shin-1さんの日記

○旧肱川町からのお客様

 「今日も寒いですねえ」と朝の挨拶はまず近頃の寒さについて言葉が飛び出します。そのくらい今年の冬は寒さが厳しく、毎日氷点下近くまで冷え込んで、歳を取った人間にこの寒さは骨身に染みるようです。

 今朝も放射冷却現象とかで冷え込み、鳥取ではかなりの積雪があったと報じていましたが、北東の風が強いものの天気は快晴でした。

(旧肱川町からやって来たお客様)

 今日は旧肱川町から公民館の役員さんが10人余り視察研修に来るというので、朝からバタバタしました。この寒さですから、ストーブを焚いて部屋を温めておこうと、8時30分に孫を連れて田舎のオープンカーで人間牧場へ出かけました。今日は視界も抜群で、日ごろ海を見ずに暮らしている人たちですから何はともあれホッとしました。冨永に連れられてやって来た人は総勢12名、几帳面な冨永さんらしく約束した10時きっかりに上の道から歩いて下りてこられました。いかにも穏やかな人徳が偲ばれるような方々ばかりを前に、小一時間お話をし、質疑を交わしました。この人たちは神楽の保存伝承にとり組んでいて、ひょっとしたら水平線の家のウッドデッキで上演したらさぞかし面白かろうにと持ちかけましたら、いい予感の返事が帰って来ました。できれば是非実現させたいものです。この人たちも少子高齢化・過疎化・産業不振の中で、一生懸命生きており、このような交流が地位きを開く原動力になると思いました。今後も交流したいものです。

今日は大変失礼ながら私は孫同伴の研修でした。というのも振り替え休日を利用して昨晩から孫が泊まりに来ているため、孫の世話をしなければならないのです。昨日は娘が友人の結婚式に出席するため一日中子守りで娘宅に出かけて留守をした明くる日なので、少々お疲れモードの妻は昨晩はさすがに疲れたのか、早めに床につきました。私も泊り込みで2日ほど家を開けていたため、残務整理があって何かと気ぜわしいのに、孫の相手は?と思いつつ、下がる目尻で昨晩と今日は孫の世話をする羽目となったのです。昨晩「男どうし」などと嬉しい事を言うものですから一緒の布団に潜り込んで眠るとき、鳥のお話をしてやりました。そして夜が明けると小鳥のために餌を作ってあげようという話になったのです。

 こんな話しをすると自然派の孫は目を輝かせて話しを聞き眠りの世界へ旅立ちました。今朝5時過ぎ、私は起床するためそっと布団を抜け出しました。すると孫はとっさに起きて、「おじいちゃん、小鳥はもう起きたかなあ」というのです。「まだ外が暗いから小鳥さんも寝ているので、朋樹君ももっと寝ない」といっても聞かず、結局は私と一緒に起きてしまいました。身支度を整えた後みかんを2個輪切りにして割り箸に突き刺し、小鳥の餌を作りました。そして孫と二人で書斎の前の掃き出し窓を開けて外に出て、みかんを石に突き刺しました。6時過ぎの外はまだ薄暗く、こんな時間に餌を用意しても来るものかと思いましたが。それでも孫は窓越しに目を凝らして小鳥の来るのを待っていました。やがて食事の準備が出来て一緒にご飯を食べていましたが、小鳥が気になるのかソワソワとして落ちつかないのです。「ご飯はしっかり食べなさい」と注意をしながら食べていましたが、トイレへ行ったついでに外を眺めるとメジロが3匹ゆってきて、早くもみかんの輪切りを啄ばんでいたようです。「おじいいちゃん小鳥がご飯を食べに来ている」と弾んだ声で報告です。「どれどれ」孫に連れられ朝食を休憩してのバードウォッチングと相成りました。

 そのうち妻もやって来てメジロの啄ばみをみんなで観察したのです。

 春先のメジロはウグイス色で色合いも申し分なく、鳴き声こそ聞かなかったもののとてもきれいでした。早速デジカメに納めましたが、写真撮影に成功したこちらの方が興奮する有様でした。

 私たち大人には他愛のない小鳥の話ですが、子どもにとっては夜が寝れないほど、朝早く目が覚めるほどの話なのかと、あらためて子どもの思いや夢の大切さを学びました。孫は人間牧場から帰った後も帰宅の時間まで私の書斎に頻繁に出入りし、母親や叔母を連れて、さも自分のことのように説明をしていました。

