shin-1さんの日記

○ひっきりなしのお客様

 今日は私が在宅を知ってか知らずでか、朝から10組もの人が入れ替わり立ち代りにわが家を訪ねて来るのです。やっと帰ったと思いきや玄関のチャイムが鳴らされ、また対応です。今日は冬型の季節風が強まり、今朝はこの冬一番の冷え込みだそうで松山で氷点下を記録したとテレビで報じられていました。私も朝から書斎に石油ストーブを焚いて暖を取りながら頼まれた原稿を書こうとするのですが、ひっきりなしの来客に中々構想がまとまらず、読書に切り替えて時を過ごしました。

 そういえば、外は冷たく風は強いものの好天で、少し遅めの下浜の水仙と少し早めの閏住の菜の花を目当てにやって来た人たちがわが家へ流れてくるのだと、皆さんの話を聞いて納得しました。つまりわが家訪問は「水仙や菜の花のついで」なのです。

 それでも役場に立ち寄って人間牧場やわが家の位置を訪ねての来訪ですから、丁寧に対応しなければならないのです。殆どの人は友人や家族連れなので応接間へは通さず私の書斎の掃き出し窓から上がり込み、お茶を飲みながらの雑談の後、私設公民館煙会所と海の資料館海舟館を見学して一時間弱で帰って行くのですが、中には人間牧場へ連れて行って欲しいとせがむ人もいます。今日は予定があるからと丁重にお断りをしても、「それなら自分たちで行くから道を教えて欲しい」と食い下がります。残念ながら案内がなけれ道に迷うし、地図も書けないと断るのですが、「あんたは不親切だな」という不満な表情を顔に出し、態度に表せてしぶしぶ帰って行くのです。それでも一つのご一行様に小一時間かかるのです。

 今朝は午前10時に予約の人が松前から訪ねてきました。先日ある人の紹介で電話がかかり講演依頼に伺いたいというのです。聞けばその学習グループの今年のテーマは「団塊の世代」だそうで、最近団塊の世代、つまり戦後生まれの方々がリタイアするようになって、生き方が分らない人が世の中に増えてきているというのです。このグループの狙いはそういった方々を再教育してボランティアとして活用する方策を探っているようなのですが、果たして目論みどおりその人たちがボランティアの戦士になれるかどうかは意見の分かれるところです。これまで家庭も地域も顧みずがむしゃらに働いてきた人にとってボランティア活動などという世界はまったく別の世界なのです。

 リタイア後の人生を有意義に生きてゆくためには大きく分けて3つの視点が考えられます。まず自分の人生をどう設計するかでしょう。残された人生は長いようで短く、短いようで長いものです。これまで生きて得た知識と資金でどう自分らしく生きれるかということを考えなければなりません。自分を見つめ自分の人生を考えるこのことが多分一番難しいことなのです。

 次に大切なことは家族との暮しです。一つ屋根の下で暮らしているというけれどみんなバラバラな考えと行動で生きているのが今の日本の家庭です。例えばわが家のように年老いた親がいればその介護も、また無限大的に広がっていた暮しをどうコンパクトに縮小したりまとめて身を寄せ合うように生きて行けるかです。

