shin-1さんの日記

○健康は習慣

 毎日朝が来て夜で終わる。三度三度のご飯を食べて働き、時には旅行をして遊んだりスポーツで汗を流す。酒やコーヒー、スイーツなど好きなものを飲んだり甘いものを食べたり、友達に会って楽しいおしゃべりをする。一生の三分の一は寝る時間といわれるように睡眠も人並みに取る。まあこんな感じで何気なく、殆ど無意識のうちに一日が終り一年が終る。そんな平凡な暮しを幸せだと意識もせずに63歳の今日まで年齢を重ねて来ました。

 私と四十年近く同伴し、同じ屋根の下に住んで同じ空気を吸い、同じ水を飲んで暮らし、同じものを食べ、同じ布団に寝てきた妻がいますが、どういう訳か全く同じであるはずの妻でさえ、健康状態は私と違うようです。

 40数キロだった妻は小太りに肥え、私が病気したこともあって現在の体重は風呂に入って増えるお湯の量で推測するとだいたい妻と同じくらいです。私の体重は最大67キロくらいの時期がありました。その頃は愛飲家で特にビールが滅法好きで、夏など晩酌はビール大瓶2本などを飲んでいたのです。若い頃は飲んだり食べたりしてもそれは殆ど消費されて後に残りませんでしたが、年齢を加えるに連れて蓄積されていたようです。

 松山市内で飲むことの多かった私は、飲み代は工面しても帰るタクシー代の工面がつかず、もっぱら10円タクシーと称した妻の運転する車に乗って帰り際、小腹が空いたと国道沿いのラーメン屋に立ち寄り、仕上げに大ジョッキを一杯飲んで帰宅したものです。あんな暴飲暴食を今まで続けていたらどうなっていたのだろうと思うと、ゾッとするのです。

 今は病気になった体の都合できっぱりと酒を断ち、これくらい食べ物に気をつけたら病気なんかする訳がないと思えるほど品行方正な亭主になって、妻を喜ばせているのです。特に酒を飲んでいた時は食事の時間がやたらと長く、最後は妻がそっとテレビのある居間へ移動する有様でしたが、今は「エッ、もう終わったの。もっとゆっくり食べて」と、逆に引き止められたりするのです。

 「酒を辞めるくらいなら死んだ方がましだ」と豪語していた私の暮しは8年前の病気、それに退職という大きな節目を経験してからすっかり様変わりしました。酒を飲む習慣から酒を飲まない習慣にまるで180度の方向転換です。私の友人には胃を三分の二取ったという人がいたり、糖尿病だったりで酒を辞めるようお医者さんに言われているにもかかわらず、酒を飲みながら薬を飲んでいる人が沢山います。その人たちの奥さん方から、「主人に体の事を考えてお酒を辞めるように言ってください」と頼まれるのですが、私は「奥さんが言って聞かないのですから私の意見など聞くはずがない」とよく言ってやるのです。そして「もう諦めて葬式代の工面と出来るだけ高い保険に入って、死んだ後自活できるような工面をした方がいい」と悪ふざけで勧めるのです。

 今頃になってしみじみ「健康は習慣」と思うようになりました。新聞の片隅に「お金を稼ぐのは簡単だが体重を落すのは大変だ」と書いているのを見て、なるほどとうなずいたものです。

 日々の暮しの何気ないコツコツした習慣、例えばタバコを飲むことやお酒を飲むことが体を害し、ラジオ体操や野菜・果物・魚を食べる習慣が体を健康にしてくれるのです。

 さあ始めよう。健康に生るための習慣を。

  「健康は 金で買えない ものだから 毎日コツコツ 体にいいこと」

  「始めよう ニコ・ピン・コロの 人生を 見本は長生き している親父」

  「あれ程の 酒を止めたと 人前で 私を褒める 妻の偉さよ」

  「質素でも 妻の手づくり 餃子食う 形違うが 食べれば一緒」 

 

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shin-1さんの日記

○大根の首切り

 昨日外出先の島根県益田市からわが家へ帰り、久しぶりに家の側の家庭菜園に出ました。菜園は殺風景ながらもう春の装いに変わりつつあり、あちこちに緑色の濃いハコベがはびこってきました。その中で一際目につくのが大根の畑です。一瞬何事が起きたのか目を疑いました。先日まで青々としていた大根畑の葉っぱが全て切り落とされてなくなり、まるで髭剃り後の私の顔や首のように、青首だけを寒々とさらしているのです。

 親父の隠居に行くと親父が「もうそろそろ大根もトウが立つので首を落とした」というのです。「トウ」とは花を咲かすための大根の芽伸びのことで、大根は子孫を残す作業として花を咲かせ実を稔らせるのです。しかし大根が「トウ」を立てるには、地中にある養分を吸うのではなく、地中に埋まった自らの養分で「トウ」を立て花を咲かせて実を稔らせるのです。そのため大根に「トウ」が立つと、大根は「ス」が入って繊維だけが残り食べられなくなるのです。葉っぱを落すと大根の成長変化が止り瑞々しいままの大根が春まで食べられるのです。誰が考えたのかは分りませんが、大根の首切り作業はどの家でも行っている春先の作業なのです。しかしこんな田舎でも家族の数がめっきり減って大根をそんなに沢山植える人も少なくなって、今では首切り大根を見かけることも少なくなりました。

 親父はこのところの寒さを利用して切干大根を作ってくれました。最初に作った切干大根は既に仕上がっていて、冬の寒風に晒されたものが沢山出来上がり、ナイロンの袋に入れて収納しました。親類や近所におすそ分けのつもりでしょうか、昨日はまたひとサナ作って干していました。

 この時期しか出来ない切干大根は大根がなくなる春先から秋口まで年中食べることが出来るのでわが家では重宝して食べています。私に時間的余裕が出来たらもう少し作って欲しいと妻は私にせがむのですが、今のところ「そんな暇はない」と言い張っています。というのもこのところの寒さですから正直なところはおっくうなだけなのです。大根を引き抜いて身を切るような寒さの中で水洗いするのも、その大根を包丁で切り刻むのも面倒臭いのです。でもその手作業を親父は誰に恩義を着せるでもなく毎年黙々としてくれるのですから、頭が下がるのです。

 昨日の夜は久しぶりに大根サラダを食べました。この一週間わが家を開けていて、どちらかというと野菜不足の食事になっているようでした。勿論一昨日私のために益田で開いてくれた寺戸さんや大畑さん、岩井さんたちとの懇親会でも居酒屋で大根サラダを食べさせてもらいましたが、「食べた」という感触はやはり妻の作った大根サラダが一番なのです。昨日は新鮮なトラハゼの刺身が食卓に用意され、史談会の定例勉強会が終わり帰ってからの遅い夕ご飯となりましたが、妻と二人他愛のない話をしながら食べました。

 大根心という大根にちなんだ芸名もつけて名実ともに大根のお世話になって日々を楽しく暮らしています。大根の薀蓄をもっと学んで「大根博士」にでもなりたいものです。

  「大根の 首落されて 寒々と これも大事な 作業の一つ」

  「大根の 芸名いただく この身ゆえ 効能あやかり 薀蓄しゃべる」

  「切干は 年中食べる 保存食 手をかじかめて 親父手づくり」

  「大根は 生良し煮て良し 三昧の 食べ方楽し 今夜はおでん」

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