  「海を見て 何を思うや 肱川の 源流辺りに 住まいし人々」

「このデッキ 神楽を舞えば 海神も さぞや喜ぶ ことであろうと」

  「少しだけ 小鳥の餌付け 話したら 孫は凄いな 夢まで見てた」

  「メジロ二羽 みかん啄ばむ 庭の隅 間もなく春が 来そうな予感」

 

  

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shin-1さんの日記

○希望の島での笑いの夕日寄席

(司会をした弓削島の村上律子さん)
(開会挨拶をした松下政経塾塾頭古山和宏さん)
(基調講演をした東大教授神野直彦先生)

 東大教授の神野直彦先生が「地域と人間の回復」と題した格調高い話をした直ぐ後、事もあろうに私が「笑いの夕日寄席」をやることになりました。参加した知識人なら誰でもそのミスマッチに呆れただろうと思うのですが、それでも兼頭さんの企画立案したことですから一生懸命務めようと思いました。

 えひめ政策研究センターの松本さんが手助けをしてくれるというので、息もピッタリでやれるだろうと鷹を食っていました。出囃子の調子もこれまでよりか幾分馴れていよいよ本番です。私に与えられた持ち時間は35分なのですが、神野先生の話が10分ばかり押していて、私で時間調整しなければならないような雰囲気でしたので、私の時間は30分と考えていました。

 この日の舞台は何と背後に金屏風で、いつも以上の舞台設定に思わず少し顔が赤らむ思いがしました。そして高座もいつも使っている魚梁瀬杉の切り株ではなく舞台用の少し高めの台が用意され、分厚い座布団が敷かれているのです。村上律子さんと水戸へ行った折、「座布団はわが家の仏壇の前にあるのを持ってきてあげる」と約束をしていたもので、座るとひっくり返りそうな分厚さです。

 「えー、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席申し上げます。今日この会場に来て事務員さんに『いい島ですね』とお世辞を言ったら、『それほどいい島で気に入ったのなら住んでくれますか』と返されました。私は思わず『すみません』と答えてしまいました」。(大爆笑)

 まあこんな調子で夕日徒然草の地の書から取り出した幾つかのネタを組み合わせながらお話をさせてもらいました。普通だともっと落とした落伍をするのですが、松下政経塾との共催や、兼頭君の先輩、同僚などが全国から沢山参加していたようなので、少しまちづくりに軸足を置いた話に切り替え、終始和やかな雰囲気を作りました。中にははるばる高松から私の話しを聞きに来てくれた人もいたり、原さんや黒瀬さん、浜田さんなど旧友知人も沢山駆けつけていて、久しぶりの話に笑い転げていました。一番前に陣取っていた神野先生も思わず笑っておられました。この日は私の人形パネルも登場して、悦に入りました。

 私の後に登場した兼頭さんは、私の流れを汲むように落語家が着る着流しの和服で登場し、「他所家若丸」という芸名で私より上手い落語形式の活動レポートをやり、参加者をアッと言わせました。私の落伍のお世話をしてくれている松本さんが夕日亭大根心」にあやかり、「困ったな」ならぬ「小松菜」という芸名にしようとみんなの前で公表して会場を笑わせており、松本さんといい、兼頭さんといい、落伍や笑いが少しずつ広がりを見せているようです。

(兼頭さんの落語)

(トークセッションに聞き入る参加者)

 この日のために熊本県水俣から地元学の吉本さんを招いて子どもたちと町歩きをした様子が会場一杯に飾られ、トークセッションで「ぼくらの考える島の未来」について発表がありました。またこの日のためにアンケートも集計され、希望の島フォーラムは150人を超える人たちで賑わいました。

 兼頭さんのコミュニティビジネスという新しい戦略が始まりました。奥さんと子どもさん3人で移住して挑戦する兼頭さんの将来に幸多かれと祈っています

  「島の人 何故か優しい 顔してる 同じ人生 ゆったりしたい」

  「東大の 先生話す 壇上に 何故か私も 上がって話す」

  「いいとこと いえばすかさず 住んでよと いうので返事 すみませんとは」

  「この島を 愛せよいった 先生が 愛することなく 転勤希望」 

  

 

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