 もう一つ大切なことは地域活動やボランティア活動を通して役立ち感を持つのです。いきなりボランティアというところまでスキルアップするのは無理なような気がするのです。

 人間の生き方にはステップアップの手順があって、それを無視していきなりそれを求めると元も子もなくなる恐れがあるのです。

 そんはアドバイスをした二人は納得して帰って行きました。参考になれば幸せです。

  「菜の花と 水仙ついでに わが家来る おまけ人間 牧場強請って」

  「寒さゆえ 書斎の窓から 侵入し 暖を取りつつ 世間話を」

  「団塊の 世代集めて ボランティア 世の中そんなに 甘くはないぞ」

  「寒いのに 今年最初の 冬日とは 温暖せいか 寒さもピーク」


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shin-1さんの日記

○むらづくりコンクール

 「宮崎県むらづくりコンクール表彰式・むらづくり講演会」に招かれ、今をときめく宮崎県へ行ってきました。ノミネートされた7つの事例のうちで、むらづくり大賞に選ばれた銀鏡むらづくり推進会の事例発表を聞きました。壇上に上がって発表した5人全員が浜砂さんという何とも面白い顔合わせでした。西都市の北、東米良地区に位置する銀鏡(しろみ)はゆずの生産が盛んなところで、ユズを中心にした東米良ユズ生産組合や農産物加工施設を利用した活動によって雇用拡大や所得の向上が図られ、これが地域づくりの拠点施設となって重要な基盤整備となったそうです。地域存続に欠かせないものに学校の存在があり、最近は少子化の影響でどこも学校の統廃合に揺れていますが、ここではいち早く山村留学制度に取組み、これまで169人の子どもたちを迎えているそうです。里親制度による受け入れも効果を挙げてるようでした。また銀鏡神楽の保存活動やグリーンツーリズムによる都市住民との交流によって交流人口が拡大している様子がパワーポイントを使って詳しく発表されました。

 発表した5人の浜砂さんと昼食を挟んで懇談しましたが、素朴でそれでいてしたたかに生きている様子が伺え、一度訪れたいような気持ちになりました。ちなみに昼食は会場の近くのお寿司屋さんで850円のお寿司を食べましたが、とても美味しくいただきました。

 世の中が狭くなったのか私の行動範囲が広くなったのか、はたまた私の知名度が上がったのか?(それはないかも)、会場には知人が何人か来ていて、思い出すのに苦労しましたが一瞬驚きました。

 私の講演題は「地域資源を生かしたオンリーワンのまちづくり」でした。この集会には宮崎大学教育文化学部教授戸島教授を始め宮崎県むらづくりコンクール審査委員の方々も6人参加していて、そちらへのアピールしなければならないので、少し内容を変えてお話しました。しかし残念なことに私の持ち時間が1時間10分と少なく、担当者の要望でDVDまで紹介するとなると余りにも時間が少なく、尻切れトンボのようになってしまいました。いつも思うことながら、僅か70分のために陸路往復500キロの走行と24時間もの大移動とはこれまた大変な労力です。でも宮崎で新しい出会いの輪が広がって、新しい何かが起こりそうな予感がしています。

 今回の研修会に招かれたきっかけは、何年か前宮崎県椎葉村で行われたグリーンツーリズムの勉強会に講演を頼まれて出かけたことがきっかけでした。あの時出合った古谷さん夫婦とはその後沖縄県石垣島で行われた全国地域づくり団体交流大会で再会したりしましたが、宮崎でペンションポケットを営んでいて先日も奥さんは全国民宿のお母さん百選に選ばれるなど、新しい情報を発信しています。

 今回のむらづくりコンクールの審査講評で戸島先生は「私は限界集落という言葉は余り好きでない」とお話されました。確かにいい言葉ではないし、65歳以上を高齢者と呼び、高齢化率50パーセント以上というけれど、何を持って高齢化というのか、何を持って限界集落というのか意味不明のまま限界集落という言葉が独り歩きしています。でも学者や部外者は「こう有るべきだと」と「あるべきだ論」を声高にいっても、何も助けてくれないのです。限界集落も持った地域に住んでいる私たちは、結局世の中の流れに翻弄されながらも「人間としていかに生きるか」という開き直った考えで力強く生きるしかないのです。

 美味い水を飲んで、美味い空気を吸って、美味いもの(安心で安全な地のもの)を食べて長生きをする。何でもないことですが、これが田舎に生きる人間の特権だと思えばいいのです。そんなメッセージを伝えに宮崎まで出かけました。私の考えや生き方は間違いでしょうか。

  「往復で 五百キロもの 道程を 宮崎くんだり よくぞ行ったり」

  「発表で 銀鏡(みしろ)の話 聞きました よくぞここまで 大きな拍手」

  「逆境を 力に生きる 人がいる ジーンと胸が 熱くなります」

  「高速で 行けない宮崎 だからいい 特定財源 賛成ですか」


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