再び臼杵を通るため臼杵石仏公園へ立ち寄りました。臼杵の石仏はもう何度も訪ねていますが、自分が成長したのか、あるいは見る目が変わったのか、昔に比べると規模が小さくなったような雰囲気でした。かつては臼杵の石仏といえば九州を代表する観光地として多くの観光バスが押すな押すなで訪ねていました。旅のスタイルが団体から個人や小グループに変わってきていますが、対応の遅れが目立つような気がしました。石仏が華やかな頃臼杵の町中は誰も見向きもせず通りすがっていましたが、今はひょっとしたら逆転現象で潮目の時代ではないかと思うのです。

(石仏公園)



 石仏は理路整然と並んで、庭に咲く豊後梅の香りとともに私たちを出迎えてくれました。しかし公園の裏山は竹林に竹や木が倒木し荒れるに任せていました。仏像は入場料を払ってくれるお宝です。でも景観たる周りはお金など儲けません。でも仏像の背後の景観はもう少し気をつけて保全しないといけないような気がしました。

 時を経てもなお薄化粧した石仏の何と穏やかなお顔をしていることか、人間も見習うべきですね。

  「石仏の 落ちた頭が 元通り 首につながり 仏の姿」

  「手をつなぎ ミーちゃんハーちゃん お祈りす どんな願いを したのだろうか」

  「馬鹿馬鹿し 言って始める 楽語聞く 馬鹿馬鹿しいなら 止めればいいに」

  「落ちた人 見てよかったと 出ぬわれは いつも思いつ 人生終わる」  

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